東京 農業 大学 ポータル。 「東京農工大学 共同研究シーズ説明会~生物生産・機械システム系~」(2018年3月8日)

本学と東京農業大学が包括連携協定を締結

東京 農業 大学 ポータル

概観 [ ] 大学全体 [ ] 日本で初めて設立された私立の農学校 であり、2017年度までを専門に扱う日本で唯一の大学であった。 、、日本の各道府県にあるとは名称が類似しているが特に関係はない。 建学の精神(校訓・理念・学是) [ ] 農大の前身である東京農学校の初代学長は「のことは稲に聞け、のことはに聞け」や「栄えて農業亡ぶ」といった言葉を残した。 これはを排して実際から学ぶ姿勢を重視し、学問のための学問ではない「主義」を重視することを表している。 現在も農大は「実学主義」を教育理念とし、「人物をに還す」(昨今の国際化社会に伴い、「人物を世界の畑に還す」とする場合もある。 )と「農業後継者や地域社会の担い手の育成」を最大目標としている。 教育および研究 [ ] 2018年度にが開学するまで、日本唯一の農学専門大学であった。 現在では従来の農学に加え、、環境科学、情報科学の分野も扱っている。 環境問題へ積極的に取り組むことも目的としている。 応用生物科学部菌株保存室にはやなどの約7000株が保存されている。 これは世界有数の菌株コレクションである。 には、河野友宏応用生物科学部バイオサイエンス学科教授らの研究グループがで初めてだけで()を(単為発生)させることに成功したと科学雑誌『』に発表した。 学風および特色 [ ] 校門に掲げられた校標や大学のパンフレットで使われている「東京農業大学」の文字はによるものである。 また、の一つに『』があり、「大根踊り」として世間に知られている。 沿革 [ ] 略歴 [ ] 1938年当時の農場と学生たち 、に携わったは「日本の力を高めるためには、国内農業の発展が不可欠」「日本の農業発展のためには、農民のが必須」と考えて、に徳川育英会育英黌に農業科を設立した。 設立地付近であるA4番出口前に「東京農業大学開校の地」という碑が存在している。 には徳川育英会育英黌から農業科が独立して私立東京農学校となるも、経営悪化から、の下での経営となった。 大日本農會付属私立東京農学校、大日本農會付属東京高等農学校と改称した後、にによる認可を経て、にに基づく 東京農業大学となる。 なお、時点で、農学系大学は国公私立あわせて51校もあるが、まで を有する大学は、、、、と農大のみであり、私立で唯一「」の学位授与を行っていた。 より、の常磐松内 に校舎を構えていたが、の際、によりを焼失したことから、、の跡地に移転。 現在の世田谷キャンパスとなる。 以降後はおよびの設置、厚木キャンパス()、キャンパス()の開設などを行うなどし、に創立120周年を迎える。 年表 [ ]• (24年) 麹町区(現・)飯田河岸に徳川育英会育英黌農業科が設立。 管理長にが、黌長にが就任。 (明治25年) 確保のため、1. 28haの農地を有する(現・)大塚窪町に移転。 1892年(明治25年) 徳川育英会育英黌分黌農業科と改称。 (明治26年) 徳川育英黌より独立。 私立東京農学校と改称。 1893年(明治26年) 全教職員と学生で構成する団体である「農友会」発足。 (明治28年) が評議員として学校の経営に参画。 (明治30年) 経営難に陥ったことから大日本農會に経営移管。 大日本農會附属私立東京農学校と改称。 に横井時敬が就任。 (明治34年) 大日本農會付属東京高等農学校と改称• (明治36年) 専門学校令による認可を受ける。 (明治38年) から「耕地整理講習部」設置委託の依命を受ける。 の前身となる「」開催。 (明治40年) の前身である消費組合設立。 (明治44年) による私立東京農業大学と改称し、本科大学部・予科大学部・高等科を設置。 初代にが就任。 (大正5年) 玉川村に用賀農場(現・の一部)設置。 農大初の本格的実習農場。 (大正10年) 第二回(箱根駅伝)初参加。 第5位に終わる。 (大正11年) 図書館開設。 (大正12年) 応援歌『青山ほとり』誕生。 (大正13年) 東京高等造園学校設立。 東京農業大学出版部(現・)発足。 (大正14年) 東京農業大学が設立され、大日本農會より独立。 による東京農業大学が設立され、農学科および設置。 同時に1911年設置の私立東京農業大学は東京農業大学となり、農学科および農芸化学科を設置。 (大正15年) 東京農業大学制定。 作詞、作曲。 (2年) 第二代学長にが就任。 (昭和12年)12月27日 専門部設置。 (昭和13年) 大学農学部農業経済学科を設置。 (昭和14年) 第三代学長にが就任。 (昭和15年) 専門部農業工学科を設置。 (昭和16年) 専門部農村経済学科を設置。 1941年(昭和16年)4月1日 委託農業土木技術員講習部を設置。 (昭和17年)4月1日 1924年設立の東京高等造園学校を合併。 専門部造園科を設置。 (昭和20年)4月1日 大学農学部農芸化学科および大学農学部農業土木科を設置。 1945年(昭和20年) 空襲により常磐松校舎の大部分を焼失。 1945年(昭和20年) で。 それに前後するにより農場(約192ha)および農場(7,500ha)を失う。 (昭和21年) 被災した常磐松の地をに売却し、東京都世田谷区世田谷4丁目461番地にあった陸軍機甲整備学校跡地に学校移転。 現在の世田谷キャンパスとなる。 1946年(昭和21年) 発足。 (昭和22年) 専門部開拓科を廃止。 1947年(昭和22年)4月1日 に千葉農学部設置。 千葉農学部専門部林業科および千葉農学部専門部畜産科を設置。 1947年(昭和22年) 有用植物園を開設。 (昭和24年) によるが設立され、旧制東京農業大学、専門部、千葉農学部改組。 農学部農学科、林学科、科、農業化学科、農業工学科、科、緑地学科、学科を設置。 (昭和25年) 設置。 協同組合学科を廃止。 (昭和26年) 東京農業大学父兄会(現・東京農業大学教育後援会)発足。 (昭和27年) 戦後初の学園祭「」開催。 (昭和28年) 農学部学科を設置。 1953年(昭和28年)3月31日 東京農業大学設置。 大学院農学研究科修士課程農学専攻および大学院農学研究科修士課程農業経済学専攻設置。 (昭和29年) 大学農学部農業化学科、大学農学部農芸化学科と改称。 (昭和30年) 第四代学長にが就任。 1956年(昭和31年) 大学農学部農業拓殖科設置。 1956年(昭和31年) 大学農学部緑地学科、大学農学部造園学科と改称。 (昭和32年) 大学院農学研究科修士課程農芸化学専攻を設置。 (昭和34年) 大学院農学研究科博士課程農芸化学専攻を設置。 1959年(昭和34年) 第五代学長にが就任。 (昭和35年) 用賀農場を売却し、厚木中央農場(現・厚木キャンパス)設置。 (昭和36年) 第六代学長にが就任。 1961年(昭和36年) 大学農学部栄養学科を設置。 (昭和37年) 大学院農学研究科博士課程農学専攻および大学院農学研究科博士課程農業経済学専攻を設置。 (昭和40年) 発生。 部員が、合宿の山行途中で、上級生らに生木で殴られるなどのに遭って入院先の病院で死亡。 同じく1年生部員が全身打撲傷や右手首骨折で2カ月の重傷で入院。 学生7名、OB1名逮捕。 (昭和41年) 米国と姉妹校提携。 (昭和43年) 大学栄養学科、専攻および専攻に専攻分離。 (昭和46年) 第七代学長にが就任。 (昭和50年) 設置。 1975年(昭和50年) 第八代学長にが就任。 (昭和53年) より「発展途上国との学術交流事業の農学分野拠点大学」に選ばれる。 (昭和56年) 図書館農業資料室が相当施設に指定。 (昭和61年) 大学院農学研究科修士課程林学専攻、大学院農学研究科修士課程畜産学専攻および大学院農学研究科修士課程食品栄養学専攻を設置。 (昭和62年) 第九代学長にが就任。 (元年) 北海道網走市にオホーツクキャンパス設置。 大学生物産業学部生物生産学科、大学生物産業学部食品化学科および大学生物産業学部産業経営学科を設置。 国際交流センター開設。 (平成2年) 大学院農学研究科修士課程林学専攻および大学院農学研究科修士課程畜産学専攻を博士前期課程とし、博士後期課程を設置。 大学院農学研究科博士後期課程生物環境調整学専攻、大学院農学研究科修士課程農業工学専攻、大学院農学研究科修士課程醸造学専攻、大学院農学研究科修士課程国際農業開発学専攻および大学院農学研究科修士課程造園学専攻を設置。 (平成3年) 大学農学部農業拓殖学科、大学農学部国際農業開発学科に改称。 東京農業大学父兄会、東京農業大学教育後援会に改称。 創立100周年記念式典挙行、・臨席。 100周年事業実施。 (平成5年) 大学院生物産業学研究科修士課程生物産業学専攻設置。 (平成7年) 大学院生物産業学研究科修士課程生物産業学専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。 (平成10年) 農学部を、農学部、応用生物科学部、地域環境科学部および国際食料情報学部に改組。 農学部に農学科および畜産学科設置。 応用生物科学部に(新設)、生物応用化学科(農芸化学科改称)、醸造科学科(醸造学科改称)および栄養科学科(栄養学科改称)設置。 地域環境科学部に森林総合科学科(林学科改称)、生産環境工学科(農業工学科改称)および造園科学科(造園学科改称)設置。 国際食料情報学部に国際農業開発学科、食料環境経済学科(農業経済学科改称)および生物企業情報学科(新設)設置。 神奈川県厚木市に厚木キャンパスを設置し、農学部を移転。 (平成11年) 第十代学長にが就任。 (平成14年) 世田谷キャンパス、取得。 2002年(平成14年) 大学院農学研究科修士課程バイオサイエンス専攻および大学院農学研究科修士課程国際バイオビジネス学専攻を設置。 大学院農学研究科修士課程醸造学専攻、大学院農学研究科修士課程食品栄養学専攻、大学院農学研究科修士課程農業工学専攻、大学院農学研究科修士課程造園学専攻、大学院農学研究科修士課程国際農業開発学専攻を博士前期課程とし、博士後期課程設置。 (平成15年) 厚木キャンパスおよびオホーツクキャンパス、ISO14001取得。 (平成16年) 大学院農学研究科修士課程バイオサイエンス専攻および大学院農学研究科修士課程国際バイオビジネス学専攻設置を博士前期課程とし、博士後期課程設置。 2004年(平成16年) 開設。 (平成17年) 大学国際食料情報学部生物企業情報学科、大学国際食料情報学部国際バイオビジネス学科と改称。 大学院農学研究科博士後期課程生物環境調整学専攻、大学院農学研究科博士後期課程環境共生学専攻に改称。 2005年(平成17年) 第十一代学長にが就任。 (平成18年) 大学農学部バイオセラピー学科および大学生物産業学部アクアバイオ学科を設置。 (平成22年) 大学生物産業学部食品科学科、大学生物産業学部食品香粧学科と改称。 (平成24年) 大学生物産業学部産業経営学科、大学生物産業学部地域産業経営学科と改称。 (平成25年) 第十二代学長に高野克己が就任。 (平成26年) 大学応用生物科学部栄養科学科(食品栄養学専攻・管理栄養士専攻)を、食品安全健康学科と栄養科学科の2学科に改組。 (平成28年) 創立125周年。 短期大学部の募集停止。 2017年(平成29年) 大学バイオサイエンス学科(応用生物科学部より改組)、分子生命化学科(新設)、分子微生物学科(新設)を新設。 地域環境科学部に地域創生科学科および国際食料情報学部に国際食農科学科を新設。 2018年(平成30年)生物産業学部生物生産学科を北方圏農学科に改称。 基礎データ [ ] 所在地 [ ] オホーツクキャンパス• 世田谷キャンパス(、 )• 厚木キャンパス(、 )• オホーツクキャンパス(、 ) 象徴 [ ] スクールカラー [ ] は松葉緑(まつばみどり)である。 この色は、かつて、農大があった渋谷常磐松にあった老松(常磐松)の葉の緑色に由来している。 校章 [ ] 1893年の私立東京農学校として独立した際、稲穂の向かい合った円の中心に「農」の一文字を入れたものを校章とした。 その後、1911年に私立東京農業大学となった際、大学部本科の角帽に「農大」の校章を入れて以来、この校章を使用している。 校歌・応援歌 [ ]• 東京農業大学学歌(常磐の松風)• (大根踊り)• 応援歌(あゝ若人の血は躍り)• College Song• 第二応援歌 緑の精鋭• 団結節• 打倒の拍手• 勝利の拍手• どじょうすくい• 人を恋うる歌(の歌)• 放浪の歌• 惜別の歌• 農大エール• 農大音頭• 農大数え歌• 農大五万節• 応援団小唄• 農大節• 関東流れ者(農大応援団)• 東京農大オホーツクキャンパス讃歌 東京農業大学学歌は、1925年5月、に作詞を、作曲家に作曲を依頼し、翌に発表された。 以来、農大の学歌として歌い継がれてきている。 教育および研究 [ ] 組織 [ ] 学部 [ ] 農学部は、1925年の旧制農大創立以来、農大に設置されている学部であり、最も歴史がある。 戦後長らく世田谷キャンパスに設置されていたが、1998年、農場を併設する厚木キャンパスへ移転した。 農学科は農学部設立と同時に設置された農大一歴史がある学科である。 は1947年4月1日に千葉農学部専門部畜産科として設置され、1949年2月21日農学部畜産学科となった。 は2006年4月1日に設置された。 平成30年度から• 農業生産分野• 作物学研究室 園芸学研究室• 生産支援分野• 植物育種学研究室 植物病理学研究室 農業環境学研究室 ポストハーベスト学研究室• 生命・制御分野• 動物生殖学研究室 動物遺伝学研究室 動物生理学研究室• 機能・生産分野• 動物栄養学研究室 動物衛生学研究室 動物行動学研究室• 生物多様性管理分野• 植物多様性学研究室 野生動物学研究室 昆虫学研究室• 生物資源利用分野• 薬用資源学研究室 遺伝資源利用学研究室• イノベーション農学分野• 生物機能開発学研究室(昆虫系) 食資源利用学研究室(畜産系) 機能科学研究室(栄養系)• サスティナビリティ農学分野• 生活デザイン農学研究室(園芸・動物介護介在) 社会デザイン農学研究室 平成29年度まで• 農学科• 農業生産科学コース• 作物学研究室、遺伝育種学研究室、植物病理学研究室、昆虫学研究室• 園芸科学コース• 果樹園芸学研究室、野菜園芸学研究室、花卉園芸学研究室、園芸バイテク学研究室、学研究室• 畜産学科• 家畜繁殖学研究室、家畜育種学研究室、家畜生理学研究室、家畜飼養学研究室、家畜衛生学研究室、畜産物利用学研究室、畜産マネジメント研究室• バイオセラピー学科• 植物共生学研究室、人間植物関係学研究室、野生動物学研究室、伴侶動物学研究室、園芸療法学研究室、動物介在療法学研究室• 農学部教養分野• 生命倫理学研究室、外国語研究室• 附属機関• 農学研究所、厚木農場、 植物園、富士農場()、室、学術情報センター、食品加工技術センター、バイオセラピーセンター 応用生物科学部は、1998年に農学部を改組して設置された。 は、1998年の学部改組の際に新設された。 は1945年4月1日に農学部として設置され、1949年に農業化学科、1954年に農芸化学科と改称し、1998年に生物応用化学科となり、2019年に再び農芸化学科と改称した。 は日本唯一の醸造・微生物専門教育学科であり、1953年1月31日に農学部醸造学科として設置され、1998年に醸造科学科となった。 は1961年農学部として設置され、1968年に栄養学専攻および管理栄養士専攻の専攻分離を実施し、1998年に栄養科学科となった。 バイオサイエンス学科• 微生物分子遺伝学研究室、資源生物工学研究室、植物遺伝子工学研究室、動物分子生物学研究室、動物発生工学研究室、生体機能分子分野・機能性分子解析学研究室• 生物応用化学科• 生産環境化学研究室、植物生産化学研究室、生物制御化学研究室、微生物学研究室、食料資源理化学研究室、栄養生化学研究室• 醸造科学科• 醸造微生物学研究室、化学研究室、酒類生産科学研究室、調味食品科学研究室、醸造環境科学研究室、微生物工学研究室• 栄養科学科• 栄養生理化学研究室、生体機能防衛学研究室、食品研究室、食品機能開発学研究室、調理科学研究室、公衆栄養学研究室・臨床栄養学研究室• 食品安全健康学科• 食品安全解析学研究室、食品安全評価学研究室、食品利用安全学研究室、分子機能学研究室、生理機能学研究室、生体環境解析学研究室• 応用生物科学部教養分野• 健康科学研究室、外国語研究室• 附属機関• 応用生物科学研究所、菌株保存室、センター、バイオテクノロジーセンター、食品加工技術センター 生命科学部は、2017年に応用生物科学部を一部改組して設置予定である。 は、応用生物科学部に既存であった学科が移籍する形で設置される。 ただし一部の研究室は新設である。 およびは新設である。 バイオサイエンス学科• 植物分子育種学研究室、植物遺伝子工学研究室、動物分子生物学研究室、動物発生工学研究室、細胞ゲノム生物学研究室・機能性分子解析学研究室• 分子生命化学科• 分子設計学研究室、有機合成化学研究室、天然物化学研究室、分析化学研究室、生命高分子化学研究室• 分子微生物学科• 資源生物工学研究室、研究室、複合微生物学研究室、植物共生微生物学研究室、動物共生微生物学研究室• 付属機関• 高次生命機能解析センター 地域環境科学部は1998年に農学部を改組して設置された。 は1947年4月1日に千葉農学部専門部林業科として設置され、1949年2月21日に農学部に改組し、1998年に森林総合科学科となった。 は1905年に農商務省より開墾及耕地整理技術員講習を委託されたことを起点とし、1945年4月1日に農学部として設置され、1949年2月21日に農学部に改組し、1998年に生産環境工学科となった。 は、1924年に発足したを1942年4月1日に農大が合併し、専門部造園科として設置され、1949年2月21日に農学部に改組後、1956年農学部造園学科に改称、1998年に造園科学科となった。 森林総合科学科• 森林生態学研究室、・緑化工学研究室、造林学研究室、林業工学研究室、木材工学研究室、林産化学研究室、森林経営学研究室、森林政策学研究室• 生産環境工学科• 地域資源利用学研究室、農地環境工学研究室、環境情報学研究室、地水工学研究室、建設システム工学研究室、水利施設工学研究室、農業ロボット工学研究室、農産プロセス工学研究室• 造園科学科• 景観政策学研究室、ガーデンデザイン研究室、都市緑地計画学研究室、ランドスケープデザイン研究室、自然環境保全学研究室、観光レクリエーション研究室、造園樹木学研究室、ランドスケープエコロジー研究室、造園地被学研究室、都市緑化技術研究室、造園建設工学研究室、景観材料研究室• 地域環境科学部教養分野• 植物生態学研究室、身体教育学研究室、数学研究室、外国語研究室• 附属機関• 地域環境研究所、生物環境調整室、電子顕微鏡室、奥多摩(東京都) 国際食料情報学部は1998年に農学部を改組して設置された。 は1926年11月に発足した植民研究会を前身に、1937年12月27日に専門部農業拓殖科として設置後、開拓科と改称されたが、第二次世界大戦の敗戦後、の命令の下、文部省の命令により、1947年3月31日廃止された後、1956年に農学部農業拓殖科として復活。 1991年に農学部国際農業開発学科に改称後、学部再編により国際食料情報学部に設置された。 は1936年に当時の農学科でを担当していた教員や勉強していた学生を中心に系の学科創設運動が始まり、1938年12月16日に農学部農業経済学科として設置され、1998年に食料環境経済学科となった。 は1998年にとして設置され、2005年に国際バイオビジネス学科となった。 国際農業開発学科• 熱帯作物学研究室、熱帯園芸学研究室、熱帯作物保護学研究室、農業環境科学研究室、国際農業開発研究室、農業開発政策研究室、地域農業開発研究室• 食料環境経済学科• アグロトレード研究室、アメリカ・農業研究室、アジア農業研究室、地域経済研究室、農業経営学研究室、農業史研究室、環境経済学研究室、環境政策研究室、研究室、資源経済学研究室、食料経済学研究室、フードシステム研究室、フードマーケティング研究室、フードビジネス研究室、環境アメニティ研究室、環境コミュニティ研究室、研究室、地域政策研究室、農政学研究室、農村政策研究室• 国際バイオビジネス学科• バイオビジネス管理学研究室、バイオビジネス経営学研究室、バイオビジネスマーケティング研究室、バイオビジネス評価学研究室、バイオビジネス簿記学研究室、経営行動学研究室• 国際食農科学科• 植物生産学研究室、食環境科学研究室、食農文化・政策研究室、食農教育研究室• 国際食料情報学部教養分野• 健康科学研究室、研究室、情報処理教育学研究室、英語・アメリカ学研究室、英語・口語英語研究室、時事・ビジネス英語研究室、中国語研究室• 附属機関• 国際食料情報研究所、宮古亜熱帯農場 生物産業学部、1989年のオホーツクキャンパス開設に際し設置された。 学部開設時、、、の3学科が設置され、2006年にが新設された。 また、食品科学科は2010年4月にに、生物生産学科2018年北方圏農学科に改組された。 北方圏農学科(旧・生物生産学科)• 植物バイテク研究室、作物生産管理学研究室、動物バイテク研究室、動物生産管理学研究室、植物資源保全学研究室、動物資源管理学研究室• アクアバイオ学科• 水産増殖学研究室、水産資源管理学研究室、アクアゲノムサイエンス研究室、水圏生物化学研究室、水圏生態学研究室、水圏環境学研究室• 食品香粧学科(旧・食品科学科)• 資源利用学研究室、食品製造科学研究室、応用微生物学研究室、品質制御学研究室、生物化学研究室、食品香粧機能学研究室• 地域産業経営学科(旧・産業経営学科)• 会計学研究室、環境ビジネス論研究室、情報工学研究室、情報メディア論研究室、マーケティング論研究室、リスクマネジメント論研究室、流通経済論研究室、アグリビジネス論研究室、環境経済学研究室、農業経営学研究室、北東アジア農業論研究室、環境文学論研究室、地域環境政策論研究室、地域産業経済論研究室• 生物産業学部教養学部• 健康科学研究室、教育学研究室、博物館情報学研究室、外国語第一研究室、外国語第二研究室、外国語第三研究室• 附属機関• オホーツク臨海研究センター、食品加工技術センター 教職学術情報課程• 教育学研究室、研究室、理科教育研究室、教育研究室、理科教育研究室、物理学教育研究室、農業科教育研究室、技術科教育研究室• 学術情報課程• 博物館情報学研究室、図書館情報学研究室 研究科 [ ] 農学研究科 農学研究科は1953年3月31日に農学専攻および農業経済学専攻が設置されたことにより設置された。 その後、1957年に農芸化学専攻、1986年に畜産学専攻、林学専攻および食品栄養学専攻、1990年に醸造学専攻、農業工学専攻、造園学専攻、国際農業開発学専攻および環境共生学専攻、2002年にバイオサイエンス専攻および国際バイオビジネス学専攻が設置された。 環境共生学専攻のみ博士後期課程を設置し、他の各専攻は博士前期課程と博士後期課程を設置している。 農学専攻• 畜産学専攻• バイオサイエンス専攻• 農芸化学専攻• 醸造学専攻• 食品栄養学専攻• 林学専攻• 農業工学専攻• 造園学専攻• 国際農業開発学専攻• 農業経済学専攻• 国際バイオビジネス学専攻• 環境共生学専攻(博士後期課程のみ) 生物産業学研究科 生物産業学研究科は1993年に修士課程生物産業学専攻として設置後、1995年、同専攻を博士前期課程とし、博士後期課程が新設された。 生物産業学専攻 東京農業大学グリーンアカデミー [ ] 東京農業大学は、世田谷キャンパス内に(83条校)の「東京農業大学成人学校」を設置していたが、平成22年4月から東京農業大学傘下の組織「グリーンアカデミー」として活動を開始。 平成23年4月からは東京農業大学エクステンションセンターと組織を一体化。 この学校は、専門機関として50歳以上の人を対象にした学校である。 「園芸・造園」という農大色を出した講座(園芸造園本科・園芸造園専科)と「健康」に関する講座(健康増進Aコース・健康増進Bコース)を行っており、現在は科名変更し「グリーンアカデミー本科」「グリーンアカデミー専科」「生活健康科」としている。 本学卒業生である(大相撲・元理事長)はを後にで通い始めた。 附属機関 [ ]• 東京農業大学総合研究所• ハイテクリサーチセンター• エクステンションセンター• コンピューターセンター• 学術情報センター• 「食と農」の博物館• 健康増進センター• 国際協力センター• 東京農業大学出版会• 農芸振興会• ) 研究 [ ] 21世紀COEプログラム [ ]• 21世紀COEプログラムの採択はない。 文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業 [ ]• 「革新的ゲノム情報解析を用いた生物資源ゲノム解析と農学新領域の創出」 文部科学省科学研究費補助金特定領域研究 [ ]• 「ゲノム刷込みによる生殖系列の機能調節と発生制御」 応用生物学部バイオサイエンス学科・2008年 - 2012年 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 [ ]• 「恐怖記憶制御の分子機構の理解に基づいたPTSDの根本的予防法・治療法の創出」 応用生物学部バイオサイエンス学科、2007年 - 2012年、生命科学研究所、大学院、精神保健研究所と共同研究 教育 [ ] 現代的教育ニーズ取組支援プログラム [ ]• 「」 2005年度 - 2007年度、生物産業学部• 「」 2006年度 - 2008年度、地球環境科学部 この取組みに伴い、旧小菅小学校白沢分校跡地に「 東京農業大学多摩川源流大学」小菅キャンパスが設置された。 「」 2007年度 - 2009年度、生物産業学部 特色ある大学教育支援プログラム [ ]• 「」 2006年度 - 2008年度、短期大学部 質の高い大学教育推進プログラム [ ]• 「」 2008年度 - 2010年度、国際食料情報学部食料環境経済学科• 「」 2008年度 - 2010年度、短期大学部 学生生活 [ ] 学科名称 [ ] 世田谷・厚木・オホーツクキャンパスにある各学部学科については、略称が次の通り定められており、学内の掲示物はじめ学校関係者の会話などではこの略称が使われることがある。 正式名称 略 称 農学部 農学部 農学科 農学 畜産学科 畜産 バイオセラピー学科 セラピー、バイセラ 応用生物科学部 応生学部 バイオサイエンス学科 バイオ 生物応用化学科 化学 醸造科学科 醸造 栄養科学科 栄養 食品安全健康学科 健康 地域環境科学部 環境学部 森林総合科学科 森林 生産環境工学科 工学 造園科学科 造園 国際食料情報学部 国際学部 国際農業開発学科 開発 食料環境経済学科 経済 国際バイオビジネス学科 ビジネス 国際食農科学科 食農 生物産業学部 生産学部 生物生産学科 生産 アクアバイオ学科 アクア 食品香粧学科 食香 地域産業経営学科 産経 サークル活動 [ ] 農大のサークル活動は、世田谷・厚木・オホーツクとキャンパスがそれぞれ離れているため、キャンパスごとに設置されているサークルが異なっている。 世田谷キャンパス [ ]• 全學應援團リーダー部• 全學應援團吹奏楽部• 全學應援團チアリーダー部• 農友会総務部• 文化団体連合会本部• 講演部• 文芸部• 社交ダンス研究部• 写真部• 海外移住研究部• 茶道部• 演劇研究部• 華道部• 農村調査部• 書道部• 美術部• 視聴覚部• 村の会部• 探検部• 囲碁部• 邦楽部• 英語部• 混声合唱部• 管弦楽部• 日本民踊部• 将棋部• ギター部• 体育団体連合会本部• 相撲部• 馬術部• 陸上競技部• 山岳部• 空手部• ラグビー部• ホッケー部• サッカー部• 準硬式野球部• バレーボール部• 男子硬式庭球部• 女子硬式庭球部• 卓球部• ボクシング部• 柔道部• 剣道部• 自動車部• バスケットボール部• 合氣道部• スキー部• レスリング部• 体操部• 少林寺拳法部• 弓道部• ゴルフ部• 洋弓部• ボディビル・パワーリフティング部• フェンシング部• アメリカンフットボール部• バドミントン部• ラクロス部 厚木キャンパス [ ]• 農友会厚木支部総務部• 演劇部• 軽音楽部• 写真部• 動物研究部• 美術部• ボランティア部• 乗馬部• 卓球部• バスケット部• 弓道部 オホーツクキャンパス [ ]• 全學應援團オホーツク支部• 全學應援團リーダー部• 全學應援團吹奏楽部• 全學應援團チアリーダー部• 農友会オホーツク支部総務部• 茶道・華道部• 北海道自然探索部• アメリカンフットボール部• カーリング部• 弓道部• 競技ゴルフ部• 競技スキー部• 剣道部• 硬式テニス部• サッカー部• 少林寺拳法部• バスケットボール部• バドミントン部• バレーボール部• ホッケー部• ラグビーフットボール部• 陸上競技部 農大でのサークル活動は、1904年10月25日の農友会臨時大会で、学術部、文芸部、娯楽部、運動部が設立されたことからその歴史が始まる。 このうち、文芸部と学術部を前身とする講演部は、2009年時点でも存続している。 サークル活動で特筆すべき事項として「全學應援團」がある。 全學應援團は、1931年6月19日に「東京農業大學全學學生應援團」として設立され、1948年2月16日に今の「全學應援團」となった。 また、農大における応援団はその名の通り、全学生によって組織されている自治団体であり、他校のように運動競技応援一辺倒ではなく、学術部門に関する応援も行っている。 通常の応援団業務は、「全學應援團リーダー部」「全學應援團吹奏楽部」「全學應援團部」の3団体が行っている。 また、全學應援團設立時、「応援団の旗を日本一立派なものにしよう」と考えのを応援団旗の旗竿にしようとに申請したところ、より下付された歴史がある。 近衛師団の鎗を旗竿として下付されたのは農大のみであり、常磐松時代の戦災により旗は焼失したものの、旗竿は今なお現存している。 また、各サークルのうち、講演部は毎年12月に弁論大会として「杯争奪全日本学生弁論大会」を主催している。 農村調査部のように元々は学科の研究室を母体として発足したサークルなどもある。 サークル活動とは別に、同好会も数多く設置されている。 収穫祭(学園祭) [ ] 農大の学園祭は「」と呼ばれており、毎年、()あたりに行われ、例年、15万人以上が来場する。 キャンパスごとに独立して開催されており、2014年の場合、世田谷キャンパスでは「第123回収穫祭」、厚木キャンパスでは「第15回収穫祭」、オホーツクキャンパスでは「第26回収穫祭」として開催されている。 収穫祭では、野菜の無料配布をはじめ、大会、の掴み取りなどの農大ならではのイベントが開催されている。 収穫祭の運営は、「収穫祭実行本部」「宣伝隊本部」「ステージ企画本部」「文化学術展本部」「模擬店本部」「体育祭本部」の計6本部で運営されており、「収穫祭実行本部」「ステージ企画本部」は農友会総務部、「宣伝隊本部」は全學應援團、「文化学術展本部」「模擬店本部」は農友会文化団体連合会、「体育祭本部」は農友会体育団体連合会がそれぞれ担当している。 また、本部に準じる団体として「収穫祭環境対策委員会」があり本部と同じく運営に携わっている。 各本部は各学科ごとに構成されている「学科統一本部」と活動を共にする。 スポーツ [ ] 箱根駅伝5区山上りに挑む東京農業大学の選手• 農大との体育系団体は、同じ渋谷常磐松にキャンパスを設置していた経緯から、戦前より「農國戦(國學サイドでは國農戦)」と呼ばれる対抗戦を実施していた。 農大が世田谷に移転してからも対抗戦を実施している。 部は、関東学生空手道連盟に所属し、1992年には全日本大学空手道選手権大会で優勝している。 部は、各キャンパスに設置されているが、東京(世田谷・厚木キャンパス)と北海道(オホーツクキャンパス)で全く別の組織となっている。 部は、に結成された少林寺拳法同好会を前身とし、設立では、に次いで3番目の歴史がある。 また、に同好会から部に昇格をしており、関東の大学一歴史のある少林寺拳法「部」となっている。 部は、第14代()が農大出身という関係から、と関係が深く、卒業後角界入りする者はほとんどが時津風部屋に入門している。 現に、時津風部屋の16代時津風()をはじめ、、は農大卒業生である。 2018年の報道によると、インターネット上で東京農業大学が「時津風付属大学」と表現されているほどである。 部は、世田谷キャンパスがに隣接していることから、練習場所として馬事公苑を使用している。 部は、(箱根駅伝)に第2回より出場しており、の第53回大会では往路復路ともに2位で総合準優勝をしている。 また、女子は、ので初出場準優勝という成績を収め、には優勝をしている。 部は、ボクシング学生界の強豪でインカレ2008年度過去5回の優勝2連覇中である。 研究部は、東部日本学生競技ダンス連盟において1部リーグに所属している。 2013年度の冬の全日戦ではフォーメーションの部で準優勝という快挙を成し遂げた。 常盤松会館の中にフロアがあり練習環境がよい。 また卒業後もプロとして活躍する選手も多く輩出している。 部は、に所属し、には1部リーグに在籍し、時点では3部リーグに在籍する。 大学関係者と組織 [ ] 大学関係者組織 [ ] 農友会 東京農業大学の全教職員と学生によって組織される団体。 1893年に第1期卒業生の同窓会として誕生したことに始まり、現在は、総務部、文化団体連合会、体育団体連合会の3団体が中心となって、活動を行っている。 校友会 東京農業大学の全卒業生によって組織される団体。 卒業生の立場から母校である東京農業大学の発展に寄与することを目的としている。 畜友会 畜産学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。 講習会、研修会や研究会の実施や、機関紙「ふじみの」の発刊を行っている。 心友会 バイオセラピー学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。 2006年結成。 バイオサイエンス学科同窓会 バイオサイエンス学科設立10周年を記念し発足した同窓会である。 醸友会 旧醸造学科および醸造科学科同窓組織であり、醸造科学科の全教職員と在学生によって組織される親睦団体。 1953年結成。 新入生歓迎会、講演会、会誌『醸友会誌』の発行(掲載化)を行っている。 農栄会 旧栄養学科および栄養科学科同窓組織。 林友会 森林総合科学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。 林学同窓会 旧林学科および森林総合科学科同窓組織。 1960年結成。 農工会 生産環境工学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。 講演会、スポーツ大会などを行っている。 緑友会 旧緑地学科、旧造園学科および造園科学科の同窓組織。 拓友会 旧農業拓殖学科および国際農業開発学科同窓会組織であり、国際農業開発学科の全教職員と在学生によって組織される親睦団体。 1966年11月結成。 農経会 食料環境経済学科の全教職員と学生によって組織される親睦団体。 1938年、前身の農業経済学科初代学科長我妻東策教授の発案で結成された。 新入生歓迎会、講演会、初代学長墓参会、会誌「農経會誌」の発行を行っている。 また、年2回、世田谷キャンパス周辺を、地域住民とともに、ゴミ拾いなどの社会奉仕活動も行っている。 東京農業大学生活協同組合 1907年に消費組合として設立された。 教職員・学生の組合員によって組織され、購買部、食堂、、書籍販売等を行っている。 教育後援会 東京農業大学・東京農業大学短期大学部の全学生の保証人で構成される団体。 大学関係者一覧 [ ]• 施設 [ ] キャンパス [ ] 東京農業大学「食と農」の博物館 世田谷キャンパス• 学部 応用生物科学部、地域環境科学部、国際食料情報学部、短期大学部、成人学校• 使用研究科 農学研究科バイオサイエンス専攻、農芸化学専攻、醸造学専攻、食品栄養学専攻、林学専攻、農業工学専攻、造園学専攻、国際農業開発学専攻、農業経済学専攻、国際バイオビジネス学専攻、環境共生学専攻• 交通 より徒歩15分。 小田急小田原線・より利用、農大成人学校前または農大前下車。 小田急小田原線より東急バスまたは利用、農大前下車。 より東急バス利用、農大成人学校前または農大前下車。 より東急バスまたは小田急バス利用、農大前下車。 キャンパス概要 旧跡地に1946年開設された。 面積145,000。 1989年のオホーツクキャンパス設置までの間、農大唯一のキャンパスであり、全学部学科が本キャンパスに設置されていた。 に面した正門の門柱は、機甲整備学校時代から使われているものであり、「陸軍」と彫られた境界石も現存している。 キャンパス内には、世田谷区指定の保存樹木が多数存在しており、緑が豊富である。 2009年時点、教育研究環境の再整備を進めており、高層建物の建築、教育研究機能の移転を実施する予定である。 キャンパス内の施設• 農大アカデミアセンター 大学本部、図書館、キャリアセンター、コンピュータセンター、学生サービスセンター、横井講堂• 1号館 講義室、コンピューター演習室、ヘルプカウンター、学生掲示板• 2号館 醸造科学科、生物応用化学科、国際農業開発学科、食料環境経済学科• 7号館 森林総合科学科、生産環境工学科• 8号館 短大醸造学科• 9号館• 10号館 短大生物生産技術学科、短大環境緑地学科、入試センター、国際協力センター• 11号館 造園科学科、教職・学術情報課程• 12号館 バイオサイエンス学科、食品加工技術センター• 13号館 栄養科学科、食品安全健康学科• 14号館 学芸員博物館実習室• 15号館 総合研究所、実験室• 16号館 健康増進センター• 16号館別館• 17号館 百周年記念講堂、カフェテリアグリーン、レストランすずしろ• 18号館 講義室、実験室、国際バイオビジネス学科• 「食と農」の博物館 博物館、バイオリウム• エコテク・ゾーン グリーンハウス、農業リサーチセンター、リサイクルセンター• 常磐松会館本館 各部部室、統一本部会室、東京農業大学生活協同組合、ゆうちょ銀行本店東京農業大学世田谷校舎内出張所• 常磐松会館道場 剣道、少林寺拳法、空手、合気道、柔道、フェンシング、卓球、ボクシング、ボディービル・パワーリフティング、レスリング道場練習場• 常磐松学生会館 各サークル会室• 桜丘アリーナ(体育館) トレーニングルーム• 野球場• グラウンド• 弓道場• テニスコート• ホッケー場• 学生寮(桜丘寮、若草寮、青雲寮、育英寮)・合宿所(農友会剣道部、野球部、相撲部、ボクシング部、レスリング部)• グリーンアカデミーホール 成人学校• 経堂支店東京農業大学出張所 厚木キャンパス• 学部 農学部• 使用研究科 農学研究科農学専攻、畜産学専攻• 交通 小田急小田原線より神奈川中央交通利用、東京農業大学下車。 より徒歩30分。 キャンパス概要 1960年に設置された厚木中央農場を母体として、1998年、厚木キャンパスとして整備された。 面積約176,000m 2。 農場にキャンパスを設置したため、キャンパス内には、農場や温室、動物舎が数多く設置されている。 本部棟• 学科研究棟 - 農学科、畜産学科、バイオセラピー学科• 講義棟• 第2講義棟• 農の博物館• 野菜圃場• 農業生産分野温室• 資源生物分野温室• 生産環境分野温室• 園芸生産学分野温室• 園芸制御学分野温室• 人間植物関係学分野温室• 植物資源学温室• 花卉温室• 野菜温室• 蔬菜温室• バイオセラピー学科温室• 家畜衛生学研究室 家畜診療所• 野生動物学動物舎• 実験学動物舎• 研修センター• 食品加工実習所• バイオセラピーセンター• 体育館• 学生会館 オホーツクキャンパス• 学部 生物産業学部• 使用研究科 生物産業学研究科• 交通 より利用、東京農大下車。 キャンパス概要 1989年に生物産業学部専用キャンパスとして開設された。 キャンパス面積340,000m 2、農場面積400,000m 2。 キャンパス内の施設• 1号館 学部本部棟• 2号館研究講義棟 生物生産学科、食品香粧学科• 3号館 第1食堂• 4号館 学術情報センター• 5号館第1研究実験棟 生物生産学科、食品香粧学科、地域産業経営学科• 6号館 体育館• 7号館 第2食堂• 8号館 講義実験棟• 9号館 食品加工技術センター• 11号館第2研究実験棟 アクアバイオ学科• 大講義室• 作物調整室• 家畜飼育舎• オホーツク学生会館• 陸上競技場• テニスコート• 野球場• 野球部室内練習場• 駐車場• 雨水 学生食堂 [ ] 世田谷キャンパス 17号館内の「カフェテリアグリーン」、17・18号館内の「レストランすずしろ」、食と農の博物館内の「カフェ・プチ・ラディッシュ」、グリーナカデミーホール内の「グリーン・アカデミー・ホール・レストラン」の4つがあり、いずれも学生・教職員以外の一般人の利用も可能となっている。 また、常磐松会館内には東京農業大学生活協同組合の店舗があり、テイクアウト専用の「一番飯」と、スパゲッティ・カレー専門店の「アミ」がある。 厚木キャンパス 本部棟内に「レストランけやき」がある。 オホーツクキャンパス 3号館内の「レストラン・ジャングルポケット」(第一食堂)と、7号館内の「レストラン・」(第二食堂)の2店舗がある。 講堂 [ ] 世田谷キャンパス 17号館内の「百周年記念講堂」と「桜丘アリーナ」の2つの講堂がある。 前者は全学的な講義をはじめ各種講演会などに使われ、後者は入学式や学位授与式(卒業式)などの式典に使われている。 厚木キャンパス 体育館が、学位授与式(卒業式)などの式典の際、講堂として使用される。 オホーツクキャンパス 6号館体育館が、入学式や学位授与式(卒業式)などの式典の際、講堂として使用される。 学生会館 [ ] 世田谷キャンパス 学生会館として、「常磐松会館」「常磐松会館別館」「常磐松学生会館」の3棟ある。 従来、「常磐松会館」と「常磐松会館別館」の2棟が学生会館として利用され、会館がサークルの部室として、別館が同好会の部室として利用されてきた。 別館の老朽化が著しいことから、2008年に「常磐松学生会館」が建設され、同好会の部室が学生会館に移転した。 また、常磐松会館には、東京農業大学生活協同組合の店舗が入っており、学生・教職員以外の一般人の利用も可能となっている。 厚木キャンパス 学生会館が1棟ある。 オホーツクキャンパス 学生会館が1棟ある。 寮 [ ] 世田谷キャンパス キャンパスに隣接して、桜丘寮、若草寮、青雲寮、育英寮の4つが設置されている。 また、農友会の野球部、相撲部、ボクシング部、レスリング部、剣道部の各部は、キャンパスの外れに合宿所を持っている。 一般に学内と思われているが、夜は閉門され学外とされている。 農場 [ ] 農業に関する専門的な教育・研究を行っているため、日本各地にを設置して実習や研究を実施している。 厚木農場(神奈川県厚木市) 1960年開設、厚木キャンパスに併置。 農場と棚沢を設置。 農学部管轄。 二宮柑橘園(神奈川県) やの農場。 農学部管轄。 二宮町に設置されているが、学内では厚木農場の一施設となっている。 富士農場(静岡県富士宮市・内) 1941年開設。 畜産関係施設。 農学部管轄。 宮古亜熱帯農場() ・農業教育研究用農場。 国際食料情報学部管轄。 網走寒冷地農場(北海道網走市) 1982年開設。 寒冷地畑作大規模農場。 生物産業学部管轄。 奥多摩演習林(・内) 1978年開設。 林学、林産学実習教育・試験研究農場。 地域環境科学部管轄。 「食と農」の博物館 [ ] 「食と農」の博物館は、世田谷キャンパスと日本中央競馬会馬事公苑の間に設置されている博物館である。 農大各学科の研究の紹介をはじめ、農大卒業のの紹介などを行っている。 また、隣接するバイオリウムでは、熱帯動植物を見ることができる。 建物はの設計。 1階・2階は、3階・4階はとなっている。 図書館 [ ] 世田谷学術情報センター 世田谷キャンパス内に設置されている図書館。 ・のや、明治・とのの電子化、農学書籍や類を数多く収集することを目標としており、農業関係者および農学者の間では標本数や貴重な文献が揃っていることで評価が高い。 また、日本農学図書館協議会事務局は、世田谷学術情報センター内に設置されている。 厚木学術情報センター(農学部図書館) 厚木キャンパス内に設置されている図書館。 厚木市相互利用システムにより、厚木市立図書館の貸出も行っている。 オホーツク学術情報センター オホーツクキャンパス内に設置されている図書館。 対外関係 [ ] 他大学との協定 [ ]• との包括的協定• との包括的協定 海外姉妹校 [ ] 世界各地にある農業大学を中心に18の大学と姉妹校協定を結んでいる。 (・)• ロスバニオス校()• ・()• () 協定校(国内) [ ]• (設置者:)• (設置者:) 社会との関わり [ ] 国際交流 [ ]• 2001年、農大創立110周年を記念し「食と農と環境を考える世界学生サミット」を開催した。 「世界学生サミット」は、食・農・環境を学ぶ世界各国の学生を集め、2日間にわたり議論を行うものであり、以後毎年11月 - 12月の2日間、世田谷キャンパスにて開催されている。 農大大学院農学研究科及び農大総合研究所は、インドネシアのボゴール農科大学、ウダヤナ大学、ベトナムのハノイ農業大学、のラモリーナ国立農業大学と共に、当該国での農業発展等を目的とする共同研究プロジェクトを実施している。 ベンチャー [ ] 大学発の学生を設立している。 株式会社メルカード東京農大、株式会社東京農大バイオインダストリー、株式会社じょうえつ東京農大の3社がある。 メルカード東京農大 2004年に設立。 「農大市場」というサイトを通じ、食材の通信販売を行っている。 東京農大バイオインダストリー 2004年4月に設立。 という鳥を使用した加工製品の生産・販売を行っている。 じょうえつ東京農大 2008年4月1日に設立。 での本格的な有機農場経営を目的としている。 産学官連携 [ ]• 2006年、農大とはを決定し、同年から産学協同プロジェクトを行っている。 2006年には力の改善と30種類の素材を使ったメニューを共同開発の成果として、全店で発売を開始したほか、ロイヤルホストから出たを農大の技術指導により化し、その堆肥を使って栽培された野菜をロイヤルホストが利用するという取り組みも行っている。 また、2007年からは「東京農大クッキングサミット」が、農大・ロイヤル共催で行われており、学生が料理を提案、クッキングするというコンテストが開催されている。 また、クッキングサミットで「ロイヤルホスト賞」を受賞した料理作品は、ロイヤルホストのメニューとして商品化される。 2006年より日本全国で発売が開始されたの植物性「植物性乳酸菌 ラブレ」は、応用生物科学部生物応用化学科微生物学研究室岡田早苗教授の指導の下で開発された。 生物産業学部と北海道本社は、から網走寒冷地農場においての共同栽培を開始したほか、にはビール原料の栽培法についての研究等を行うとする包括連携協定を締結した。 と2018年10月29日に包括連携協定を結んだ。 の被害を受けたと、農業復興などに協力する包括連携協定を2019年1月31日に締結。 科学 [ ] 応用生物科学部バイオサイエンス学科動物発生工学研究室河野友宏らは、2004年4月、世界で初めてだけで()をさせることに成功したことを科学雑誌『』に発表した。 なお、二母性マウスの場合、由来の遺伝子が関与していないことから、性染色体はXXとなり、誕生をするマウスは、全てとなる。 これまでに哺乳類で単為発生が不可能とされてきた理由は、による遺伝子発現制御の機構が深く関わっている。 スポーツ [ ] かつて東京農業大学はに運動場を設置していた。 同運動場は大学内での使用率があまり高くなかったことから、が発足した際にが練習会場として使用することになった。 その後、利用率の低さから練習場を移転することとなった。 その際、地主との契約で次の賃借人を東京農業大学は探さなければならない状況にあった。 一方、同時期にJリーグの理念に基づく複合スポーツ施設の建設を計画していた浦和レッドダイヤモンズは、東京農業大学が運動場を撤退することを知り、以前から練習場として使用していた経緯もあって、同所におけるの譲渡を希望。 には契約が妥結、同運動場を所有していた地元の地主から浦和レッドダイヤモンズがその用地を借り上げて、として整備されるようになった。 テレビドラマ [ ] 2007年7月から9月まで系列にて放送された『』(企画制作)の農作業に従事というシチュエーションは、国際食料情報学部食料環境経済学科2年必修科目『フィールド研修I』を参照している。 なお、ドラマでは、様々な学科に属する学生が集まって3ヶ月間、北海道に研修へ行った。 実際は、ごとに北海道、、長野県などに出向いて1週間、農家の家に宿泊をしながら農作業に従事する。 また、ドラマの家畜管理方法に関する監修は、農学部畜産学科教授祐森誠司が行っている。 漫画・テレビアニメ [ ]• 原作の『』の舞台である「某農大」は、実学重視の点や沖縄などに実習農場があることから、農大のことと連想する読者が多い。 事実、石川の担当編集者の自宅の近所に本学があることから、取材などで訪れている。 (ちなみに石川がかつて住んでいた場所の近くには農学部(現:生命環境科学部)があった。 )また、醸造学科准教授に友人がいることもあり、著作にあたり、情報を得ることもある。 農大生協には石川のサインが掲げられてはいるほか、2008年度には特別講義が開講されたものの、漫画はであることから、直接的な関係はない。 なお、アニメ化に際して、実写を使用したオープニング映像にて撮影協力をしたのは、農大ではなく、東京都にある府中キャンパス(農学部)であり、実写ドラマ版『もやしもん』のロケで使用されているのも農学部となっており、農大は使われていない。 作の『酒ラボ』は、農業大学の発酵醸造学研究室を舞台としており、農大が日本で唯一の醸造学科を有している大学であることから、農大を連想する読者が多い。 しかし、これも『もやしもん』同様、フィクションであることから、直接的な関係はない。 併設学校 [ ]• 脚注 [ ]• 正式な略称は「東京農大」である。 「農大」は、前の正式な略称であるが、現在でも大学関係者やキャンパス周辺で使われている。 「東農大」は、スポーツ中継等で便宜的に使われるものであり、正式な略称ではない。 「TUA」は、校名の表記「 Tokyo University of Agriculture」の頭文字からとられたでの略称である。 国公立を含めると、、に次ぐ3番目の歴史がある。 2018年度にが開学している。 や、のような自治体設立の教育機関は4年生大学ではないため。 1943年5月に開設(『日本大学百年史』 第二巻、814頁)• 現在の4丁目。 中等部のある場所。 『』2018年1月30日号• 『日本経済新聞』朝刊2018年10月30日(首都圏経済面)2018年11月14日閲覧。 『』2019年2月1日(2019年2月10日閲覧)。 (2018年12月27日閲覧)。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 かつて農大があった常磐松御料地で隣接していた学校• その他• 事務局 公式サイト [ ]• 原虫病研究センター• 生体調節研究所• 放射光科学研究センター• 先端酵素学研究所• 海洋コア総合研究センター• 発生医学研究所• 熱帯生物圏研究センター• みらい医療推進センター• 自然・環境科学研究所天文科学センター• 先端医療技術開発センター• パネルデータ設計・解析センター• 発達障害医療研究所• 脳科学研究所• 生物資源ゲノム解析センター• 先端数理科学インスティテュート• 風工学研究センター• 三遠南信地域連携研究センター• 中部高等学術研究所国際GISセンター• 総合医科学研究所• アート・リサーチセンター• 舞台芸術研究センター• 文化ファッション研究機構• 日本常民文化研究所• JGSS研究センター• ソシオネットワーク戦略研究機構• 赤ちゃん学研究センター.

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本事件が発生した部活動は、東京農業大学山岳部とは異なります。 東京農業大学ワンダーフォーゲル部死のシゴキ事件 正式名称 東京地方裁判所 昭和40年 合わ 第182号 傷害致死、傷害被告事件 東京家庭裁判所 昭和40年 少 14801号 傷害致死保護事件 日付 1965年5月15日-18日 概要 大学運動部の訓練において、部員に対する有形力の行使は、練成目的であったとしても違法性は阻却されないとした事例。 大学ワンダーフォーゲル部のいわゆるシゴキ事件を犯した少年(大学生)を保護観察に付した事例。 攻撃側人数 18 死亡者 1 負傷者 重症2、程度不明25 容疑 傷害致死、傷害 対処 被疑者8名が逮捕 刑事訴訟 監督・上級生(計7人)が懲役2-3年 少年審判 2年生1人が保護観察 東京農業大学ワンダーフォーゲル部死のシゴキ事件(とうきょうのうぎょうだいがくワンダーフォーゲルぶしのシゴキじけん)とは、からに、ワンダーフォーゲル部の中に発生した、・事件である。 農大ワンゲル部死のしごき事件 、 東京農大リンチ殺人事件 などとも呼ばれる。 概要 [ ] 東京農業大学農友会体育連合会ワンダーフォーゲル部(以下、農大ワンゲル部)では、1965年5月15日から18日にかけて、新人部員を対象とした「新人錬成山行」を、の、 - - - のコースで実施した。 同山行中に、監督および上級生ら18人が、新人部員28人 に暴行を加え、うち1名を死に至らせ、2名に重傷を負わせた、集団傷害致死、傷害事件である。 農大ワンゲル部の概要 [ ] 農大ワンゲル部は、1956年10月ごろに同好会として発足し、1959年には部に昇格して、をするに至ったが、その内容は山岳部に近いかなり高度の山岳活動を行なっていた。 農大ワンゲル部では錬成のためと称して、下級生、特に新人部員に対して、素手や棍棒で殴る、登山靴のまま蹴るといった直接的な暴行や、走らせる、重い荷物を背負わせる、厳しい言葉で叱るなど手法により、肉体的・精神的苦痛を与える、「」と称するが常態化していた。 その厳しさは年々増して、部の伝統となって歴代部員に対して行われていた。 「シゴキ」は、後述する本事件の刑事裁判において、新人部員が「シゴキの苦しさの為 付近に於いて上級生に手留弾を投げたいなどと憤懣をもらして」いたと証言するほど激しく、被告人ら自身も「新人部員として錬成山行に参加したときはいずれも本件におけるが如きシゴキを受けたが、予期に反した凄まじさに、なぜこんなに苦しまねばならないのかと煩悶していた」と認めるほど、過酷なものであった。 また、同部では下記の言葉に代表されるような、先輩後輩の別が厳としてあり、2年生部員が主として暴行を実行するとともに、他の上級生はその実行について2年生を督励していた。 同部は新人錬成山行の目的を、各新人に肉体的精神的苦痛を伴う程度の行動をなさしめ、その苦痛を乗り越えて団体山岳行動に耐え得る気力体力を涵養することにおいたが、山行中上級生が新人を指導するにあたつては、新人の疲労状態などの判断は、当該新人についた各上級生の個人的判断に任され、行進中遅れたり、休憩地に遅れて入つて来たりする者や、指示された作業をしない者は、よほどの外傷でもあつて一見してこれ以上の行動が困難と思われる場合の外は、原則として気力が不足しているものとして、叱咤激励し、ザツクを押したり、手足を引つ張つたりすることはもとより、平手、手拳、紐、木棒により直接身体を殴打し、登山靴のまま足蹴りするなどの所謂シゴキをなして肉体的苦痛感や、精神的屈辱感を与えて、行動に駆り立てており、この様な体験を経て上級生部員となつた者は自己が苦難に耐えて強い部員になれたという自信から、同部のシゴキを安易に肯定し、転じて上級生部員として新人に対しシゴキをなしており、このことがさして疑念を抱かれずに踏襲され、同部の伝統的(慣行が本来の伝統となる直前のもの)な錬成方法となつていたのである。 — 東京地方裁判所 昭和40年(合わ)182号 判決 このような背景のもと、上級生部員等は、新人部員に対して下記のように故意に疲労させた上で、上記の暴行に及んだ。 上級生部員等は新人である一年生部員等に上級生より重い荷物を背負わせ、歩度を早め、時には駈足登山をさせ、と称するおどりをおどらせ、また到着の遅れた者に駈足をさせ、疲れ切つて目的地に到着した者に荷物を背負わせたままキアイを入れると称して、上級生の呼びかけに応じて何回も「オス、オス」と答えさせるなど故意に疲労させるような行為をした上、疲労のため歩度がにぶつたり落伍したりした一年生に対して事実摘示の如き暴行を加えたもの — 東京家庭裁判所 昭和40年(少)14801号 決定 なお、本事件が起こる前年の1964年の新人訓練では、参加した1年生20名全員が、靴や服は皆ボロボロにされた上に、帰宅後1週間も寝込む有様であった。 なお、1964年の新人訓練に参加した新人のうち2年生部員に残った者は1名しかいなかったことが報道 されているが、判決で認定された加害者には2年生部員が多数いる。 参加者 [ ] 新人錬成山行参加者は、監督1名、OB1名、4年生6名、3年生4名、2年生8名、1年生28名の計48名であった。 以下に記した地位・学年は、山行当時のものである。 被害者 [ ] 判決文に記載された被害者のみ、負傷の程度を記述した。 新人部員(1年) Wd 死亡• 新人部員(1年) Km 重症(右尺骨茎状突起骨折・尾骨部打撲、全治約6週間)• 新人部員(1年) Mt 重症(尾てい骨部打撲、全治約2週間)• ほか 新人部員(1年)25名 新人部員は全員暴行を受けたが、傷害程度は各人により異なる。 加害者 [ ] 被告人 [ ]• 監督(会社員)I 懲役3年執行猶予3年 農学科OBで、学生時代の4年生のときは副将。 1963年3月に卒業し、カツオブシ問屋に入社、営業部販売係員。 1964年9月から会社員のまま監督就任。 判決時点での職業は無職となっている。 なお、学生時代の成績はそれほど良くなかった。 主将(造園学科4年)Wt 懲役3年執行猶予3年 退学処分 判決時点での職業は無職となっている。 副主将(農芸化学科4年)Mr 懲役2年執行猶予3年• 副主将(林学科4年)Tr 懲役2年執行猶予3年• 総務(造園学科4年)U 懲役2年執行猶予3年• 装備(農学科3年)Fj 懲役2年執行猶予3年 本新人訓練の事実上の指導者。 農学科4年 Fr 懲役2年執行猶予3年 主将Wt、副将MrおよびTr、総務U、装備Fjの計5名は、同部の最高議決・執行機関である運営委員会を構成していた。 少年(犯罪少年) [ ]• 農学科2年 Sn 東京保護観察所の保護観察 不起訴処分の加害者 [ ]• 4年 Sg• 3年 Ti 、It、Ka• 2年 Otk(農業経済科)、Mu、Ks、Tg、H、Mto、N(うち、1名が上記の少年Snと同一人物であり、保護観察処分となっている) その他の参加者 [ ]• OB 不詳 判決には詳しい記述がなく、暴行を加えたかは不明である。 上記の監督Iとは別人物。 2年 Ota 以前から同部のシゴキを批判しており、2年生以上の参加者の中で唯一、山行中も手を下さなかった。 山行出発前 [ ]• 5月10日 運営委員会において出席したWt、Mr、Tr、U、Fjは新人の錬成方法は従来通りの方法で、山行中に錬成をすることを決定した。 5月13日 部会終了後に、2年生以上の参加部員に、山行中の錬成方法は従来通りであること、2年生部員が主としてこれに当るべきことを徹底がされ、各人これを了承した。 山行行程と事件状況 [ ] 以下では、判決文 で認定された事実を中心に、他の文献も引用しつつ記述する。 出典が示されていない箇所は判決文に基づくものである。 なお、判決文に基づく時刻は概ね先頭の行動時刻である。 また、本事件の暴行は判決で認定されただけでも多数にわたるが、本節では抜粋して記載した。 笠取小屋(2015年7月25日) 16日2時10分にで下車した (なお、5時に到着したとの報道 もある)。 1時間後に貸切バスで塩山駅を出発し、50分間バスに乗車した。 山道を行けるところまで行き、バスを降車後は歩いて移動した。 4時40分ごろ塩山市落合集落に到着した。 5時30分ごろA・B二隊(新人部員WdはA隊、同Km、MtはB隊)に別れて登山を開始し、 犬切峠(1321m)で第1回の休憩(6時頃から同20分頃まで)、一之瀬高橋で第2回の休憩(7時10分頃から同8時15分頃まで)をなし、薮沢峠での第3回休憩 を経て、同日11時50分頃第1日宿営予定地である笠取小屋に到着した。 同所でテントを張り、水抜きので昼食をとった。 13時頃から空身で付近の笠取山(1941m)に駆足でピストン登山 を行った。 同14時すぎ小屋に帰って同日の予定を終了した。 夕方になって初めて休んだが、夜は強い 雨でほとんど眠れなかったとされる。 この日の午前中から「シゴキ」は始まっており、30kgの荷物を背負わされ歩かされた上に、先端を尖らせた直径5cm程度の枝で尻を叩かれ、少しでも遅れると靴で尻や足を蹴られたり、荷物が重すぎるため左手が痺れてくる旨を上級生に伝えたところ、厳しい言葉で叱られるとともに叩かれるなどの暴行が行われたことが、Kmの話として報道されている。 薮沢峠手前付近の山道で、Kmは「蹴られたくなかったら、さっさと歩け」と罵声を浴びせられつつ、尻を登山靴で蹴られている。 1年生全員が黄色のシャツを着させられ、一行が笠取山山頂に向かう姿が、笠取小屋から笠取山山頂に向かう山道において他の登山者により写真撮影されている。 前出の写真撮影した目撃者によれば、よろめきながら歩いている部員や、額と顔に殴られた跡があり口の周りも腫れ上がっており十分に会話もできない部員が、這いながらも強制的に頂上まで登らさせられている。 ピストン登山が終わりテント場に帰ってからは、1年生は「ワンゲルとはこんなものか」と不平ばかり言っていた。 5月17日 [ ] 翌17日は、4時に起床し、朝食をとった (2時に起床との報道もある )。 5時40分頃笠取小屋を出発した。 山腹の山道で第1回の休憩(6時20分頃から40分頃まで)、、将監小屋を経て第2回休憩(7時55分頃から9時25分頃まで)をなし、その後第3回休憩(10時10分頃から55分頃まで)、大洞山(飛竜山)、北天のタルで第4回休憩(11時55分頃から12時50分頃まで)をなし、三ツ山展望台を経て、14時10分頃当日の宿営予定地である旧雲取小屋跡三条ダルミテント場 に入った。 整理体操の後、薪集めが行われた。 地図外部リンク 旧雲取小屋 右下部、雲取山頂の西側に「雲取小屋」の記載あり。 三条ダルミ(2009年9月14日) この日からシゴキはさらに激しさを増した。 その理由として、先輩の荷物を含む一人30kg以上背負わされて、水を飲むことも許されず鞭で打たれながらの山行に、新人部員らが17日ごろから無言の反抗を示すようになったので、新人部員に比べて人数の少ないOBや上級生は、先輩の権威を力で示そうと話し合い、Iはシゴキ棒を作り上級生全員に渡して殴るように命じたことが報道されている。 疲労のため歩くのが遅れた新人部員に、素手もしくは木棒で顔、頭もしくは尻を殴るという暴行や、登山靴で胸や尻を蹴るといった暴行が、行程中複数の場所で繰り返された。 1年生の中には、前日からの疲労や空腹、睡眠不足に耐えかねて何回も倒れ込む者が出現した が、倒れ込めばその度に尻を蹴られシゴキ棒で殴られ 、水をかけるなどの暴行が行われた。 しかも、落後者には罰としてわずかな乾パンのみ与えられるという有様であった。 将監峠から300m上の将軍のタルでは、新人部員が車座になって歌 を歌わされ、バカ踊りをさせられた後、将監峠までの急斜面300mを走り下ろされている。 将監小屋から尾根を東へ500m歩いた雑木林で、Iはの枝をナタで切りシゴキ棒を作り、Wtら上級生数人に渡している。 その現場から300m先の丸木橋で、Wdが沢に転落した(なお、絶対に自分で落ちるような場所ではなく、「上級生が故意に突き落としたもの」と、現場検証班がみているとの、新聞報道 がある。 )ので、上級生らは引きずり上げて、気合を入れると称して前出のシゴキ棒で殴った。 なお、暴行の様子を通りがかりの将監小屋主人に目撃されている。 第2回休憩地出発後、新人の歩調が鈍り始めた。 11時頃第3回休憩地から大洞山に至る山道でMtは倒れていたところ、Wtにより水をかけられた後、叱られながら顔面を殴られている。 また、13時30分頃、北天のタルから三条ダルミに至る山道の切通においてMtは山側に寄りかかっていたが同人が「休ませて下さい」と言ったにもかかわらず、聞き入れられずTiに「起きろ」と言われながら、同人の顔面を平手で殴られ、更に木棒で頭や尻を殴られている。 Tiの暴行によりMtは仰向けに転倒したところ、Iにより胸を登山靴で踏みつけられている。 とくに、Wdは前日元気を出しすぎたことや、この日の装備が加重され、前日に比べ約5kg重い24kg位にされたことなどが重り、疲労して遅れが目立ち北天のタル出発後は度々膝をつき、尻餅をつき、或は仰向けに倒れるなどした。 倒れれば、顔面を登山靴で踏みつけられ、水をかけられ、尻を蹴られている。 三条ダルミ手前数十メートルの地点からは歩行出来ず上級生に手足を抱えられて同所に運び込まれるといった有様であった。 運び込まれたWdをたたせた上で監督Iは、「元気あるか」と気合をかけたところ、Wdが何度も「オス」と答えたため、監督Iは「何だ声が出るではないか、やれやれ」と上級生に指示して、Mrに殴り倒させた後、他の上級生が強制的に立てせた上顔面を殴った。 続いてTrは倒れそうになっているWdを「ふざけるな」と言いながらさらに顔面を殴った。 整理体操の後ザックに寄りかかっていたWdの顔面を、Itは「遅れやがって」と言いながら平手で殴っている。 疲労のためWdは同所での薪集めの作業も満足にできずに寝転んでいたところ、Fjに登山靴で尻を蹴られ、さらに立たされた上で顔面を殴られ突き倒されている。 5月18日 [ ] 翌18日は5時45分頃三条ダルミを出発し、雲取山に登った。 雲取山頂に差し掛かる頃から、新人部員に疲れが見え始め、落後する物も何人か出たがそのまま取り残された。 雲取山で第1回の休憩(6時15分頃から同40分頃まで)、奥多摩小屋、鴨沢分岐点(通称ブナ坂)で第2回の休憩(7時10分頃から同40分頃まで)をした。 頂(1753m)を経て第3回の休憩(8時15分頃から同40分頃まで)をなしたが、その頃から隊列の間隔が極度に開き、自然に先行隊と後行隊の区別が生じ、先行隊は1722mのピーク、鷹ノ巣小屋を経て、(1736m)で休憩し(9時15分頃から同10時頃まで)、(1478m)を経て予定どおり14時頃国鉄青梅線氷川駅に到着した。 一方後行隊は9時40分頃第3回休憩地を出発したが、遅れる新人が多いのに加えて、新人の1人が重体となったことから急遽予定を変更し、鷹ノ巣小屋(12時40分頃出発)からへ抜けるコース(浅間尾根)を採ることになった。 先行隊から引返してきた数名も加わり、途中第5回休憩地(鷹ノ巣小屋-浅間神社間)などで休憩を重ねて奥多摩町奥集落の浅間神社、奥集落を経て、17時頃奥多摩湖畔にある奥多摩町坂本集落へ至り、同所からバスで氷川駅に着き先行隊と合流して解散した。 鷹ノ巣山避難小屋(2019年10月19日) 同日には、「シゴキ」はなおも続き、「歩く気があるのか」と怒鳴りながら細引き紐を鞭のようにして殴ったり、走るように命令しながら突き倒すといった暴行が行われた。 歩いている間は一切水を飲ませてくれず、昼食になると乾いた喉に乾パンを押し込まれ、早く食べた者からジュースを一口ずつ飲ませてくれるという有り様であったことが、新人部員Kmの話として報道されている。 その間Wdは三条ダルミ出発後間もなく遅れだした。 雲取山から下山する途中 で気力を失って倒れたWdに、Iらは、「もたもたするな」、「走れ」などと怒鳴りながら蹴り付けると、3m下の窪みに転がり落ち、Wdの足をロープで縛って逆さ吊りにして引き上げた。 このことがWdの致命傷となった。 1722mのピーク以後は全く疲労し、鷹ノ巣小屋に至る間では、数回倒れ、時には手をついて躄り歩くなどした。 真新しかった ズボンの尻の部分やパンツが破れ、肉体の一部が見えるような状態で、正午頃最後尾で同小屋に着き、その後は空身となりながらも独力での歩行が十分に出来ず、時々転倒した。 その後第5回休憩地から浅間神社に至る山道ではKsに両足を掴まれて引き擦られるとともに、浅間神社から三沢橋に至る山道でWdは近道をしようとしたため、本道まで両足を掴まれて引き摺り戻されている。 他の部員の「農大」というコールをきいておびえ、「先輩こわい」と口走り「アーン」と泣声を挙げるなど全く気力を失い、上級生に助られて17時頃、ようようにして奥集落にある三沢橋に辿り着いたが、同所からは他の新人1名と共に、上級生2名に伴われてタクシーで氷川駅に到り一行に加った。 ところが、Iらは手当てもせず重体のWdを氷川駅に放置し帰ったので、Wdの友人らが助けてにたどり着いたが、父・兄が迎えにきた時にはほとんど口も聞けない状態となった。 また、Kmは六ツ石山を抜ける当初予定のコースに従い下山した。 Kmは同日には、少しでも遅れると棒で頭を殴られ、「甘ったれるんじやない」と言われながら ロープや素手でほおを打たれるなどして数え切れないぐらい殴られ、口の中が出血するとともに、新宿駅についた頃には一人で歩けなくなっていた。 なお、Mtは変更コースに従って、下山した。 錬成中に受けた暴行により、山から帰った後、Mtは両膝関節と尾てい骨部打撲で歩行困難となり、自宅で静養することとなった。 山行後の展開 [ ] 1965年 [ ] Wdは5月18日の帰宅後、近くの病院で診察を受け自宅で療養していた。 ところが5月21日7時ごろ容体が急変・吐血したので、(現名称:練馬総合病院)に入院した。 同日16時10分ごろWdが入院していた東京練馬病院が、怪我の様子に不審のある患者が入院している旨を警察に通報し、本事件が発覚した。 同日夜には、員が1年生28名全員の自宅を訪問し、事情聴取したところ、1年生は全員、大なり小なり同じようなシゴキを受けていたことが判明し、翌22日から上級生20人の事情聴取が開始された。 5月22日3時40分ごろ東京練馬病院において、外傷性二次性ショックによりWdは死亡した。 同日10時30分から東京大学法医学部教室〔原文ママ〕で、Wdの遺体が解剖された。 また、同日朝にはKmがに入院した。 また、東京農業大学の教授会では、すでに学生から部活動を停止する旨申し入れがなされているが、22日付で解散させることを決定した。 5月24日にはWdの告別式が開かれた。 告別式には学長しか出席せず、本事件の報告も行わない、学校側の対応についてWdの父親は疑問を呈している。 5月25日早朝には、装備Fjが逮捕され、つぎに潜伏していた知人宅で主将Wtが逮捕された。 なお、Wtは自分の責任と称して逮捕前日に頭を丸めていた。 また、5月25日には、東京農業大学事故対策本部(学部・短期大学合同の緊急教授会 )が、主将のWtは退学処分とし、合宿に参加した2年以上部員17名は無期停学処分とすることを決定し 、翌26日付で処分が行われた。 同本部会では、1年生をかばった上級生についての処分は寛大にという意見も出て23時25分まで会議が揉めたが、結局部全体の責任の観点から、全員を処分することとなった。 これら大学当局の動きに対し、学生側は連日学生集会やクラス討論会を行うとともに、大規模な学生大会も再三開かれた。 5月26日には、世田谷の東京農業大学体育館で、Wdの学園慰霊祭が行われた。 慰霊祭での挨拶においてWdの親友らが、学生処分の決定過程が不明瞭であることなどを指摘したことをきっかけに、学長辞職を求める声を多数の学生が叫びはじめるなど、大荒れの慰霊祭となった。 同日、全日本学生ワンダーフォーゲル連盟が、事件を遺憾に思う旨の声明文を発表するとともに、30日に開く理事会で農大ワンゲル部を除名処分にする方針を記者会見した。 5月29日には、Mr、Tr、U、Fj、Otkが逮捕された。 6月4日には、監督Iが逮捕されるとともに、Iの止宿先から、暴行の様子を写したアルバムなどの証拠品が押収された。 約100枚の写真がIの手により貼られたというアルバムには、数々の暴行の状況が写されるととに、暴行の光景をIや上級生が笑いながら見ている姿も写っていたことが報道されている。 6月5日には、東京農業大学の学部・短期大学合同の緊急法人役員会が開催された。 また、前日に逮捕されたIが犯行を自供したこと、「逮捕者以外にもシゴキに手を下した上級生はまだまだいるが、これらはIにしいられたことがわかったため、一応任意で調べる」との練馬警察署の発表が、報道されている。 6月9日から12日には、練馬警察署検証班12人、東京地検検事と農大ワンゲル部長および学生3名らの一行は、山行ルートを登山し 、現場検証が行われた。 6月10日には、前出のシゴキ棒を作るためナタで切られた立木の生々しい傷跡が将監峠中原の林で発見された。 6月14日には、監督及び運営委員会の委員全員と4年生部員1名が起訴された。 8月12日には、少年及び他の2少年を除く上級生部員全員が不起訴処分となった。 少年についても、検察官は保護観察意見を付して事件を東京家庭裁判所に送致した。 8月28日には、本事件に関連する泉山常務理事辞任問題、学生処分ほかについて東京農業大学法人役員会が開催された。 8月31日には、少年Snに対する停学処分が解除された。 11月2日には、Wdの遺家族と加害学生等全員及び学校当局との間に示談が成立した。 11月5日には、少年Snに対する少年審判の決定が言い渡された(後述)。 1966年 [ ] 6月22日11時すぎ、本事件にかかる刑事訴訟の判決が言い渡された(後述)。 で一番大きい701号法廷において判決公判が開かれ、100人余りの傍聴席は満員となった。 同日Iは、「今後、学生たちと話し合って、なんらかの方法でWd一家に尽くしたいと思っている。 控訴はしないつもりだ。 」と語っている。 7月1日には、本事件公判後の被告学生の処理等について教授会が開催された。 7月5日には、刑事訴訟について東京地方検察庁が控訴しないことを決めた。 弁護側はすでに控訴しないことに決めたので判決が確定した。 9月6日には、本事件に関係し処分中の学生の指導と処分解除等について教授会が開催された。 刑事訴訟・少年審判 [ ] 本節では、本事件にかかる、刑事訴訟および少年審判について、主に法学的観点から述べる。 刑事訴訟 [ ] 本件事件の刑事訴訟は、下記のように当時社会的に注目された。 法理論上とくに注目すべき問題があるというものではないが、裁判の対象となった事件そのものの性質が社会の耳目を動かすべきものであったのである。 (略)この事件はスポーツ訓練においてとかく起こりがちな逸脱として社会問題となったものであるから、この判旨は今後の訓練のありかたに対し一つの指針を与える機能を有するものである。 — 植松正、ジュリスト 373 : 332. 被告人側は、新人に有形力を加えるのは訓練を厳しくするためであり、外見上暴行であっても違法性が阻却されると主張した。 また、当人ら以外の者が手を下した暴行に関しては、各人の判断で暴行を実行したと主張し、共謀共同正犯は成立しないと主張している。 しかしながら、いずれの主張も排斥されている。 東京地方裁判所1966年6月22日刑事7部判決により、上記被告人7名は傷害致死罪および傷害罪で、懲役2ないし3年執行猶予3年に処せられた。 弁護側、検察側とも控訴せず、地裁判決が確定した。 本刑事訴訟の主な争点は事実認定、罪数、共謀と実行、違法性とその認識、因果関係であったが 、最も大きな争点は下記の通りであった。 争点は多岐にわたっているが、最も大きな争点は、大学の運動部の訓練において部員に対する有形力の行使が許されるかどうかという点にあった。 (略)本判決では、(略)登山靴で足蹴にし、木棒や紐で打撲することは勿論、平手や手拳で打撲することも許されず、(略)被告人ら全員の刑事責任を認め、 略)の刑を言い渡した。 — 東京農大ワンダーフォーゲル部事件判決. 判例時報 455 : 17-27. 文献等 [ ] には、証拠の標目および添付の図面を除く、判決全文が掲載されている。 その他の法学関係文献としては、下記があげられる。 下刑8巻6号869頁 判タ194号175頁 判時455号17頁 ジュリ373号332頁 少年審判 [ ] 1965年11月5日決定により、全部員の中で、最もWdに対し暴行を加えたと認められた少年()Snは、東京保護観察所の保護観察に付された。 社会的反響 [ ] 本件に関する警察の捜査により、一行を見た登山者から「地べたをはうようにうずくまった学生をテントの中にひっぱり込み、人目につかないところでまたリンチを加えていた。 まるで山の暴力団をみるようだった。 」との目撃証言が寄せられている。 また、練馬警察署には匿名の激励文が連日舞い込み、5月29日にはすでに40通に達したことが報道されている。 しかしながら、本事件の要因の一つとして新人部員らの体力が不足していたこと 、まとまりをつけるには時には制裁も必要という声や、根性をつけるためなどとして、一部にはシゴキを歓迎する雰囲気があることが報道されている。 また、大学の運動部において本件のようなシゴキが稀でないことが指摘されている。 なお、運動部のシゴキはには少ないとされ、その理由を空手部OBが「東大では、部員をつるし上げたりすると、すぐ退部してしまう。 部員はかわいがるものですよ。 だいたい、運動しに大学に来るヤツはいなかった」と語っている旨が、報道されている。 類似事件 [ ] 大学運動部によるクラブ活動での暴行事件は珍しいことではないことが報道されている。 なお、下記ように山岳部、ワンダーフォーゲル部による類似の、「シゴキ」事件が発生している。 1964年6月 山岳部による北アルプスしごき事件(重症2名)• 1966年4月29日〜5月6日 三島校山岳部による富士山でのしごき事件(死亡1名)• 1967年7月11日〜15日 山岳部による北アルプスでのしごき事件(本事件ではしごきを注意した遭難救助隊にも暴行が行われた)• 慰霊碑 [ ] 三条ダルミには、死亡したWdの慰霊碑が、少なくとも1974年当時には存在した が、現在も存在するかは不明。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• 現名称、奥多摩駅。 別称、飛竜山。 旧雲取小屋は、現在の雲取山荘とは別の山小屋で場所も別であり、三条ダルミに位置した。 新聞報道 によると「新入生はどれい、上級生は雲の上」といった歌であり、なんとも低俗な歌と、評されている。 判決文では、第3回休憩地の手前で5m位滑り落ちたとある。 なお、同新聞報道 では、「どんな神経なのか、この写真には被害者の名前が矢印できちんと書き込んである」とあり、「いかにも楽しそうにシゴキ、写真をとった彼らの気落がさむさむと感じられる写真集だ。 」と評されている。 現場検証日程は、1日目:落合〜笠取山、2日目:笠取山〜将監峠、3日目:将監峠〜雲取山(雲取小屋泊)、4日目:雲取山〜鷹ノ巣小屋〜奥集落〜峰谷橋〜氷川。 出典 [ ]• 2020年2月2日時点のよりアーカイブ。 2020年2月2日閲覧。 www. ritsumei. 2020年2月7日閲覧。 2020年2月2日時点のよりアーカイブ。 2020年2月2日閲覧。 読売新聞 夕刊 : p. 1965年5月25日• 2020年1月5日時点のよりアーカイブ。 2020年1月5日閲覧。 朝日新聞 東京 夕刊 : p. 1965年6月4日• 読売新聞 東京 朝刊 : p. 1965年6月13日• 判例時報 455 : 17-27. 読売新聞 夕刊 : p. 1965年5月29日• 朝日新聞 東京 朝刊 : p. 1965年5月29日• 朝日新聞 東京 夕刊 : p. 1965年5月29日• 出発地と同じ場所に戻る往復コースによる登山のこと。 朝日新聞 東京 夕刊 : p. 1965年5月22日• 2020年3月22日時点のよりアーカイブ。 2020年3月22日閲覧。 朝日新聞 東京 朝刊 : p. 1965年6月11日• 読売新聞 朝刊 : p. 1965年5月22日• 朝日新聞 東京 朝刊 : p. 1965年6月5日• 読売新聞 朝刊 : p. 1965年5月26日• 読売新聞 朝刊 : p. 1965年5月26日• 東京農業大学八十周年略史. 東京農業大学創立八十周年記念事業実行委員会• 2020年1月19日時点のよりアーカイブ。 2020年1月19日閲覧。 東京農業大学創立百周年記念事業実行委員会第二部会, ed 1993-5-18. 東京農業大学百年史. 東京農業大学• 朝日新聞 東京 朝刊 : p. 1965年5月27日• 朝日新聞 東京 朝刊 : p. 1965年6月13日• 1966. 朝日新聞 夕刊 : p. 1966年6月22日• 読売新聞 夕刊 : p. 1966年7月5日• ジュリスト 373 : 332. 朝日新聞 東京 朝刊 : p. 1965年12月3日• 朝日新聞 夕刊 : p. 1965年5月25日• 読売新聞 夕刊 : p. 1966年6月30日• 読売新聞 夕刊 : p. 1967年7月15日• 2020年2月2日時点のよりアーカイブ。 2020年1月29日閲覧。 関連項目 [ ]• 本事件が契機となり応援団の存続問題に発展した。 - 本事件で新人部員が踊らさせられている。

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