宮沢 賢治 春 と 修羅。 宮沢賢治『春と修羅・序』の冒頭文〜わたくしといふ現象は〜

春と修羅

宮沢 賢治 春 と 修羅

*はじめに。 このブログは、ヤフー・ブログから移行したものです。 当初は、釈尊 お釈迦様・ゴータマブッダ と宮沢賢治を探究してましたが、ある時点で、両者と距離をおくことにしました。 距離を置くとはどういうことかと言いますと、探究の対象を信仰しないということです。 西暦2020年となった今でも、生存についても宇宙についても確かな答えは見つかっていません。 解脱・涅槃も本当の幸せも、完全な答えではありません。 沢山の天才が示してくれた色々な生き方の中の一つだと思います。 例えば、日本は絶対戦争しないで平和を維持出来るとおもいますか?実態は、戦争する可能性のもとに核兵器で事実上の武装をしています。 釈尊の教えを達成したり絶対帰依していれば、戦争が始まっても傍観しているだけです。 実際、中世インドでイスラム軍団が侵攻してきたとき、仏教徒の多くは武力での応戦はしなかったそうです イスラム側の記録。 それも一つの生き方です。 私は、武装した平和主義ですから、同じ民族が殺戮や圧政 現にアジアの大国がやっている に踏みにじられるのは見過ごせない。 また、こうしてこういうブログを書いているのは、信仰を持っていない証拠です。

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宮沢賢治はるかな愛―春と修羅より

宮沢 賢治 春 と 修羅

「働かざる者食うべからず!!」 この「脅迫的言辞」におびえている方も いらっしゃるでしょう。 そんな「脅迫的言辞」に負けない生き方が、 「華厳的生き方」です。 今回は、求道者「宮沢賢治のことば」を お届けしながら、「生き方や労働観」について 考えていきたいと思います。 「宮沢賢治のことば」 (本田有明著、サンマーク出版、2011年) わずか37歳の若さで亡くなった「宮沢賢治」 東北大震災以降、あらためて静かに読み継がれています。 奇しくも「宮沢賢治」の生まれる「二ヶ月前」に 「明治三陸地震」が起きており、 誕生の四日後にも「陸羽地震」が発生しています。 まるで大地の裂け目から「転生」してきたかのような 「宮沢賢治」 彼は、 「仏教的求道者」でした。 また、科学的知識欲にも恵まれていました。 「宗教と科学の架け橋」 「文理統合の草分け的存在」でした。 そんな彼も 「病弱続き」でした。 しかし、「詩作」や「様々な活動記録」を 見ると 「精力的な働き」に満ちた生涯でもありました。 その「エネルギー」は、どこから湧いてきたのか? 混迷し困難な時代を生きる私たちにも、なにがしか 「ヒント」になるものが多く得られるだろうと、この本を 取り上げてみました。 「銀河系に生きる私たち」 私たちは、銀河系にある太陽系第三惑星「地球」で生きています。 古来より人類は、「夜空に瞬く星空」に憧れながら生きてきました。 「宮沢賢治」が描く「銀河鉄道の夜」 幻想的な文学ですね。 「児童文学」としても傑作です。 生前は、出版されることもなく死後に評価された作品です。 「おとな」になると、「こども」の時に見た 「この世(現実)とあの世(空想)の時間の裂け目」をすっかり忘却して 生きていきます。 それが、「おとな」になることだとされています。 確かに、「あの世(空想)」ばかりに浸っていたら「危ない」です。 日常生活を過ごすことが困難になってしまいますからね・・・ でも、「おとな」になっても 「想像力や創造力」を 無くしてしまったら「本当につまらない人間」になってしまいます。 そのような 「生きるのに大切な感性・霊性」は、是が非でも 守っていきたいものです。 ~正しく強く生きるとは 銀河系を自らの中に意識して これに応じて行くことである~ (「農民芸術概論綱要」の「序論」から) 「わたしも一人の修羅」 奈良の興福寺にある「阿修羅像」 「人間界」では、自覚するとしないとにかかわらず 少しでも油断すれば、簡単に 「修羅道」に嵌ってしまいます。 そんな日々の実感からか、多くのファンがいるようです。 いうまでもなく、 「修羅道」には誰も落ちたくないものです。 されど、「善いこと・正しいこと」を求めて生きようと すればするほど、逆説的に 「悪の罠」に足下がすくい取られて しまいます。 だからこそ、人間は常に 「自分は悪をもなす修羅」と 意識して生きていく「覚悟」が必要になるのでしょう。 ~まことのことばはうしなわれ 雲はちぎれてそらをとぶ ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ~ (『春と修羅』「春と修羅」から) さて、本題です。 冒頭でもご紹介した労働観について 考えて参りましょう。 「働かざる者食うべからず!!」 「新約聖書」の一節だとも、「社会主義者」レーニンの 言葉が由来だとも言われています。 19世紀後半から20世紀前半にかけて、 「不労所得(者)」に対しては、かくもすさまじいイメージが 作られていきました。 しかし、このことが後に地球上に「大きな災厄」をもたらしたのです。 21世紀現在もその「後遺症」は残っています。 昨今の「グローバル化」で、先進国では「格差問題」が 取りざたされています。 これを是正しようと、「無理な荒療治」をする方向 へと進みつつあります。 私は、次のように考えます。 「無理が通れば道理が引っ込む」 「嫉妬心は恐ろしい災難をもたらす」 「対立からは何も生まれない」 「慈悲の心と寛容の精神を互いに持ちたい」と・・・ 宮沢賢治自身も実家が裕福だったために 「苦しめられた」ようです。 「農村改善運動」を実践していても、 所詮は「金持ちのボンボン」だと・・・ 「バカ」にもされました。 それでも 「耐える勇気」を持って生き抜きました。 ~ああ杉を出て社殿をのぼり 絵馬や格子に囲まれた うすくらがりの板の上に からだを投げておれは泣きたい けれどもおれはそれをしてはならない 無畏 無畏 断じて進め~ (「春と修羅」詩稿補遺「境内」から) 「私はすべてに感謝して生きたい」 そのような思いが伝わってきました。 「誤解を恐れずにまっすぐ素直に前に進む!!」 そんな「強い気概」がです。 さて、「労働観」についてですが、 近代の労働観は 「対価としてお金をもらう=稼ぐこと」 という低級なイメージをもたらしました。 「労働=稼ぐこと」 それしか「生計を立てる手段がない!!」というのは、 本来「自然にはない」ことだと思うのです。 「労働ってそんなに卑しいもの?」 「断じて、否!!」 では、「仏教的生き方」ではどう考えているのか? 「一日作(な)さざれば一日食らわず」(百丈懐海禅師) 「仏によって生かされている私は、自然の恵みに感謝することを 忘れることがあってはならない。 もし、この感謝の気持ちを 忘れるような日があれば、私は食べない。 」という意味です。 禅の教えでは、「労働」と呼ばず「勤労すること」を 「作務(さむ)」というそうです。 ~われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう 求道すでに道である~ (「農民芸術概論綱要」の「序論」から) ~(前略)世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない~ (同上) このように私たちも、 「自分の真心=他人の真心を一致させていく生き方」 すなわち、 「華厳的生き方」に努めたいものです。 「自分はみんなの一部、みんなも自分の一部」 そのような 「アメーバ的思考」が、 「華厳経の教える生き方」です。 私も、童心にかえって「善財童子」のように生きていきたいと 願っています。 なお、「宮沢賢治の生き方のもとになった思想」について 深く知りたいという方には、 「宮沢賢治の菜食思想」(鶴田静著、晶文社、2013年) 「童貞としての宮沢賢治」(押野武志著、ちくま新書、2003年) をご紹介しておきます。 最後までお読み頂きありがとうございました。 sponsored link.

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岩手)賢治自筆署名の「春と修羅」初版を寄贈:朝日新聞デジタル

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春と修羅(心象スケッチ) Spring and Asura mental sketch modified Translated by Tomiyama Hidetoshi and Michael Pronko ZYPRESSEN 春のいちれつ とは? ZYPRESSEN=糸杉は不吉な事の象徴で葬式の葬列を暗示しているのか? 春の明るい季節なのに自分の心の中はこんなにも黒々と悲しみと怒りに満ち満ちている。 阿修羅は戦いに明け暮れ怒りを持った荒々しい異国の神であった。 しかし釈迦の教えのもと、 波羅門が打つ華原磬の金鼓の妙なる音色に阿修羅は深く悔恨し懺悔する 罪から解き放されるとき阿修羅は、えも言われぬ美しい表情となる。 Song• Artist• Album• BTTB Back To The Basics• Writers• Ryuichi Sakamoto• Licensed to YouTube by• Believe Music, SME, WMG on behalf of Editions Milan Music ; NexTone Inc. nex-tone.

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