やなせ て か し。 銘醸ワイン・銘酒の隠れ家やなせ

やなせ眼科

やなせ て か し

概要 [ ] 絵本作家やなせたかしの絵本作品『ハルのふえ』をメインに『』『ロボくんとことり』の3作をアニメ化。 ハルのふえ [ ] ハルのふえ 監督 脚本 原作 ナレーター 出演者 音楽 主題歌 「ハルのふえ」 製作会社 配給 公開 上映時間 48分 製作国 言語 この映画のメイン作品となる中編アニメ。 第24回特別招待作品。 作者が最も映像化したかったという作品 で、読み聞かせ絵本雑誌『』に掲載され、2009年に絵本( )が発行。 映画完成から1年以上経って公開された。 キャッチコピーは 「はなれていても、ずっといっしょ。 あらすじ [ ] タヌキの ハルは、森の奥に置き去りにされていた人間の赤ちゃんを拾う。 赤ちゃんを「 パル」と名付け、人間の母親に化けて大切に育てる。 すくすくと育ったパルは、音楽家・チョコパンに音楽の才能を見出され、音楽家の道を進むべくハルや森の仲間達と別れ都会へ出る。 初めての都会に戸惑いながらも、チョコパンによる厳しい指導に耐えつつ徐々に演奏の実力を高めていったパルは、強力なライバル・ミロも出場する音楽コンクールの舞台へ立つ事に。 一方ハルは、そんなパルの幸せを祈りつつ人間の姿のまま暮らす事を決意していたが、ある出来事をきっかけに消息を絶ってしまう。 時は流れ、フルートの名演奏家として立派に成長したパル。 そして、森へ帰って来た彼に一つの奇跡が訪れる。 登場人物 [ ] パル・ハル・チョコパン以外はオリジナルキャラクター。 パル 声 - 、(赤ちゃん時代) 人間の赤ちゃん。 タヌキだったことを知らず、ハルに育てられるが、音楽家のチョコパンに引き取られる。 後に才能を認められ、やがてハルとの別れが訪れる。 ハル 声 - 、佐久間レイ(歌) 宙返りや草笛、そして変身が得意な森の人気者の。 人間のお母さんに化けパルを育てるが、別れてから「いつでも迎えられるように」と人間の姿のままでいることを誓い、パルを心配するようになる。 ミロ・ザマー 声 - パルのライバル。 才能あふれる都会派の英才教育を受けた最年少音楽家。 毎年大会は優勝しているが、密かに実力を認めていたパルに優勝を取られてしまった。 ちなみに、彼の名前を逆から読むと「ザマー・ミロ(ざまあみろ)」になる。 チョコパン 声 - 音楽家でマリーの祖父。 ハルから教わった草笛を美しく奏でるパルの才能を認め、彼を引き取り音楽家として育てる。 気は優しいが、音楽の指導は厳格。 パルやマリーは彼の指導で才能を磨いた。 マリー 声 - チョコパンの孫娘。 パルのガールフレンド。 を演奏する。 都会派で自分を鼻にかけるミロを嫌っている。 お嬢様らしく優しい性格だが、お転婆な一面もある。 弟子 チョコパンの元弟子。 彼の厳しい指導と音楽に向いていなかったため、荷物をまとめて辞めてしまった。 Aの声 - 太めの方。 Bの声 - 痩せた方。 ねずみ 声 - チョコパンの家に住むネズミ。 パルの人間界の初めての友達。 ハルの家を調べ、彼女を案内しようとしたが、ハルは道ではぐれたり、都会の広さに圧倒されていた。 ミセス・ザマー 声 - ミロの母。 息子の才能に絶対的な自信を持っている。 ネズミが苦手。 ウサギ 声 - リス 声 - サル 声 - クマ 声 - ハルと共に森に住む動物たち。 アナウンサー 声 - テレビナレーション 声 - ギャル 声 - やなせうさぎ 声 - 冒頭で案内役として登場。 ナレーション 声 - スタッフ [ ]• 監督・絵コンテ -• 脚本 -• 作画監督 -• 音楽 -• 原作 - やなせたかし• 制作協力 -• 製作 -• 配給 - 主題歌 [ ] エンディング曲「ハルのふえ」 作詞 - やなせたかし 作曲 - 歌 - 挿入歌「たぬきの子守唄」 作詞 - やなせたかし 作曲 - 歌 - 佐久間レイ アンパンマンが生まれた日 [ ] アンパンマンが生まれた日 脚本 原作 出演者 音楽 近藤浩章 主題歌 ドリーミング『』 製作会社 配給 公開 上映時間 10分 製作国 言語 『』第1話「アンパンマン誕生」をベースにしたミュージカル風の短編アニメを同時併映。 第1話のリメイクというよりはプロローグに近く、が誕生するまでのジャムおじさん達の日常を描いた内容が中心となっている。 登場人物 [ ] 主要キャラクター [ ] アンパンマン 声 - 戸田恵子 パン工場に残された最後の小麦粉で作られたあんパンに「いのちの星」が降り注ぎ、誕生した。 ジャムおじさん 声 - 増岡弘 ひもじい者の所へ飛んで行くような「優しい心を持ったパン」を作ろうと試みるが、なかなか上手くいかない。 バタコさん 声 - 佐久間レイ やなせうさぎ 声 - 城山堅 以下のキャラクターは声無し。 「アンパンマンと同時にばいきんまんが誕生した」という趣旨のシーンで登場。 めいけんチーズ その他の登場キャラクター [ ] ホラーマン メロンパンナ ロールパンナ クリームパンダ だだんだん おむすびまん こむすびまん かつぶしまん 鉄火のマキちゃん らーめんてんし へどろまん 氷の女王 雪鬼 黒バラ女王 どろみずまん こおり鬼 くらやみまん すなおとこ 化石の魔王 かぜこんこん やみの女王 砂の魔王 アンコラ コアンコラ ピーター チェロヒキーさん ユキダルマン プリンちゃん エクレアさん どんぶりまんトリオ てんどんまん カツドンマン かまめしどん カバオくん ピョン吉 ウサ子 ちびぞうくん みみせんせい クマ太 ネコ美 モン吉 ブタお コン太 スタッフ [ ]• 脚本 -• 音楽 - 、近藤浩章• 原作 -• 制作協力 - アンサー・スタジオ• 製作 - トムス・エンタテインメント 挿入歌 [ ] 『』 歌 - 増岡弘(ジャムおじさん)、佐久間レイ(バタコさん) 『勇気の花がひらくとき』 本作では版を使用。 『』 歌 - ドリーミング ロボくんとことり [ ] ロボくんとことり 脚本 原作 出演者 音楽 近藤浩章 製作会社 配給 公開 上映時間 10分 製作国 言語 2008年4月23日発売の短編集OVA『 DVD-BOX 1』に収録された短編アニメの1作を同時併映。 原作となる絵本( )は小学校教科書・道徳副読本『どうとく3ねん きみがいちばんひかるとき』にも選ばれており、作者から「愛の三部作」の1作とされている。 映画化に際し処理を行っている。 の映画 通番 題名 公開日 併映作 上映時間 第1作 、 75分(本作品) 60分(同時上映) 第2作 おむすびまん 70分(本作品) 27分(同時上映) 第3作 ドキンちゃんのドキドキカレンダー 40分(本作品) 50分(同時上映) 第4作 アンパンマンとゆかいな仲間たち 60分(本作品) 31分(同時上映) 第5作 (1993年版) 60分(本作品) 30分(同時上映) 第6作 みんな集まれ! アンパンマンワールド 60分(本作品) 30分(同時上映) 第7作 アンパンマンとハッピーおたんじょう日 56分(本作品) 30分(同時上映) 第8作 ばいきんまんと3ばいパンチ 60分(本作品) 30分(同時上映) 第9作 ぼくらはヒーロー 56分(本作品) 25分(同時上映) 第10作 アンパンマンとおかしな仲間 55分(本作品) 25分(同時上映) 第11作 アンパンマンとたのしい仲間たち 55分(本作品) 25分(同時上映) 第12作 やきそばパンマンとブラックサボテンマン 55分(本作品) 26分(同時上映) 第13作 7月14日 怪傑ナガネギマンとやきそばパンマン 50分(本作品) 20分(同時上映) 第14作 7月13日 鉄火のマキちゃんと金のかまめしどん 50分(本作品) 20分(同時上映) 第15作 (この作品からはデジタル製作) 怪傑ナガネギマンとドレミ姫 50分(本作品) 20分(同時上映) 第16作 7月17日 つきことしらたま 〜ときめきダンシング〜 51分(本作品) 21分(同時上映) 第17作 7月16日 くろゆき姫とモテモテばいきんまん 50分(本作品) 20分(同時上映) 第18作 コキンちゃんとあおいなみだ 50分(本作品) 20分(同時上映) 第19作 7月14日 ホラーマンとホラ・ホラコ 50分(本作品) 20分(同時上映) 第20作 7月12日 ヒヤヒヤヒヤリコとばぶ・ばぶばいきんまん 50分(本作品) 20分(同時上映) 第21作 ばいきんまん vs バイキンマン!? 50分(本作品) 20分(同時上映) 第22作 はしれ! わくわくアンパンマングランプリ 50分(本作品) 20分(同時上映) 第23作 うたって てあそび! アンパンマンともりのたから 45分(本作品) 20分(同時上映) 第24作 リズムでてあそび アンパンマンとふしぎなパラソル 47分(本作品) 21分(同時上映) 短編 2012年 10分(本作品) 58分(同時上映) 第25作 みんなでてあそび アンパンマンといたずらオバケ 45分(本作品) 20分(同時上映) 第26作 たのしくてあそび ママになったコキンちゃん!? 48分(本作品) 21分(同時上映) 第27作 7月4日 リズムでうたおう! アンパンマン夏まつり 46分(本作品) 21分(同時上映) 第28作 7月2日 (無し) 62分(本作品) 第29作 7月1日 62分(本作品) 第30作 60分(本作品) 第31作 62分(本作品) 第32作 夏(予定)?? 分(本作品) この項目は、に関連した です。

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やなせたかし

やなせ て か し

この展覧会について ABOUT THIS EXHIBITION やなせたかし(1919-2013)は、父母の故郷・高知県香美郡香北町(現・香美市香北町)で少年期を過ごしました。 東京高等工芸学校 現・千葉大学工学部 に学び、田辺製薬宣伝部に就職しますが、応召して、中国で終戦を迎えます。 復員後、高知新聞社での仕事を経て上京。 三越百貨店宣伝部で働くかたわら、小島功を中心とする若手漫画家集団「独立漫画派」に参加。 やがて漫画家として独立、詞や絵本、脚本、アニメ映画など、活躍の領域を広げていきます。 山梨シルクセンター(現・サンリオ)社長の辻信太郎と意気投合し、同社から詩集『愛する歌』を刊行。 さらに、抒情詩と抒情画を紹介する雑誌『詩とメルヘン』を創刊。 商業主義と一線を画す内容が支持され、30年にわたって愛されました。 同誌から世に出たイラストレーターのひとりが、函館出身の味戸ケイコ(1943生)です。 本展では、『詩とメルヘン』を紹介するコーナーで、味戸ケイコの作品も特集展示します。 1969(昭和44)年、雑誌『PHP』で「アンパンマン」が産声をあげます。 月刊絵本『キンダーおはなしえほん』や『詩とメルヘン』とその姉妹誌『いちごえほん』での連載などを経て、絵本「アンパンマン」シリーズは爆発的人気をよび、今なお、子どもたちの人気者として愛され続けています。 おなかをすかせた人に、自分の顔をあげるヒーロー像には、財布をなくして困っていたやなせが、友達のお母さんからあんパンをもらったというエピソードや、戦争体験が投影されているようです。 自身を取り巻く世界の中で起こるささやかなできごとに、こころをふるわせ、傷ついてしまう、平凡な人間。 そこにそっと寄り添うような、あたたかい愛の言葉やイメージを、やなせたかしは一貫して表現してきました。 初期の漫画家としての足跡から、抒情の旗印となった『詩とメルヘン』の表紙原画、自らの詩をしたためた書、絵本、そしてアンパンマンをモティーフとする作品群まで、やなせたかしの世界をご堪能ください。 開催概要 EVENT DETAILS 会期 2020年4月25日 土 〜2020年6月14日 日• 詳細および今後については公式サイトをご確認ください。 会場 北海道立函館美術館.

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やなせたかし おとうとものがたり

やなせ て か し

1953年 本名 柳瀬 嵩 生誕 1919-02-06 (現:) (育ちは高知県) 死没 2013-10-13 (94歳没) 三丁目1番3号 () 国籍 職業 、、など 活動期間 - ジャンル 代表作 『』 『』 受賞 週刊朝日漫画賞(「ボオ氏」) 大藤信郎賞 第19回日本童謡賞特別賞 大賞 勲四等受章 高知県香美郡香北町名誉町民 日本漫画家協会文部大臣賞 日本童謡協会功労賞 日本児童文芸家協会児童文化功労賞 第31回日本童謡賞 高知県特別県勢功労者 第50回交通文化賞国土交通大臣表彰 新宿区名誉区民 2008第4回功労賞 やなせ たかし(本名: 柳瀬 嵩、〈読みは同じ〉〈8年〉 - 〈25年〉)は、の男性、、、元。 有限会社やなせスタジオ社長。 出身(詳細は後述)。 としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。 『』の生みの親として知られる。 代表理事理事長(5月 - 6月)、社団法人日本漫画家協会代表理事会長(2012年6月 - 2013年10月)を歴任。 絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなしたといい、、、、、、、など様々な活動を行っていた。 1歳の頃。 父親はやなせの生まれた翌年にに引き抜かれ、(大正12年)に特派員として単身上海に渡る。 その後、後を追い家族で上海に移住。 この地で弟・千尋が生まれるものの、父親がに転勤となったのをきっかけに、再び家族は離散。 やなせらは東京に戻る。 (大正13年)に父親がアモイで客死。 遺された家族は父親の縁故を頼りにに移住する。 弟は後免町(現・)で開業医を営んでいた伯父(父の兄)に引き取られ、まもなく母が再婚したため、やなせも同じく伯父に引き取られて育てられる。 この伯父は趣味人でもあり、かなり影響を受けたという。 後免野田組合小学校(現・南国市立後免野田小学校)、高知県立高知城東中学校(現・)に進む。 少年時代は『』を愛読し 、中学生の頃から絵に関心を抱いて、官立旧制図案科(現・工学部総合工学科デザインコース)に進学した。 同期生にがいる。 戦争体験 [ ] にて。 官立旧制図案科(現:デザイン学科)1939年卒業後、田辺製薬(現:)宣伝部に就職。 しかし、(昭和16年)に徴兵のための補充隊(は隷下部隊を意味する西部第73部隊。 野重6連隊自体は既に中国へ動員・出征中であり、やなせが入営したのは在小倉の補充隊)へ入営。 学歴を生かしを志願し、その内のに合格しを担当するとなる。 補充隊での教育後は(中国戦線)に出征。 部隊では主に暗号の作成・解読を担当するとともに、にも携わり、を作って地元民向けに演じたこともあったという。 従軍中は戦闘のない地域に居り、職種も戦闘を担当するものではなかったため、一度も敵に向かって銃を撃つことはなかったという。 最終階級は。 なお、では弟が戦死している。 漫画家への道 [ ] 終戦後しばらくは戦友らとともにクズ拾いの会社で働いたが、絵への興味が再発して1946年にに入社。 『月刊高知』編集部 で編集の傍ら文章、漫画、表紙絵などを手掛けていたが、同僚の小松暢(こまつ のぶ)が転職し上京するのを知り、自らも退職し上京した。 (昭和22年)に上京し小松と結婚。 この時期、やなせは漫画家を志すようになるが、東京での生活がまだ確立されていなかったために、兼業漫画家という道を選ぶ。 やなせ曰く「とにかく貧乏は嫌だった」。 同年、に入社し、宣伝部でグラフィックデザイナーとして活動する傍ら、精力的に漫画を描き始める。 三越の社内報はもとより、新聞や雑誌でも作品を発表。 当初は漫画家のグループ「独立漫画派」に入ったが、まもなく「」に移った。 (昭和28年)3月に三越を退職し、専業漫画家となる。 漫画で得る収入が三越の給料を三倍ほど上回ったことで独立を決意したという。 なお、やなせの三越時代の代表的な仕事に、包装紙「華ひらく」(図案は)の「mitsukoshi」のレタリングがある。 困ったときのやなせさん [ ] 1953年に独立した後も精力的に漫画を発表していたものの、らが推し進めたが人気になり、やなせが所属していた「漫画集団」が主戦場としていた「大人漫画」「ナンセンス漫画」のジャンル自体が過去の物と看做されるようになり、作品発表の場自体が徐々に減っていく。 1964年にの『』に講師として3年間レギュラー出演したり 、その翌年にまんがの入門書を執筆するなど、大人漫画・ナンセンス漫画の復興に取り組み、1967年には4コマ漫画「ボオ氏」で漫画賞を受賞したものの 、1960年代後半は本当にきつかったという。 漫画家としての仕事が激減したやなせだったが、舞台美術制作やなどその他の仕事のオファーが次々と舞い込むようになり、生活的に困窮することはなかった。 業界内では「困ったときのやなせさん」とも言われていたという。 やなせ曰く「そのころの僕を知っている人は、僕を漫画家だと全然思っていない人が結構いる 」。 この時期にはコネクションが繋がり繋がって作品が生まれ、ヒットに至るという現象が2度起きている。 1960年、作演出の「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術を手掛けた際に、作曲家のと知り合い、翌1961年に『』を作詞。 同曲は教科書に載るほどのスタンダードな曲となっている。 1969年、の劇場アニメ『』制作の際に、エロチック路線を求めていた手塚治虫は、やなせの漫画を気に入り美術監督として招き入れた。 同作がヒットしたお礼として、手塚はポケットマネーで、やなせが1967年に手掛けたラジオドラマ「やさしいライオン」をアニメ映画化し、のを受賞。 同作はやなせの代表作のひとつとなっている。 詩人・絵本作家への道 [ ] 1960年代半ば、漫画集団の展覧会に、まだ弱小企業だった頃の山梨シルクセンター(現・)の社長が来場。 やなせにグラフィックデザイナーとしてのオファーを入れたことから、サンリオとの交流を深める。 やなせは当初は菓子のパッケージを手掛けていたが、1966年9月にやなせが処女詩集『愛する歌』 を出版社から出そうとした際に、「それならうちで出してくれ」とサンリオは出版事業に乗り出した。 『愛する歌』はサンリオの業績を押し上げるほどのヒットを記録した。 出版事業に乗り出したサンリオの元で、絵本の執筆も始める。 1969年には短編メルヘン集ので『』が初登場。 ただしこのアンパンマンは後のものとは異なる作品であり、ヒーロー物へのアンチテーゼとして作られた大人向けの作品である。 (昭和48年)には雑誌『詩とメルヘン』を立ち上げ編集長を務める一方で、らと「漫画家の絵本の会」を立ち上げるなど 、詩人・絵本作家としての活動を本格化させる。 同年に1969年発表したアンパンマンを子供向けに改作し、の月刊絵本「」の一冊「あんぱんまん」として発表。 同作は当初評論家、保護者、教育関係者からバッシングを受けた。 元は大人向けに書いた作品だったが、次第に、幼児層に絶大な人気を得るようになっていった。 (昭和63年)には、『』の放映がで開始される。 テレビ業界的にかなり不安視されており、スポンサーが少なかった、数局のみの放送などと逆境を余儀なくされるが、まもなく大人気番組となり、で拡大放映された。 またキャラクターグッズなども爆発的に売れ、やなせは一躍売れっ子になった。 名声と漫画の復興 [ ] 香美市立やなせたかし記念館 アニメ『』の大ヒットを受けて、1990年代以降は様々な賞を受賞。 (平成8年)7月には出身地のに「アンパンマンミュージアム」が開館し、(平成10年)8月には同記念館内に雑誌「詩とメルヘン」の表紙イラストやカットなどを収蔵した「詩とメルヘン絵本館」が開館するなど名声が高まっていった。 官庁や地方自治体、公益事業や業界団体などのマスコットのキャラクターデザインを懇請され、無償で引き受けることも多くなった(なお、前述の「詩とメルヘン」編集長時代も初期はほぼノーギャラで引き受けていた)。 やなせは名声に甘んじることなく漫画の復興にも取り組んだ。 1992年から地元高知で行われていた一コマ漫画の大会「」には立ち上げ時から深くかかわり、晩年まで審査委員長を務めた。 (平成17年)には財政難を理由にまんが甲子園入賞校へ贈る賞金の半減を打ち出した高知県に対し総額200万円の資金提供を申し出ている。 (平成12年)には理事長に就任。 結果を残すことが出来なかったが、懸案事項は「ストーリー漫画以前の漫画家と以降の漫画家の収入格差をいかに解消するか」だった。 なお、やなせは自社ビルに日本漫画家協会を家賃タダで入居させていた。 この時期から「漫画家ならば行動や言動も漫画的に面白くなければならない」という信念を持つようになり、テンガロンハットにサングラス、カウボーイブーツという独特なファッションで公の場に現れ、日本漫画家協会の会合やその他のイベントなどで歌や踊りを取り入れたユニークなスピーチをするようになった。 2001年には自作のを初演、(平成15年)には同ミュージカルの延長線上で、作曲家「ミッシェル・カマ」、歌手やなせたかしとしてCDデビュー。 詩人としては、2003年に『詩とメルヘン』が休刊するものの、2007年にから季刊誌『』を立ち上げ、「責任編集」を務めた。 晩年 [ ] やなせたかし朴の木公園に設立されているやなせたかしおよび妻・暢の墓。 両脇の石像はの方向に向けられている。 ユニークで元気なキャラクターを演じ続けそのイメージが強いが、アンパンマンのヒットの時期から既に体調は必ずしも良好ではなく、60歳代末期には、70歳代には、、80歳代には、、、、、、90歳代には腸閉塞(再発)、、心臓病(再発)と病歴を重ねていた。 なお、膀胱癌は10度以上再発している。 晩年はをもじって「オイドル」(老いドル、老人のアイドル)を自称していた。 (平成23年)春に視界がぼやけることを理由に漫画家引退を考え、最後の大舞台としてを企画。 友人らに告別式の文章を書いてもらい「清浄院殿画誉道嵩大居士」という戒名入りの位牌も準備したが、その発表直前にが発生し、不謹慎だからという理由で計画は白紙になった。 震災直後「アンパンマンのマーチ」が復興のテーマソング的扱いをされたり、「笑顔を失っていた子供たちがアンパンマンを見て笑顔を取り戻した」といった良い話がやなせの元に届いた ことから、引退するのをやめたという。 その後、被災地向けにアンパンマンのポスターを制作したり、をテーマにしたCDを自主制作するなどした。 (平成24年)6月の日本漫画家協会賞の贈賞式を最後に、高齢と体調不良を理由に日本漫画家協会の理事長を辞任して会長に就任。 後任の理事長は。 その後もユニークなキャラクターは変えず、テレビのインタビューやアニメの舞台挨拶の席では、陽気に歌いだす、元気な感じで「もうすぐ俺は死ぬ」と言って笑いをとるなどしていた。 2013年7月6日に行われた劇場版アニメ「」の初日舞台挨拶では、「なんとか今のところは死なないでいるんだけど、まもなくだね。 病院からはあと2〜3週間しか生きられないって言われてる」「死ぬ時は死ぬんだよ。 笑いながら死ぬんだよ。 そうすれば映画の宣伝になる。 死ぬまで一生懸命やるんだよ」と笑いながら語っていた。 2013年8月に体調を崩して入院し、2013年10月13日午前3時8分、のため東京都文京区本郷3-1-3ので死去した。 94歳。 死去の知らせは一般には翌々日の15日に公表され 、出身地の新聞であるは号外をWebで公開した。 テレビのニュースでは、2013年の6月に「アンパンマン」のアニメ製作のスタッフらに 来年までに俺は死ぬんだよね。 朝起きるたびに、少しずつ体が衰弱していくのが分かるんだよね。 まだ死にたくねぇよ。 (ようやく人生や作品が)面白いところへ来たのに、俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ と吐露する当時94歳のやなせの姿が繰り返し放送された。 同日、も夜のニュースでアンパンマンのアニメを暫らく流すなどして逝去を惜しんだ。 その後、やなせの死に関するニュースは故人の遺志により、葬儀は近親者のみで済ませた。 後日「偲ぶ会」を開く予定 とされ、翌2014年2月6日、生きていれば95歳となる誕生日に東京都新宿区で「ありがとう! やなせたかし先生 95歳おめでとう! 」というタイトルで開催された。 なお、やなせの密葬にはちばてつやを始めとする所属の漫画家60人が参列したという。 やなせの訃報を受けて、『』を歌唱した 、アニメの「」での声を演じる をはじめ、主要キャラクターの声を担当する声優達 、またなど、故人と縁が深かった人や敬愛する人々がそれぞれ追悼コメントを発している。 この時期と前後して、詩人としても死を意識した作品が増加している。 やなせ自身が責任編集を行い、から発行されている季刊誌『』No. 24号(2013年10月19日発売)に、「天命」と題して自らの死を予告するような自作の詩とイラストを掲載した。 フレーベル館から『アンパンマンとリンゴぼうや』が2013年11月に発売され、これがやなせの最後の作品となった。 同年11月にはフレーベル館から、やなせの多方面に及んだ活動を網羅した作品集『やなせたかし大全』が出版。 奇しくも逝去直後の出版になるが制作そのものは数年前から続けられていたものである(出版は「やなせたかし作家活動60年」、絵本『あんぱんまん』40年、アニメ『それいけ!アンパンマン』放映25年を記念したものとされている)。 晩年では家族や親戚がいなかったこともあり、やなせは生前自身の遺産について、アンパンマンミュージアム(高知県)とアンパンマンスタジオ(東京)に回すよう周囲に伝えていたという。 自身の墓は高知県香美市香北町にある実家の跡地である「やなせたかし朴ノ木公園」に建設し、アンパンマンとの石像も横に建てられた。 なお、2016年6月には、やなせが子ども時代を過ごした柳瀬医院の跡地(高知県南国市)に「やなせたかし・ごめん駅前公園」が完成し、やなせの母校の後免野田小学校の児童と後免野田保育園の園児が参加して6月1日に開園セレモニーが挙行された。 2019年2月6日から、100年を記念し、故郷の高知県香美市にあるで特別展が開催された。 開催期間は2019年7月8日まで。 受賞・受章など [ ]• 週刊朝日漫画賞受賞 (「ボオ氏」)• 大藤信郎賞(「やさしいライオン」)• 毎日映画賞、厚生大臣賞、最優秀動画章受賞 (「やさしいライオン」)• 第19回日本童謡賞特別賞受賞• 第19回大賞受賞 (「アンパンマン」)• 1990年 サンリオ美術賞受賞• 勲四等瑞宝章受章• 高知県香美郡香北町名誉町民• 日本漫画家協会文部大臣賞受賞• 日本童謡協会功労賞受賞• 2000年 日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞• 第31回日本童謡賞受賞 (詩集「希望の歌」)• 高知県特別県勢功労者• 第50回交通文化賞国土交通大臣表彰• 新宿区名誉区民• 2008 第4回功労賞 エピソード [ ]• やなせの没後、重版未定や絶版だった過去作が復刊され流通しているが、生前のやなせは執筆時の制作環境や画力の問題から過去作の復刊には否定的であった。 また、やなせスタジオを構えた後は年々遅筆となっていった が、省力化の為にアンパンマンの顔をコンパスで描いていた時代もあった。 依頼されて描き下ろしたキャラクターは既存の物に手足をつけた様な手抜きともいえるキャラクターが多く、同郷のに漫画内でネタにされる事も少なくなかった。 やなせによるとどのキャラクターも完成には2時間を要してるという が、アンパンマンのキャラクターを2000以上もギネス申請したにも関わらず、完成度を酷評され却下されたキャラクターが300以上に登った経験をして以降は、独自性の強いキャラクターを手がける様になった。 自作のアニメ化作品には積極的に関わり続けた。 やなせの関与についてアニメスタッフからは好意的な意見が散見されていたが、毎週通っていたの技師から『大抵の漫画家は3週で来なくなるんですよね』と陰口を叩かれ煙たがられていたという。 死去の翌日、東京新聞2013年10月16日付の追悼記事で「ダンディーで信仰あついクリスチャンだった」と報じられていたが 、後の東京新聞2013年11月20日付で「やなせたかしさんをクリスチャンとしたのは誤りでした」との訂正記事が出ている。 私生活においては(平成5年)11月22日、妻の暢が死去(享年75)している。 暢夫人との間に子供は無く、アンパンマンを2人の子供であるとしている。 絵柄はの影響を受けている。 漫画家のを心の師匠とエッセイで語っており、ペイネ美術館の開館時にはイラストとコメントを寄せている。 主な作品 [ ] 漫画 [ ] この節のが望まれています。 ビールの王さま• ニッポンビール(現:)の広告漫画。 リトル・ボオ• の通販カタログに連載されていた1ページ漫画。 リトル・ボオという帽子を目深に被ったキャラクターが、悪者からドタくんとバタコさんを救うストーリー。 また、ここに登場するバタコさんは、『アンパンマン』に登場するバタコさんと瓜二つだが、名前の由来が異なっている。 『アンパンマン』に登場する「バタコさん」がが由来であるのに対し、こちらは「ドタバタ」が由来となっている。 ボオ氏• 以上2作品は「」とは関係ない。 キャラ子さん• 『』(婦人生活社)に1952年から連載。 内野ムス子さん• 『』(学習研究社)に1955年から連載。 ナマ子さん• 『中学コース』(学習研究社)に1956年から連載。 アン子ちゃん• 『』(学習研究社)に1956年から連載。 スピード仙人• 『モーターファン』(三栄書房)に1956年から連載。 おれは孫悟空• 『面白倶楽部』(光文社)に連載。 珍犬ミミ• (サン出版社)に1958年から連載。 シリーズ(、)• おむすびまん• (ピョンピョンおたすけかめん)(、)• アリスのさくらんぼ(1973年)• (、)• 元はによるラジオミュージカルとして制作したものを絵本化(最初の絵本はに刊行された)。 その後、上記の通りでにアニメ映画化もされた。 ルルン=ナンダーのほし(、講談社)• (、フレーベル館)• 1978年3月にサンリオによりアニメ化されて日本ヘラルド映画配給で劇場公開された。 絵本自体は『十二の真珠』に収録された短編童話『チリンの鈴』を底本としているが、一部内容が異なる。 ちいさなジャンボ• バラの花とジョー• ガンバリルおじさんとホオちゃん• ライオンららら(挿絵担当、 )• (、小学館)• トムス・エンタテインメントにより2012年12月アニメ化、オムニバスアニメ映画『』の中の1作品として公開。 (同時公開・、2008年に製作された作品『』)• は、は、は、歯のおはなし 歯科詩集(、かまくら春秋社) キャラクターデザイン [ ]• 『』(日本ヘラルド映画、虫プロダクション製作、1969年6月)のキャラクターデザイン。 を走る各駅のキャラクター、および同鉄道・のイメージキャラクター。 てれすけくん(イメージキャラクター)• ニックとアン(をモチーフとしたのイメージキャラクター。 中村屋のファンだったため引き受けたという)• オウくん(母校であるのキャラクター)• (にある企業「」と、それに関連するゴマの博物館「」のマスコットキャラクター)• TBS「」オープニングアニメとキャラクターデザイン• 人KENまもる君・人KENあゆみちゃん(の人権イメージキャラクター。 イメージソングの作詞・作曲も手がけている)• 「3-A-Day」キャンペーンキャラクター• 新宿シンちゃん(の防犯マスコットキャラクター)• ミレーちゃん(のマスコットキャラクター)• パトロウ(が制定したの防犯マスコットキャラクター)• ピカピカ・アオちゃん・モリくん(米イメージキャラクター)• きずなちゃん(シンボルキャラクター)• (観光大使。 マスコットキャラクター)• 佐世保バーガーボーイ(の名物のイメージキャラクター)• (が2007年8月16日に観測史上日本最高気温を観測した記念に作られた多治見市マスコットキャラクター)• タチバナ・タッキー(キャラクター。 高知学園の名誉理事でもあるやなせが学園のためにデザインした)• なべラーマンと、かわうそのカウちゃん(高知県の新名物「」イメージキャラクター)• コメパンマン(の米粉・米粉製品PRキャラクター)• シャチオくん・シャチコちゃん・ほこちゃん(生活協同組合コープあいちのマスコットキャラクター)• パレオ、パーラ、エビーノ、トマトーナ、マスケラーナ、アンティコ姫。 (静岡県浜松市の浜名湖パルパルのマスコットキャラクター)• 地ぱんマン(本社の「銀嶺食品」マスコットキャラクター)• ちりめんドンちゃん(安芸「釜あげちりめん丼」楽会キャラクター)• 「ジラフ」(同DVDジャケットのキャラクターデザイン。 麒麟の2人がDVDを作る際、ジャケットに自分たちのデザインを描いて貰いたいと考え、様々な漫画家やプロダクションに直接電話を掛けてオファーをした所、やなせのみ前向きに快諾してくれた事がきっかけで実現した) 作詞 [ ]• (作曲:、)• 星の炎に(作曲:いずみたく) - テレビアニメ『』主題歌• クラブ君の冒険(作曲:橋場清) - 制作の同名パイトットフィルムの主題歌• (作曲:)• (作曲:藤家虹二)• (作曲:)• しっぽはぐぐんと(作曲:/歌:/台詞:) - テレビアニメ『』オープニングテーマ• アイアイ・ミコちゃん(作曲:山下毅雄/歌:/台詞:大山のぶ代、) - テレビアニメ『』エンディングテーマ• 美しの丘(作曲・編曲:横山菁児/歌:) - テレビアニメ『』エンディングテーマ• ムシのついた女(作曲:飯吉馨/歌:)• しあわせよカタツムリにのって(作曲:)• 天使のパンツ(作曲者:天井正、編曲者:)• 夕やけに拍手(第42回小学校の部課題曲)• 花と草と風と(作曲:)(第52回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)• 海と涙と私と(作曲:、)• ひばり(作曲:木下牧子)• ユレル(作曲:木下牧子、泉周二)• きんいろの太陽がもえる朝に(作曲:木下牧子、泉周二)• ロマンチストの豚(作曲:木下牧子、泉周二)• さびしいカシの木(作曲:木下牧子、泉周二)• 校歌「ひまわりの歌」(作曲:)• 誰かがちいさなベルをおす• しろいうま(作曲・編曲:)• うなぎ小唄(作曲:ミッシェル・カマ)• 星の木の下で(作曲:ミッシェル・カマ、編曲:タテタカコ)• ナマコの行進曲(マーチ)(作曲:いずみたく)• 東京都世田谷区立松丘幼稚園 園歌「ぼくらのうた」(作曲:いずみたく)• ばら色のクジラ(混声3部合唱曲)(作曲:平吉 毅州)• ぼくらは仲間(作曲:)(第78回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲)• 美良布保育園の歌(作曲:ミッシェル・カマ/歌:岡崎裕美、、 - ビューティー3名義)(香美市保育園保護者会連合会)- やなせの地域に対する認識の齟齬のための様になっていたが、歌を知る保護者たちからの声を受け、歌詞の地名を変えたうえで2015年11月15日に初披露されることとなった。 それいけ! アンパンマン [ ] それいけ! アンパンマン関連の楽曲は、そのほとんどをやなせが作詞を手がけている。 勇気りんりん• 勇気の花がひらくとき• 生きてるパンをつくろう• 勇気のルンダ• いくぞ! ばいきんまん• アンパンマンたいそう• すすめ! アンパンマン号• サンサンたいそう• ドレミファアンパンマン 他 CD(本人歌唱) [ ]• いいなぁアキ(安芸)(2003年11月21日発売。 記念ソング。 歌:やなせたかし、、)• ノスタル爺さん(2003年12月26日発売) 自伝・エッセイなど [ ]• アンパンマンの遺書(、)• 第二の青春 アンパンマンとぼく(、)• 人生なんて夢だけど(、)• 人生いつしかたそがれてわずかに残るうすあかり(9月、)• 絶望の隣は希望です! (9月、)• オイドル絵っせい 人生、90歳からおもしろい! わたしが正義について語るなら(2013年11月6日、)• ぼくは戦争は大きらい(、) その他(初期作品など) [ ]• (小学館)挿画(1951年〜)• (小学館)挿画• ()挿画(1952年〜1953年)• (三世社)連載「その日暮しの手帳」(1953年〜)• (小学館)挿画• (学習研究社)挿画(1953年〜)• (東京新聞社)連載「時局漫評」「素顔拝見」• (桃園書房)連載「東京変人シリーズ」• (映画芸術社)連載「ぼくのシネ・スケッチブック」(1950年代末〜1960年代)• (全日本出版社)漫画(1953年) 関連書籍 [ ] やなせ以外の作家が、やなせを題材にして創った作品や雑誌の特集記事など。 『やなせたかし メルヘンの魔術師 90年の軌跡』 中村圭子編 「らんぷの本」、2009年3月、• 『 総特集・やなせたかし アンパンマンの心』 2013年8月臨時増刊号、、• 『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』講談社、2015年、• 『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』 フレーベル館、2015年、 『勇気の花がひらくとき』は2019年2月に、やなせたかし生誕100周年記念事業の一環でアニメ化、およびで放送された。 『やなせたかし 「アンパンマン」誕生までの物語』 ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉、2015年11月 出演 [ ]• (1964年 - 1966年、) - 先生役。 知名度は上がったが、漫画は売れないというジレンマに悩んだという。 (1984年12月 - 3月、)• (1995年3月22日 - 24日、NHK教育)• (1997年4月13日、1998年3月22日、NHK教育)• (、)• ( - 、系) - やなせうさぎ 役。 声優として特別出演。 第1000話「ぼく、アンパンマンです! 」()• (、)• (、)• (・、NHK総合)• (、)• (2008年10月8日 - 29日、NHK教育)• (2011年9月1日、NHK総合)• (2012年4月25日、)• (2012年7月16日、)• (2013年1月12日、NHK BSプレミアム) 脚注 [ ] 注釈 [ ]• ほぼ日刊イトイ新聞 株式会社ほぼ日. 2017年12月18日閲覧。 2014年11月30日時点の [ ]よりアーカイブ。 2013年11月29日閲覧。 『』P22。 門田隆将『慟哭の海峡』()より。 [ ]• 『』P122• イーブックイニシアティブジャパン. 2014年10月6日時点のよりアーカイブ。 2017年12月25日閲覧。 オリコン 2014年8月15日. 2017年12月23日閲覧。 48頁。 (J-CASTニュース、2013年10月18日)• 2015年10月4日, at the. 高知新聞2005年6月25日朝刊・同WEB記事(2015年10月1日閲覧)• やなせたかし『オイドル絵っせい 人生、90歳からおもしろい! 』()、2012年、15頁。 2012年5月15日• 2011年6月17日. 2011年11月5日閲覧。 2013年7月6日『毎日新聞デジタル』(2013年10月17日閲覧)• - フレーベル館ホームページ(2013年10月16日閲覧)• - 日本経済新聞 (2013年10月15日 15:13)。 - 高知新聞号外 (2013年10月15日)。 スポーツニッポン. 2013年10月15日. 2013年10月15日閲覧。 コミックナタリー 2013年10月15日• スポーツニッポン. 2014年2月6日. 2014年3月3日閲覧。 朝日新聞 2013年10月15日閲覧• 日テレNEWS24 2013年10月15日閲覧• ORICON STYLE 2013年10月16日閲覧• クランクイン 2013年10月15日閲覧• スポーツニッポン 2013年10月16日閲覧• スポーツニッポン新聞社(スポニチアネックス) 2013年10月21日. 2014年7月17日閲覧。 - 香美市観光協会スタッフブログ• 2016年6月2日. の2016年6月4日時点におけるアーカイブ。 2016年6月5日閲覧。 (YOMIURI ONLINE). 2016年6月2日. 2016年6月5日閲覧。 [ ]• 産経ニュース. 産経新聞社 2019年2月6日. 2019年2月6日閲覧。 『増補改訂版 やなせ・たかしの世界』p95より、またとの対談でアンパンマンの第1作である『あんぱんまん』の絶版を版元のに申し立てたもののベストセラー本の為拒否されたエピソードを明かしている。 『アンパンマンミュージアム ガイドブック』p70より、やなせによると納得のいく仕上がりに達するまでに習作を繰り返すようになるなど作品のクオリティに対する拘りが強くなったのが原因だとしている。 『アンパンマンのおはなしでてこい』シリーズ• 『西原理恵子の人生画力対決』シリーズより• 『西原理恵子の人生画力対決』1巻より• 『西原理恵子の人生画力対決』より• 『人生なんて夢だけど』• 東京新聞2013年10月16日付、追悼記事『人生楽しむ達人』。 『アンパンマンの遺書』• 2008年10月6日, at the. 『』2013年6月25日• J-CASTテレビウォッチ. 2013年10月16日. 2018年11月23日閲覧。 やなせスタジオ(アンパンマンショップ). 2009年4月27日時点の [ ]よりアーカイブ。 2015年11月10日閲覧。 高知新聞 2015年4月14日. 2015年11月12日閲覧。 毎日新聞社 2015年11月14日. 2015年11月15日時点のよりアーカイブ。 2015年11月15日閲覧。 参考文献 [ ]• 『やなせ・たかしの世界 増補版』、1996年7月25日。 やなせたかし『人生なんて夢だけど』、2005年。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキニュースに関連記事があります。

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