ゴジラ kom。 ゴジラKoMのゴジモスにやられたので、ゴジラとモスラの歴史を振り返ってみる(1)|出世景清|note

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ : 作品情報

ゴジラ kom

ゴジモス・・・・・ このようにゴジラとモスラの大変に「尊い」関係性を描いてファンの度肝を抜いたキングオブモンスターズ(KoM)だが、個人的には、今回ゴジモスがこれほどファンを萌え狂わせたのは、これが単に「意外性」のみに依拠していたわけでもないように感じている。 ゴジモスが今回こうして成立するに及んだのには それなりの歴史的な必然性があったはずなのだ、と。 既に多く指摘もされている通り、1964年の「モスラ対ゴジラ」の始まるゴジラとモスラ両者の関係性は、 「共生」はおろか「共闘」関係にあったことすらそう多くはなく、むしろ(初顔合わせがそうだったように)明確な敵対関係の局面のほうが目立つ。 男性的で攻撃的なゴジラと女性的で温和なモスラ、人類と敵対するゴジラと人類と和解しうるモスラ、恐竜と虫という見た目の相違以上に両者の断絶は一見大きい。 それでも、ゴジモスには妙な納得感が確かにあったのだ。 それは、ゴジラとモスラが東宝を代表する巨大な文脈的深みと強いキャラクター性を有した二大看板怪獣であり、 その対立と和解とまた対立の歴史の中で当初持っていたキャラクター性を(劇中で変態するモスラのように)様々に変容させつつも50年以上に渡って共に歩んできた道程が背後にあったからだろう。 これより、多くの皆さんと同じくKoMのゴジモスに目を見晴らされた一介の狂信者として、ゴジラとモスラの関わりの歴史を断続的に振り返っていきたいと思う。 この試みはKoMに至る両者の関係性の歴史を振り返るものであると同時に、様々に変容する関係性の中で両者や作品が何を描こうとしてきたかを探るものでもあり、ひいてはゴジラ映画の歴史そのものを概観する一助ともなることも期待するものである。 初代ゴジラに始まり、「ゴジラの逆襲」「空の大怪獣ラドン」「大怪獣バラン」と多くの怪獣映画を生み出してきた東宝が、米コロンビア映画との合作で昭和36年に放ったこの超大作にてデビューしたモスラは、結果的に先行したいずれの怪獣とも異質な強烈な印象を観客に与え、ゴジラと並びうる東宝を代表する怪獣になってしまった。 KoMでゴジラとモスラがあのような関係性を結ぶ事となった理由の一つには、 モスラがその特異な存在感という点でゴジラに匹敵する特別な怪獣だったというところも大きいだろう。 ゴジラの第一作がそうだったように、「モスラ」も怪獣映画の原点と言われる「キング・コング」(1933)の多大な影響下にある作品である。 (初代コングと初代ゴジラの関連性については以前に簡単にまとめた) (架空の)大国 ロリシカ国の水爆実験場となった南海の孤島インファント島。 無人と信じられ水爆実験によって半壊したと思われたこの島に、原水爆の放射能からも加護された不思議な先住民族の存在が確認される。 派遣される日本とロリシカの合同調査団。 そこで彼らが目撃したのは原始の密林の中であくまで平和的に暮らす原住民と、身長1尺たらずの不思議な双子の妖精の巫女[ 「小美人」だった。 彼らの平和を尊重し、もう原水爆実験は行わないと約束する調査団。 しかし調査団の派遣に関与していたロリシカ国の悪徳興行師ネルソンは小美人の存在に目をつけ、密かに原住民を襲い彼女らを見世物に一儲けするべくさらってしまった。 見世物とされた小美人の「奇跡と神秘」に熱狂する世間 、ザ・ピーナッツ演じる双子の小美人は華やかなレビュウショウの舞台で「モスラーヤ モスラ…」と唄い、一方インファントの島民たちも彼らの神に仕える巫女を奪還すべく、歌舞音曲を捧げ神獣モスラを目覚めさせた… 今でこそモスラはモフモフ可愛かったり人間をとコミュニケーションも可能な優しさも描かれたりはしているが、初代のモスラを見て驚くのはその圧倒的で制御不能な本能の凄まじさである。 小美人も言う。 「モスラには、善悪はわかりません。 私達を島に連れ戻す本能しか無いのです」 後年、小美人を介して人間や他怪獣とコミュニケーション可能な平和を愛する怪獣となったモスラと異なり、当初のモスラは 一旦怒るともはや小美人であっても制御できない恐ろしい怪獣だった。 実際に劇中で小美人を取り戻すべく日本及びロリシカを蹂躙したモスラの及ぼした被害規模は、恐らく初代ゴジラのそれを上回る。 また、第一作のモスラは(初代のゴジラと同じく)当時の日本や世界の政治的な状況など敏感な背景も持つ作品だった。 ロリシカ国は名前の通りアメリカとロシア(ソ連)という東西両陣営の水爆保有大国の寓意であり、映画においては(日米合作を意識してのことと思うが)完全にアメリカそのものとして描かれている。 原作小説を担当したのが中村真一郎・福永武彦・堀田善衛ら三人の純文学畑の戦後作家で、彼らにより「変形譚」「ロマンス」「ヒューマニズム」などの重層的なモチーフが表現され、戦後の日米関係の影、大国の勝手に翻弄される第三世界の「弱小民族」や女性性、あるいは戦後日本そのものへの視座なども盛り込まれてしまい、映画もそれを直接的に間接的に描いている。 戦争の記憶と直に接続した初期ゴジラのような 生々しさも背景に持つ映画となったモスラ。 これらの生々しい緊張感は後のモスラ登場作品からは次第に消えていく要素でもある。 こう書くと問題作のようにも見え、実際その成立背景も複雑な初代モスラだが、驚くべきことにその鑑賞後の印象は、初期ゴジラとも全く異なる奇妙な晴れやかさが残る。 最初のゴジラが見せつけたものは白黒画面の闇夜に描かれた死と絶望と恐怖や戦争の記憶であり、キングコング由来の破壊的な男性性であり、 もはやいかなる和解も共生も不可能な断絶であった。 ゴジラに関わる人間は劇中例外なく不幸になる。 災厄の神は人間といかなる交感も期待できず、生贄(芹沢博士)と共に海にお還りいただくしかない。 一方モスラは。 ゴジラが白黒画面を背景に闇夜と死ならばモスラは総天然色で日輪と生であった。 卵から生まれ巨虫から繭、そして大蛾という変容は生命と生殖の神秘と驚異に満ち、東京タワーに張られる繭糸は日本人(特に農村の女性)にとって良くも悪くもかつては馴染みが深かった絹糸・養蚕の記憶と繋がり、生殖や保護本能のイメージと合わせてこの怪獣に幽玄な女性性をもたらした。 決定的だったのはラスト。 これまでの怪獣映画の多くでは怪獣は最終的には文明の側に駆逐されるのが常だったのが、モスラはついにいかなる兵器をもはねのけ、駆逐されることなく小美人を連れ戻しインファント島へと悠々帰還を果たしてしまう。 その描かれ方も特異だった。 インファント島を調査し小美人とも面識のあった言語学者らの発案により、ロリシカ国の空港滑走路に大きくモスラ神話と関わる碑文の文様が描かれ、教会の鐘を一斉に鳴らされることで人間側の和平の意思を汲み取ったのか、モスラは破壊活動を停止しおとなしく滑走路に着陸。 小美人と共に飛び去るモスラを人々は笑顔と歓声で手を振りながら見送り、ラストは島に帰還した小美人が島民たちと共に晴れやかにモスラを讃える歌を唄う… 「本能しかないのです」と言われてはいたものの、終盤のモスラは明らかに人間側の働きかけに応えており、映画では ゴジラらとは異なり、ヒト(文明)と怪獣との断絶ではなく和解と共生の可能性も示唆されていた。 それらも含め、モスラは様々な意味でその当初よりゴジラとは好対照をなす存在感を示すことに成功した。 死と生殖、男性性と女性性、文明と自然、悲劇と祝祭、断絶と共生。 KoMに至る道のりはまだまだ遠いが、次回に続く。

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【ネタバレ注意】ゴジラ信者が作り上げた最高の宗教映画 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 感想

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ゴジモス・・・・・ このようにゴジラとモスラの大変に「尊い」関係性を描いてファンの度肝を抜いたキングオブモンスターズ(KoM)だが、個人的には、今回ゴジモスがこれほどファンを萌え狂わせたのは、これが単に「意外性」のみに依拠していたわけでもないように感じている。 ゴジモスが今回こうして成立するに及んだのには それなりの歴史的な必然性があったはずなのだ、と。 既に多く指摘もされている通り、1964年の「モスラ対ゴジラ」の始まるゴジラとモスラ両者の関係性は、 「共生」はおろか「共闘」関係にあったことすらそう多くはなく、むしろ(初顔合わせがそうだったように)明確な敵対関係の局面のほうが目立つ。 男性的で攻撃的なゴジラと女性的で温和なモスラ、人類と敵対するゴジラと人類と和解しうるモスラ、恐竜と虫という見た目の相違以上に両者の断絶は一見大きい。 それでも、ゴジモスには妙な納得感が確かにあったのだ。 それは、ゴジラとモスラが東宝を代表する巨大な文脈的深みと強いキャラクター性を有した二大看板怪獣であり、 その対立と和解とまた対立の歴史の中で当初持っていたキャラクター性を(劇中で変態するモスラのように)様々に変容させつつも50年以上に渡って共に歩んできた道程が背後にあったからだろう。 これより、多くの皆さんと同じくKoMのゴジモスに目を見晴らされた一介の狂信者として、ゴジラとモスラの関わりの歴史を断続的に振り返っていきたいと思う。 この試みはKoMに至る両者の関係性の歴史を振り返るものであると同時に、様々に変容する関係性の中で両者や作品が何を描こうとしてきたかを探るものでもあり、ひいてはゴジラ映画の歴史そのものを概観する一助ともなることも期待するものである。 初代ゴジラに始まり、「ゴジラの逆襲」「空の大怪獣ラドン」「大怪獣バラン」と多くの怪獣映画を生み出してきた東宝が、米コロンビア映画との合作で昭和36年に放ったこの超大作にてデビューしたモスラは、結果的に先行したいずれの怪獣とも異質な強烈な印象を観客に与え、ゴジラと並びうる東宝を代表する怪獣になってしまった。 KoMでゴジラとモスラがあのような関係性を結ぶ事となった理由の一つには、 モスラがその特異な存在感という点でゴジラに匹敵する特別な怪獣だったというところも大きいだろう。 ゴジラの第一作がそうだったように、「モスラ」も怪獣映画の原点と言われる「キング・コング」(1933)の多大な影響下にある作品である。 (初代コングと初代ゴジラの関連性については以前に簡単にまとめた) (架空の)大国 ロリシカ国の水爆実験場となった南海の孤島インファント島。 無人と信じられ水爆実験によって半壊したと思われたこの島に、原水爆の放射能からも加護された不思議な先住民族の存在が確認される。 派遣される日本とロリシカの合同調査団。 そこで彼らが目撃したのは原始の密林の中であくまで平和的に暮らす原住民と、身長1尺たらずの不思議な双子の妖精の巫女[ 「小美人」だった。 彼らの平和を尊重し、もう原水爆実験は行わないと約束する調査団。 しかし調査団の派遣に関与していたロリシカ国の悪徳興行師ネルソンは小美人の存在に目をつけ、密かに原住民を襲い彼女らを見世物に一儲けするべくさらってしまった。 見世物とされた小美人の「奇跡と神秘」に熱狂する世間 、ザ・ピーナッツ演じる双子の小美人は華やかなレビュウショウの舞台で「モスラーヤ モスラ…」と唄い、一方インファントの島民たちも彼らの神に仕える巫女を奪還すべく、歌舞音曲を捧げ神獣モスラを目覚めさせた… 今でこそモスラはモフモフ可愛かったり人間をとコミュニケーションも可能な優しさも描かれたりはしているが、初代のモスラを見て驚くのはその圧倒的で制御不能な本能の凄まじさである。 小美人も言う。 「モスラには、善悪はわかりません。 私達を島に連れ戻す本能しか無いのです」 後年、小美人を介して人間や他怪獣とコミュニケーション可能な平和を愛する怪獣となったモスラと異なり、当初のモスラは 一旦怒るともはや小美人であっても制御できない恐ろしい怪獣だった。 実際に劇中で小美人を取り戻すべく日本及びロリシカを蹂躙したモスラの及ぼした被害規模は、恐らく初代ゴジラのそれを上回る。 また、第一作のモスラは(初代のゴジラと同じく)当時の日本や世界の政治的な状況など敏感な背景も持つ作品だった。 ロリシカ国は名前の通りアメリカとロシア(ソ連)という東西両陣営の水爆保有大国の寓意であり、映画においては(日米合作を意識してのことと思うが)完全にアメリカそのものとして描かれている。 原作小説を担当したのが中村真一郎・福永武彦・堀田善衛ら三人の純文学畑の戦後作家で、彼らにより「変形譚」「ロマンス」「ヒューマニズム」などの重層的なモチーフが表現され、戦後の日米関係の影、大国の勝手に翻弄される第三世界の「弱小民族」や女性性、あるいは戦後日本そのものへの視座なども盛り込まれてしまい、映画もそれを直接的に間接的に描いている。 戦争の記憶と直に接続した初期ゴジラのような 生々しさも背景に持つ映画となったモスラ。 これらの生々しい緊張感は後のモスラ登場作品からは次第に消えていく要素でもある。 こう書くと問題作のようにも見え、実際その成立背景も複雑な初代モスラだが、驚くべきことにその鑑賞後の印象は、初期ゴジラとも全く異なる奇妙な晴れやかさが残る。 最初のゴジラが見せつけたものは白黒画面の闇夜に描かれた死と絶望と恐怖や戦争の記憶であり、キングコング由来の破壊的な男性性であり、 もはやいかなる和解も共生も不可能な断絶であった。 ゴジラに関わる人間は劇中例外なく不幸になる。 災厄の神は人間といかなる交感も期待できず、生贄(芹沢博士)と共に海にお還りいただくしかない。 一方モスラは。 ゴジラが白黒画面を背景に闇夜と死ならばモスラは総天然色で日輪と生であった。 卵から生まれ巨虫から繭、そして大蛾という変容は生命と生殖の神秘と驚異に満ち、東京タワーに張られる繭糸は日本人(特に農村の女性)にとって良くも悪くもかつては馴染みが深かった絹糸・養蚕の記憶と繋がり、生殖や保護本能のイメージと合わせてこの怪獣に幽玄な女性性をもたらした。 決定的だったのはラスト。 これまでの怪獣映画の多くでは怪獣は最終的には文明の側に駆逐されるのが常だったのが、モスラはついにいかなる兵器をもはねのけ、駆逐されることなく小美人を連れ戻しインファント島へと悠々帰還を果たしてしまう。 その描かれ方も特異だった。 インファント島を調査し小美人とも面識のあった言語学者らの発案により、ロリシカ国の空港滑走路に大きくモスラ神話と関わる碑文の文様が描かれ、教会の鐘を一斉に鳴らされることで人間側の和平の意思を汲み取ったのか、モスラは破壊活動を停止しおとなしく滑走路に着陸。 小美人と共に飛び去るモスラを人々は笑顔と歓声で手を振りながら見送り、ラストは島に帰還した小美人が島民たちと共に晴れやかにモスラを讃える歌を唄う… 「本能しかないのです」と言われてはいたものの、終盤のモスラは明らかに人間側の働きかけに応えており、映画では ゴジラらとは異なり、ヒト(文明)と怪獣との断絶ではなく和解と共生の可能性も示唆されていた。 それらも含め、モスラは様々な意味でその当初よりゴジラとは好対照をなす存在感を示すことに成功した。 死と生殖、男性性と女性性、文明と自然、悲劇と祝祭、断絶と共生。 KoMに至る道のりはまだまだ遠いが、次回に続く。

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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

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ワクワクしたい人• 大迫力の映像を体感したい人• 前作Godzilla 2014でがっかりした人• 渡辺謙の活躍を見たい人• ワクワクしっぱなし。 特にモンスターの登場シーンとバトルに厨二心をくすぐられます。 昔、怪獣が好きだった人は一瞬で子供に戻れるでしょう!• 映像が綺麗です。 迫力と芸術性ある映像が楽しめます。 映像を楽しみたい人にオススメです。 前作、Godzzilaがつまらないと感じた人はバトルシーンが少なくて不満だっと思います。 一方、この作品は開始からたくさんの怪獣バトルが見れるので期待してください。 渡辺謙の演じる芹沢博士の出番がけっこう多いです。 日本人が活躍してるところを見ると嬉しいですよね。 ここぞという場面で日本語のセリフが用意されています。 こんな人にはおすすめできないかも 見る前に知っておいたほうがいい知識 まず、この作品は『モンスター・ヴァース』というシリーズの第3作品目ということを知っておきましょう。 前の2作から話が繋がっています。 『モナーク』という組織 映画の冒頭から当たり前のように出てくる『モナーク』という組織。 これは第一作から登場する組織です。 『モナーク』は地球に生息する巨大生物の調査、研究を行なっているアメリカ政府直属の組織です。 長年秘密裏に調査を行なっていましたが2014年のゴジラとムートーの戦いの後、その存在が世間に知れ渡ることに。 ロサンゼルスの大きな被害は情報を隠していた『モナーク』に責任があるという声が高まり現在苦しい状況に立たされています。 "Long Live The King" この映画の決めゼリフですね。 「王が目覚めた」と訳されます。 もともとこの言葉は王様を讃える言葉でして、「王様バンザイ!」という意味があります。 映画のいいところで使われるので注目です! 各怪獣の特徴 ゴジラ映画を全く観たことがない人はざっくりでも怪獣の特徴を知っておいたほうがいいかもしれませんね。 ゴジラ 海を超高速で移動できる。 体内に原子炉のような器官があり口から放射できる。 核が好物。 キング・ギドラ それぞれ性格の違う頭が3つ。 移動するときは常に雷雲が発生し嵐を引き連れている。 関連映画 前述のようにこの映画は「モンスターバース」と呼ばれるシリーズ作品の第3作目にあたる作品です。 過去作も合わせてみることをお勧めします。 キャスト 写真 役 演 主人公家族 マーク・ラッセル カイル・チャンドラー エマ・ラッセル ヴェラ・ファーミガ マディソン・ラッセル ミリー・ボビー・ブラウン モナーク 調査団 芹沢猪四郎博士 渡辺謙 ヴィヴィアン・グレアム博士 サリー・ホーキンス スタントン博士 ブラッドリー・ウィットフォード アイリーン・チェン博士 チャン・ツィイー サム・コールマン トーマス・ミドルディッチ ダイアン・フォスター アイシャ・ハインズ ジャクソン・バーンズ オシェア・ジャクソン・Jr アメリカ海軍 ウィリアム・ステンツ デヴィッド・ストラザーン 謎の傭兵 アラン・ジョナー チャールズ・ダンス 評価 海外の評価 監督 音楽.

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