シリア 宗教。 シリア内戦の原因・現状は?難民の人々が必要としている支援とは

シリア内戦の原因・現状は?難民の人々が必要としている支援とは

シリア 宗教

2011年3月から始まった「シリア内戦」。 きっかけは、2010年末から2011年のはじめにチュニジアで約1ヶ月間続いた「ジャスミン革命」と呼ばれるものです。 26歳の青年モハメド・ブアジジが、政府への抗議を表すために焼身自殺を図り、20年以上大統領を務めていたベン・アリーが亡命、政権は事実上崩壊しました。 抑圧的な独裁者が長期政権を敷くアラブ諸国に、大きな影響を与えます。 エジプトではその数日後から反政府デモが発生。 翌2月には30年以上続いたムバラク大統領の独裁政権が倒れ、リビアでも40年以上続いたカダフィ政権に終止符が打たれました。 これら国境を超えた大規模な反政府運動を、「アラブの春」と呼びます。 アラブの春の波は、もれなくシリアにも届きました。 初期はデモ行進やハンガーストライキなど市民による抵抗運動でしたが、毎週金曜日におこなわれる礼拝のたびにインターネット上でデモが呼び掛けられ、運動は過激化していきます。 2011年3月15日、シリア各地の都市で一斉にデモがおこなわれ、抗議者と治安部隊が衝突。 この日がシリア内戦の始まった日だとされています。 反政府側の要求は、すべての政治犯の釈放と、抗議者を殺害した者への裁判の実施、令状なしで容疑者を拘束できる「非常事態法」の撤廃、汚職の根絶、さらなる自由です。 政府側は、政治犯の釈放や非常事態法の撤廃、内閣の辞職など要求の一部を受け入れて譲歩を示しましたが、市民の行動は収まりません。 政府側が軍を投入して鎮圧を図ると、市民も武装して対抗するようになりました。 さらに、政府軍の大佐だったリヤード・アスアドが離反し、「自由シリア軍」という反政府武装勢力を結成。 兵士たちも次々に合流しました。 「政府」対「市民」という構図から、「政府軍」対「反政府軍」という構図へ発展し、シリア内戦が深刻化していったのです。 内戦が始まってから8年が経った、2019年3月15日に発表されたイギリスの監視団体の報告によると、シリア内戦による死者は約37万人、難民は約1300万人にのぼると考えられています。 内戦前の人口が約2250万人だったので、実に約6割の人が難民になっている計算。 その後も犠牲者の数は刻々と増加しているのが現実です。 シリアの正式名は、「シリア・アラブ共和国」。 1946年にフランスから独立する形で建国されました。 北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルがあり、国境を接しています。 国民の90%はアラブ人が占め、クルド人が8%、その他はアルメニア人やギリシア人、アッシリア人、北コーカサス系民族、南トルコ系民族などで構成される多民族国家です。 イスラム教スンニ派がもっとも多く人口の約70%を占め、その他はアラウィー派などイスラム教他宗派が約20%、キリスト教系のシリア正教会などが約10%、その他少数ながらヤジディ教などの信者がいます。 シリアは1963年からバアス党の独裁政権が統治してきた国です。 前年の1962年に出された非常事態宣言の効力が継続しています。 1970年以降はハーフィズ・アル=アサド、バッシャール・アル=アサドという親子2代が大統領となり、表現・結社・集会などの自由が制限され、人権に関して「世界最悪の部類」といわれる状況でした。 ハーフィズは、シリアにおいて少数派であるアラウィー派。 貧困家庭の9番目の子どもとして生まれ、16歳でバアス党に入党しました。 ソビエト連邦で訓練を受け、シリア空軍の軍人となります。 国防相や空軍司令官を歴任し、1970年のクーデターで政権を掌握。 大統領となった人物です。 息子のバッシャールは、ダマスカス大学の医学部を卒業し、軍医として働いた後、ロンドンに留学。 この時に、後に妻となるアスマーと出会いました。 アスマーはイギリスで育ったスンニ派シリア人です。 もともとはバッシャールの兄で軍人だったバースィルが後継者になると予想されていました。 バッシャール自身はさほど政治に興味がなかったそうです。 しかしバースィルが交通事故で亡くなったため、急遽帰国。 軍に入隊して立て続けに昇進し、2000年に父のハーフィズが亡くなると大統領に就任しました。 少数派であるアラウィー派のアサド家は、多数派であるスンニ派の反乱を抑えるため、バッシャールの弟のマーヘルを、大統領の身辺を守る「共和国防衛隊」や、陸軍の精鋭部隊「第四機甲師団」の指揮官に任命。 さらに義兄のアースィフ・シャウカトを陸軍参謀副長にするなど、治安部隊や軍を身内で固めました。 アサド家が少数派出身であること、バッシャールが父や兄と異なり軍歴や政治経験がなかったことは、シリア内戦が激化した大きな要因だと考えられています。 彼の政治基盤は決して盤石なものとはいえず、政権を維持するために、弱腰と見られないようあえて毅然とした態度をとる必要があったのでしょう。 シリア内戦は代理戦争に。 参加国の構図は? 「政府」対「市民」から、「政府軍」対「反政府軍」に形を変えていったシリア内戦。 しかし現在は、そこに大国の思惑が絡みあう複雑な代理戦争にまで発展しています。 では、シリア内戦に関わっている主な勢力と、その背後にいる国を確認していきましょう。 政府軍 バッシャール大統領が率いる政府軍を主に支援しているのはロシアです。 両国はソ連時代から友好関係を築いていて、ソ連が崩壊した後も、地中海沿岸のタルトゥース港をロシア海軍が補給拠点とし、駐留してきました。 シリア内戦が開戦してからも、ロシアは一貫して政府側を支援し、2015年9月以降は直接的な軍事介入もしています。 これによって中東における主導権をアメリカから奪い、影響力の増大を目論んでいると考えられています。 政府軍側にはそのほか、パレスチナの「パレスチナ解放人民戦線総司令部」、イラクの「マフディー軍」、イエメンの「フーシ派」、レバノンの「ヒズボラ」など中東各国を拠点とする武装勢力が参戦。 これらの組織はいずれも、イランの影響下にあると考えられる武装組織です。 イランはイスラム教シーア派の盟主であり、反米・反イスラエル・反スンニ派などシリアと共通点も多いです。 1980年代に起きた「イラン・イラク戦争」では、中東諸国の中で唯一シリアだけがイランを支援したという歴史もあります。 イランはシリア内戦に、影響下の武装組織だけでなく、イランの正規軍である「イスラム革命防衛隊」や民兵組織「バスィージ」も投入し、政府軍を支援しているそうです。 政府軍がこれだけの長期戦を持ちこたえている理由は、このようにロシアやイランから援助を受けているからだといえるでしょう。 また政府軍は、北朝鮮、イラク、ベラルーシ、エジプトなどから武器援助を受け、ベネズエラ、アンゴラ、中国からも間接的な支援を受けています。 反政府軍 代表的な勢力と考えられているのが、先述した「自由シリア軍」です。 政府軍から離反した兵士を中心に組織されていて、アメリカ、サウジアラビア、トルコなどから支援を受けています。 しかしアメリカは、シリア国民の多くにとって敵であるイスラエルの友好国。 憎悪の対象であることに変わりはなく、アメリカの支援を受ける自由シリア軍の人気は、決して高くはありません。 また自由シリア軍が、アルカイダ系のアル=ヌスラ戦線や、ムスリム同胞団などのイスラム過激派組織とも同盟を結んでいるので、アメリカとしても武器の流出を懸念して支援がしづらい状況にあり、徐々に弱体化が進んでいます。 ISIL(イスラム国) 小さな勢力まで含めると際限がないといわれるほど乱立しているイスラム教スンニ派。 そんななか、アブー・バクル・アル=バグダーディーのもとでイスラム国家の樹立を求め、台頭したのがISILです。 シリア領内の都市ラッカを制圧し、最盛期の2014年には、シリアとイラクにまたがって日本の国土面積にも近い約30万平方キロメートルを支配していました。 彼らが台頭したことによって、シリア内戦はISILの打倒が中心的な課題となる新局面を迎えます。 この戦いでは、アメリカがクルド人系の組織を支援しました。 シリアでは自治政府の軍事部門であるクルド人民防衛隊を援助。 またイラクでは自治政府の軍事組織を援助しています。 しかしクルド系の組織が支援されたことは、その影響が国内の独立派に波及することを警戒するトルコを刺激。 トルコの軍事介入を招いてしまうのです。 2018年12月にアメリカがシリアからの撤退を発表すると、クルド人民防衛隊はトルコに対抗するために、敵だったシリア政府軍との関係を親密化させています。 このように、アメリカやロシアなどの超大国だけでなく、イランやサウジアラビア、トルコなど中東地域の思惑が絡むシリア内戦。 同盟関係も頻繁に入れ替わり、文字通り「昨日の友は今日の敵」の状態に陥っているといえるでしょう。 シリア内戦と難民問題 2019年3月時点で、約1300万人の難民が出たシリア内戦。 そのうち約560万人が国外に脱出したと考えられています。 しかし国外に逃れるための安全なルートがあるわけではなく、粗末な船にすし詰め状態になって海を渡らざるを得ないのが現状です。 船が転覆し、大勢の犠牲者が出ることも頻繁にあります。 難民の多くは周辺国に逃れ、トルコは約350万人、レバノンは約100万人、ヨルダンは約67万人、イラクは約25万人、エジプトは約13万人を受け入れています。 しかしこれら受け入れ国も決して豊かではなく、難民を抱えることが大きな経済負担になっているのです。 その一方で先進国では、失業率の増加や治安の悪化を理由に、難民の受け入れに難色を示す世論が強くなっています。 受け入れを示した政権が倒れたり、極右政党が台頭したりする例も増えているのです。 しかしそれでもドイツを中心とする各国が、これまでに100万人以上の難民を受け入れてきました。 ドイツは約53万人、アメリカは約1万8000人を受け入れています。 しかし世界第3位の経済大国であるはずの日本は、わずか十数人にとどまっているのです。 日本国内では、独裁者は「悪」、民衆は「善」という構図で報道されることが多く、なぜ政府軍に協力する国があるのかわかりづらくなっています。 しかし実際には、複雑な国際関係や民族、宗教などが絡みあい、単純な善悪論で語れるようなものではありません。 だからこそ、解決がより困難になっているのです。 2019年にISILがほぼ打倒されたことで、シリア内戦そのものが終わったかのような印象も見受けられますが、あくまでも無数にある糸のうちの1本を切ったに過ぎません。 本書はそんな複雑なシリア内戦について、建国や開戦前の歴史にも触れつつ、わかりやすく推移を解説した作品です。 流れを知るだけでなく、解決するためにはどのような道筋があるのか、それがどれだけ難しいことなのかを考えるきっかけになるでしょう。 シリア内戦中に人々を救った秘密の図書館 ダマスカス近郊のダラヤは、シリア内戦のきっかけとなった暴動が起きた町のひとつです。 内戦が激化する2015年には、政府軍に包囲され、爆弾が降り注いでいました。 本書は、死の恐怖や飢餓に直面しながらも、瓦礫の下から本を集め、秘密の図書館を作りあげた人々のノンフィクションです。 この活動に携わった若者たちは、内戦が終わったら返却できるようにと、集めた本の1ページ目に持ち主の名前を書いていました。 本を読むという行為は、絶望的な状況下での希望となり、癒しとなり、多くの人々を救ったでしょう。 残念ながら政府軍によって破壊されてしまいますが、その後は巡回図書館という形で志が引き継がれているそうです。 生まれ育った町が壊され、愛する人が爆撃で吹き飛ばされる日々のなかに、一筋の光を見出させてくれる話です。

次の

シリア内戦の原因・現状は?難民の人々が必要としている支援とは

シリア 宗教

Contents• シリアの空爆の声明 シリアで起きている内戦は、先日、アメリカ・イギリス・フランス共同による爆撃が起きました。 この、爆撃の原因とされるのは、シリア政府による化学兵器使用(状況証拠による)に対する、牽制を含めたものです。 アメリカは、この空爆でシリアの化学兵器の施設の破壊できたと声明を出しました。 これに対して、アサド政権は、空爆されたのは「がん研究所施設だ」と反論の声明を出しています。 スポンサーリンク アサド政権の内戦の理由 めちゃくちゃ簡単に言うと、 宗教戦争です。 シーア派vs スンニ派の対立 が始まりです。 アサド政権はのシーア派は約1割(政府軍) VS シリア国民のスンニ派は7割(国民派) の対立でした。 ですが、ここに上の図の様に、様々な国が関わっています。 アサド政権は独裁制です。 前大統領もアサドです。 同じ家系ですから「アサド」でもおかしくはありませんが・・・。 この前大統領が、軍事による国内の内戦を抑えていました。 これが、シリア内戦の理由です。 今の大統領は、前大統領の次男です。 本来、大統領となるはずだった、長男が死亡した為に、 次男である バッシャールが、継ぎました。 バッシャール は、温厚な性格であったと言われていますが、先代のアサド政権で多くの敵を作ってしまった為に、結果と都と同じ道を歩んでしまいます。 更に、ここに、イスラム国が加わりややこしくしています。 シリアは代理戦争の形をとってしまった 残念なことに、シリア戦争は、 代理戦争という形になってしまいました。 アサド政権の後ろに、ロシア・イランが付き、国民の反勢力には欧米が付いてしまい、国内だけでの問題で済まなくなってしまったのです。 このままでは、内戦が長引くだけでしょう。 シーア派(宗教)とスンニ派(宗教) イスラームの基本信仰箇条である「アッラーの他に神は無し」「ムハンマドはアッラーの使徒なり」については同じです。 簡単に言うと、預言者の後継者(=後世の指導者)の資格についての考えの違いから、イスラーム史の比較的初期のうちに分かれました。 スンニー派は血統による世襲にこだわらなかった主流 シーハ派は預言者(ムハンマド)の血を引く子孫に特別の資格があると考えた少数派 という、宗教観の違いが千年も続いてきています。 この間に、両者の戒律や慣行などにも違いが出てきています。 この違いが、宗教戦争が始まっています。 根本的な違いがある為に両者の歩み寄りは難しいと、言わざると言えません。 更に拍車をかける様に、利害関係が絡んだ国家が後ろ盾していますから、余計に悪くしています。 最後のまとめとして 過去にも宗教戦争は、たくさんありました。 同じ、宗教でも根本的なものの中で、些細な事が時間が経つことで大きくなり戦争になってしまっています。 乱暴な言い方をすると、両者とも自分が正しいと思っているからのケンカが、個人でなく組織になってしまっている為、戦争という形になっています。 日本は、不思議な国で宗教戦争とは無縁です。 なんでも受け入れ、自分たちの物として取り入れる土壌があったからかも知れません。 スポンサーリンク.

次の

0知識から「シリア内戦」をわかりやすくまとめる

シリア 宗教

1 政体 共和制 2 元首 バッシャール・アル・アサド大統領(2000年7月就任、2007年5月再任、2014年6月3選、任期7年) 3 議会 一院制(250議席 2016年4月選挙、任期4年) 4 政府 (1)首相 イマード・ハミース(2016年7月就任) (2)外相 ワリード・アル・ムアッリム(2006年2月就任) 5 内政 1970年以来シリア大統領職にあったハーフェズ・アサド大統領は、国内少数派(アラウィー派)の出身ながら、巧みな政治手腕(多数派スンニー派の掌握)により長期安定政権を維持したが、2000年6月10日に69歳で死去。 その後は、次男バッシャール(長男バーセルは事故死)に政権が平和裡に移譲された。 共和政体下にあるものの、実質はバアス党による一党支配。 政権の課題は、中東和平及び経済面を中心とした改革の推進であったが、2011年3月中旬以降、各地で反政府デモが発生し、さらに反政府勢力に過激派武装勢力なども参加し、当局との間で暴力的衝突に発展した。 その結果、2016年6月現在、全土で約25万人の死者、約650万人の国内避難民が発生し、周辺諸国に約480万人の難民が流出(国連)。 1 全般 中東和平問題等中東情勢の鍵を握る重要な立場にったが、2005年2月のハリーリ・レバノン元首相の暗殺事件以来、米仏による対シリア圧力が強まり、国際社会において孤立してきた。 2008年以降徐々に欧米諸国との対話が開始され、孤立からの脱却が図られていたものの、2011年3月以降の反政府デモに対する当局の弾圧に対して、欧米諸国などは、シリアに対する経済制裁措置を累次に亘り講じてきている。 2013年8月のシリアにおける化学兵器使用を巡る問題を受け、シリアは9月に化学兵器禁止条約への加入書を寄託し(10月に発効)、また、9月に採択されたシリアの化学兵器廃棄に関する化学兵器禁止機関(OPCW)の決定及び国連安保理決議2118号の下で、現在、化学兵器廃棄のプロセスが進行中。 2016年1月以降、シリア危機の政治的解決に向けて、ジュネーブにおいて国連の下で断続的に実施されている反体制派との協議(シリア人対話( Intra-Syrian talks))に参加している。 2 対イスラエル イスラエルとは、過去3回の中東戦争を経験。 現在もイスラエルとは対立状態にあり、ゴラン高原を占領された状態。 シリアは1991年のマドリッド中東和平会議後、和平を「戦略的な選択」と規定し、安保理決議242及び338、並びにマドリッド和平会議の諸原則に基づく和平の達成(「土地と和平の交換」)を主張。 1994年末以来、数回の断絶を挟んでイスラエル政府との間で和平交渉を行ってきたが、2000年3月のジュネーブでのアサド大統領・クリントン米大統領の会談以後、交渉は暗礁に乗り上げている。 2008年5月にシリア及びイスラエル双方が、トルコの仲介により和平交渉を再開したことを発表して以来、これまで4回の間接交渉を行ってきたが、2008年末のイスラエルによるガザ攻撃のため交渉は中断されている。 3 対米 米は、シリアによるヒズボラやパレスチナ過激派支援などを理由に、シリアをテロ支援国リストに掲載している。 特に2003年3月の対イラク武力行使にシリアが一貫して反対したことで、米との関係は悪化。 2005年2月のハリーリ・元レバノン首相暗殺事件の翌日、米は在シリア大使を本国に召還。 米は、2004年5月以降、国内法「シリア問責法」などに伴う対シリア制裁措置(米国製品禁輸、シリア政府所有航空機の米国内離発着の禁止、米金融機関のシリア商業銀行との取引停止)を実施している。 オバマ米政権発足後、米はシリアとの対話を模索する動きを見せ、2009年以降ミッチェル中東和平担当特使やバーンズ国務次官補などの政府高官のシリア訪問が相次いだ。 また、2011年1月、5年ぶりに在シリア米大使が着任し、歩み寄りへの兆しが見られたが、2011年3月以降のシリアにおける反政府デモの広がりを受け、米はシリア当局の弾圧に抗議し、アサド大統領に退陣を要求するとともに、追加的な対シリア制裁措置に関する大統領令を累次に亘り発出。 2013年8月のシリアにおける化学兵器使用を巡る問題については、9月にシリアの化学兵器廃棄に向けて米露で合意し、さらに、米露のイニシアティブにより化学兵器廃棄に関するOPCWの決定及び国連安保理決議2118号が採択される等、米はシリアの化学兵器廃棄に向けて積極的に取り組んでいる。 米は、シリア危機に対する最大のドナー国として、シリア難民・国内避難民、難民受入れ国・社会等に対する支援を積極的に実施している他、露とともに国際シリア支援グループ( International Syria Support Group: ISSG)の共同議長として同危機の政治的解決に向けた取組を主導している。 4 対イラク かつてシリアとイラクは、ともにバアス党政権を戴く対イスラエル強硬派としてアラブ世界内の主導権争いを演じ、イラン・イラク戦争を契機に1980年に両国間の国交を断絶した。 しかし、2003年のイラク戦争終了後、シリアは、米のイラク占領には正統性がないとして、主権のイラクへの移譲、選挙による正統政府の樹立、外国軍の撤退を訴え、また、国連やシリアを始めとした周辺諸国の役割を強調してきた。 2004年6月のイラク暫定政権成立以降、シリアは同政権との協力に前向きな姿勢を示し、両国の懸案となっている国境管理問題やイラク資産返還問題につき協議を行ってきた結果、06年11月、断絶していたイラクとの外交関係を四半世紀ぶりに再開した。 2009年8月、バグダッドの官公庁を標的とした大規模なテロ事件が発生。 イラク政府がテロ事件に関与した者の引き渡しをシリアに要求したのに対し、シリアは証拠不十分を理由に引き渡しを拒否したことで双方が駐在大使を召還する事態に発展したものの、ハーシミ副大統領などのイラク政府高官や宗教指導者などのシリア訪問は続いた(その後、2010年9月に両国外相間で大使の復帰が合意)。 なお、シリア情勢の悪化を受け、2016年6月現在、約25万人のシリア難民がイラクに流出している。 5 対レバノン シリアは、歴史的経緯からレバノンを特別の同胞国とみなし、1990年のレバノン内戦終結後、推定約1万4千人の軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきた。 その間、レバノン自体も親シリアの政体によって統治されてきたが、2005年2月にハリーリ元首相が暗殺されると、脱シリア支配が国内で声高に叫ばれ、米仏を中心とする国際的な圧力もあって、シリアは2005年4月に軍をレバノンから撤退させた。 その後、2008年10月にシリアとレバノンは外交関係樹立を宣言する共同声明に調印し、関係正常化を実現した。 なお、シリア情勢の悪化を受け、2016年6月現在、約105万人のシリア難民がレバノンに流出している。 6 対周辺国 シリアは、レバノン情勢、パレスチナ過激派との関係、イランとの関係などで周辺のアラブ諸国、とりわけサウジアラビア、エジプト、ヨルダンと関係が芳しくない状態が続いてきた。 これに対し、イランとは戦略的関係と位置づけて関係を強化し、アサド大統領及びアフマディネジャード・イラン大統領(当時)の相互往来などを活発化した。 2009年に入ってからは、サウジアラビアの呼びかけによりアラブ諸国の和解に向けた動きが進み始め、また、トルコとの関係はFTA締結を含め経済関係を中心に良好であった他、トルコの仲介によってイスラエルとの和平間接交渉を行ってきた(現在中断中)。 しかしながら、2011年3月以降のシリア情勢の悪化により、周辺国との関係も変化。 特にシリア反体制派を支援するトルコや湾岸諸国との関係は極めて悪化。 また、2016年6月現在、周辺諸国に約480万人のシリア難民が流出。 7 対欧州諸国 欧州諸国は、1995年のバルセロナ会議に始まるEU・地中海諸国会議を通じて、シリアとの関係強化のモメンタムを強めた背景もあり、米とは一線を画して主に経済面での協力を進めてきた。 特に2003年夏以降、米・シリア関係の悪化とシリアのEU重視の姿勢が相まって、シリア・EU連合協定締結交渉が加速化した。 仏はシリアの旧宗主国であり、シリアとの政治的・経済的関係は他の欧州諸国のそれに比べて特に強い。 2011年3月以降のシリアにおける反政府デモを受け、当局の弾圧に抗議し、EUは対シリア制裁措置を累次に亘り実施。 EUは、シリア難民を含む大量の難民・移民の流入に直面しているが、他方、シリア難民・国内避難民、難民受入れ国・社会等に対する支援を積極的に実施している。 1 軍事力 (1)予算 18億9,000万ドル(ミリタリーバランス 2011年) (2)兵力 17万8,000人(うち陸軍11万人、海軍5,000人、空軍・防空軍6. 3万人) 予備役兵 31万4,000人 兵役 徴兵制度 30カ月 (以上、ミリタリーバランス 2013年) 2 国防戦略(シリア危機発生以前の状況) 限られた財政事情の中で、イスラエルの潜在的な攻撃に対する防衛能力を維持するとともに、戦略兵器を保持することにより、対イスラエル抑止力の保持に努めてきたと見られる。 シリア軍は、対イスラエル防衛のため、ゴラン高原の防衛陣地に一部の部隊を配置するとともに、ダマスカス周辺に多くの部隊を配置してきた。 1 主要産業 石油生産業、繊維業、食品加工業 2 GDP 737億ドル(一人当たり 3,289ドル)(2012年世銀) 3 GDP成長率 -2. 3%(2011年 CIA The World Factbook) 4 インフレ率 37%(2012年 CIA The World Factbook) 5 失業率 18%(2012年 CIA The World Factbook) 6 貿易 (1)輸出 113億ドル(2010年 UN data) 主要輸出品:石油・石油製品、繊維製品、果物・野菜 主要輸出先:イラク、イタリア、ドイツ (2)輸入 175億ドル 主要輸入品:金属・金属製品、機械類、自動車等の輸送機材、化学製品 主要輸入元:トルコ、中国、イタリア 7 為替レート シリア・ポンド 1ドル=140シリア・ポンド(公定レート)(2013年11月19日 シリア中央銀行) 8 経済概況• (1)基本的には社会主義的計画経済を維持しながらも、近年は民間資本の導入と規制緩和を中心とした経済政策を採用するなど市場経済への移行努力を続け4~5%の経済成長率を記録し、湾岸諸国や新興国からの投資が増加していた。 (2)2011年3月以降、シリア当局の反政府デモに対する弾圧と暴力に対して、欧米諸国が石油の禁輸措置などを含む経済制裁措置を実施。 観光業などの打撃もあり、経済情勢は著しく悪化。 1 政治関係 年月 略史 1953年12月 国交樹立 1954年6月 在シリア公使館開設 1958年3月 在ダマスカス総領事館開設(エジプトとの合邦のため公使館廃止) 1962年4月 在シリア大使館となる。 (エジプトの合邦から分離独立) 1978年12月 在日シリア大使館開設 2 経済関係 対日貿易(2012年財務省貿易統計) 輸出 2. 1億円 輸入 90. 3億円(自動車、一般機械等) 3 文化関係 シリアには、日本語教育機関としてダマスカス大学人文学部日本語学科、ダマスカス大学高等言語学院日本語科、アレッポ大学学術交流日本センターがある。

次の