瓜田 純 士 関東 連合。 怖すぎ…!関東連合トップ・見立真一の暴力伝説

内藤裕(ないとうゆたか)

瓜田 純 士 関東 連合

松嶋クロス(松嶋重)といえば見立真一に次ぐ関東連合のナンバー2だった者として知られている。 しかし関東連合の他のメンバーと異なり、松嶋クロスは腕力で抜きんでていたわけでもなく、その喧嘩の仕方や立ち振る舞いは独特だった。 彼は腕力よりも知恵を使う不良だった。 むやみに喧嘩に加わらない。 作戦を考えて、暴力は他の人間にふるわせる。 知略で相手を攻め落とす、頭と要領の良い人だった。 引用:瓜田純士『遺書』 松嶋は腕力が重視される不良の世界でどのように立ち振る舞ったのか。 不良の後輩として少年時代をともに過ごした瓜田純士の『遺書』の記述などから、松嶋クロスの若かりし日の喧嘩・抗争のエピソードをまとめてみた。 松嶋クロス 松嶋重 のエピソード 初対面の時の松嶋クロス 松嶋クロスと瓜田純士の関係性とは、松嶋は昭和53年生まれ、瓜田純士は昭和54年生まれで一学年下だった。 そのために瓜田にとって松嶋は、不良の先輩として初めて憧れた人だったという。 二人の付き合いは、瓜田のあまりの凶暴さに新宿から杉並の区立高南中学校に転校させられたことに始まる。 そこで瓜田は松嶋に一風変わった方法でアップをかまされている。 学校に行くと「おいっす」と、ひとりの生徒が教室に入ってきた。 ハイパーリーゼントの学ラン姿。 パッと見て不良だとわかった。 周りの同級生たちが異様にびびっている。 引用:瓜田純士『遺書』 COOLのタバコを手にした松嶋は瓜田に挨拶すると、隣の席から鉛筆をとってさらさらと英語の筆記体で文字を書いた。 それは瓜田の記憶によると、「ロックな生き方をしようぜ」みたいな意味だったという。 なんだかんだ言って、当時の僕はまだ中学一年生。 そんな僕にとって、COOLのタバコ、英語の筆記体、ROCKな生き方、すべてがかっこ良く見えた。 引用:瓜田純士『遺書』 中学時代の松嶋重と瓜田純士 左が松嶋重(クロス):右が瓜田純士 「そんなことをしたら焼き肉屋がかわいそう」 『遺書』のこの件(くだり)は何度読んでも笑ってしまう。 その頃、松嶋と瓜田は、松嶋と同学年の「レイチェル」という男と組んで、カツアゲ・恐喝を行うようになった。 松嶋が品定めをして、「こいつはいける」と思った奴にゴーサインを出し、瓜田とレイチェルが通りの裏に連れていき、ボコボコにして金を巻き上げる。 しかし松嶋は「俺は一番重要な見張りという役をする」と言って去ってしまい、暴行に加わることはけしてなかった。 しかも終わった後、「金は俺が管理する」といってすべて取り上げてしまう。 瓜田たちの報酬はたまに奢ってもらえる焼肉だけだったという。 それでも瓜田は松嶋を尊敬していたので文句は言わなかった。 しかしある時、松嶋に二人が焼肉を奢ってもらっていたところ、松嶋と同学年のレイチェルが堪忍袋を切らして詰め寄ったことがあった。 「おいM嶋、ここの焼き肉代をおまえが払ってくれるのはうれしいよ。 だけど、今までのカツアゲの分け前は、これじゃ全然足りないだろ」 「金はおれが管理することになってんだろ」 「そういうのはいいんだよ。 とにかく、おれと純士は、いま食った焼き肉があたったみたいだ。 店から慰謝料50万円、たまにはおまえが自分でとってこいよ」とふっかけた。 するとM嶋(注:松嶋のこと)くんは真面目な口調で、「レイチェル、それは人間としてやっちゃいけないことだぞ。 こんな焼き肉屋から50万円カツアゲとか、かわいそうすぎるだろう。 この店、潰れるかもしれないぞ」と諭した。 レイチェルくんは僕に「こいつこそ人間終わってんな……」と耳打ちした。 僕は苦笑いするしかなかった。 引用:瓜田純士『遺書』 喧嘩では最後にコーヒーを奢り、一発だけ殴る 松嶋が3年、瓜田が2年の時、松嶋と瓜田は他の中学に乗り込み、片っ端から潰していった。 瓜田が相手をボコボコにし、服をひんむいて座らせる。 松嶋はそれには参加せず、缶コーヒーを買ってきて、「おまえら、1コ下の瓜田にボコられたんだから、杉並を偉そうに歩けないよな。 おれが高南中の松嶋だ、今後逆らうなよ」と言って一発だけ殴る、というのがお決まりのパターンだったという。 なんでコーヒーをおごるのかと訊くと、シメた後に優しくしておけば警察に駆け込まれないで済むからだという。 よくそんなところまで頭を回るなぁと思った。 M嶋くんには「純士、おれが一番重要な役割をやってるんだからな。 おれに感謝しろよ」と何度も言われた。 僕にはとうてい思いつかない作戦だったので、たしかにそうだったのかもしれない。 引用:瓜田純士『遺書』 東田中学グループから敵前逃亡、ボコボコにされる 松嶋・瓜田たち高南中に対し、後に関東連合の中心となった昭和53年世代のメンバーは、杉並区立の東田中学校に固まっていた。 松嶋・瓜田らの高南中に、(既に東田中の不良の中心だった見立真一を抜きだったものの)この東田中を先頭にした3つの中学の混成グループが攻め込んできた時、松嶋がバックレてしまったというエピソードがある。 攻め込んできた東田中の不良たちは金属バットや鉄パイプで武装し、さらにはハイパーリーゼント・スキンヘッド・防塵マスクなど、漫画『ビー・バップ・ハイスクール』さながらだったという。 この時、彼等はすぐに松嶋クロスを発見すると、その東田中グループの中にいた(見立真一と同世代で後に六本木の事件に関わった)「カンジくん」こと佐藤幹二(後に小池幹二)が、松嶋のピアスを見ながら「てめえ、耳に良いものぶら下げてるな」と凄み、さらには「口にも穴開けてホッチキスで閉じてやろうか」と言ったらしい。 ところが松嶋は「やれるもんならやってみろよ、だがちょっと待てその前に靴を取ってくるからよ」と言ってどこかに行ってしまう。 やっぱり。 大勢で乗り込まれて勝ち目がない場面で、彼が正面からやりあうわけがない。 引用:瓜田純士『遺書』 しかも、不良ではなかったが、当時一番高南中で喧嘩が強いとされていた野球部のXに「X 、あとは頼む」と言って去っていったという。 その「X」は「ひとりずつぶん殴ってやるからアゴ出せ!」と一喝して怯ませ、「見立を呼んで来いよ!」と東田中グループを威圧、そこに警察が到着して東田中グループは連行されてしまった。 こうして、とりあえず襲撃は退けられたのだけれど、怒りがおさまらないのはXくんだ。 敵前逃亡をはかったM嶋くんは、後日Xくんに呼び出されてボコボコにされてしまった。 引用:瓜田純士『遺書』 そこで松嶋はあらためて見立と対決して「ケジメをとる」ことになる。 見立真一に完全に呑まれるも、 永福町ブラックエンペラーの副総長になる Xと見立は同じ小学校の同じ野球部だったらしく、松嶋は真面目だったころの見立を知っているXに、「見立なんて大したことない。 松嶋なら勝てる」と言われ、ハッパをかけられる。 そこで松嶋・瓜田はさっそく見立真一を襲撃する段取りを立てた。 二人が見立を襲撃するつもりで向かったのは、見立の地元・阿佐ヶ谷にあるパールセンター商店街だった。 この時も松嶋は、見立と一対一の場合、見立と仲間が一緒にいた場合、など色々なパターンを想定してシミュレーションをして瓜田と打ち合わせて、松嶋を尊敬してる瓜田はまたそれに感心する。 深夜0時ごろ、パールセンター商店街に着く。 すると閑散とした商店街で、はるか遠くに見立真一の姿が見え、それがぐんぐん近づいてくる。 生の見立の迫力に圧倒された二人に、すっとぼけた見立が「どちらさん?」という第一声を発した。 M嶋くんは「高南中のM嶋だよ。 知ってるだろ」とすごんだけど、見立くんはまったく怯まなかった。 僕は逆に、M嶋くんがややビビっているのに気づいた。 引用:瓜田純士『遺書』 しかし瓜田と集まって来た他の見立側の人間が集まり小競り合いを始め、結局見立と松嶋の勝負はうやむやになる。 さらに松嶋たちと見立たちは、そのままカップラーメンの話題で盛り上がるなどして、いつの間にか打ち解けて仲間になってしまった。 やがて見立と松嶋ら3年、瓜田と東田中学の2年という風に、学年ごとで集まって毎日遊ぶようになる。 そして21代目以降休止していた永福町ブラックエンペラーを復活し、見立真一が総長になった時、松嶋は副総長、国田正春(愛称:チャッピー)は特攻隊長、佐藤幹二(後に小池幹二、愛称:カンジ)は役職なしで参加していることから、仲間になった東田中たちのグループの中でもすぐに地位を確立したということが分かる。 瓜田たち後輩をイラプション・BAD-Gにぶつける そんな風に松嶋は、けして腕力が秀でていなくとも他の不良と渡り合い、認めさせる術に長けていた。 見立が傷害で施設に入っていた時期に、チーマーのイラプションやBAD-Gが幅を利かせ、邪魔になってきたときにも、自分で行かずに瓜田たちを利用してうまく潰している。 その頃、瓜田は見立真一にシャレで「ワキガ王子」というあだ名をつけたことで11時間にも及ぶヤキを入れられたためにバックレていた。 松嶋はそれを利用して、ある日突然瓜田を呼び出して、バックレの件はパイ(チャラ)にするという条件でイラプションやBAD-Gを潰すように命じた。 瓜田はバックレをなかったことにしてやるというので、張り切ってこの仕事をした。 もし僕が負けてもM嶋くんのメンツは傷つかないし、「瓜田にそのエサをちらつかせたら死ぬ気でやるはず」とふんだのだと思う。 彼の戦略に、僕はまんまとはまったのだ。 M嶋くんは最後に、「頑張れよ」と言ってくれた。 僕は絶対にイラプションとBAD-Gをたたき潰すと決めた。 引用:瓜田純士『遺書』 この時のイラプション・BAD-Gに対する抗争は、瓜田自身の奮闘や木村兄弟の兄・木村泰一郎(たいいちろう)が仲間に加わって活躍したこともあり勝っている。 しかし瓜田はこの時、抗争に勝ったものの最後のタイマンで自分が出て決着をつけなかった(最終的に木村泰一郎がイラプションの頭をタイマンで潰した)ことなどから、抗争に勝ったのに松嶋や同い年の柴田大輔にヤキをもらい、最後に「ヤキありがとうございました」と言う羽目になるなど、散々な目に合っている。 結局、松嶋は自ら汗をかくことなく、まんまとイラプション・BAD-Gを潰すという狙った通りの結果を得ることができた。 瓜田純士の『遺書』について 例えて言うなら、工藤(柴田)の本が散文的・ジャーナリズム的なら、瓜田の文章は詩的・抒情的という違いがある気がする。 また瓜田には虚言癖があるという噂で、柴田大輔(筆名:工藤明男)などはそれを揶揄して、「自分たちは『遺書』を『うしょ』と呼んでいる」などと言っている。 それで『遺書』にも嘘が書いてあるのではと警戒する向きもあるかもしれないが、読後感でそういう嫌な印象は残らない。 そして虚言癖の噂の割には、具体的に「『遺書』の~~の部分は事実と違う」というはっきりした断定はあまり聞こえてこないから、瓜田には自分をよく見せようとカッコつけている部分はあるかもしれないが、少なくとも『遺書』中に露骨な嘘はついていないのではないかと思う。 関東連合やその周辺人物に強い味のある人からすれば、『遺書』は確実に面白く感じるように仕上がっているので、食わず嫌いしている人は読んでみるといいかもしれない。

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瓜田純士と石元太一の対立|所沢のタイソンの拉致にワンターレンが?

瓜田 純 士 関東 連合

『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』瓜田純士/太田出版2010年頃から表社会でもメジャーになった関東連合。 今年4月、彼らを10代からよく知る人物によるノンフィクションが刊行された。 「THE OUTSIDER」にも出場し、JOYの姉を脅迫したとして逮捕されたこともある有名アウトロー、瓜田純士。 彼から見た「六本木フラワー事件」の原因は「地元の先輩たち」と「親友」との抗争にある。 関東連合が対立しているこの兄弟についての情報は、現時点で最も本書が詳しい。 前半はリアル不良漫画の中学時代。 抗争が激化する後半の展開は一転して息苦しい。 葛藤と後悔が滲み出ている。 なお印税は全額、犯罪被害者遺族支援のために寄付するとのこと。 暴力が人を従わせる絶対的な力であることを、男は、10代で学んだ。 男には、チーマーとの喧嘩のなかで仲間となった「親友」がいた。 中学校のときに世話になった「地元の先輩たち」は、次第に闇社会で影響力を持つようになった。 17歳のとき、男はヤクザになった。 刑務所にも入れられた。 シャバに戻ると、「地元の先輩たち」は「親友」を本格的に潰そうとしていた。 結果、無関係の男性が殺されてしまった。 男は後悔した。 こんなことになる前に、両者を繋ぐことができたかもしれない、と。 今、自分が知るすべてを明かすことで、憎しみの連鎖を終わらせたい。 男は一冊の本を書いた。 それがである。 著者の瓜田純士は、傷害、脅迫など、数々の事件に関わってきたアウトロー。 2013年10月にも路上で刺されており、重傷を負っている。 2012年9月、東京・六本木のクラブ「フラワー」。 「関東連合」の関係者らが、飲食を経営する一般男性を「人違い」で襲撃し、金属バットなどで撲殺するという事件が起きた。 2014年4月までに、本件に関わったとされる15名が逮捕。 2013年の一審判決で、うち9名が傷害致死などの罪で懲役8年から15年と告げられた。 (4月22日の控訴審判決で3名の被告にそれぞれ2年の減軽/『読売新聞』同日夕刊) 組織のトップであり事件の首謀格とされる見立真一容疑者は、現在も海外に潜伏中と見られている。

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瓜田純士

瓜田 純 士 関東 連合

活動期間 3月4日 - ジャンル と 登録者数 約6. 4万人 総再生回数 約1983万回 チャンネル登録者数、総再生回数は2020年5月1日時点。 瓜田 純士(うりた じゅんし 、 - )は、の。 少年の頃より東京都内では有名な不良であり、10代の頃から10年間に渡りに所属していた。 それらの過去から『アウトローのカリスマ』、『元アウトローのカリスマ』の異名をもつ。 これまで様々なトラブルを起こしており(後述)、スキャンダラスな人物としても知られ 、「半端じゃない」を意味する「パネェ」を普及させたともいわれている。 2018年4月には、過去に追放となっていた、元プロレスラーのが主催するイベント『』に10年ぶりに参戦。 『』では月一で瓜田のインタビューを掲載中。 来歴 [ ] の花屋に生まれる。 父は「」の2代目総長にあたる瓜田吉寿 (時期は不明だが両親は離婚しており、瓜田は母と暮らしていた)。 小学校当時、すでに不良少年として知られ、中学2年に進級する際にはあまりの素行の悪さから、通っていた新宿区の中学校から内の中学校(高南中学校)へ強制的に転校させられた。 そこで後の「関東連合」のメンバーであるや、「」の主犯格である人物、他には柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男)などと交流をもつ。 その後、17歳で暴力団員となり 、執行猶予期間中の2003年4月に違反(所持及び使用)で逮捕され、3年半の懲役刑となる。 刑務所に服役していた際、5500人が参加した刑務所内の文芸コンクールにて『mother』と題して発表した小説が大賞を獲得。 人生初の「」獲得経験となったこの出来事をきっかけにを志すようになったという。 暴力団は服役中に脱退。 となって出所する。 出所後、作家に転身。 2008年、デビュー作『ドブネズミのバラード』()を発表。 翌2009年には『ピラニア 〜雨の街、俺たちの絆〜』(太田出版)、2010年には3冊目となる『泥だらけのありがとう』()を上梓。 2014年には『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』(太田出版)を発表。 その後も2015年に『國殺 ~国が國を殺している~』(竹書房)、2017年11月には電子書籍にて「熱帯夜」を発表。 2011年からタトゥーナビにて「瓜田純士の僕の心は顔面タトゥー」を不定期連載中。 その他 [ ] 2009年に自身が主演する『ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜』()を全国発売。 同年には音楽イベント「新宿アースダム 〜KING OF TATTOO LIVE〜」に参加している。 地下格闘技参戦 [ ] 2008年 3月30日、前田日明のプロデュースによる格闘技大会「THE OUTSIDER」の旗揚げ大会に『新宿のカリスマ』として出場。 aym-jetと対戦し、aym-jetの負傷によるドクターストップにてTKO勝ち。 7月19日、「THE OUTSIDER 第弐戦」に出場。 大谷匡弘と対戦し、1R28秒レフェリーストップで敗北。 ストップされた後もパニック状態が続き1人で足をバタバタさせていた。 12月26日、地下格闘技イベント「喧王」Zepp Osakaに参戦。 招待戦スペシャルワンマッチでチョコボール金山と対戦し、判定により敗北。 2009年 1月18日、国立代々木第2体育館で開催された興行「」で元認定王者チャンデー・ソーパランタレーと2分2Rのエキシビションマッチを行った。 4月10日、「喧王」2戦目、ジャックナイフ林にKO負け。 2010年 「KICK the ROOTS in 宇都宮」に参戦。 智也と対戦し、1R58秒、KO負け。 2011年 11月6日、地下格闘技イベント「益荒男-MASURAO-第伍陣」に出場。 覆面選手「ミスターX」と対戦。 1ラウンド終了後、休息中のミスターXに攻撃を加え反則行為によりとなる。 2012年 1月15日、地下格闘技イベント「BERSERKER(バーサーカー)」の旗揚げ大会に出場。 この大会における内藤裕との「1分1ラウンド・ノーグローブ・判定ナシ」のをもって、地下格闘技から引退した。 2018年 10年ぶりに前田日明と和解し、4月28日「」に復帰。 「瓜田純士に勝ったら10万円」という企画も付き、ファイナルマッチにて挑戦者と対戦するも、1R2分35秒、TKO負け。 諸騒動 [ ] 自著や自作映画などによれば、として台頭した少年時代から15年間のうちにや使用などで12回もの逮捕歴があるという。 (日刊サイゾー 2012年5月8日のインタビューでは逮捕歴は23回と発言 )かつて参加していた地下格闘技界にあっても、「」から、試合以外での規則違反などから追放処分を受ける等、問題児としてその名を馳せた。 (2018年4月、OUTSIDERを主宰する前田日明と和解。 10年ぶりにOUTSIDERのリングに立った) JOYの姉、脅迫事件(2012年) [ ] 2012年には、モデルでタレントのの姉( )に対し、「家族や事務所ごと潰してやる」「芸能界から消えろ、弟がどうなっても知らないぞ」などと脅迫したとして逮捕されている。 この女性を歌手デビューさせようとして進めていたプロデュース計画が頓挫したことが事件の発端であったという。 当人いわく「つまらない痴話喧嘩」であるとのことで、結局無罪放免となり10日で釈放された。 刺傷被害事件(2013年) [ ] 2013年10月、千葉市内で何者かに腹部などを刺され重傷を負う。 この事件で最初に襲われた内藤裕(地下格闘技引退試合の相手でもあった。 瓜田は内藤を助けようとして刺された)は首などに刺傷を受け、生死の境をさまよったものの、一命を取り留めた。 「関東連合」との関係 [ ] この節のは、 や記事主題の関係者による情報源に頼っています。 とされるが求められています。 ( 2019年9月) 2007年の出所後より、自身のブログ等で「」との繋がりを示す書き込みなどを行っていた。 これは、中学校の時より関東連合の実質的統率者にあたる人物(後の「」の主犯格。 2018年5月現在、全国指名手配中))や実質的ナンバー2である松嶋重ほか、後の関東連合を形成するメンバーと親交があった為である。 また、関東連合系の暴走族「宮前愚連隊」の柴田大輔(偽名・筆名、工藤明男。 』の著者)などの面々とも同様に中学生の頃から交流があった。 松嶋重は杉並区立高南中学校の一年先輩にあたり、同人とともに企てた襲撃をきっかけに知り合う形となったのが近隣の、杉並区立東田中中学校に通っていた「実質的統率者」他、後の関東連合の面々であった。 松嶋と「実質的統率者」両名との親交関係は「」(2012年)の時期まで継続していたという。 松嶋らより三学年下の関東連合元リーダーである、とは過去しばらく抗争状態と言える緊張関係にあった。 石元が当事者として関与した歌舞伎俳優・の暴行被害事件、いわゆる「」に関してテレビ番組『』()に、瓜田はコメンテーターとして出演したことがあり、石元がそれに対して難癖をつけてきたことがその一連の揉め事の始まりであり、その背景は石元の芸能界進出をプロデュースしようとしていた松嶋による画策であったという 『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p. 189。 他にも「六本木クラブ襲撃事件」に関して、2013年、「(自身は)一連の事件とは一切関係ない」と断ったうえで、』と『』の取材を受け、真っ先に実行犯として出頭した2名を名指しで批判し、また、関係人物らの過去の写真を週刊誌メディアに提供してきた者を激しく批判するなどし、 自身のブログにも記事を掲載した。 しかしこの一連の流れについても「松嶋らに利用されてしまった」ものと記している 『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p. 205。 この、「六本木クラブ襲撃事件」は人違いにより起こった事件とされていたが、本来の標的であったとされる人物とその兄である関東連合と長年の抗争関係にあった兄弟については、地元新宿の幼馴染であった。 (10代当時の関東連合周辺で、連合への加入を断わったのはこの兄弟の兄と瓜田だけであった)この兄弟の兄は、10代の一時期には関東連合側として抗争に参加するなどしていたが、その後、兄弟ともに関東連合との関わりを絶ち、関東連合との抗争に突入。 弟はその後、暴力団に加入していった。 「六本木クラブ襲撃事件」のにあたる事件とされる2008年の「西新宿・関東連合関係者撲殺事件」の頃には、兄弟は被害者(「新宿ジャックス」の初代メンバーで当時の関東連合の世話役でもあった)が所属していた「新宿ジャックス」の後輩という立場であったが、関東連合と敵対していた為、関東連合側からは事件への関与が疑われていたという。 同著では、この疑いから「六本木クラブ襲撃事件」が起こったとされている。 瓜田は「西新宿・関東連合関係者撲殺事件」で殺害された人物とも10代の頃から交流があり p. 163-164 事件の2週間後に開催された格闘技大会「」の旗揚げに出場した際、自身の着用していたガウンにを彫り込み、出場。 これは出自がであったその人物への自身なりの餞(はなむけ)であったという 『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』p. 171。 発売作品 [ ] 書籍• ドブネズミのバラード(2008年9月12日・)• ピラニア 〜雨の街、俺たちの絆〜(2009年3月19日・太田出版)• 泥だらけのありがとう アウトローのカリスマ44のメッセージ(2010年8月19日・)• 遺書 〜関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆〜(2014年4月18日・太田出版)• 遺書 〜関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆〜(文庫/2015年10月1日・)• 國殺 ~国が國を殺している~(2015年10月30日・竹書房)• 熱帯夜 2017年11月4日・電子書籍 映画• ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜(2009年・) DVD• History 瓜田純士ドキュメント(2011年・NOTO) 脚注 [ ] [] か• 『』 2012年3月30日• 20 2014年 瓜田純士• 『』 2014年7月26日 『』 -• 『』 2008年7月23日 -• 『』 2013年1月31日• 『』 2010年11月15日• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 99 2014年 瓜田純士• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 139 2014年 瓜田純士• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 138-140 2014年 瓜田純士• 『』 2010年10月4日 -• 『』 2008年3月31日• angle JAPAN 2008年3月31日• 『』 2008年7月20日• angle JAPAN 2008年7月19日• 『』 2011年11月10日• 『』 2012年1月20日• 『』 2012年1月21日• 『』 2012年3月30日• 『』 2013年2月16日• 2012年3月29日 -• 『』 2012年3月29日• 『』 2013年10月9日(2012年3月30日付)• 『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』 p. 188 2014年 瓜田純士• 『』 2013年10月18日• 『』 2013年12月10日• 『』 2013年1月31日 - 外部リンク [ ]• 『』 - 瓜田純士オフィシャルブログ• 『』 - タトゥーナビ• - チャンネル• Junshiurita -• junshi. reiko -•

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