つかはしける人は参りにたりや。 村上天皇 千人万首

98 内宴は弘仁年中に始まりたりけるが長元より後絶えて行なはれず・・・ [やたがらすナビ]

つかはしける人は参りにたりや

思はずにあさましくて、6「こはいかに。 」とばかり言ひて、7 返しにも及ばず、袖をひきはなちて8 逃げられにけり。 小式部、これより歌よみの世おぼえ出で来にけり。 平安時代中期の歌人。 一条天皇の中宮彰子に仕え、後、藤原保晶の妻となった。 958年〜1026年。 丹後国(現在の京都府北部)など、諸国の長官を歴任した。 武将としても有名である。 和泉式部とその前夫橘道貞との娘。 日本三景の一つ。 一次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。 1 和泉式部 2 丹後 3 歌合 4 小式部内侍 5 局 6 御簾 7 直衣 8 天橋立 二 次の語の意味を辞書で調べよ。 1 歌合 2 遣はす 3 心もとなし 4 おぼす 5 あさまし 三 登場人物を抜き出せ。 また、傍線部1〜12の問いに答えよ。 登場人物 和泉式部 小式部内侍 1 どの部分にどういう関係で続いているか。 2 「 」は誰の言葉か。 また、この言葉を聞いたのは誰でどのように感じたか。 3 「丹後へつかはしける人」とはどんな人か。 「参り」はどこへ参りなのか。 4、5 主語を記せ。 6 「 」は誰の言葉か。 また、どういう気持ちが分かるか。 7 どういうことか。 8 主語を記せ。 四 二重線部1,2の文法問題に答えよ。 1 活用の種類 基本形 活用形 2 結びの語 基本形 活用形 五 口語訳 和泉式部が、保昌の妻として丹後の国に下ったときに、京で歌合があったが、(その娘)小式部内侍が、歌合のよみ手として選ばれてよむことになったが、定頼の中納言が、からかって小式部内侍が局にいたときに、「丹後へおやりになったという使いは戻って参ったか(母上の和泉式部の助けがなくてお困りでしょう)。 」と(局の中へ)声をかけて、局の前を通り過ぎなさったところ、(小式部内侍は)御簾から半分ほど出て、(定頼の着ている)直衣の袖を引き止めて、 大江山・・・大江山、生野という所を通って行く、丹後への道が遠いので、まだ天橋立を訪れたことはございません。 (そのように、母のいる丹後は遠いので、まだ便りもございません。 ) と(定頼に歌を)よみかけた。 (定頼は)思いがけないことであきれて、「これはどういうこと。 」とだけ言って、(当然の作法である)返歌することもできず、(引き止められた)袖を振りきってお逃げになってしまった。 小式部は、このことにより歌人としての世の評判が出て来たそうだ。 袖を振りきり逃げる 定頼の中納言 主題 小式部内侍の歌人としての出発 小式部内侍が大江山の歌 解答 一 1 いずみしきぶ 2 たんご 3 うたあわせ 4 こしきぶのないし 5つぼね 6 みす 7 のうし 8 あまのはしだて 二 1 左右に分かれた両方から出された歌に勝負をつけること。 2 おやりになる 3 気がかりだ 4 おおもいになる 5 以外であきれる気持ちだ 三 登場人物 和泉式部 小式部内侍 定頼の中納言 1 くだりける 主語述語 2 定頼の中納言 誰 小式部内侍 感じ 使いを出していないのに失礼だ 3 小式部内侍が丹後の 和泉式部のもとに送った使者 都へ 4、5 小式部内侍 6 定頼の中納言 小式部内侍の返歌のすばらしさに信じられない気持ち 7 返歌もできない 8 定頼の中納言 文学史 成立 1254年 橘成季編 内容 700話.

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古文の、会話文中の敬意の対象について

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の承香殿女御源和子に仕えた女房。 『集』に、同親王に贈った恋歌が見える。 また『大和物語』百三十九段にも同様の逸話と歌が見える。 後撰集初出。 勅撰入集は二首。 延喜御時、承香殿女御の方なりける女に、元良のみこまかりかよひ侍りける、たえてのちいひつかはしける 人をとくあくた川てふ津の国のなにはたがはぬものにぞありける (拾遺851) 【通釈】芥川ではないが、人をすぐに飽きるという、噂に違わない方でありましたね。 地名「芥川」に動詞「飽く」を掛ける。 元良親王は色好みで名高い。 「なには」は「名には」「難波」の掛詞。 【補記】『元良親王集』の詞書は「承香殿の中納言の君に、ほどなく離れ給ひにければ、女」。 忘れがたになり侍りける男につかはしける こぬ人を松の 枝 え にふる白雪の消えこそかへれ悔ゆる思ひに (後撰851) 【通釈】いくら待っても来ない人を待つうち、松の枝に降る白雪のように、私は消え入ってしまうことだ、後悔の思いで。 すっかり消えてしまう。 「雪」「ふる」「消え」は縁語。 【補記】『元良親王集』には「来ぬ人を松のさ枝にふる雪の消えこそかへれあかぬ思ひに」とあり、詞書は「かくてものも食はで泣く泣く恋ひ聞えて、松に雪の降りかかりたりけるにつけて、聞えける」。 公開日:平成12年07月30日 最終更新日:平成15年02月26日.

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小式部内侍が大江山の歌の事・ 現代語訳・品詞分解・読み方

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つゆしげき 「箏の琴しばし」といひたりける人、 「参りて、御手より得む」とある返事に 3 露しげき 蓬が中(もと)の 虫の音を おぼろけにてや 人のたづねむ 【通釈】 「箏の琴をちょっと貸してくださいね」と言っていた友達が、 「やはりお会いして、直にあなたの手から教えてください」と手紙に書いてきた、その返事に (夫が亡くなり)露が滴り落ちて湿っぽく、蓬に覆われた我が家の庭、そこで鳴く虫の音の ような音を奏でるわたしの箏の琴を、あなたはまあ、奇特にもわざわざ 訪ねてきて、習おうとおっしゃってくださるのですね。 日本古来の琴は和琴で6弦、琴(きん)は7弦で区別がある。 『源氏物語』には40例もみられるという。 自邸を謙遜した言い方だが、露は涙のことであるから、悲哀を匂わせている。 とすれば、夫の宣孝を喪ったことを指しているのだろう。 『千載集』詞書より宮仕え後とする説もあるが、そうなると宣孝の死後数年は経ていることになる。 寡居時代としたほうが、しっくりくる。 ・寡居時代の作 『論考』 ・宮仕え中 『評釈』『復元』『全評』 ・未婚時代 『叢書』『大系』『基礎』 ・宮仕え以前 『集成』 ちなみに、『源氏物語』では「露しげし」の用例は2例しかない。 「荒れたる家の露しげきを眺めて、虫の音に競へるけしき、昔物語めきておぼえはべり」 (『源氏物語』帚木) 「露しげきむぐらの宿にいにしへの」(『源氏物語』横笛) 特に横笛の巻のほうは、柏木が昔奏でていた音色を偲んで詠んだ歌である点、やはり露は涙と考えるべきであろう。 【参考】 『千載集』巻十六、雑上、974 「上東門院に侍りけるを、里にいでたりけるころ、女房の、消息のついでに、「箏つたへにまうでむ」と、いひ侍りければ、つかはしける 露しげき よもぎがもとの 虫の音を おぼろけにてや 人のたづねむ」 【考論】 <3番歌の配置> この歌の配置については、諸注釈により考察のなされるところである。 家集の配置はほぼ年代順であるため、『千載集』の詞書に従って詠作年次を寡居時代・宮仕え後とする場合、配列に矛盾をきたすからだ。 たしかに4・5番歌の娘らしい、女のほうから詠みかけた恐いものなしといった態度や、13番歌のような瑞々しい清涼感溢れる歌などと比べると、千載集の詞書を見るまでもなく、3番歌は年代的に後のものであるという印象を受ける。 『全評』は、「宮仕え後の歌と思われるものを、娘時代の歌のつづく中にあえて配置した式部の意図」として、夫の没後は孤愁感に沈み、琴を弾くこともなくなっていたのが、奏法を教えてほしいと言ってきた人が現れたことにより、新しい知音との出会いを感じ、1・2番歌の「別れ」の哀歌に続き、また同じ「虫の音」で繋がることから3番の歌を置いたとする。 3番歌の贈答の相手が誰か不明なので新しい知音かどうか断定はできないものの、虫の音を媒介とする連繋については肯ける解釈である。 式部は1・2番歌を冒頭に置くことを決めたが、その後ろに年代的に近い宣孝との贈答を持ってきたかったのではなかったか、と推測する。 式部はおそらく、2番歌の醸す情景に限りない哀惜の念を持っていただろう。 童友達と別れ別れになった秋、その悲しみに泣く自分と競うように鳴いていた籬の虫の音は、忘れられないものだったのである。 しかし、式部にはそれから、宣孝との出会いが待っていた。 現実には、この二つの場面は宣孝との贈答が先で、事実とは相違があるのかもしれないが、冒頭に置きたい歌が決まっている以上、宣孝との贈答は後ろに持ってくるしかない。 が、ただ並べるだけでは唐突すぎるし、芸がない。 と言うより、式部は家集編纂にあたって、全歌を貫く一つの意図を持っていたに違いないのである。 それは、自分の人生をまるごと筋書きのある物語として、家集に残すこと……そのために、若いころから、家集を編纂している時点(晩年?)までに詠んだ歌を年齢の偏りなく集めたのである。 『紫式部集』はその通り、娘時代、越前下向時代、結婚生活、寡居生活、宮仕え中、退下後と、詠作年次に空白の時期がない。 これは自撰である根拠にもなると同時に、彼女がみずからの人生をゆるやかな時間軸で進む物語に仕立てた証であろう。 歌の配列がほぼ詠作年代順なのは、当然である。 ところが、過去の手持ちの和歌をただ年代順に並べただけでは、物語としての繋がりは希薄である。 ことに、女友だちとの友情は、宣孝との恋愛とは直接の関わりを持たない。 詞書をもってしても、これを物語として繋ぐのは難しい。 ならば、共通の言葉を使い、あるいは連想されるイメージを利用することで、物語の流れを作ってしまおう、と思ったのではないか。 女友だちとの贈答歌にある「籬の虫の音」、それに宣孝を関連付けられるのは3番歌、おそらくは宣孝と死別して「露しげき」状態にある式部が亡き人の思いを胸に琴を爪弾いていた秋、の歌は、まさに2番歌と共通するイメージであり、4・5番歌の贈答の相手が宣孝であることで接点を持つことを可能にする。 人生のある一時期に詠んだ歌というものはそれぞれ点にすぎないが、それが線になるためにはこうした工夫が必要なことを、式部は知っていた。 あいにく、3番歌は詠作年代順という基本方針からはずれることになってしまうが、式部はそれ以上に、家集の物語化に拘っていたのである。 このことは、以降の考論においても、述べることにする。

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