金子 み すゞ みんな ちがっ て。 金子みす ゞ ~みんなちがって、みんないい。 : 和と散歩

金子みすず(詩人)さんを 知っていますか? ーーみんなちがって、 みん

金子 み すゞ みんな ちがっ て

「 遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「もう遊ばない」っていう。 そして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。 512篇ある金子みすゞの詩を俯瞰(ふかん)した時、全篇を優しく包み込むような作品がこの『こだまでしょうか』ですと、私はずっと言い続けてきました。 それだけに今回の東日本大震災を受けて、CMでこの詩が流れたと聞いた時は本当に驚きました。 この詩で私が注目したいのは、「こだまでしょうか」という呼び掛けに「いいえ、誰でも」と答えている末尾の一文です。 よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、万人の心がそうだとみすゞは言っているのです。 この詩を耳にした日本人は、被災された多くの方々が味わった悲しみや辛い思いに対して、こだまする自分でいられるかどうかと考えたのではないでしょうか。 一人ひとりがこの震災がもたらした被害を、自分のこととして感じる1つのきっかけを与えたのが『こだまでしょうか』の詩だと思います。 こだまというのは、山から投げ掛けた言葉がそのまま返ってくるわけですから、大自然の懐に包まれたような安心感を生み出し、私たちの心を優しくしてくれるのです。 この詩に触れ、心の内で何度もこだましているうちに、どこか優しくなれた自分を見つけることができたのでしょう。 募金活動がこれほどの大きなうねりとなり、また多くの日本人がボランティアとして被災地へと向かう後押しをしてくれたのが、「こだまでしょうか」という言葉だったのだと思います。 言葉にはこれほどの力があるということを、私は改めて教えられた気がしました。 人間を温かに見つめる金子みすゞの詩 2011年の3月、イランでペルシャ語に翻訳された金子みすゞの詩集が出ました。 その翻訳にあたられた方がこうおっしゃいました、「金子みすゞの詩は人間の詩」だと。 非常に的を射た表現だと思います。 金子みすゞの詩というのは、民族も宗教もイデオロギーも超えて、人間本来の眼差しで歌われています。 だからこそ、世界11か国語で翻訳され、しかも中国の四川省で起きた地震の時には、みすゞの詩が被災した子供たちの心のケアにも使われたのです。 人間を温かに見つめるみすゞの詩の原点はどこにあるのかと言えば、それは自他一如、みすゞの言葉を借りれば「あなたと私」という眼差しです。 私たちは誰しも自分が人間だという認識を持って生まれてきたわけではありません。 両親や周囲の人たちの姿を通して、初めて自分は人間だということを認識できるのです。 このような根源的なことを教えてくれるのは、あなたの存在であって私ではありません。 あなたがいなければ私は存在しえないのです。 つまり、二人で一つ。 ですから幸せや悲しみを感じる時も、片一方が幸せでもう片方が不幸という構図は本来ありえないのです。 『私と小鳥と鈴と』 いま、なぜ金子みすゞの詩が注目を集めているのかというと、それは「自分」という存在は自分以外の誰かがいて、初めて成り立っているという基本的なことを思い出させてくれているからだと思います。 そのことを端的に表現しているのが、子供たちに人気のある『私と小鳥と鈴と』という詩です。 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地面を速く走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように、 たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 「みんなちがって、みんないい」はよく知られたフレーズですが、その一行前には「鈴と、小鳥と、それから私」と書かれています。 ご覧いただくと分かるように、この一文は詩のタイトルで一番最初にいた「私」を最後に持っていきました。 「あなたがいて私がいる。 あなたと私、どちらも大切」と考えた時にはじめて、「みんなちがって、みんないい」という言葉が生まれてくるのです。 みすゞにとっては小鳥も鈴も自分そのものであり、優劣をつけるという考え方はありません。 それが個性尊重ばかり重視されると、私ばかりに重点が置かれ、「みんなちがって、みんないい」の一文が、個人のわがままを助長することに繋がってしまうのです。 また、みすゞの詩は人間や動物にとどまらず無機物に対しても温かな眼差しを向けています。 先ほどの詩に「鈴」が詠まれていることからも分かるように、宇宙空間にあるもの、地球上のすべてのものは同等の価値を持つとの考えから、命のある、なしはまったく関係なく、どちらも尊いのです。 おそらく本人はこのような宇宙の真理を理屈なしに、ごく自然のこととして捉えていたのだと思います。 ですから、例えば石を見ると、その石に心がすっと移って、石の視点で世界を見ることができた。 この世に存在しているという、そのこと自体がいかに素晴らしいことかという感覚を常に心に宿していたのではないでしょうか。 みすゞは一滴の水からでも宇宙を見ることができた、稀有の詩人だったのです。 (本記事は『致知』2011年7月号 特集より一部抜粋したものです。 早稲田大学文学部卒業。 童謡詩人佐藤義美、まど・みちおに師事。 57年童話集『ほしとそらのしたで』(フレーベル館)で、第12回赤い鳥文学賞を受賞。 金子みすゞの遺稿512篇を発見し、『金子みすゞ全集』(JULA 出版局)として出版するなど、金子みすゞ作品の編集・発行に携わる。 著書に『童謡詩人金子みすゞの生涯』など。

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金子みすゞ物語〜みんなちがってみんないい〜

金子 み すゞ みんな ちがっ て

おはようございます。 私は物書き志望者の割には全く文学少女じゃなく、恥ずかしいけど、純文学など殆ど読んで無いのよ。 何しろ国語の教科書に出てくるような物は、避けて通って来た程不真面目人間もいいところだったから。 抽象的な言葉遣いが苦手なのよ。 だから彼女の名も3. 11以降のAC JAPANのCMで初めて知ったくらいなの。 ただみすゞさんの詩は、気取ってないし、ピカソみたいじゃ無いし、思想家色も無いし、読みやすいものが多く、私の心にもスンナリ入り、涙が出そうになるものも多かったわ。 順風満帆で、元気溌剌な人が書いたものは、あまり心に響かないし、深く残らないものが多い。 不幸や哀しみを背負った経験がある人の作品は、書物も歌も演技も絵も、何か心を打つものが多いわ。 金子みすず、その2 母は女学校で、「人類と獣類の間に女類がいる」と教えられた、と言っていた。 終戦時母は16才。 女学校卒業した直後くらいかな。 朝ドラなどでよく平塚らいてうが出てきて、心酔する人やらが出てくる。 母も平塚らいてうは知っていたと思う。 先生方も知らないことはなかったと思う。 けど現実ははるかに解離していた。 女性は人ではなかった。 人は男性だけ。 これは世界共通だったよね。 女性の参政権獲得は欧米は日本よりは早かったかもしれないけど、そんなに昔のことではない。 親権は父親、も当時基本そうだったかな。 金子みすず、ドラマなんかにもなったんだね。 そういうのはいっさい観ていないから、ドラマなんかではこの辺りも詳しく描かれているのかもしれないけど。 ここからは私の想像で。 みすずさん、死を選んだのはやっぱり母性かなぁって。 子どもを自分で育てたいっていう。 死んだら元も子もない話だけど、そこは譲れなかったんじゃないかなぁって思う。 それか絶望か。 子供を置いて出なければいけない。 娘さん、まだご存命なのかな。 100周年で、みすず記念館ができたんだったかな。 新聞やらでそんなことも取り上げられる中で彼女を知り、詩集を読みした中で思ったことです。 深読みってか、私にとっては必然みたいなもの。 さっき書いた経緯から。 とにかく母親との葛藤、憎悪はずっと私の中では拭いがたかった。 だから最初の部分辺りが、私には入り過ぎ位にスルッと入ってしまった。 で最期に来て、ん?どんなに続くんだろうになってしまった。 缶さんの解釈でいいんだと思う、多分。 うん、こどもの好奇心あふれた自由な心と、子供のことが大半を占めてしまっている母親のこころやね。 みすずさんは童謡作家だったとか。 漢字は大きいと小さいくらいで、でもリフレインやら優れた詩になっているよね。 私の母への憎悪は高校のある時、激しく胸に焼き付いたのだけど、まだ一年にならないと思うけど、ある時、私はなぜあの時あんなにも深く母に怒りを抱いたのかな、とふと思ったよ。 知らない間に刺がとれていたのかな。 深読み解釈してみました。 注:わたし=思春期 私の母は、自分の心は小さいと言う。 妬み、嫉み、悲しみ、侮蔑、欺瞞 外面よしの内弁慶…… そんな 人として、" 小さい" と、 云われている事ばかりで、 占められてるからである。 私は、違う。 母の様な、小さい心も 常設しているけれど、 慈しむ、愛する、楽しむ。 そんな隙間があるから 母より 広い心で 生きてゆける。 母に、小さいことに 拘って欲しくない心と、 境遇に対する同情、共有。 そして、母を反面教師とした 自分の心の在り方…… そうとうな毒親、背景は 精神障害か? 依存された私 主人公 の つぶやき の 詩である。 こんなんに なりました。 音ちゃん、お母様は、 もう亡くなってるよね? 亡くなってしまうと、 いい事だけしか、思い出さなくなる。 ある日、突然… あ、この事かぁ、この感情かぁ って、 理解できる" 不の感情" ってアルよ。 その時に、もっと話せば良かった… って、想う。 ある年齢に、なったから解る事もある。 アタシの経験からだけどね。 深読み…お終い。 金子みすずさん、その1 詩、好きなのだけれど苦手な分野になる、多分一番。 暗喩、比喩で成り立っている様なものだから。 だから?様々な読み取り、受け取りができる、強みみたいのもあるのかな? 前置きは置いといて。 金子みすずさんを知った、多分生誕100周年かでよく取り上げられていた頃、一番私に引っ掛かった「こころ」という詩。 自分の母親と心の中で折り合いをつけかねてうん10年。 最近やっとその刺はとれたのだけれど、みすずさんの「こころ」、最初の方は自分の代弁をしてくれている様な気がしたのだけれど、一番最後の 「だって、大きいおかあさまで」以降がよく分からない。 これを機会によく読み込んでみようかな。 こころ 金子みすず おかあさまは おとなで大きいけれど、 おかあさまの おこころはちいさい。 だって、おかあさまはいいました 小さいわたしでいっぱいだって。 わたしは子どもで ちいさいけれど、 ちいさいわたしの こころは大きい。 だって、大きいおかあさまで まだいっぱいにならないで、 いろんなことをおもうから。 深読みされましたか…。 心の中に住んでいるのは お母さまだけじゃない。 音ちゃんは、お母様で苦労した って、前に書いてたから、 すんごい深読みを したんだね。 子供からの視線じゃなく、 大人からの視線だとすると ドロドロの深読みができるね。 この、深読みはまた書くね。 棘が、刺さったままでなくて 良かったね。 「世の中には、認めてもらえない個性がある。 」 いろいろな人に出会って、つくづく思います。 さらに、「本人には悪気が無い」となると、どうにもお手上げです。 「世界にひとつだけの花」って、嘘ですね。 神様は平等じゃないって思いますよ。 「みんな違って、みんないい。 」っていうのは、その人の万人に認められる部分だけのことでしょう。 整形の番組に「女フランケン」と言われるほどの顔の女性が出ていました。 もしも、この人がそばにいたら…「いい」とは思わないだろうなあと。 また、中には「オウム麻原」のように、「人間として認められない」ような極悪人もいます。 できるだけ、「みんなのよい部分を見なさい」という教訓として、「みんな違ってみんないい」という言葉があるのだととらえています。 どうしてもよい部分が見いだせない人とは、お付き合いを避けていますし、挑発にものりません。 人間だもの… 神様が、そうやって作ったんだもの….

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みんなちがってみんないい?

金子 み すゞ みんな ちがっ て

概要 [ ] の生涯をを舞台に描く、実話を基にしたフィクション。 本編中で表示される童謡には、金子みすゞ自筆のものが使用されている。 キャスト [ ]• 金子テル(みすゞ):• 上山正祐(みすゞの弟):(当時)• 桐原稲彦(みすゞの夫):• 田辺豊々代(みすゞの親友):• 藤田初一:• のぶ:• 小枝敏雄:• 金子チウサ(みすゞの義姉で小学校時代の同級生):• 金子堅助(みすゞの兄):• 金子ウメ(みすゞの祖母):• 上山ミチ(みすゞの母):• 上山松蔵(みすゞの義父・上山文英堂主人):• 松本辰也:• ミサオ:• 長屋の女:• 車夫:• 電報配達:• ふさえ(みすゞの娘):(乳児期:陳允煕、三戸梓美)• のみなさん スタッフ [ ]• 脚本:• 監修:• 音楽:• 技術:• カメラ:田中浩一• 照明:今井尚人• 映像:荒井秀訓• 音声:下村晴之• 音響効果:山下祐司• CG:田中浩征• 編集:大塚民生• MA:諸井明彦• 美術:• 美術制作:平野裟一• 装飾:青木賢輔• 装置:秋山雷太• 大道具操作:高根秀樹• 衣装:吉川茂雄• 化粧:中田マリ子• 床山:深町二宏• 持道具:安岡京子• 建具:大崎健一• 植木装飾:金子利治• イルミネーション:奏一志• 指導:渡辺宗• 衣装協力:• 美術協力:、• 番組宣伝:反町浩之• スチール:加藤徹• インターネット宣伝:佐藤英子• 車両:亀卦川浩• 方言指導:• 協力:、、、山口県長門市、金子みすゞ顕彰会 草場睦弘、、 、別邸音信• 演出補:山崎統司• 記録:八木美智子• デスク:佐藤博子• 制作補:室谷拡• 演出:• プロデューサー:• 制作著作:TBS 関連項目 [ ]• - 本作と同じくTBS制作、プロテューサー により放映されたドラマ作品。 外部リンク [ ]•

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