千葉 地名。 市町村一覧/千葉県

開府890年「千葉」の由来を探る(前編) 千葉の由来となった3つの伝説とは?

千葉 地名

今回の日本の難読地名と由来シリーズは千葉編(前編)です。 1.古代の薬園の薬園生の居処であったとする説。 2.朝廷の菜園に奉仕する園部の居住地によるとする説。 3.「そね(石の多い所)・う(生)」の転訛で石の多い川沿いの微高地を指したとする説。 1.の時代のカラムシから布を作る氏族の「麻績連 おみのむらじ 」(朝鮮からした工芸人とされる)が管掌していたことによる説。 2.が八剣神社へ大弓を奉納したという伝承による説。 登戸(のぶと) 住所 千葉県登戸 【由来】「のぼと」、「のぼっと」ともいう。 当地の名主鈴木家の家譜に「筑波根の 峰の嵐を吹きおろす ふじの波間を 及ぼり戸の船」という千葉新介(? ~1336)御歌から形どって名付けたとある。 地名は「のぼり(登)・と(処)」で急傾斜地の入口を指したもの。 矢作町(やはぎちょう) 住所 千葉県矢作町 【由来】古くは「矢作部(やはぎべ)」という矢を作る職人の集落だったとされる。 千葉氏が領していた頃も矢を造るのに使う矢竹を採集していたというから、矢をはいだ土地で「やはぎ」、それに「矢作」の字をあてて現在の地名となったと考えられている。 また、矢竹が叢生する場所ともいわれている。 1.「犢」は子牛という意味で「こうじ」とも呼んだということを踏まえると「こ(接頭語)・うし(憂し)・はし(端)」で台地端部の洪水氾濫地または地すべり崩壊地を指した説。 2.「こじ(抉じ)・はし(端)」で浸食地という説。 3.「特牛(コトイ)階(ハシ)」が転訛した説。 「特牛」は強健で大きな牡牛を意味します。 古代で牛は戦時などの物資輸送で活躍していたため、犢橋は昔、特牛の産地と考えられる。 階(ハシ)はあがり階段のことを指す。 上記のことから「特牛(コトイ)階(ハシ)」とは、当地で生産した強健な牡牛を戦地()方面に運ぶためには低湿地帯を抜ける必要があり、台地面に引き上げた場所を「特牛(コトイ)階(ハシ)」と呼び、後に「犢橋(こてはし)」と転訛したと考えられる。 誉田(ほんだ) 住所 千葉県誉田町 【由来】の祭神、(ほんだわけのみこと)の名から取ったと言われている。 (とうかぎ) 住所 千葉県 【由来】「稲を干す木」、稲木から来ている。 飯山満町(はさまちょう) 住所 千葉県飯山満町 【由来】江戸時代にあった上・下飯山満(かみ・しもはさま)に由来する。 地名の「飯山満」の語源については、「米(飯)が山ほどできて満ちた土地」からついたという伝えがあるが、実際には「谷あいの場所:狭間(はざま)」からついたものであると考えられている。 古くからの住人を中心に「はざま」と濁点付きで呼ぶ人も多く、町内の店舗や企業の営業所などの看板に「はざま」「HAZAMA」との表記がされているものも散見される。 奉免町(ほうめまち) 住所 千葉県奉免町 【由来】のことである。 難病を患った娘が乳母と共にこの地にたどりつき住み着いた。 村人が不審に思い役人に知らせると、しばらくしてその娘は畏くも井殿の姫宮、つまりの皇女であることが判った。 そこでは村の年貢の奉納を免ずる代わりにこの姫宮の面倒をみるように命じた。 かくして村は「奉免」されたのである。 こののち姫宮は若宮のの説教に接し、病が治ったあともこれに帰依すること篤く、やがて門で最初となる尼寺「奉免山」を開山するに至った。 皇室ゆかりの寺として、の寺紋は菊の御紋となっている。 猫実(ねこざね) 住所 千葉県猫実 【由来】に、大で大きな被害を受けた集落の人達が豊受神社付近に堤防を築き、その上に大きな松の木を植え、今後はこの松に根を波浪が越さないように願い、「根越さね」と言われた。 には「猫真」の名が見られ、江戸時代には「猫実村」となった。 また、による「名所江戸百景」には「根古ざね」とも書かれている。 2.当地に住んだ閑院家(かんいんけ)の呼び名が北家(ほっけ)だったため、ここから来た説。 3.中山領主の北の方が住んでいたことから北方(ほっけ)と呼ばれていたからとする説。 4.近くのの法華からとする説。 (かつしか) 住所 千葉県 【豆知識】「かつしか」は古代からの地名で、奈良文書には「葛餝郡」と記されている。 この郡は現在の千葉県、東京都、埼玉県、にまたがる広い区域を示した。 『』では勝鹿・勝牡鹿・可豆思賀と様々に表記されている。 また、『』・『』中には「かとしか」とよませている例がある。 この「葛餝郡()」の中央は現在の千葉県の辺りであり、現在の東京都区の辺りは西部ということで葛西と呼ばれていた。 2.「カテスカ」もしくは「カトスカ」が転訛した説。 昔の言葉で「カテ」、「カト」は「崖」や「丘」の意味で、「スカ」は川沿いの砂の堆積を表す「」のことを言う。 江戸川沿いの丘陵地帯を指したとされる。 3.「かとしき(門敷)」が転化した説。 の入江の門戸の低湿地を整備して、集落が立地したことによるとされる。 4.「方洲処(かたすか)」が転訛した説。 意味は一方が砂地の所。 以上が有力な説とされるが、他にも説やレプチャ語説、南洋系の民族が名付けたもので「狩場の方向」を意味する言葉であったという説がある。 三ヶ月(みこぜ) 住所 千葉県三ケ月 【由来】『史』によれば、をつくったの血をひく中世の房総半島を中心に栄えた大豪族千葉氏(下総初代守護:千葉常胤)により下総の領地を治めてきた、千葉氏の家紋(月星に由来する家紋)の月の形から三日月を地名にしたことが有力とされている。 中世から「ミコツキ」・「ミコツイ」とも呼ばれ、後に訛って「ミコゼ」と変化したとされる。 2.江戸時代にの布施の堤が流され、水がこの地域まで逆流してきたので、逆井と名付けた。 五香六実(ごこうむつみ) 住所 千葉県五香六実 【由来】にある五香と六実が合併したことにより、誕生した地名である。 五香と六実の由来についてはにより、小金牧(千葉県北西部)および佐倉牧(同県北部)の開墾が行われた。 開墾地には地名がなかったので開墾順序に合わせて数字と組み合わせた地名が付けられた。 下記がその地名である。 初富(はつとみ/) 二和(ふたわ/) 三咲(みさき/) 豊四季(とよしき/) 五香(ごこう/) 六実(むつみ/) 七栄(ななえ/富里町) 八街(やちまた/) 九美上(くみあげ/) 十倉(とくら/富里町) 十余一(とよいち/) 十余二(とよふた/) 十余三(とよみつ/)の順に地名が付けられた。 確たる由来は不明。 1.天然のガスがわき出るから(土から気が出る)の説。 2.土気城が峠の上にあったので「峠」が転訛した説。 3.土気太郎という人が治めていたからと言う説。 5.郡や武射郡から府に徴税物資を納める際に通ったが、急な坂道=嶝嶮(とうけん)だったからの説。 6.鐘を打って時を知らせたので、時計という意味合いからトケの名がついたとする説。 7.かつて鴇が多かったからの説。 理由は隣町の の名前の由来が「鴇ヶ峰」ないしは「鴇が根」が転訛したと言われており、土気にも鴇が多く来てたのではないかと推測されたため。 説によってはこれらは当て字で湾曲を意味する嵶ケ嶺に由来するという。 または「とき(崖)・が(接続詞)・みね(峰)」の転訛で崖の多い尾根という意味ともされる。 古くは大豆作村(まめさくむら?)とも書いた。 大豆谷の由来は不詳だが、谷田(ヤツダ,樹枝状谷)のよく発達した土地が、豆作に適していたからではないかともいわれる。 当地方では谷のことを「ザク」ということもあって、「大豆谷(まめざく)」に転化したと考えられる。 平安期に志子田、室町期は色陀の地名があり、江戸期には篠籠田村になった。 地名は「しし(崩壊地)・た(処)」の転訛で含水量の多い崩壊地を指したもの。 薄島(すすきしま) 住所 千葉県薄島 【由来】江戸期は薄島村。 地名は「すすき(芒)・しま(土地)」で軟弱な土地という意味。 砂古瀬(いさごぜ) 住所 千葉県砂古瀬 【由来】江戸期は砂古瀬村。 砂子瀬・砂小瀬とも書く。 地名はの浅瀬沿いの砂地という意味。 感想 に関係する地名が出て来て、興味を惹かれました。 ただ、今回紹介した地名の中では猫実が好きです! 由来については自然災害にあった教訓を地名に残したものなので、あくまで字面が好きです。 猫の字に惹かれましたが、当初は「根越さね」で由来が重いですからね。 他にもは東京の地名かと思ってましたが、元は千葉県などを含めた広い区域だと知り、勉強になりました。 千葉編の中編・後編 関東地方の難読地名 rasinban2.

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千葉県千葉市中央区の郵便番号一覧、住所・地名の読み方

千葉 地名

日本の難読地名と由来~千葉編~の(中編2)です。 千葉編の前編・中編1 日本の難読地名と由来~千葉編~ (そうさ) 住所 千葉県 【由来】前期の歴「 しょくにほんこうき 」によれば、5世紀の終わり頃から6世紀のはじめにかけて、(現在の)の豪族であった もののべのおごと という人物が、坂東 ばんどう 現在の関東地方)を征した勲功によって、朝廷からの一部を与えられ、郡 さふさごおり とし、小事の子孫が物部 もののべのそうさ 氏を名乗ったと伝えられている。 は、「さふさ」に縁起のよい漢字を充てたものと考えられている。 1.谷間の入口を「 いりやませ 」といったのが転化した説。 2.年貢免除説(1)。 」と半ば首肯できる場所もあったが、多くは災害の年を除いて米が計る程とれなかったということは首肯し難いものであった、と評している。 3.年貢免除説(2)。 社寺への献納米を生産する土地として、特別に公課を免除されたので「入り計らず」という語源から来たという説。 古文書から推定するとこの制限された人は明らかに役人である。 役人が入れない土地は社寺関係以外の土地とは考えられない。 次に、この地名が「不入斗」という漢文体で構成されているという事実は、往昔の高い知識階級によって作成され、使用されている。 最も高い知識階級とは僧侶、社官及び官途に在ったほんの一部の人である。 1.「部」は分に通じ、「一の分け」といわれる余郷を意味し、『和名抄』の郷名()に由来するといわれる。 2.新田開発時の地割に関係した地名ではないかとする説。 1.古くは「丁古」と書いた。 昔は「丁」の字は「よぼろ(よほろ)」と読み、古代の「ヨボ」に由来していると言われる。 本来の意味は若者の意味だったが、満20歳の呼称あるいは成人男性が公役に出た時の呼称に変わった。 これに接尾語の子を付けたものでの棺を担ぐ京都八瀬の輿丁と同じか、あるいは「丁子」はに所属する「ようろ(労働者?神輿を担ぐ人たち?)」が住んだところではないかと言われる。 2.「はつ(削)・ろ(袋状に入り込んだ地形)・ご(処)」の転訛で崩壊した丘陵に袋状に入り込んだ地形という意味。 2.ほど(火処)すなわちに由来するという説。 1.古代において「」は氏(ウジ)や姓(カバネ)として使用され、の古い時期の官職として「」等に出てくる「阿毘古」とする説。 阿毘古は、大王 オオキミ や有力豪族に魚や鳥などの食糧を貢進する氏族だそうです。 大王(のちのにつながっていくとされる)は(3世紀から7世紀)にかけて日本列島で大きな権力を有しました。 また、大和地方の有力豪族も各地の地方豪族をにおさめる際に、豊かな土地を直轄地とし、そこに住む人々から貢納物を納めさせました。 その際に土地やそこに住む人々に「(阿毘古)」という名前が付けられたと考えられます。 2.網曳(アビキ)が転じたとする説で、網曳はもと ミヤノウチノツカサ の大膳職に属する雑供戸で、海産の魚貝を貢進する品部とされます。 川の鮭を網で捕ったりする「網引」やの水鳥を網で獲ったりする「」など、地元の食産物を貢進していた集団が住んでいたことによるとされる。 3.アバ(くずれた)・コ(処)」が転じた崩壊地形を示す説。 4.「アミ(網)・バ(場)」の略で漁場を示す地名ではないかとする説。 5.のチャム語の「アビ(火)クク(神)」の説。 6.の「Abik(我らの先祖たち)」の説。 7.で「ap-Kotan(釣針-村)」や「apkot-ni(釣-竿)」があり漁業に関する地名とする説。 1.小食土はもと「矢指渡」「矢指土」「矢指戸」の字を使っていたが、 うなかみ 郡にも同じ「矢指」という村 現旭 あさひ 市 があってたびたび誤解を受けることがあった。 そこで当時村に住んでいた漢学者の所に相談に行くと、大食の者は蛮カラだが、小食の者は心が優しいから「矢指」を「小食」の字に変えたらどうかと言われ、「矢指」を現在の「小食」の字に変えたと言われている。 「指 さし 」には指差すごとく陸が海に伸びている所、日向地、傾斜地、古代で城などの意がある。 2.御霊 ごりょう 神社の碑文によれば、 おうすのみこと やまとのみこと が本納 ほんのう 橘 たちばな 神社 に おとたちばなひめ を祭祀し、さらに東国に向かう途中、当地で休息をした。 その時村人が献上した間食を尊が召し上がり、この故事により当地を小食土というと記されている。 3.「や(谷津)・さらし(曝し)・ど(処)」の転訛で湿地のある崩壊地形という意味。 杭は木製だったために現存は期待できず、浮世絵などによって想像することしかできない。 描かれた人間や馬の大きさと比較しても、かなり丈の高い木杭であり、そこには、境界を示す文言や里程などが墨書されていたようである。 2.当地の言葉で馬の背のような狭い地形のことを、"峠 びょう "と呼んだことが関係しているとされる。 安食卜杭(きぼっくい) 住所 千葉県安食卜杭86 【由来】「卜」はボク、ウラナウと読み、当時の豊凶を占ったり、その地域の平和や豊作を祈る杭を建て「卜杭野」と呼ばれていたとされ、これが地名に繋がったとされる。 さらにこの地域はに面しており、悪霊、病魔、幸せが出入りする村界ともいわれていた。 また、木刈在住の河邉久男氏は「その杭は単に占うだけでなく、天体の観測にも使われ、暦の作成やに用いられたのでは」との示唆をされている。 古来そのような学問に習熟していたのは僧侶や神官であったろうとの説が付け加えられた。 1.後期。 水郷地帯の宿命ともいえる、度重なる水害によって飢饉に見舞われたこの地の住民が、五穀豊穣を願ってを創建。 2.からの渡来人「阿自岐(き)」族に由来するという説。 その中に阿自阜(き)人もいて、漢字を伝えたという。 それらの渡来人が住み着いたところに、安食、安楽の地名が多く残ったとする説。 朝廷の職業集団の長。 「造」は「かしら、トップ」を意味する。 ちなみに安食と安食卜杭は予想通り近い! 感想 今回ので終わらせたかったのに終わらなかった!!あと少しだけ続きます! 見直すと「安食」の2と3の説は一緒だが、このままにしま~す。 千葉編の後編 関東地方の難読地名 rasinban2.

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千葉県民あるあるシリーズ#5「これ読めたら千葉県民! 難読漢字読めるか!?」

千葉 地名

関東地方の南東側で東京都の東隣に位置している千葉県は、平野と丘が多く、海抜500メートル以上の山がない県です。 そんな千葉県の由来についてまとめてみようと思います。 Sponsored Link 千葉県の由来について 千葉という地名の由来については様々な説がいわれているようです。 まずは、もともとこの地は「 茅生(ちぶ)」と呼ばれていたという説で、これは「 茅(ちがや)が生い茂る」といったような意味で呼ばれていたとされ、この「ちぶ」という読み方が転じて「ちば」になったのではないかと言われているそうです。 または、似たような意味で「葉が多く重なる」という情景を表して「千葉」という地名になったという説や、 地形的に侵食されやすかったり、すでに侵食の激しい地のことを「ちば」と呼んでいたという説、または侵食によって土地が「 潰れる」様を「 つばゆ」と言っていたことに由来する説などもあるそうです。 しかし、どの説に関してもはっきりとした決定打はないために、詳しくはまだわかっていないということです。 また、「千葉」という苗字は、「千葉」という地名からきているようで、歴史の授業でも勉強するであろう「平安京」を造った桓武天皇の血を引く「 桓武平氏」の一族が、房総半島で栄えたことによって出現した苗字だといい、「千葉氏」よりも先に「千葉」という地名がすでにあったということになるそうです。 「蘇我」という地名の由来について 千葉市内には「 蘇我」という地名の場所があります。 この地名の由来には、記紀に登場する皇子「 ヤマトタケル」に関したちょっと面白い伝説があるそうです。 その昔、ヤマトタケルは奥州平定のために木更津に渡る際、三浦半島から房総を眺めながら「こんな小さな海は飛び上がってでも渡ることが出来るだろう」と言ったそうです。 Sponsored Link しかしこの発言が海神(わたつみ)の怒りに触れてしまい、東京湾に船出をして海の中ほどまで来た時に、嵐になり海を渡ることは出来なかったのだといいます。 すると、ヤマトタケルの妻である「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」が、「これはきっと海神の仕業です」と言い、自身が身代わりとなって海に入りました。 すると嵐はおさまって、ヤマトタケルは無事に海を渡ることが出来たといい、身代わりとなったオトタチバナヒメは、千葉の海岸に漂着して息を吹き返したのだといいます。 そこで、オトタチバナヒメが「 我、蘇り」と言ったことによって、そのあたりを「蘇我」と呼ぶようになったとされているそうです。 「サニー千葉」という名前の由来について 「 JJサニー千葉」というのは、 俳優の千葉真一さんが改名されて付けた芸名です。 この名前の由来というのは、海外での活動の時に使用していた芸名だといい、日本を代表する映画スターの千葉真一さんは、海外の方からは「Sonny Chiba(サニーチバ)」の愛称で親しまれているということのようです。 jcom. home. wikipedia.

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