ライフ オブ パイ。 「浮島の解釈、そして光るもの」ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日

映画『ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチ

ライフ オブ パイ

未見の方はスルーしてください。 予告編からは想像もつかなかった作品。 頭に残ってしまったのが、自己とは他者とは何かといった哲学めいた事ばかりです。 哲学、苦手なんですけど(笑)書かないとモヤモヤしたままなので、思い切って書いちゃいます。 DVD見直したら、ごめんなさい、間違えてました!となりそうですが。 ウィリアム・ターナーが描く夕景の中にすっぽり納まってしまったような空、波ひとつ立たない鏡面のように静かな海面。 満天の星空を水面に写し込んだ夜の海。 現実にはありえない、息を飲む幻想的な風景の数々は、パイ(スラージ・シャルマ)の心象というか、パイの心の中のある極の在り様を示している(その極北はトラです)ので、どれだけ非現実であってもちっともおかしくないと思います。 クジラが現れた夜、手作りの筏に積んであった飲み水と非常用食料を、クジラがジャンプした反動で、海に落っことして失ってしまいます。 終盤に登場する「carnivorous island (人食い島)」同様、パイが神性のビジョンなり、イメージなりを受信する(神の実存はとりあえず、横に置いておきます)時、発光体を伴うようで、このクジラも夜光虫にびっしり覆われたかのように光輝いてました。 パイが浮き輪やライフジャケット等を使って筏を作ったのは、まだ母親(オラウータン)が生きていた時。 母をコッチ(筏)に避難させるつもりだったんでしょう。 その後、フランス人コック(ハイエナ)が、仏教徒の船員(シマウマ)、パイの母親(オラウータン)を殺し、その後、パイ(トラ)がコック(ハイエナ)を殺し食べたんでしょう?救命ボートには、彼以外の生存者はいないので、筏に食料を移動させた理由がよく分からないんです。 自分しか非常食を食べる人間はいないのですから。 ネズミが繁殖しすぎたからとも思ったんですが、トラがネズミを食べる場面があったので、つまりネズミもパイは食糧にしてます。 生きたネズミが繁殖しすぎて困るまで、捕食しない訳ないですもの。 魚にしろ、ネズミにしろ、腐敗しやすい生肉優先で食べて、日持ちのする非常食は、いざという時のために残しておくと思うんですが。。 パイ=トラだと観客に気付かせないためのミスディレクションなのかしら?とも考えたんですが、それではつまらないので(笑)、ちょっと、妄想してみます。 本作でトラがするのは、猛り狂う根源的な欲望、共同体内の秩序を維持するため、いくつかのタブー(禁忌)を制度的に取り込んできた人間社会では、神秘的体験や、霊的、宗教的儀式以外、殺人やカニバリズムも当然のことながら忌むべきものとされてきましたけど、トラはその禁忌を揺るがす衝動的本能なんだと思います。 船員(シマウマ)と母(オラウータン)を殺したコック(ハイエナ)に対する激しい怒りから、パイはこの禁忌を超えてしまったんですよね。 救命ボートはパイの心的領域の具現化で、人間とトラは自我と他我(オルターエゴ)を視覚化したものだと思います。 で、人間パイは自身の本能をコントロールしようとし始めるんですよね。 サーカスでの調教のようにやってましたけど、おしっこ(パイの本来の名前に関係あるもの)でマーキングしたり、呼び笛を使ったりしてました。 笛=音響イメージが登場するのは面白かったです。 視覚だけではなく、聴覚の領域にまで幻想が及ぶとは…。 ラスト、メキシコの海岸に流れ着き、トラが「森」に消えていく際、トラの見たビジョンとしか思えない映像(マンガの吹き出しみたいに、満面の笑みを浮かべるパイの顔が現れる)があって、あの画が、人食島(The carnivorous island )と同じく、本作を単なるサバイヴァル映画から飛躍させてるんじゃないかと思うんですよね。 彼の心に巣食う悪しきものを神の導きで消滅させたといったような宗教的教訓は持ち込まずに(笑)、トラを自己とは違う視点で世界を見るもうひとつの存在と考えるなら、トラから「見た」パイは、最後の最後まで残しておくべき非常食に当たるんじゃなかろうかと…。 非常食=明日を生き抜くための担保、つまり希望です。 魚が獲れなくなっても、貯め込んだ雨水が残り少なくなっても、非常食があるんだ!と知っていたなら、心が折れてしまう限界をわずかに伸ばすことが出来る。 筏に積んだ非常食が人間パイにとっての希望同様、トラにとってパイは希望だったんです。 救命ボートと一本のロープで繋がった筏は「希望の在り処」。 衰弱し、死を覚悟する前に、パイはこの筏(希望の在り処)を失ってしまいましたよね。 ボートにいるトラは、パイが罪の意識から切り離そうとした彼自身(の一部)なんでしょう、人間としての尊厳を自覚しているがゆえに、禁忌に触れた自身を否定する心の働きが、もう一つの自我を生み出したんじゃないかと。。 共存不可能な猛獣として登場したトラは、パイとトラの視覚的な距離が近くなるにつれ、人間とは全く異質な固有性を持った存在から、コミュニケーション可能な存在にまで近づきます。 パイは遭難後、再び、過去、動物園でやった事を始めちゃったんですよね。 動物園の時は本物のトラですから、パイがどれだけコミュニケーションをとろうとしても、トラの持つ異質な固有性は揺らがない。 でも救命ボートのトラは、パイの投影でしかないから、感情移入可能で孤独を埋め合わせてくれる「鏡像」的他者へと徐々に変容し、最後にはペットのネコのようにパイに頭をなでられていました。 「lying Vishnu」というのは、「横たわるヴィシュヌ神」の事。 ヒンズー、ヴィシュヌ派の宇宙みたいですね。 画像を探してみたんですけど、クメール文化圏のものしか見つからないんです。 何故なんだろう? この島には、木々が生い茂り、地表を埋め尽くすミーアキャットが生息。 島の池には真水があり、食べられる植物もある。 飢えと渇きに苛まれたパイにとってまさに楽園(天国でもいいけど)。 ここには、パイを襲う者どころかミーアキャットの天敵すら存在しない。 しかし、この平和な島はもうひとつの顔を隠し持っていました。 夜になると、真水で満たされた池の水は酸に代わり、どこから入り込んだのか(浮島の木の根の下?)無数の魚が酸の水でゆっくりと溶かされていく。 この池は巨大な「胃袋」なんですよね。 島を一つの生命体と考えると納得できます。 胃袋=池で溶かされた生物は、地上の木々(これも一種の消化器官なんでしょうけど)に吸収され、唯一「歯」だけが溶けずに残る。 生命力に溢れた昼の顔と、死が蔽い尽くす夜の島。 パイがこの島を離れたのは、彼がこの島に食われてしまう(比喩ではなくて文字通りの意味です)からではないと思います。 命を守るのなら、危険な夜の池に近づかなければ済む事。 それ以外の危険はこの島には存在しない。 それでも、島を離れる決意をしたのは、この島には自己の似姿として易々と回収できる鏡像的他者ではなく、理解も共感もし難いゆえに、自身を成長させてくれる「他者」が存在しないからなんだと思います。 無数にいるミーアキャットと、パイとの間にはそう開きはない。 この島はトラが脅威ではなくなった救命ボートの状態と同じなんです。 唯、水や食料があって飢えずに済むだけで…。 超越的存在=島の生命システムに寄生し、依存してゆけば、いずれパイの意識は喜々として島に吸収され同化することを望むようになるでしょう。 ミーアキャットの愛らしい仕草は、孤独を慰撫してくれるはずですし。 唯一、この島との同化を拒むのは、パイが生んだもうひとつの極「トラ」だけだと思います。 そのトラすらやがては消滅していったでしょうね。。 人食島(The carnivorous island )に到着する直前、トラはガリガリに痩せて衰弱しきってました。 パイはそのトラを膝枕して涙を流し、神に感謝を捧げ、間もなく訪れるであろう「死」の受け入れ準備を始める。 長期に渡る漂流生活の後、死を覚悟した人間の前に、その背後に緩慢な「死」を隠し持つ、この世の楽園が現れる。 比喩的な意味で、この島は人間の魂を食い殺す場所じゃないかとおもうんですよ。 このカラクリに気付いたパイは神に感謝してました。 これもヴィシュヌ神の恩寵と考えたようですね。 一つ分からないのは、インド時代に初恋の女の子から貰った赤い紐(お守りみたいなものなんでしょうか)を、島に上陸する時、手首から外し木の根に結び付けてたこと。 ヒンドゥーやには、泡沫のように儚い人間の個体を宇宙全体と比較し、本質的には宇宙の根本原理と同一する精神的伝統があるようで、この島をパイは自己の身体を含めた個と同一と感じたから、新たに紐を結びなおしたということなんでしょうかねぇ。 インド時代の舞踊も一種のランガージュですよね。 パイは女の子の後を追いかけて、舞踏のポーズが意味するものを聞いてました。 神が隠れている森は、人食島の森と考えるか、最後にトラが消えた森とするか、その両方とするかで、ずいぶん違ってきそう…。 私はよく分かってませんが(笑)。 あの島の生命サイクル(システム)って、通常の食物連鎖をひっくり返したようになってるんですよね。 食物連鎖の頂点に立つのが「植物」。 あの「歯」は、この島に止まり続けた場合の彼の未来、他者が存在しない世界で、精神がゆっくりと死に向かっていった後のパイのなれの果てなんだと思います。 自ら「酸の池」に飛び込んで、島と同化してしまうのでしょう。

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ライフオブパイの考察|spicy

ライフ オブ パイ

0点 ア〜ッ、そうだったのか! 私が馬鹿だった! イヤ〜実際のところ最初に見はじめた時は、この映画は長〜くてタルくて、途中で飽きて眠くなってきました。 何せ、最初の20分ぐらいが、主人公パイの子供のころの話で、そこから船の難破シーンまでまた10分ぐらいあるでしょうか。 内容に合わせて真面目に書かせていただきますが・・・・・・これ以降は一度映画を見てくださってからの方が、よろしいかと思います。 一つは、映画の語る順序に沿った幻想的ストーリーであり、それは主人公パイが4匹の動物と漂流し、最後はパイとベンガルタイガーと太平洋を漂流したという物語だ。 もう一つは虎との漂流の話が終わった後にに語られた、また別の話であり、それは4人の人間が漂流をし、結局最後にはパイだけが残ったというものだ。 このあとに語られた、現実味の高い物語は、パイが人肉を食べながら生き永らえたという事を意味するだろう。 そしてこの現実的なストーリーに基づいて、再び虎との漂流の物語を解釈し直した時に、初めてこの映画の語ろうとしている本質が見えてくる。 しかし、この二つの物語の、どちらが真実だったかが語られることはない。 たぶん、人が生きるというのはそういうことなのだろう。 この主人公パイが生きるためには、この両方の物語を必要としたということだ。 パイの回想の冒頭で、自らの本当の名前がピシンと名付けられ、それはインドでは小便を意味したため、その名前をパイに代えたと語り、更にその際は正確な円周率を暗証したと話される時、この主人公は子供のころから意志的で聡明で有った事を示している。 更にインドで成長していく中で、様々な宗教に興味を持ち、ヒンドゥー、イスラム、キリスト教の全てを受け入れ、同時に疑っているとこの主人公が言うのは「宗教」を信仰としてではなく、理論として客観視していることを語っているだろう。 そもそも、絶対者たる神を奉じる宗教を、複数比較すること事態が論理矛盾であり、結局この主人公は宗教を敬虔に信奉するには、理性的過ぎるのであろう。 そう考えたとき、この主人公が意志的で優れた知性を持ち、そして何より理性的だとこの映画は伝えている。 そんな理性の強い人格にとって、食人や、死の恐怖、絶望するとは、どういう経験だろうか? 全ての生物は、生きる上で不安を持たざるを得ない。 それは、命を維持するための食物が、地球上の絶対量として十分に供給されていないからだ。 この食物連鎖のシステムは、一時食料が爆発的に増えたとすると、その捕食側の生物種も増加する。 そして結果的には、増えた捕食者が食料の需要を増大させるので、食べるモノと食べられるモノの均衡点で落ち着く事となる。 それは最終的に、捕食者側がギリギリ生きられる状態となって安定する。 つまりは生物は、常にギリギリの状態で生命を維持することを運命付けられているという事だ。 それはこの映画の難破船における、捕食者と被食者の関係と共通する、厳しい自然の摂理だ。 それは、その環境内における微妙な作用によって決定付けられる、偶然と気紛れの残酷な生と死のルーレットにすぎまい。 つまりは、この主人公のパイ少年のように、優れた知性や理性を持ってしても打開できない厳しい環境があり、その現実の中では人ができることは運命に身を委ねることだけだったろう。 そして結果的にパイ少年は生き延びた。 しかし、そのためにはボートという環境内で、自らの命を維持する為にありとあらゆる事を経験しなければ不可能だったろう。 それは、人間としての善悪などを超越した自然界の冷厳な「理」であったはずであり、人の理性によってコントロールなど到底出来ない、過酷な恐怖と苦悩の連続だったろう。 そしてしばしば、理性が強い人間ほど、その下に強い情動を隠し持つものである。 平常な時であれば強い理性を持って対処すれば、大概の危機は切り抜けられるのでパニックに陥ることも無い。 しかし非常時の危急存亡の極限状況で必要とされるのは、理性というより生存本能による反射的対応力である。 そんなパイ少年の理性がハジけ飛んで、隠されていた激情を伴った本能の発露が、どれほどの爆発力であったかと考えると慄然とする。 それは自分では無い何者かが、暴れ狂っているとしか思えなかっただろう。 こうして人間パイを最大限守りながら、生存本能の化身・動物パイを虎として解き放つことが可能になった。 人間パイからすれば、虎の所業は許されざる行いだったろうが、それが生きるということの本質だと苦悩と共に思い知らされたはずだ。 人間にとって生き抜くことが地獄のような環境において、現れた「命の化身=虎」を恐れながらも求めざるを得ないという心理状態であれば、ついには虎の超絶的な存在を「神」と見なしても不思議はあるまい。 そうこの映画は、人が神を信じる瞬間、宗教が生まれる過程を描いている。 ただ、ここで間違えてはいけないのは、このパイにとっての神、宗教が、一神教のそれではないということだ。 例えばイスラムやキリストの、万物を創造し管理する絶対者としての神をパイが見出したとすれば、このボートにおいて彼は生き残れなかった。 なぜなら、彼は生きるために生存本能の怪物になる必要があり、それをトラという形で置くことで、自らの人格を崩壊させずにすんだ。 しかし、実際はボートで行われた「殺戮=生存競争」以外にも、大自然の海の気分しだいで命の危険が迫る環境にあった。 この人知を超越した大自然を平穏に過ごすためには、この荒ぶる地球を統べる神をも必要としただろう。 それは、虎よりももっと大きな神であり、その超越者に祈ることだけがパイにできる海と己の心を鎮める、唯一の方法となったはずだ。 そういう意味でこの映画で語られているのは、多神教のプリミティブな神を描いているように思う。 であればこそ、海中の生物、自然現象、宇宙などが全て神の御姿として、パイを慰め得たのだ。 多神教の一神としてこの虎も、日本の八百万の神々のように、どこか人懐っこく悪戯好きで、人間くさい性格を持っていると感じる。 そう考えてきて、この航海を供にした虎が去っていくとき、さよならを言えなくて悲しかったと主人公がいうのも分かるのだ。 多神教における神とは、荒ぶる存在であると同時に、道化であり、友であり、そして畏敬すべき存在だ。 なぜならその神は、この映画で描かれているように、人間の限界を超えたときに現れる別人格、超越者であってみれば、すなわち人間として許されない感情や所業の穢れや悪を、己に成り変わって清めてくれる存在として現れる。 この主人公は、悪逆なる神として存在してくれたこの虎がいなければ、自分が生き延びられなかったと知っていたがゆえに、もう一人の自分に対峙し感謝と謝罪の言葉を告げたかったのであろう。 結局、人間はかくも過酷な環境で生きられるようには作られていない。 その人が生存不可能な場所を生き抜くとしたら、それはもう人間を超越した別の何かである。 そんな、人と運命の厳しい相克の果てに、神を見出し、宗教・信仰が誕生するのだという「祈りの起源」を、見事に捕らえていると感じた。 そうすれば、全ての映像が有機的にドラマに連関し、よりダイレクトに見る者の心に響いたと思うんでス。 関連レビュー スポンサーリンク.

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【考察】ライフオブパイ。

ライフ オブ パイ

制作費は1億2000万ドル。 1億円 が監督し、が脚本を執筆し、が主人公のパイを演じる。 で11部門ノミネートし、監督賞、作曲賞、撮影賞、視覚効果賞の最多4部門を受賞した。 あらすじ 小説家がインド人の青年パイ・パテルが語る幼少時代を聴きに訪れる。 ママジから「話を聞けば神を信じる」と聞いてやって来たのだという。 パイはプールが大好きな父の親友ママジ(「おじ」の意味)からパリの「世界一美しいプール」ピシン・モリトーと名づけられるが、「プール」の意味のピシンがpissing(おしっこ)と同じ発音でからかわれるようになる。 これを避けるために自らニックネームはのパイですと最初の授業で話す。 数学の授業ではを延々と暗記するほど賢くアピールする。 泳ぎや楽器も得意な少年パイだが、宗教の入り交じった南仏ののような街で育ち、とととを同時に信奉するようになる。 身分が低い夫と結婚して勘当された植物学者でもある母と父はを営んでいたが、さらにも経営してなど多くの動物を飼っていた。 トラとは接するなという父の教えに背いて強く叱責される。 その教訓の日から甘い幻想が消えた。 パイの一家は補助金がなくなったなどからの理由で動物園を畳み、新天地を求めて動物とともにに移住を決断。 ダンス教室で出会った恋人アナンディとも別れることになる。 しかし、乗船した日本のでは母親がだというのに肉汁ライスを出すコック、そして「肉汁は本当は肉の汁ではない」などと余計な口をきく仏教徒の船員に悩まされる。 さらに太平洋のを北上中に海難事故に遭い、船の沈没とともに全員を失い、16歳の少年パイが人間では唯一の生存者となる。 彼はで、、、トラのリチャード・パーカー(人と間違って付けられた名前だった)と過ごすことになる。 脚を骨折しているシマウマを襲うハイエナ、それに怒ってハイエナを襲うが逆に倒されるオランウータン。 ハイエナはベンガルトラに倒され、トラとパイ少年とで広大な海をさまようことになる。 「大海で生き残るために」というボートに必ず搭載してある遭難マニュアルを読んでボートにあった道具で筏をつくり、備え付けの水や食料を少しずつ使っていくが、クジラのために多くを失う。 お腹が空いたリチャード・パーカーが魚を採りに降りてボートに上れなくなるが、殺そうと思ったものの、殺せず、一緒の航海が続く。 徐々にリチャード・パーカーとはコミュニケーションが取れるようになるが、容易ではない。 の飛来や激しい嵐など多くの偶然が重なるが、を出したにもかかわらず近くを航行する船に気づいてもらえず、絶望から死の直前にまで追いやられる。 ボートと筏とでたどりついた島はの形をした楽園であり、水を飲み肉を食べ、いっときの安らぎを得る。 みんな同じような動作をするが群生している島であったが、夜になると水が酸性に変り動物を溶かしてしまう恐ろしい人食いの島だった。 早々にリチャード・パーカーとともに島を逃げ出し再び海をさまよってメキシコの海岸にたどり着くとトラは振り返りもせずにジャングルへと立ち去ってしまい、少年パイは寂しく感じる。 パイは家族など多くを失ったが、「結局生きることは手放すことだ。 一番切ないのは別れを言えずに終わることだ」とリチャード・パーカーを「永遠に忘れない」という。 地元の人間に救助され入院した少年のもとに日本の保険調査員が2人、沈没の原因を尋ねにやってくる。 トラとの漂流の物語を信じない彼らは「誰もが信じられる真実の話」を要求する。 すると、助かったのはコックと仏教徒の船員、パイの母、そしてパイだったという。 船員は脚にケガを負っており、食糧があるのにネズミを食べるコックは「船員の脚を切らないと体が腐って死んでしまう」といい、パイと母親は痛がる船員を押さえて、コックが脚を切った。 船員は助からずに死に、コックはその脚を魚のエサにした。 母が怒ったら脚を食べて、大喧嘩になり、パイにイカダに乗り移るように言ったが、母はコックに刺されて海に落とされ、サメに食われた。 怒りに燃えたパイはコックを殺し、たった一人で漂流することとなったという。 「母を先に乗せればよかった」と悔やむ。 この話を聞いた小説家はトラ=パイ、ハイエナ=コック、オランウータン=母、シマウマ=船員だと指摘すると、どちらの話でもいいとパイは答える。 家族が帰ってきたので、小説家が「ハッピーエンドだ」というと、「そちら次第さ、君の物語だからね」と答える。 調査書に目をやると「パテル氏の勇気と忍耐の物語は海上遭難史上類を見ない。 これほど長い漂流の末に生還。 しかもベンガルトラと共に成し遂げた」と書かれてあった。 パイ・パテル - ()• パイ・パテル(成人) - ( )• パイ・パテル(11~12歳) - アーユッシュ・タンドン()• パイ・パテル(5歳) - ゴータム・ベルール• サントッシュ・パテル(パイの父) - ()• ジータ・パテル(パイの母) - ()• ラヴィ・パテル(パイの兄、7歳) - アヤン・カーン• ラヴィ・パテル(パイの兄、13~14歳) - モハマド・アッバス・カリーリ• ラヴィ・パテル(パイの兄、18~19歳) - ヴィビシュ・シヴァクマール• アナンディ(パイの恋人) - シュラヴァンティ・サイナット• カナダ人小説家 - ()• 貨物船コック - ()• 仏教徒の船員 -• 教会司祭 - アンドレア・ディ・ステファノ• ママジ(パイの父親の親友) - エリー・アルーフ• 保険調査員(上司) -• 保険調査員(部下) - ジュン・ナイトウ 製作 が監督し、が脚本を執筆した。 脚本はの2001年の小説『』を原作としている。 リーに決定する以前に多数の監督や脚本家に声がかかっていた。 フォックス2000ピクチャーズ重役のエリザベス・ゲイブラーは2003年2月に『パイの物語』の映画化権を購入し、ディーン・ジョーガリスが脚本執筆のために雇われた。 10月、フォックス2000はを監督とすることを発表した。 シャマランは特に小説の主人公が自分と同郷の出身であることに魅了された。 シャマランは『』の作業を終えた後に本作に取り組むつもりであり、また、ジョーガリスに代わって脚本家も兼任し、新たな脚本を執筆した。 だが最終的にシャマランは『ヴィレッジ』の後に『』を監督する道を選び、フォックス2000は別の監督を探し始めた。 2005年3月、新監督としてとの協議が始まった。 キュアロンが『』の監督に決定すると、フォックス2000は2005年10月にを雇った。 ジュネはギョーム・ローランと共に脚本を執筆し、2006年中頃にインドで撮影を始める予定であった。 ジュネは最終的にプロジェクトから外れ、2009年2月にアン・リーが雇われた。 2010年5月、リーとプロデューサーのギル・ネッターは製作費に7000万ドルを要求し、スタジオが尻込みをしたためにプロジェクトが短期間保留された。 サバイバル技術のコンサルタントとして、実際に漂流経験がある(『』の著者)が起用されている。 脚本執筆にはデヴイッド・マギーが雇われ、リーは数ヶ月にわたってパイ役の俳優を探した。 3000人に及ぶオーディションを行った結果、2010年10月にリーはパイ役に17歳学生で新人俳優のスラジュ・シャルマを選んだ。 スラジュは泳げなかったが、とインドの伝統音楽を習得していたことと、その純粋で素朴な表情が気に入られた。 ガールフレンド役も新人で、実際にインド伝統舞踏の学校に通う生徒である。 撮影は2011年1月より、、で開始された。 2012年9月、リーは国際色豊かなキャストにするという理由からの出演箇所をカットした。 マグワイアが演じたヤン・マーテルはに代わり、再撮影が行われた。 ロケ地 主に台湾とインドで撮影された。 ・の動物園• 海洋でのシーンは台中市の古い飛行場に、各種の波を再現できる装置を備えた超大型(長さ70m、幅30m、深さ4m)の撮影用タンクを設置して撮影し、CGで空や水の動きを合成した。 同県はアンの故郷でもあり、公園内に手つかずの林が残されていることを聞き付け、撮影に採用。 インド・()。 元フランス領で、美しい教会が数多くあることで知られている。 撮影されたのは主人公が通う学校のシーンである。 ・ CG• 同社が手掛けたを見て、リー監督が発注したもの。 受賞が決まった翌月に本作の制作費の6分の1に満たない金額で売却され、事業縮小と経営母体の変更を経て現在に至る。 公開 北米では2012年11月21日に3Dと2Dの両方で公開。 元々は2012年12月14日を予定していたが、『』が同日であったために1ヶ月前倒しされた。 興行収入 北米で11月21日水曜日に公開され、25日日曜日までの5日間で3057万ドル、23日~25日の週末3日間で2245万ドルの興行収入を記録し、初登場は5位であった。 その後も4週連続で5位をキープするなど、順調に収益を伸ばし続け、最終的に1億2489万ドルの興行収入を記録。 日本での公開は2013年1月25日金曜日。 26日~27日の週末2日間で、動員21万9536人、興収3億2979万5700円を記録。 最終的には19億円を超えるヒットとなった。 北米、日本以外の全世界でも同様に大ヒットを記録し、トータル興行成績は6億892万ドルを記録している。 第85回アカデミー賞にて『』の12部門に次いで多い11部門にノミネート。 そして全ノミネート作品の中で最多となる4部門(監督賞、作曲賞、撮影賞、視覚効果賞)を受賞する。 米ローリング・ストーン誌「2012年のベスト映画11」 第7位。 アメリカ映画協会「2012年の映画トップ10」選出(順不同)。 米タイム誌「2012年の映画トップ10」 第3位。 2012年AFIアワードベスト10選出。 ソフト化 日本では、20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンよりBlu-ray Disc BD およびDVDが発売されている。 ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2D版 BD) Disc 2. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(DVD)• ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(3D版 BD) Disc 2. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2D版 BD) Disc 3. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(DVD) Disc 4. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 特典ディスク(DVD)• ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 (DVD、2013年6月5日発売 FXBA-52617) Disc 1. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(DVD)• ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 (BD、2013年11月22日 FXXJC-52617) Disc 1. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2D版 BD)• ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 3D・2Dブルーレイセット (2枚組BD、2013年11月22日発売 FXXKA-52617) Disc 1. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(3D版 BD) Disc 2. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2D版 BD)• ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 (DVD低価格版、2013年11月22日 FXBNG-52617) Disc 1. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(DVD)• 2013年1月5日閲覧。 2013年1月5日閲覧。 Smith, Ian Hayden 2012. International Film Guide 2012. 143. ComingSoon. net. 2011年6月2日閲覧。 2013年1月7日閲覧。 Brodesser, Claude; McNary 2003-10-08. Brodesser, Claude 2005-03-31. Fleming, Michael 2005-10-23. Fleming, Michael 2009-02-17. McClintock, Pamela 2010-10-25. George Wales 2012年9月6日. ' '. 2012年9月6日閲覧。 McClintock, Pamela 2011-06-01.

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