アメリカ の 初代 大統領。 アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントン

アメリカ合衆国歴代大統領とその歴史

アメリカ の 初代 大統領

ジョージ・ワシントンの生涯 1732年2月22日、バージニア植民地ウェストモアランド郡コロニアル・ビーチに生まれる。 両親はイギリス出の家柄で、一家は黒人奴隷プランテーションを経営していた。 父はワシントンが11歳の時に死去。 長兄ローレンスが父親代わりを務める。 ワシントンは青年期に測量を学び、16歳で農園主としての経験も積み始める。 17歳のときに測量士として公的な役職に就いた。 ワシントンが20歳のときに長兄が死去。 長兄はバージニアの民兵隊長を務めており、ワシントンはその地区の一つを継承し、少佐となる。 ワシントンは22歳のときにバージニア市民軍の大佐に任命され、オハイオ渓谷からフランス軍を排除するために派遣されるも数で圧倒され、降伏。 解放されたワシントンは大佐を辞任。 翌年、ワシントンはフレンチ・インディアン戦争でオハイオ領土を取り戻すことを試みたイギリス軍のブラドック遠征に従軍。 この戦いで敗北を喫したものの、ワシントンは退却の際に砲火の下の冷静さを示した。 26歳になったワシントンはジョン・フォーブスの遠征隊に参加し、デュケイン砦のフランス軍を排除することに成功。 この年にワシントンは軍隊から退き、その後の16年間はバージニアの農園主および政治家として過ごす。 ワシントンは27歳のときに未亡人のマーサと結婚。 マーサの連れ子二人を愛情をこめて育てたが、ワシントン夫妻には子供ができなかった。 戦争の英雄であり、大土地所有者としても尊敬されたワシントンは、1758年からバージニア植民地議会議員に選ばれる。 1769年に高まった植民地の反抗で37歳のワシントンは指導的な役割を担うようになる。 1774年のイギリス議会による耐え難き諸法の成立を「我々の権利と主権に対する侵害」と見なし、42歳のワシントンは大陸会議の招集を求めるフェアファックス決議を採択。 1775年4月のイギリスとの戦闘「レキシントン・コンコードの戦い」後、大陸会議は6月に大陸軍を創設し、ワシントンが植民地軍総司令官に任命される。 ジョージ・ワシントンは司令官としてアメリカ独立戦争(1775~1783)を戦い、勝利。 1783年のパリ条約によって、イギリスはアメリカの独立を承認した。 1797年に65歳のワシントンは大統領職を辞任。 ワシントンはバージニア州のマウントバーノンの農園に戻った。 1799年12月14日、ジョージ・ワシントンは自宅にて死去。 67年の生涯を閉じた。 - ジョージ・ワシントン - 2.名言・格言 偽りの愛国心で人を欺く行為に用心しなさい。 - ジョージ・ワシントン - 3.名言・格言 心配とは、取り越し苦労をする人々が支払う利息である。 - ジョージ・ワシントン - 4.名言・格言 出来ないことを引き受けるな。 約束を守ることには、細心であれ。 - ジョージ・ワシントン - 5.名言・格言 おのれの職分を守り黙々として勤めることは、中傷に対する最上の答えである。 - ジョージ・ワシントン - 6.名言・格言 人の話の腰を折ってはいけない。 人の話題を横取りしてもいけない。 - ジョージ・ワシントン - 7.名言・格言 自由はひとたび根付きはじめると急速に成長する植物である。 - ジョージ・ワシントン - 8.名言・格言 戦争に備えることは、平和を守る最も有効な手段のひとつである。 - ジョージ・ワシントン - 9.名言・格言 人々の権利を確保するため、人々の間に政府が組織される。 - ジョージ・ワシントン - 10.名言・格言 憲法は、わたしが決して置き去ることのない道しるべだ。 - ジョージ・ワシントン - 11.名言・格言 幸福と道徳的義務は、密接に関係している。 - ジョージ・ワシントン - 12.名言・格言 自分の評判を重視するなら、質のよい人々とつきあうべきだ。 悪い仲間といるより、独りでいた方がましである。 - ジョージ・ワシントン - 13.名言・格言 他人を押さえつけている限り、自分もそこから動くことはできない。 - ジョージ・ワシントン - 14.名言・格言 上司と口論してはいけない。 あなたの判断を穏やかに聞いてもらうように心がけよう。 - ジョージ・ワシントン - 15.名言・格言 政治とは理性ではない。 雄弁でもない。 政治とは力である。 炎のような、つまり、危険な使用人であり、恐ろしい主人である。 - ジョージ・ワシントン - 16.名言・格言 合意によって制定された法律は、個人によって踏みにじられてはならない。 - ジョージ・ワシントン - 17.名言・格言 われわれは軍人になったとき、市民であることをやめたのではない。 - ジョージ・ワシントン - 18.名言・格言 良心という神聖な火花を、胸の中で消さないように努めなさい。 - ジョージ・ワシントン - 次ページへ続きます。

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歴代アメリカ大統領人気ランキング20【トランプがいない理由は?】│アメリカ info

アメリカ の 初代 大統領

アメリカのポスター、カレンダー、絵葉書、イメージ宣伝等に必ずといって登場するのがここ、アメリカを代表する歴代4人の大統領が白い花崗岩に彫られているマウントラッシュモアである。 建築には19世紀にパリへ留学し彫刻を勉強したガトソン・ボーグラムが携わり、400人の作業員が14年間かけサウスダコタ州、ブラックマウンテン山塊の固い花崗岩に高さ18mの大統領の胸像を4体完成させた。 彫られた4人の大統領は建国から150年間にアメリカを築き上げたと最も重要な4人である。 アメリカ独立戦争にて指揮官となりイギリス軍に勝利、憲法制定議会の議長にと選出された後、選挙人投票で100%の票を得た最初で最後と呼ばれる初代大統領である。 当時の年給は25000ドルっであったそうだ。 1ドル紙幣と25セントコインに肖像がが使われている。 日本では子供のころ桜の木を切ったことを父親に正直に話したら逆にほめられたという逸話で「嘘をついてはいけない」の代名詞にもなっているが、1745年当時、アメリカ大陸にはまだ桜の木が無かったとのことからその話の真相は明らかにされていない。。。 トーマス・ジェファーソン 第3代大統領 -拡張の象徴- アメリカ独立宣言 1776年 の作者、またアメリカ合衆国建国に最も影響力があり、共和制の理想を追求した一人として知られている。 就任中はルイジアナ買収でこのサウスダコタ州を含む現在の15州分を獲得し領土を2倍にした。 ジェファーソン大統領は、ルイス・クラーク探検隊を発足したことでも有名。 ルイス・クラーク探検隊は陸路で北米大陸を太平洋まで探検、ロッキー山脈の大陸分水嶺を越え、数々の困難を乗り越えて太平洋側まで到達し無事に帰還した。 エイブラハム・リンカーン 第16代大統領 —保護、保存の象徴- 「人民の、人民による、人民のための政治」の演説であまりにも有名、奴隷解放の父と呼ばれたリンカーンは、もとは弁護士で運輸関係訴訟ではかなり有能であったと言われる。 当時当たり前であった奴隷制度の拡張に反対し、リンカーンが大統領になったことで合衆国は2分化し、南北戦争へと結びついた。 南北戦争に勝利した後、大統領就任中(1865年)、ワシントンDCのフォード劇場で時代喜劇を観劇中、後頭部を撃たれて暗殺された。 セオドル・ルーズベルト 第26代大統領 -開発の象徴- 20世紀最初の大統領、本来は副大統領であったがマッキンリー大統領が暗殺されたことで大統領に昇格する。 大統領就任時、42歳は史上最年少である。 日露戦争では日本・ロシア間の調停を勤め、停戦からポーツマス条約での和平交渉を斡旋したことでノーベル平和賞を受賞している。 またルーズベルトは太平洋と大西洋を結び、世界的な流通に大きな進化をもたらしたパナマ運河の建設を決定したことでも評価が高い。 引用: マウントラシュモア国立記念公園はこんな人にオススメ マウントラシュモア国立記念公園はこんな人にオススメです。 バッドランド国立公園やデビルズタワーに行く人• アメリカの国立公園やモニュメント巡りが好きな人 バッドランド国立公園やデビルズタワーに行く人 バッドランド国立公園やデビルズタワーに行く人は、ついでにマウントラッシュモアに寄るといいでしょう。 ぶっちゃけると4人の顔以外は特に見所がないので、どこかに行くついでに立ち寄るのがオススメ。 マウントラッシュモアをメインの目的地にしない方がいいと思います。 近くにあるジュエルケイヴ国定公園やウインドケーブ国立公園に寄るのもいいですね。 アメリカの国立公園やモニュメント巡りが好きな人 わたしと旦那はこのタイプです。 結婚前から二人でアメリカの国立公園巡りをしていました。 一度国立公園の魅力にとりつかれると、抜け出せなくなるんですよね… ビジターセンターのお土産ショップでは、国立公園ファン向けに各公園のスタンプを集める為のスタンプ帳など、コレクター心をくすぐるアイテムが多数販売されていますよ。 こちらのお土産ショップはインディアンジュエリー販売コーナーも充実しています。 訪れた時期 9月下旬 当日の天気 晴れ。 夜は真冬並みの寒さ。 風が強いとさらに体感温度が下がるので注意しましょう。 わたしの服装 真冬用のコートと半袖Tシャツ。 ボトムはスカートとレギンス。 手袋も。 足元は町歩き用のスニーカー(平坦で短いトレイルだけ歩きました)。 マウントラシュモア国立記念公園の注意点 マウントラシュモア国立記念公園に行く方向けに、注意点をまとめました。 夜のライトアップ・セレモニーに参加するなら、防寒対策は万全に• 入場は無料だが、駐車料金が必要• 天気が悪い時は彫刻が全く見えないこともある 夜のライトアップ・セレモニーに参加するなら、防寒対策は万全に 夜のライトアップ・セレモニーに参加する場合は、夏でも防寒対策をしましょう。 わたしが行ったのは9月下旬でしたが、真冬用のコートを着て行って正解でした。 セレモニー開始からライトアップまで約30分程度ずっと吹きっさらしの会場に座りっぱなし(座席はコンクリート)なので、あっという間に体が冷えます。 後部にはガラス張りのスペースがあるので、寒さに耐えられない場合はそちらに移動した方がいいでしょう。 お土産ショップではブランケットなども売っていますよ。 入場は無料だが、駐車料金が必要 入場は無料ですが、駐車料金が10ドル必要です。 また来る予定がある方は絶対捨てないでくださいね。 ちなみに譲渡はできないようです。 天気が悪い時は彫刻が全く見えないこともある 運が悪い時は、彫刻が全く見えないこともあります。 霧がかかっている方が珍しいのかもしれません。 が、せっかく長いセレモニーを待って「やっと見れる!」と思ったのにライトアップされた瞬間ぼやっとした4人が映し出された時は、笑うしかありませんでした。 マウントラシュモア国立記念公園に行ってきました!見どころ紹介 ここからはわたしたち夫婦が撮影した写真を使いながら、マウントラシュモアの見どころを紹介していきますね。 こちらは外から撮影したジョージ・ワシントン。 夜のセレモニー後にはマウントラシュモアのライトアップも! 夜のライトアップ・セレモニーも必見です。 先ほども書きましたが、会場は吹きっさらしなので夏でも防寒対策を忘れずに! ギフトショップは広々としていて、衣類・ブランケットなどの防寒具・インディアンジュエリー・食品・キーホルダー・本など豊富な品揃え。 ちょっと早めについても、ギフトショップをながめるだけで時間をつぶせます。 セレモニーは30分ほどで、アメリカ国歌斉唱時など、みんなが立ち上がる時は一緒に起立します。 セレモニーは後半になるにつれて、どんどん盛り上がっていきます。 ネタバレが嫌な方はスキップしてくださいね。

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歴代アメリカ合衆国大統領の一覧

アメリカ の 初代 大統領

アメリカの初代大統領がジョージ・ワシントンであることは有名だが、ワシントンがどんな人でどんな人生を歩んできたかを知っている人は少ないのではないだろうか? 今回はアメリカ建国の父とでもいうべきジョージ・ワシントンの生涯について見て行こう。 マーサとの結婚 ジョージ・ワシントンは1732年にヴァージニア植民地に生まれた。 ワシントン家は1657年にイギリスよりアメリカに渡った移民の一家で、農園や鉱山開発を行ってはいたものの、指導者的な階級とは言えず、ごく一般的なイギリス系アメリカ人と言っても良かった。 そんなワシントン家が指導者的な地位を得たのは後にアメリカ初代大統領となるジョージが当時莫大な資産を持つマーサと結婚した時からである。 マーサは元々ヴァージニア植民地における名士の娘であり、18歳の時に富豪として有名なダニエルという男と結婚、7年後にダニエルが亡くなるとその莫大な遺産を引き継ぐこととなった。 この時マーサが引き継いだ資産は1万7000エーカー(1エーカー=4046㎡)の土地と300人の黒人奴隷、10万ドルと言われていて、ジョージ・ワシントンがそこに目を付けたかは知らないが、マーサに猛アタックした末に2人は結婚、一躍ヴァージニア植民地における有力者となる。 マーサとの結婚は1759年のことであったが、それ以前のジョージは大佐として1754年にフランス軍と戦うも敗北、フレンチ・インディアン戦争の原因を作ってしまう。 この戦争においてジョージは勝ったり負けたりを繰り返しながら最終的には軍を退役し、しばらくの間農園経営に従事、先述したように大富豪と結婚しその資産を順調に増やしていった。 この間にヴァージニア植民地を中心に母国イギリスへの反発が強まり、アメリカ内において独立の機運が高まっていく。 1758年よりジョージはヴァージニア議会の議員になっており、その後大陸会議議員の1人となる。 とはいえジョージ自身はアメリカの独立に当初賛同していた訳ではなく、1776年にトマス・ペインの書いた「コモンセンス」という本を読んで初めて独立の意思を強めたという。 「君たちは、新しい世界を創りつつあるのだ」 コモンセンスにおけるこの一節は、当時のアメリカに住まう人々の独立心を大いに高揚させた。 アメリカ独立の父 アメリカというのは不思議な国である。 建国から現代にいたるまで、ただの1度として専制君主が存在したことがないのである。 昔の日本人はもちろん、ヨーロッパ人でさえもなぜそれが可能になるのかわからなかった。 当初、アメリカは独立を決めた者の誰を指導者とするかを決めていなかった。 イギリスと言えば当時世界最強の国家である。 広大な北アメリカやインドを植民地とし、海上の覇権を完全に握ったその国に対抗するには、本来植民地側は不利過ぎた。 歴史上、不利な軍勢が勝利するには大規模な会戦ではなく突発的なゲリラ戦術に頼るしかない。 アメリカ独立戦争最初の戦いであるレキシントン・コンコードの戦いは英国側1700、植民地側4000という小規模な戦闘であった。 これは英国側が秘密裏に兵を動かしたのを植民地側が察知し強襲したことで始まった戦いであり、いわばゲリラ戦術的に勝利をしたわけである。 これはかつてまだ大国とまで言えなかったローマが大国カルタゴのハンニバルに対抗した戦いに似ている。 その後も植民地軍はジョージ・ワシントンを大陸軍総司令官としながら「トレントンの戦い」「プリンストンの戦い」「バンカーヒルの戦い」と3000未満の兵力のぶつかりを繰り返し、小規模な勝利を挙げていく。 決定的となったのは名将ベネディクト・アーノルド率いる大陸軍15000と英国軍10000が激突したサラトガの戦いでの勝利で、大規模な戦闘に勝利したことで一気に流れが大陸軍に有利となった。 なお、このベネディクとという人物は後にイギリス側に寝返り大陸軍と戦うことになる。 ジョージ・ワシントンはフランスと結び巧みにイギリス軍の攻撃を刎ね華氏、「ボノムリシャーリ号の戦い」「キャムデンの戦い」「キングズマウンテンの戦い」などの小規模な戦いに勝利すると、1781年ヨークタウンの戦いにも勝利、その後も英国軍はニューヨークを占領し続けるなどしたが、1783年に講和が成立する。 超大国であったイギリスがジョージワシントン率いる大陸軍に勝てなかったのは、アメリカの海岸線が長かったことによる。 後にナポレオンに対し大陸封鎖令を敷くが、フランスの海岸線とアメリカの海岸線ではその長さは比較にならず、大陸軍側を封鎖することができず、常に補給を受けられる状態にしてしまった。 また、ニューヨークの占領こそ完了したものの、それ以外の地域において小規模な攻撃をしかけてこられたため戦線が伸び、兵力が集中できず、またイギリス側は大陸軍側の動きも把握しきれていなかったため、各地での戦いに敗北を招いてしまった。 ちなみに、独立戦争における敵味方関係は実はかなりややこしく、アメリカ大陸においても独立派と王党派に分裂していたし、ネイティブアメリカンも部族によって味方をする派閥が異なり、さらに王党派にはドイツ傭兵が参戦していたり、大陸軍にはフランス軍が味方をしていたりした。 初代アメリカ大統領 アメリカはアメリカという大きな1つの国であるが、「連邦共和国」の名の通り、いくつかの「邦」である州が集まった国である。 まだ独立宣言が出る以前の1774年、それらの州が集まって「大陸会議」を形成していた。 この時の州の数は13。 1781年にアメリカの独立が認められると大陸会議は「連合会議」となり、これは1789年まで続く。 ワシントンはこの連合会議の議長などにはなっていない。 1783年、ジョージは英国からニューヨークを奪還すると連合総司令官の職を辞した。 アメリカの歴史において、この部分は大きな意味を持っている。 アメリカ大統領は、後の歴史を見ても軍人出身者が多い。 ワシントンからしてそうであるが、ノルマンディー上陸作戦指揮官であったアイゼンハワーが大統領になるなど、戦時の英雄が大統領になる例は少なくないのだ。 しかしそれらの人物は、軍人ではなく大統領になっている。 ワシントンが総司令官の職をを保持しないまま大統領になったことで、アメリカ合衆国は建国から「シヴィリアンコントロール」の国として出発したのだ。 1787年、アメリカの合衆国憲法が作成され、1788年より発効、1789年に第一回のアメリカ大統領選挙が始まった。 結果は満場一致で独立戦争の英雄ジョージ・ワシントンが初代大統領となる。 ちなみにワシントンとしては軍役を退いた後には静かに農場経営に精をだすつもりであったらしいが、当時のアメリカをまとめられる人材はワシントンしかいなかったであろう。 初代副大統領にはジョン・アダムズ、国務長官にはトマス・ジェファーソン、財務長官にはアレクサンダー・ハミルトンを任命している。 農場経営において資産を形成していたこともあるが、ジョージは大統領報酬を受け取らずに職務を全うしようとしたという。 ただし最終的に議会により報酬をうけとる旨の決定を受けてこれは後に受け取っている。 ただ、ヨーロッパの王侯貴族のような派手な服装や生活は避け、4年の任期を終えると再び大統領にえらばれ、3期目にも就任して欲しい旨を打診されるも3度目の出馬は拒否し、これ以降フランクリン・ルーズベルトを除けばアメリカで3期大統領を務めた者はいない。 ワシントンの時代に現在まで続くアメリカの大統領制度が確立されたと言え、後に首都が作られた際には彼の名前を取ってその街を「ワシントン・DC」と呼ぶようになった。 大統領辞任後は農場経営に戻り、1799年に亡くなった。 個人的なジョージ・ワシントンの評価 幼いころ桜の木を切ってしまいそれを素直に父親に話したところ褒められた、というエピソードがあるが、アレは嘘だ。 秀吉の草履の話も嘘だし、世界史にはよく嘘の挿話が成される。 桜の木のエピソードは嘘であったが、ジョージ・ワシントンがそのような性格の持ち主であったのは確かで、彼を始め独立当初のアメリカ人たちはアメリカを共和政ローマのような国にしたかったようである。 大統領はローマ執政官であるコンスルに近いし、合衆国議会は元老院に近く、2019年現在でも上院は元老院を表す「セナトゥス」である。 最も優秀な人物を選挙で選んで国家運営をするというのは最も合理的であり、この後アメリカは空前絶後の繁栄を極め、「パクス・ロマーナ」になぞらえて「パクス・アメリカ」と呼ばれる時代を創出することになる。 この基礎となったのがジョージ・ワシントンだと言え、ある意味アメリカ民主主義の父とさえ言えるだろう。 現在でもアフリカや南米の政情が安定しないが、これは軍属の人物が国家元首となるため武断的な政治がおこりやすいためだと個人的には思っている。 軍部は暴走しやすく、日本においても軍部が政権を握った際には第二次世界大戦における太平洋戦争を起こしているし、あれほど優れていた古代ローマは軍人が皇帝になるようになり、見る影もなく落ちぶれてしまった。 また、ソ連におけるスターリンのように長きに渡って独裁的な地位を占めることもなく、長期的な独裁をしなかったこともアメリカの性格を決定づけたと言えるだろう。 ワシントンなくして現在のアメリカの繁栄はあり得なかったのである。 あえてケチをつけるならば、大規模農場の経営者として黒人奴隷を使役していた部分であろう。 実はジョージ・ワシントンの時代、首都であったフィラデルフィアにおいて、すでに黒人奴隷を解放すべきという考え方を持った人間が全米最初の奴隷解放組織をつくっており、ワシントンはそれに賛同をしてはいない。 見方を変えれば、ジョージ・ワシントンの資産は黒人奴隷を使役することで形成されたのも事実である。 インド独立の父ガンディーもカースト制度には反対していないし、ある面で偉大な人物はある面では偉大ではない人物なのである。 人物の評価というのは誠に難しいものである。 myworldhistoryblog.

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