米津 海の幽霊 歌詞。 海の幽霊 米津玄師 歌詞情報

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米津 海の幽霊 歌詞

同年公開の五十嵐大介原作 映画「海獣の子供」主題歌にも起用されている。 「海で起きるほとんどのことは、誰にも気づかれない。 」というコンセプトのもと製作された映画の主題歌なので、海に関することを題材にして歌われていることは間違いないだろう。 米津玄師の公式サイトにコメントが載っていたので紹介します。 原作を初めて読んだのは10代の頃だと思うのですが、そのすごさに圧倒されたことを憶えています。 今読み返してもあの時の衝撃は全く古びず、更に新しい発見をもたらしてくれます。 もし映像化されるのであれば歌を作らせてほしいなあなんていうふうに思ってたことが、今日になって実現するというのはなんとも感慨深いです。 原作が持ってるものに負けないよう、それでいてうまく寄り添えるようなものが、果たして自分に作れるのかと、ここ数ヶ月は問答の日々でした。 今は映画館で流れる日を楽しみにしています。 どうやら10代の頃に原作を読んでいたようですね! 10代といえば多感な時期で人格形成に重要な時期ですから、「海獣の子供」の原作を読んだ衝撃が米津玄師の才能の一部を形成したと言っても過言ではないかも知れませんね。 解釈 星が降るようにあなたに逢いたい。 あの夜は決して忘れないから。 大切なことは言葉にはできないんだ。 夏の日々に起きたことすべてが言葉には表せない。 星が降るようにあなたに逢いたい。 の「星が降るように」という表現。 この表現は、「夜」という歌詞があることから星を見ていたときに会ったあなたに逢いたい。 というような意味で捉えたり、夜になれば必ず星が見えるように、毎日あなたと逢いたいと捉えたり、いろんな意味で捉えることができますね。 具体的な解釈は人によって異なるとは思いますが、どの解釈にせよ、「あなたに逢いたい」という気持ちがより強いことを表現しているのでしょう。 また、「夏の日々の起きたすべて」という歌詞が、夏休み最終日の「楽しかったけどなぜかさみしいような切ないような気持ち」を的確に表現できていていいですね。 主人公にとっては「あなた(待っていた人)」との思い出が(言葉に表せないほど)大切なものだったのかも知れません。 解釈 予想と反して光っていたのは海の幽霊だ。 うだるような暑さの夏のように 旗の足が激しく動いて船を見送っているようだ。 いくつかの歌を囁いてみる。 思い出をなくして。 梢(こずえ)とは幹の先端や船の舵などの意味がありますが、ここでは旗あしとして解釈しています。 また旗あしとは、旗の風でなびいている先の部分という意味です。 つまり、「うだる夏のように 梢が船を見送る」は船が出港するときに船を見送る人たちが振っている旗が勢いよくなびいている様が、船が早く出港しろと急かしているようで、うだるような暑さのように鬱陶しく感じる。 というような意味で解釈できます。 こうやって解釈すると、主人公が船に乗っていて、港に待っていた「あなた」がいる状況なのかも知れませんね。 また、花を散らすとは美しいもの、あでやかなものをだいなしにする。 という意味があります。 主人公にとって「あなた」との思い出は言葉に表せないほど(美しい)はずなので、思い出を忘れると解釈しています。 あなたがどこかで笑う声が聞こえる 暑い頬の手触り ねじれた道を進んだら その瞼が開く 解釈 離れ離れでも時は過ぎ去っていく。 「今が幸せ」だと声に出そう。 大切なことは言葉にできない。 たとえ、大切な人と離れ離れで生活していても、まるで大切な人との思い出を忘れさせるかのように時は過ぎていきます。 だからこそ「今が幸せ」という「大切な言葉」を口に出していくことが大切だと歌っているのでしょう。 これは私たちにも言えることです。 人間、誰しも親や兄弟、友人や恋人など大切な人がいます。 星が降るように あなたに逢いたい あの時を忘れはしない 大切なこと言葉にならない 夏の日々の起きたすべて.

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海の幽霊

米津 海の幽霊 歌詞

歌詞は耳コピなので分かりにくい部分がありました。 母親と距離を置いていた彼女は、長い夏の間、学校でも家でも自らの居場所を失うことに。 琉花は彼らに導かれるように、それまで見たことのなかった不思議な世界に触れていく。 三人の出会いをきかっけに、地球上では様々な現象が起こり始める。 夜空から光り輝く彗星が海へと堕ちた後、海のすべての生き物たちが日本へ移動を始めた。 そんな二人を守る海洋学者のジムやアングラード。 それぞれの思惑が交錯する人間たちは、生命の謎を解き明かすことができるのか。 引用: 映画「海獣の子供」は、主人公の中学生「琉花」がジュゴンに育てられた不思議な兄弟「海」と「空」の出会いから始まる生命の物語です。 米津玄師の『海の幽霊』は、そんな映画「海獣の子供」の世界観を表現している歌詞だなと感じます。 「海の幽霊」のMVも『海獣の子供』のシーンを使っていて、より世界観を表現しているのがわかります。 また歌詞の内容から、夏のどこか切ない空気感というか雰囲気も感じ取れますね。 さんによる本作の主題歌『』について 監督「すごい主題歌ですね。 先に聞かせて頂いた時に胸が熱くなった。 自分の心は開いているつもりなのに、理解してくれる人がいない そんな自分の気持を上手く表現できない、琉花の寂しさや孤独を表現しているのではないでしょうか。 「何から話せばいいのか分からなくなる」は、戸惑っている気持ちが感じ取れます。 「あなた」ですが、これは主人公・琉花のことで、「海」か「空」が琉花に対する想いを歌っている箇所かなと思います。 予告動画を観ると、「海」も「空」も琉花に想いを寄せている印象です。 「海」なのか「空」なのか。 それともまだ仲が良かった頃の母親なのか・・・ 歌詞の主人公が琉花目線なのか、それとも海or空目線なのかで、意味や内容も変わってきますよね。 あの時とは、琉花と海や空が出会った時、そしてその後に不思議なことが起こる全ての時を忘れられないと表現していそうです。 また自らの居場所があった時の両親との思い出なのかもしれません。 映画「海獣の子供」のキャッチコピー 「いちばん大切な約束は 言葉では交わさない」 に通じる、世界観に寄り添った部分だと思います。 大切なことは、言葉で表現することができない感情を内包しているのでしょう。 琉花が触れた生命の謎や物語は、そして両親との思い出は言葉にできないものなのかもしれませんね。 ある夏の日に「琉花」「海」「空」の三人が出会ってから起きた様々な不思議なこと、生命の物語を指していると思います。 光を放ちながら海の生物たちが日本へ移動してきます。 海の幽霊とは、 地球上のすべての海の生物のことではないでしょうか。 「跳ねる光に溶かして」が少し聴き取りづらく、ちゃんと耳コピできていない可能性が・・・汗 1番のサビとほぼ同じなのですが、少しだけ違っています。 1番のサビの歌詞は 「あの夜」だったのに対して、2番の歌詞は 「あの時」と。 1番のときよりも時系列的に後で、 三人で過ごしたかけがえのない時間を振り返っている気持ちを表現しているのではないでしょうか。 もう離れ離れになってしまったけど、あの夏の日に起きたすべては言葉にならない大切なものとして3人の心の中に。 そんな心象を感じます。 また会えることを願っている、守られるか分からない約束という気がします。 もしかしたらもう会うことは叶わないのかもしれません。 だけどいつか会えることを信じている、そんな気持ちかもしれませんね。 歌詞を考察しましたが、この詩の場合は映画「海獣の子供」を観た後だと、意味や内容が変わってくるかもしれません。 今回MVが公開されたことで曲の全貌が分かりましたが、やはり 抽象的というか叙情的な表現の歌詞でしたね。 きっと 映画「海獣の子供」を観た後のほうが、より歌詞の意味や内容を掴み取ることができるのでないでしょうか。 泣きました。 ファルセットに行くまでは、力強い歌声なので• 力強さと繊細さ• 静と動• 海や海獣など大きなモノと思い出や命など儚いモノ など、歌声でも映画「海獣の子供」の世界観を表現しているのかなと感じます。 曲全体を通して聴いた時にも、かなり音程の高低差が激しい詩だと。 そしてピアノやストリングスで、夏のノスタルジックさを作り出しているようにも感じました。 米津玄師の『海の幽霊』の発売日はまだ公開されていませんがフルサイズ、つまりは発売日はいつになりそうでしょうか? 大ヒットアニメーション映画「君の名は。 」を参考に予想してみます。 主題歌はRADWIMPSの「夢灯籠」、「前前前世」、「スパークル」、「なんでもないや」の4曲。 まず映画「君の名は。 」は2016年8月26日に一般公開されました。 映画公開に先駆けて、主題歌4曲も収録された映画「君の名は。 」のサントラアルバムが2016年8月24日に発売されました。 また2曲の主題歌が収録されたRADWIMPSのアルバムが映画公開約3ヶ月後の2016年11月23日に発売。 これを今回の映画「海獣の子供」と米津玄師の『海の幽霊』を当てはめると… 映画「海獣の子供」は 2019年6月7日に劇場公開されるので、公開前後にサントラが出る可能性はあります。 また3ヶ月後の 2019年9月の上旬に米津玄師のアルバム、またはシングルが発売される可能性も。 個人的にはサントラ発売よりも、9月に米津玄師名義での発売の方が可能性がある気がします。 今読み返してもあの時の衝撃は全く古びず、更に新しい発見をもたらしてくれます。 もし映像化されるのであれば歌を作らせてほしいなあなんていうふうに思ってたことが、今日になって実現するというのはなんとも感慨深いです。 原作が持ってるものに負けないよう、それでいてうまく寄り添えるようなものが、果たして自分に作れるのかと、ここ数ヶ月は問答の日々でした。 今は映画館で流れる日を楽しみにしています。 米津玄師 【原作五十嵐大介 コメント】 米津玄師さんと初めてお会いしたのは何年前になるでしょうか。 それからの様々な人のつながりを経て、映画「海獣の子供」の主題歌を米津さんに…という話を伺った時、 来るべきものが来たような、不思議な昂揚を感じました。 心を高く深く拡げてくれつつ、同時に着地点を示してくれるような美しい歌に出会えて、今はただ感無量です。 五十嵐大介 引用: 最後に.

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海の幽霊

米津 海の幽霊 歌詞

Contents• 米津玄師「海の幽霊」歌詞全文 歌手・作詞・作曲:米津玄師 開け放たれた この部屋には誰もいない 潮風の匂い 滲みついた椅子がひとつ あなたが迷わないように 空けておくよ 軋む戸を叩いて なにから話せばいいのか わからなくなるかな 星が降る夜にあなたにあえた あの夜を忘れはしない 大切なことは言葉にならない 夏の日に起きた全て 思いがけず光るのは 海の幽霊 茹だる夏の夕に梢が 船を見送る いくつかの歌を囁く 花を散らして あなたがどこかで笑う 声が聞こえる 熱い頬の手触り ねじれた道を進んだら その瞼が開く 離れ離れてもときめくもの 叫ぼう今は幸せと 大切なことは言葉にならない 跳ねる光に溶かして 星が降る夜にあなたにあえた あのときを忘れはしない 大切なことは言葉にならない 夏の日に起きた全て 思いがけず光るのは 海の幽霊 風薫る砂浜で また会いましょう 米津玄師「海の幽霊」の誕生背景 米津玄師さんは、高校を卒業するまでは地元の徳島県で過ごしました。 徳島県の地元は、漁港に近い素朴な土地柄で、触れられる文化は限られていました。 米津玄師さんは、高校を卒業した18歳の時に、地元の徳島県から大阪府という都会に出てきた時に、文化の違いやスケールの大きさの違いに衝撃を受けて、大阪という街であらゆる文化を吸収することに、のめり込むようになります。 その時に、大阪のとある大きな書店で、一冊の漫画に出会い、その漫画の圧倒的な描画のレベルの高さに驚嘆しました。 その漫画こそ、『海の幽霊』が主題歌に起用されたアニメーション映画『海獣の子供』の原作である、五十嵐大介さんの漫画『海獣の子供』だったのです。 米津玄師さんは、一時期、将来は漫画家を目指していたことがありました。 ですが、五十嵐大介さんの絵を見て、自分は生涯を懸けてもこのレベルの絵には到達することが出来ないと、漫画家になることを諦めたのです。 同時に、米津玄師さんにとって、漫画『海獣の子供』は絵だけではなく、ストーリーにも多大な影響を受けました。 18歳、大阪のとある大きな本屋でのこの出会いが、音楽家「米津玄師」が誕生する原点になりました。 『海の幽霊』は、10年前から既に、曲の根底にあるものは姿を現して始まっており、2019年に完成するまでの時を経て、辿り着いた作品なのです。 米津玄師「海の幽霊」のタイトルの意味 私たち人間は、陸と海、どちらの住人だろうかと捉えた時に、『海の幽霊』のタイトルの意味が見えて来ます。 私たち人間は、水中では生きていけません。 陸の上でしか、生き延びていけません。 陸と海、その境目が私たち人間にとって、生と死の境目なのです。 つまり、「陸=生」、「海=死」であるのです。 米津玄師さんにとって、海は、幼い頃に見た「海の生き物の図鑑」で見た、深海に住む大きなダイオウイカが獲物に触手を伸ばしているイメージと、符合しているのです。 そのイメージは強烈で、ずっと、米津玄師さんの胸の内にあります。 ダイオウイカの目は大きく見開き、陸の生き物である私たち人間達のすべてを見透かしているかのような、ギラリとした目をしています。 海には、ダイオウイカを始めとして、得体の知れない生物たちが、陸の住人である私たち人間を、特徴的な大きな目で見つめているのです。 陸が人間の生の象徴ならば、海は死、異形なもののすみか、として象徴されます。 私たち人間にとっての身近な死は、親しい人、愛する人の死です。 『海の幽霊』とは、今はもう生きていない、親しかった愛する人のことなのです。 米津玄師「海の幽霊」のストーリー展開 今はもう、陸には住んでいない、海の住人となってしまった、親しかった愛する人。 その愛する人を迎えるために、波打ち際に置かれた小さな椅子が、ぽつんとただ、波に打たれている。 その小さな椅子を家に持ち帰って、がらんとした、何もない部屋に置いておく。 愛するあなたを、待つために。 待ち続けた、ある夏の夜、愛するあなたが、私のもとへ来てくれた、かすかなサインを感じたのも束の間。 あなたは、私に微笑みながら、船に乗って、再び、海の住人へと帰ってしまう。 海こそ、あなたが本当に居るべき場所だと、私は感じる。 今は、海と陸、別々の住人になってしまった、あなたと私。 あなたが幸せだと言うのなら、私も幸せだと伝えたい。 夏の夜、たった一瞬、あなたを感じた、この瞬間のためだけに、私は陸で生き続けていく、あなたがいなくても。 なぜなら、再び、あなたと私は、海と陸の境目で、会えることを私は知っているから。 米津玄師「海の幽霊」の歌詞の意味・考察 ここまで、ひも解いてきた『海の幽霊』について、歌詞に込められたメッセージを考えてみましょう。 喪失と再生の中で生きるしかない私たち 私たち人間にとって最大の矛盾は、「死ぬことを知っているのに生きていること」です。 死だけが、私たち人間の、確実な未来です。 私たちは、そのことを知っているのに、いたずらに時間を過ごしています。 私ぬことは理解しているのに、感じることが出来ないでいるのです。 愛する人の死でさえ、私たちは、鈍感でいようと、無意識にしてしまうのです。 死ぬということの、本当の意味がわからないまま、私たちは生きて、死んでいきます。 死んだことに、気が付かずに。 無力な私たち人間に出来ることは、ただ、愛する人と再び会えるという、希望を持つことだけです。 私たち人間は、生と死を、延々と続けていくことしか出来ないけれど、誰かを愛したことで、たったひとつの希望を持つことが出来るのです。 米津玄師さんは、私たちに、そのメッセージを投げかけ、生と死、愛する人について、考える手がかりをさがすように、美しいメロディーと共に、『海の幽霊』で伝えてくれているのです。

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