ヨルシカ 夜行 歌詞。 大切な人との別れを表している?ヨルシカ「夜行」を徹底考察!

ヨルシカ 夜行

ヨルシカ 夜行 歌詞

作詞:n-buna 作曲:n-buna 時計が鳴ったからやっと眼を覚ました 昨日の風邪がちょっと嘘みたいだ 出かけようにも、あぁ、予報が雨模様だ どうせ出ないのは夜が明けないから 喉が渇くとか、心が痛いとか、人間の全部が邪魔してるんだよ さよならの速さで顔を上げて いつかやっと夜が明けたら もう目を覚まして。 寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから 傘を出してやっと外に出てみようと決めたはいいけど、靴を捨てたんだっけ 裸足のままなんて度胸もある訳がないや どうでもいいかな 何がしたいんだろう 夕飯はどうしよう 晴れたら外に出よう 人間なんてさ見たくもないけど このままの速さで今日を泳いで 君にやっと手が触れたら もう目を覚まして。 寝ぼけまなこの君を忘れたって覚えているから 丘の前には君がいて随分久しいねって、笑いながら顔を寄せて さぁ、二人で行こうって言うんだ ラップランドの納屋の下 ガムラスタンの古通り 夏草が邪魔をする このままの速さで今日を泳いで 君にやっと手が触れたら もう目を覚まして。 君を忘れた僕を さよならの速さで顔を上げて いつかやっと夜が明けたら もう目を覚まして。 寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから tokei ga na xtu ta kara yatto me wo sa masi ta kinou no kaze ga tyotto uso mitai da de kakeyo u ni mo 、 axa 、 yohou ga amemoyou da douse de nai no ha yoru ga a ke nai kara nodo ga kawa ku toka 、 kokoro ga ita i toka 、 ningen no zenbu ga zyama si teru n da yo sayonara no haya sa de kao wo a ge te ituka yatto yoru ga a ke tara mou me wo sa masi te。 mi te。 ne boke manako no kimi wo nando datte ega i te iru kara kasa wo da si te yatto soto ni de te miyo u to ki me ta ha ii kedo 、 kutu wo su te ta n da kke hadasi no mama nante dokyou mo aru wake ga nai ya doudemo ii kana nani ga si tai n daro u yuuhan ha dou siyo u ha re tara soto ni de yo u ningen nante sa mi taku mo nai kedo konomama no haya sa de kyou wo oyo i de kimi ni yatto te ga hu re tara mou me wo sa masi te。 mi te。 ne boke manako no kimi wo wasu re ta tte obo e te iru kara oka no mae ni ha kimi ga i te zuibun hisa sii ne tte 、 wara i nagara kao wo yo se te sa xa 、 hutari de i ko u tte i u n da rappurando no naya no sita gamu rasu tan no huru doo ri natukusa ga zyama wo suru konomama no haya sa de kyou wo oyo i de kimi ni yatto te ga hu re tara mou me wo sa masi te。 mi te。 kimi wo wasu re ta boku wo sayonara no haya sa de kao wo a ge te ituka yatto yoru ga a ke tara mou me wo sa masi te。 mi te。 ne boke manako no kimi wo nando datte ega i te iru kara.

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【ヨルシカ/夜行】歌詞の意味を徹底解釈!MVもタイトルの意味も全てが深すぎた、、、

ヨルシカ 夜行 歌詞

突如消える少女 少女が突如消えたのに主人公が微動だにもしなかったのは、 はじめから居ない存在だったから。 さらに言うと、1:25からの映像では、二人で並列して歩いている最中、主人公が立ち止まっても君は止まらずに進んでいく。 これは 主人公を置いて逝ったことの暗示なのではないかと。 追憶とは「過ぎ去ったことに思いをはせること」という意味があります。 簡単に言うと 「過去を思い出して懐かしく思うこと」といったところですね。 夜行は大人になること、忘れてしまうこと、死へ向かうことを夜に例えて書いた詩です。 サビの晴る 春 に掛かるのが春の花の一輪草、花言葉は追憶で、この歌は春に咲く花を思い返す夏の歌でもあります。 人生の夜を行こうとする誰かに贈ります。 歌詞 ねぇ、このまま夜が来たら、 僕らどうなるんだろうね 列車にでも乗って行くかい。 僕は何処でもいいかな 君はまだわからないだろうけど、 空も言葉で出来てるんだ そっか、隣町なら着いて行くよ はらはら、はらはら、はらり 晴るる原 君が詠む歌や 一輪草 他には何にもいらないから 波立つ夏原、 涙尽きぬまま泣くや日暮は夕、夕、夕 夏が終わって往くんだね そうなんだね ねぇ、いつか大人になったら、 僕らどう成るんだろうね 何かしたいことはあるのかい。 僕はそれが見たいかな 君は忘れてしまうだろうけど 思い出だけが本当なんだ そっか、道の先なら着いて行くよ さらさら、さらさら、さらさら、さらさら 花風揺られや、一輪草 言葉は何にもいらないから 君立つ夏原、髪は靡くまま、 泣くや雨催い夕、夕、夕 夏が終わって往くんだね そうなんだね そっか、大人になったんだね はらはら、はらはら、はらり 晴るる原 君が詠む歌や 一輪草 他には何にもいらないから 波立つ夏原、 涙尽きぬまま泣くや日暮は夕、夕、夕 夏が終わって往くんだね 僕はここに残るんだね ずっと向こうへ往くんだね そうなんだね 作詞作曲:n-buna 細かく歌詞を見ていきながら解説していきます。 1番 ねぇ、このまま夜が来たら、 僕らどうなるんだろうね 列車にでも乗って行くかい。 僕は何処でもいいかな まずこちらは、少年主人公視点。 僕はどうなるんだろうね ではなく 僕 ら どうなるんだろうね という歌詞であることから 今なお亡くなった君を感じ続けている という情景が読み取れる。 一人になった今でも、無意識に語りかけてしまうのです。 まるで君が近くにいるかのように。 君はまだわからないだろうけど、 空も言葉で出来てるんだ そっか、隣町なら着いて行くよ そしてこちらは少女視点。 もっと具体的に言うと 少女が空から君を見守っている といったところでしょう。 少年は少女の存在を感じて、語りかけていましたが、本当に側で見守っていたのです。 少女は空から「君 少年 」を眺め、 「空も言葉で出来てるんだ」と語りかけている。 これは「空からも言葉を発することができているんだよ 見守ることができているんだよ 」といったニュアンスでしょう。 序盤ながら、肉体的に離れても、心が繋がっている二人に感動しちゃいます… サビ1 はらはら、はらはら、はらり 晴るる原 君が詠む歌や 一輪草 他には何にもいらないから サビの前半と後半でも視点が違うと筆者は解説しています。 まず前半は少女視点。 「他には何にもいらないから」 という言葉は、亡くなった自分を今も引きずってくれている君に対して 「前を向いて良いんだよ」の意を込めて放っているのではないでしょうか。 なぜそう言えるかというと、 君に「一輪草」を貰っているから。 一輪草は「追憶」を意味する。 つまり、ずっと忘れないでいてくれると信じているから、ポジティブに君の背中を押すことができている。 波立つ夏原、 涙尽きぬまま泣くや日暮は夕、夕、夕 夏が終わって往くんだね そうなんだね サビ後半は、少年視点。 日暮れに際して 「夕、夕、夕」とあるが、本当は 「憂、憂、憂」という主人公の心情が隠れているのではないかと考えています。 また 「往く」とは目的地へ向かうことを意味しますが、一般的に多用される「行く」とは違って 「元の場所へ戻ることを前提として、目的地へ向かう」というニュアンスを含みます。 つまりこれは毎年夏が来ることを意味している。 更に言うと、この 「夏が往く」は 「君が逝く」とも掛けられていると解釈することができる。 夏には「お盆」があり、 お盆には亡くなった人たちが浄土から地上に戻ってくると言われています。 毎年帰ってきては逝ってしまう「君」を、夏と掛け合わせているのではないでしょうか。 言葉1つ1つが深い、、、 2番 ねぇ、いつか大人になったら、 僕らどう成るんだろうね 何かしたいことはあるのかい。 僕はそれが見たいかな 君は忘れてしまうだろうけど 思い出だけが本当なんだ そっか、道の先なら着いて行くよ ここからの歌詞がまた面白い。 今まで切り替わってきた「視点」ですが、これ以降は 両者視点で語り合っているように感じる。 そう解釈すると、二人の心情がより心に浸透してくるのです。 まず 何かしたいことはあるのかい。 僕はそれが見たいかな という前半の歌詞は、少年視点で言うと 「君と同じ景色を見たかった」 という悲しみをくみ取ることができ、 少女視点で言うと 「君の将来を見守っているよ」 という思いやりのメッセージを読み取ることができる。 そして 君は忘れてしまうだろうけど 思い出だけが本当なんだ という歌詞も少年視点だと 「過去に縋りつく様子」、少女視点だと 「文字通り『思い出だけ』である現実」を感じ取ることができる。 どちらもお互いを想う故に滲み出る感情。 それを理解して楽曲を聴くとより切なく感じる。 <サビ2はサビ1と類似していると解釈したため、割愛します> ラストサビ そっか、大人になったんだね はらはら、はらはら、はらり 晴るる原 君が詠む歌や 一輪草 他には何にもいらないから 波立つ夏原、 涙尽きぬまま泣くや日暮は夕、夕、夕 夏が終わって往くんだね 僕はここに残るんだね ずっと向こうへ往くんだね そうなんだね いよいよラストサビ、• そっか、大人になったんだね• ずっと向こうへ往くんだね の二文がこの上なく切さを増幅させる。 こちらも 両者視点の意味が込められているのではないかと解釈しています。 少年目線に立って言うと、確実に過ぎていく時間を感じて 「そっか、大人になったんだね」と寂しさを込めたセリフとして感じ取れる。 少女目線だと 「そっか、大人になったんだね」には、君が自分のことを忘れていくこと、過去にしていくことに寂しさを感じて放ったセリフのように感じることができる。 MV終盤で少年は握っていた一輪草を散らすのですが、これは 君を忘れて前に進んでいることを示しているのでしょう。 しかし晴れた心になんてなれるはずはない。 主人公は夜を突き進んでいるような気分になっているに違いない。 だから楽曲タイトルは「夜行」と名付けられているのではないでしょうか。 暗闇の中を進もうとする主人公を表すには、まさにうってつけの言葉なのです。 感想 過去に蓋を閉じて前を向いていく。 立派なことなのに、なぜか切なりました。 これはきっと歌詞の中に二人の想い合いが凝縮されていたからに違いないと思っています、、、 あくまでも自己解釈ですがナブナさんの 「大人になること、忘れてしまうこと、死へ向かうことを夜に例えて書いた」という解説も腑に落ちたような気がします。 新章そうそう物語が深すぎました、、、ヨルシカ楽曲はサブスクが解禁されているので、配信日からApple Musicでリピートしていた私でしたが、やはりMVが絡み合ってくるとさらに深みが出るなと改めて。

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【ヨルシカ/夜行】歌詞の意味を徹底解釈!MVもタイトルの意味も全てが深すぎた、、、

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楽曲の基本情報 今回紹介する「ノーチラス」は、ヨルシカの第2弾アルバム「エルマ」の収録楽曲になっています。 このアルバムは前作「だから僕は音楽を辞めた」の主人公の青年 エイミー から送られてきた手紙に影響を受けた女性、エルマが手がけたという設定の楽曲14曲が収められています。 収録楽曲は以下。 車窓 02. 憂一乗 03. 夕凪、某、花惑い 05. 湖の街 06. 神様のダンス 07. 雨晴るる 08. 歩く 10. 森の教会 11. 声 12. エイミー 13. 海底、月明かり 14. ノーチラス これらが「エルマ」に収録されている14曲なのですが、これらは全てエルマという女性 MVの女の子 目線で歌われています。 「深い眠りから覚める曲だよ」と彼が話した三年前の一瞬を、ずっと覚えています。 ずっと愛しています。 皆様にとっても、朝日の射すような作品になってくれたら幸せです🌅! 収録されているのも最後であり、物語的にも結末をイメージさせる印象が強い本楽曲ですが、正体はまさかの 「はじまりの曲」だったのです。 何でもn-bunaさんがヨルシカとして最初に描いた作品だとか。 では、さっそく楽曲考察に移っていきます。 と言いたいところですが エルマとエイミー MVで登場する男の子 のストーリーを全く知らない。 という方の為に、最低限押さえておきたいエルマとエイミーにまつわるストーリーのポイントを紹介します。 エルマとエイミーは互いに想い合っていた• エルマとエイミーは一緒に音楽をしていた• 想い合いつつも二度と会えない状況にある これらが「ノーチラス」より以前に発表された楽曲で分かっていたことになります。 そして今回の衝撃的なMVで物語は核心に迫っていくのです。 では、さっそく楽曲考察に移っていきましょう。 楽曲名「ノーチラス」の意味 本来 「ノーチラス」とは ラテン語でオウムガイ。 という意味になっているのですが、これだけだと解釈できませんね。 実はオウムガイという言葉からは オウムガイの生態の特徴をなぞって、 「ノーチラスな人々」 という言葉が生まれています。 これは ノーチラス(オウム貝)のように、気分が浮いたり沈んだり 大変な思いをしている人びと。 という意味だそうです。 またも、ハッとさせられちゃいますよね。 MV中、社会に絶望して海に沈み込んでいったエイミーの姿 ここは下記にて詳しく解説します と重なるのです。 オウムガイであるノーチラス• 潜水艦であるノーチラス号 どちらをとっても本楽曲「ノーチラス」のストーリーと関連性が深そうですよね。 題はジュールヴェルヌの海底二万マイルに出る潜水艦、ノーチラス号からの引用。 眠りからの目覚めと深海から浮上するそれのメタファー。 — ナブナn-buna nabuna2 実はこれに関しては、作曲を手掛けた本人であるナブナさんがノーチラス号から引用していると述べています。 では、上記を踏まえたうえで、 本題の歌詞考察に移っていきます。 それではお待たせ致しました。 本題の歌詞考察に移っていきましょう。 1番 時計が鳴ったからやっと眼を覚ました 昨日の風邪がちょっと嘘みたいだ 出かけようにも、あぁ、予報が雨模様だ どうせ出ないのは夜が明けないから 作詞作曲:n-buna 冒頭は、主人公を取り巻く 「気だるい空気感」が伝わる情景表現で構成されている。 「朝」という言葉は一切綴られていないのに、主人公エイミーは紛れもなく 憂鬱な朝の中にいることが分かる。 「時計」や「昨日の風邪」という具体的情景表現が素晴らしいですね。 また、 予報の雨模様というのは、実際の天気と主人公エイミーの心情を文字通り比喩しているのだが、 夜が明けないという文は少し違う。 実際に夜が明けないことはない。 しかしこういった表現をすることで 「どんなに時間が経っても晴れない心」を表しているのです。 小説のように綴られていくテクニカルな冒頭から、エイミーの悲しみや億劫がビシバシと伝わってきますね。 喉が渇くとか、心が痛いとか、 人間の全部が邪魔してるんだよ 作詞作曲:n-buna 上で 「やっと眼を覚ました」という表現があるように、主人公は暗闇の中にいる眠り状態から早く解放されたかったことが分かります。 しかし、せっかく目を覚ましたとしても目の前にあるのは、 変えようのない現実だけです。 そのせいで「喉が渇く」「心が痛い」など主人公は苦しむ羽目になってしまうのです。 喉が渇く という表現からは• 憂鬱の中でも生を渇望している皮肉な本能• 水分をたくさん排出したこと 泣いたこと が分かります。 言うならば「痛み」も身体を守るための防衛本能です。 MVの結末を分かっているいま「喉が渇く」「心が痛い」に対する「邪魔してるんだよ」は、 身動きがとれないという意味に加えて、 消えてなくなろうとすることを邪魔してるんだよという意味も包括しているような気もします。 つまり、この時点でエイミーの中の 生死の葛藤は繰り広げられているということです。 サビ1 さよならの速さで顔を上げて、 いつかやっと夜が明けたら もう眼を覚まして 見て 寝ぼけまなこの君を 何度だって描いているから 作詞作曲:n-buna 「さよなら」という言葉から展開されるサビになりますが、このお別れを意味する「さよなら」こそが、冒頭から一貫して漂っている憂鬱の正体です。 ファンの方は既にご理解かと思われますが エイミーの憂鬱の正体はエルマの喪失 であり、「さよなら」の相手は言うまでもなく「エルマ」になります。 このサビからは どんなに離れていてもずっと見守っている という純粋な愛情が伝わってきますが、MVと照らし合わせることで、さらに心を揺さぶられます。 ここはラストサビにて。 スポンサーリンク 2番 傘を出してやっと 外に出てみようと決めたはいいけど、 靴を捨てたんだっけ 裸足のままなんて度胸もある訳がないや どうでもいいかな 何がしたいんだろう 作詞作曲:n-buna MVのストーリーはここから始まる。 心の雨に負けて、引きこもっていたエイミーでしたが、ここでとうとう心を晴らそうとします。 しかし、外に出ようとするにも肝心な靴がありません。 ここの部分が何を意味しているのかというと、 それは、 エイミーな虚弱な心です。 これを結びつけるためには 靴=防具 守ってくれるもの という捉え方をする必要があります。 靴がないということは、自分を守ってくれる鎧がないことと同義なのです。 エルマがいなくなったことで、荒んでしまったエイミーの心は鎧を持たない裸同然の状態。 決して、刺激の多い外に出れる状態ではありません。 ズタボロになってしまっている心情が読み取れますね。 しかし、それでも外に出ようとするのは、 「エルマのいない世界でも前を向こう」と精一杯の葛藤をしているからです。 健気な心に胸が痛い。 夕飯はどうしよう 晴れたら外に出よう 人間なんてさ見たくもないけど 作詞作曲:n-buna 「晴れたら外に出よう」 の外に出た情景がMVでは描かれています。 ここもファンであるなら胸を打たれるポイント。 路上で弾き語りをしているのです。 まるで共に音楽をしていたエルマを想起しようと言わんばかりに。 がらんどうの心が夕陽の街を歩いてく とあるような、別楽曲「夜紛い」の歌詞こそが2番のBメロの情景にあたるのでしょう。 そして、弾き語りという魂の叫びを続けるエイミーですが、切なさ、苦しさの中で叫んだ声は誰にも届きません。 それどころか蔑むような見られるばかり。 人間なんてさ見たくもないけど という 人間否定の歌詞とMVの心情が重なります。 ヨルシカの別楽曲 「踊ろうぜ」にて 嗚呼、人間なんて辞めたいな そうだろ、面白くも何にもないだろ 嗚呼、自慢のギターを見せびらかした あの日の自分を潰してやりたいよ という歌詞がありますが、ここの部分はまさにMVの男性に蔑まれた際のエイミーの心情が描かれているのでしょう。 サビ2 このままの速さで今日を泳いで、 君にやっと手が触れたら もう目を覚まして 見て 寝ぼけまなこの君を 忘れたって覚えているから 作詞作曲:n-buna 「このままの速さ」というのは 憂鬱の中でぼんやりゆっくりと今日を生きていくエイミー自身を映しています。 つまり この辛すぎる日々の中でも、じっくりと耐えていると、その先には君に会えるかもしれない。 という希望が描かれているのです。 たとえその希望が幻想だったとしても、エルマに触れる瞬間を何時でも祈っているのです。 ここは本当に切なすぎる。 ラストサビ このままの速さで今日を泳いで、 君にやって手が触れたら もう眼を覚まして 見て、君を忘れた僕を 作詞作曲:n-buna ここでストーリーは急展開を迎える。 なんとエイミーが花緑青色の塗料を呑んで、海に飛び込むのです。 MVであるように 花緑青=毒性の人口塗料 つまり、自ら命を絶ったわけです。 別楽曲 「五月は花緑青の窓辺から」で さようなら 青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ とありましたが、まさにここの伏線が隠されていたとは、、、 エルマのいない日々に耐えられなかったのですね。 この結末は辛すぎる。 またMVでは、上空から下を眺めるもう一人のエイミーが描写されています。 この乗っている乗り物こそが「ノーチラス号」。 この二人の主人公が何を意味すのかは難解な部分ではありましたが私個人の意見としては エルマに手紙を残せ。 という暗示だったのではないかと考えております。 命を絶とうと葛藤をしていた下界のエイミーは、ノーチラス号に乗っている 架空の自分を見て、「ノーチラス」という手紙のタイトルを書き、手紙を残すという行動を取るのです。 おさらいですが、ノーチラス号とは、 架空の潜水艦を言う。 つまりノーチラス号の自分は架空の幻。 さよならの速さで顔を上げて いつかやっと夜が明けたら もう目を覚まして 見て、寝ぼけまなこの君を 何度だって描いているから 作詞作曲:n-buna 時が経ち、エルマはエイミーの行動を知る。 現実を知り、泣き崩れるエルマですが、ここで描かれる歌詞のテクニックが凄い。 内容はサビ1とほとんど同じであるはずなのに、エイミーの憂鬱を謳った内容とは違った意味で聴こえてくるのです。 「顔を上げて」も 「目を覚まして」も全ては、エルマに対する励ましの言葉のように感じる。 顔を上げたときの、この美しい夕日こそがエイミーだとすると、彼はいつ来るのかも分からないエルマをずっと待ち続けていたということになります。 またエルマに出会えたことで 「夜が明けた」という希望も掛けられているのでしょう。 いつ来るかも分からないエルマを待ち焦がれている姿は、海底体験の旅を永遠と続けている「ノーチラス号」と重なる。 「エルマと再会したい」 そんなエイミーの切実の願いは、最後の最後で叶ったのです。 感想 こんなにも心を揺さぶられたのはいつ以来でしょうか。 エイミー作詞• エルマ作曲 の「ノーチラス」。 もしかすると、この歌は夕陽を眺めたあと、エルマが作曲して あの場で歌ったのかも知れません。 そう考えると更にグッときますよね。 鳥肌モノのストーリーをありがとうございました。

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