あ号作戦。 大陸打通作戦

明号作戦

あ号作戦

(昭和18年)1月4日の大陸命第732号・同733号、大海令第23号により南太平洋方面作戦陸海軍中央協定がむすばれ、ここに日本陸軍と日本海軍はガ島撤退作戦とニューギニア作戦強化の方向で動き出した。 2月初旬、日本軍はを発動し、ガ島から撤収した。 既述のように、大本営陸海軍部はガ島撤収前から作戦重点を方面に指向していた。 1943年3月に発令された第三段作戦帝国海軍方針と、同時期にとの間に取り決められた陸海軍中央協定で、春以降の作戦方針として方面を重視していくことを確認した。 ラバウルに司令部を置く(司令官陸軍中将)はニューギニア方面作戦に懐疑的・消極的だったが、大本営陸軍部は方面軍の懸念を押し切る形で、方面に対する攻勢を指導した。 これにより南東方面の日本陸海軍(第八方面軍、南東方面艦隊〈第十一航空艦隊、第八艦隊〉)は、輸送船8隻・駆逐艦8隻による陸軍のラバウル〜ラエ・サラモア輸送作戦「第八十一号作戦」を策定した。 対空直衛として、日本陸海軍航空隊約200機が集められた。 当時、南東方面の日本陸軍と日本海軍の間には問題があった。 連合艦隊と第八方面軍の関係は険悪で、ラバウルの南東方面艦隊(司令長官中将)と第八方面軍の関係も険悪であった。 現地を視察した軍令部作戦課長大佐は「南東方面艦隊は第八方面軍司令部に対して全然信頼していない。 あれではニューギニア作戦も覚束ないであろう。 道路は何等着手していないし、ニューギニアに対する認識不足であり、中央も楽観しすぎている」と報告した。 2月20日、第八方面軍の今村司令官はトラック泊地の戦艦に連合艦隊司令長官大将を訪ね、南東方面における陸海軍協同作戦について懇談している。 日本陸海軍の戦闘機が護衛するとはいえ、第八方面軍は不安を抱えたまま「全般的作戦の要請上断固として」やむをえず第八十一号作戦を決行した。 、輸送船団はダンピール海峡で連合軍の大規模空襲を受け、輸送船8隻・駆逐艦4隻沈没という大損害を受けて作戦は中止された(。 ビスマルク海海戦の結果は、昭和天皇を含め日本陸海軍各部に多大なる衝撃をもたらした。 大本営陸海軍部は直ちに対応を協議したが、あくまでニューギニア方面重視の方針は堅持することになった。 敵制空権下での輸送は困難を極め、重要問題となる。 大本営の合同研究には「五 第一段作戦の結論(1)前述の敵情判断による敵航空の優勢と地上三師団の攻勢に対して、マダン〜ラエ道の完成する八月頃迄わが軍は何んとかしてラエ、サラモアを確保しなければならないが、これは一に補給の確保にある。 /(2)航空作戦はこの際防勢では駄目、こちらはラビ〜ブナ間の敵輸送路を攻撃する。 これを叩けば敵の突進力はなくなる。 」との項目がある。 軍令部作戦課長大佐によれば「い号作戦について軍令部から指示した記憶はない。 八十一号作戦ラエ輸送の全滅は「い」号作戦決行の一つの動機になったと思う」という。 3月22日、日本陸海軍は「南東方面作戦陸海軍中央協定」を結び、陸軍は同日付で大陸指第1465号を、海軍は25日に第三段作戦方針指示と大海指第213号をもってニューギニア方面・ソロモン諸島方面に対する新規作戦方針を示した。 その中には、航空機に関して「南東方面艦隊司令長官ノ指揮スル大約左ノ兵力 中略 状況ニ依リ母艦飛行機ヲ転用増強スルコトアリ」の項がある。 この新陸海軍中央協定では「陸海軍真ニ一体トナリ両軍ノ主作戦ヲ先ツ「ニューギニヤ」方面ニ指導シ該方面ニ於ケル作戦根拠ヲ確立ス 此ノ間「ソロモン」群島及「ビスマルク」諸島方面ニ於テハ防御ヲ強化シテ現占領要域ヲ確保シ来攻スル敵ヲ随時撃破ス」と謳い、陸海軍航空兵力の統一指揮についても言及および研究がおこなわれていたが、実現しなかった。 3月下旬、大本営陸海軍部は第八方面軍参謀長陸軍中将、連合艦隊参謀長海軍中将、南東方面艦隊参謀長海軍少将等を東京に招致し、現地の意見を聞くとともに中央の作戦方針を示した。 3月26日には、昭和天皇が大本営会議に臨御している。 ソロモン方面 [ ] 日本陸海軍は撤退後のソロモン諸島防衛線をどこに置くかで意見が対立し、などの北部ソロモン諸島は日本陸軍の担任、やなどの中部ソロモン諸島は日本海軍の担任という方針で妥協した。 だがソロモン諸島の防衛姿勢はいまだ陸海軍間で一致せず、折衝が続いた。 中部ソロモン地区強化のため、日本海軍は従来よりによる輸送作戦を実施していた。 既に制空権は連合軍側に渡っていたため、その傘の元に連合軍艦艇の行動も活発化した。 その結果ニュージョージア島ムンダ地区、島 ()は3月5日、連合軍艦船により艦砲射撃を受け、同日コロンバンガラ島へ輸送作戦を実施していた日本海軍駆逐艦、は、少将率いる第17任務部隊に襲撃され、全滅する事態となった()。 この頃、南東方面の日本海軍基地航空部隊は練度低下、器材搭乗員の損耗ともに激しく、夜間少数機で行っていたの夜間爆撃すら実施困難となり、のがそれを肩代わりする事態に陥っていた。 2月14日にアメリカ陸軍航空隊や海兵隊航空隊の航空機からなる戦爆連合がブーゲンビル島のカヒリを攻撃し、日本海軍の航空隊が迎撃したが、日本軍は戦闘機一機の損害だったのに対してアメリカ軍は10機を被撃墜され、セントバレンタインデーの虐殺("Saint Valentine's Day Massacre")と呼ばれる被害を出した。 4月3日、ニューアイルランド島・カビエン港がアメリカ軍の空襲を受け、日本側はの重巡洋艦が大破・擱座するなどの被害を受けた。 一方連合軍は南部ソロモン諸島(ガ島、フロリダ諸島、ルッセル諸島) および東部の地区を手中にしていた。 この方面より発進する連合軍戦闘機と爆撃機は、方面、ラエ、サラモア方面を連日のように空襲し、方面ではより南、方面では海峡地区より南の制空権を掌握するに至った。 3月下旬、連合軍はを発令し、南東方面での反攻に出ようとしていた。 3月から4月上旬にかけてガ島には米軍の輸送船や艦船が頻繁に入泊し、日本軍は米軍が近くソロモン諸島で攻勢に出るかもしれぬと懸念していた。 計画 [ ] い号作戦時の隼鷹艦爆隊、ブナカナウ基地。 が母艦飛行機隊を陸上基地で大規模に運用する構想については、1943年1月の「」後の連合艦隊の作戦指導構想の中にすでに見えている。 ただしこの時点では投入兵力はのみであり、攻撃目標も敵を想定していた。 また、「い号作戦」そのものの構想が固められた時期についてでは、1月に海軍部()より提案された昭和18年度帝国海軍戦時編制案について、連合艦隊が2月25日に回答した中に次期作戦についての言及があり、この次期作戦が「い号作戦」を指すのではないかと推測、そこから遅くとも2月中旬頃には作戦に関する構想は固まっていたのではないかとしている。 作戦を計画するにあたり、軍令部からの直接の作戦指導はなく、時のような現地部隊からの増援要請も無く、連合艦隊が独自に立案し実行されたものだった。 連合艦隊戦務参謀の回想によれば、「」以前から一度敵の出鼻を挫こうという考えがあり、同作戦の失敗によってその時期を繰り上げたという。 また、この作戦は初めから荒ごなしのつもりであり、母艦飛行機隊保全の観点からそうなったという。 戦務参謀である渡辺は「ケ号作戦」とニューギニア方面の輸送作戦を担当していたが、い号作戦は航空参謀であるが担当した。 第三艦隊作戦参謀の回想によれば、「第三艦隊母艦機を南東方面に使うことについて連合艦隊と第三艦隊司令部幕僚間では、相当の論争があったように記憶している。 三艦隊側は反対意見であった。 しかしこの問題が司令部上層までに及んで論議されたことは聞いていない。 おそらく山本長官自ら発案し、小澤第三艦隊司令長官に直接了解を得られたものと思う。 」という。 また、軍令部第一部第一課員のは、が「ケ号作戦」後「ガ島攻撃を実施する」と発言した事を天皇が取り上げ、その後一向にやらんではないかと問われており、その事が少なからず作戦の実施に影響を与えたのではないかと推測している。 第八方面軍側の記録によれば、3月中旬に今度の作戦方針を研究した際に「ラエ維持で合意」「(連合艦隊の藤井参謀、渡辺参謀より)聯合艦隊は第八艦隊の飛行機を増加しニューギニア北岸に対する敵の船団を撃破しその進攻を阻止するという企図をもっている」との説明があったという。 3月18日には、軍令部の山本祐二中佐が大本営陸軍部に海軍側の意見を伝えた際に「なお聯合艦隊はソロモンおよびニューギニア海域の敵の蠢動はなはだしいので第三艦隊でこれを掃蕩する予定である。 」と述べている。 3月26日、大本営陸海軍部・連合艦隊・南東方面艦隊の懇談席上、宇垣連合艦隊参謀長は「南東方面現状打開の方策として母艦空母を一時機 約二十日間 ラバウル方面に集中して圧倒的作戦を実施する。 」と説明した。 このように作戦立案に関する経緯が現在も不透明な部分が多いのは、作戦終了後、作戦立案の中心的人物であった山本五十六が戦死していることや、当時連合艦隊参謀長であったの記した『』の1943年1月1日から4月2日までの記述が戦後紛失してしまっていることも影響している。 宇垣纏の口述書によれば 、作戦を決意したのは3月の中旬であり、その目的は以下のようであった。 ソロモンおよび東部ニューギニアの敵船団、航空兵力を撃破しその反攻企図を妨げる。 同地域の急迫する補給輸送を促進し、戦力の充実を図り部隊の強化を実現すること 作戦の実施時期については内地において訓練中だったの進出を待って開始された。 また、作戦指揮に関して第三艦隊(小沢機動部隊)と基地航空部隊であるを統一して指揮する必要があり、これまでの慣例では先任にあたる十一航艦の司令長官海軍中将(南東方面艦隊司令長官兼務)が統一指揮をとることになるのだが、母艦飛行機隊の指揮を基地航空部隊の指揮官に任せて必要以上に消耗させたくないという第三艦隊(司令長官海軍中将)の意向もあり、連合艦隊司令長官である山本五十六大将が統一指揮をとることになった。 作戦目的• 敵の反攻企図を撃砕、妨圧• 補給輸送を促進し、第1線戦力の充実を促進する• 現地陸海軍部隊の作戦指導強化 作戦期間• 第1期 4月5日から4月10日まで、ソロモン方面(X作戦)• 第2期 4月11日から4月20日まで、ニューギニア方面(Y作戦) 参加兵力• 第三艦隊 (欠)、• 第十一航空艦隊 、 参加兵力の内訳。 第一航空戦隊 (27機、18機、18機)、(艦戦21機)• 第二航空戦隊 (艦戦27機、艦爆18機)、(艦戦27機、艦爆18機、艦攻9機)• 第二十一航空戦隊 (艦戦36機、3機)、(36機)• 第二十六航空戦隊 (艦戦45機、陸偵6機)、(艦戦27機、艦爆16機)、(陸攻36機) さらに作戦要領として、敵艦船の攻撃は艦上爆撃機を主用、戦闘機はその掩護にあたるほか制空隊により敵機の制圧、陸上攻撃機隊は敵航空基地攻撃に主用する、などとしている。 この基本計画に従って攻撃予定地や参加部隊などが決められた。 攻撃予定地:ガダルカナル島方面(X攻撃)• 参加部隊:第三艦隊、第十一航空艦隊• 攻撃予定地:ポートモレスビー(Y攻撃)• 参加部隊:第三艦隊、第十一航空艦隊• 攻撃予定地:ラビ方面(Y1攻撃)• 参加部隊:第十一航空艦隊• 攻撃予定地:ブナ方面(Y2攻撃)• 参加部隊:第三艦隊 経過 [ ] 4月7日 X攻撃(フロリダ沖海戦) [ ] 攻撃当日朝のツラギ港。 左端が沈没した駆逐艦。 当初4月5日実施予定であったが天候不良により二度延期され、この間ポートモレスビーに攻撃目標を変更することも検討されたが準備不足のため結局実施はされず、その稚拙な対応ぶりに宇垣は「度々云ふ事乍ら如何にも計画が一本筋のみの薄ペラなり事にぶつかって始めて変更を考ふ」と日記に記している。 攻撃は結局7日に実施され、部隊編成および発進基地は以下の様になった。 第一制空隊 二五三空(艦戦21機) 基地• 第二制空隊 二〇四空(艦戦27機) ブカ基地• 第一攻撃隊 瑞鶴隊(艦戦27機、艦爆17機)、瑞鳳隊(艦戦3機) 基地• 第二攻撃隊 五八二空艦爆隊(18機)、瑞鳳隊(艦戦4機) ブイン基地• 五八二空艦戦隊(21機) 基地発• 第三攻撃隊 飛鷹艦戦隊(24機)、瑞鳳隊(艦戦6機) ブイン基地• 飛鷹艦爆隊(17機) バラレ基地発• 第四攻撃隊 隼鷹艦爆隊(17機)、瑞鳳隊(艦戦3機) ブイン基地• 隼鷹艦戦隊(21機) バラレ基地 6日の敵通信情報によればガ島付近には艦船約35隻の所在が確認され、同夜ガ島を爆撃した陸攻からも ()北東海面に北上する巡洋艦3隻、駆逐艦6隻の発見報告があり、7日朝に実施された二五三空のによる偵察でも港に巡洋艦2隻、駆逐艦6隻、大型輸送船2隻などを確認、その他沖、付近にも敵艦船の存在を認め、前日の敵通信情報が裏付けられた。 攻撃隊は9時45分から11時にかけて次々と各飛行場を発進、攻撃隊ごとに空中で合同し目標上空を目指した。 11時25分頃、第一制空隊ガ島上空に突入、続いて15分遅れて発進した第二制空隊もガ島上空に到着、12時30分、五八二空の零戦隊が敵戦闘機と空戦に入る。 その後おおよそ13時前後に第一から第四攻撃隊が相次いでガ島上空に到着、第一、第二攻撃隊はツラギ港在泊艦船を攻撃、第三攻撃隊は ()付近の輸送船を攻撃、第四攻撃隊はルンガ岬付近の艦船を攻撃した。 その直後から制空隊、直掩隊の零戦は迎撃に上がった連合軍の、戦闘機76機と空戦に入り、おおよそ13時40分頃にすべての部隊が戦場を後にした。 また、この攻撃で飛鷹艦爆隊の操縦員として参加していた作家のの乗機は撃墜され、その後米軍に救助され、捕虜になった。 その後、豊田中尉は「大谷中尉」の偽名を名乗り、ハワイの収容所でリーダー役を務めた後、昭和19年4月頃ウィスコンシン州マッコイ収容所に移送され、そこの娯楽室で時代小説を書いて周囲を楽しませたりして、さらに昭和20年6月24日、テキサス州ケネディ収容所に移りそこで終戦を迎えた。 日本軍の損害 零戦12機、艦爆11機• 連合軍の損害 駆逐艦「」、「Kanawha」、掃海艇「」沈没、至近弾や同士討ちによる損傷艦船複数 、戦闘機9機損失 攻撃終了後15時から17時までの間に各部隊は発進基地へ帰着したが、飛鷹艦爆隊の内3機、隼鷹艦爆隊の内1機はコロンバンガラ基地に、隼鷹艦爆隊の内6機はムンダ基地に帰投した。 また、連合軍は航空機の写真偵察により日本海軍機の集結を事前に察知しており、これに対応するために使用可能な戦闘機の全てがガ島に集められ、当日は76機の戦闘機(ワイルドキャット36機、コルセア9機、ウォーホーク6機、ライトニング12機、エアラコブラ13機 )がサボ島周辺で日本軍の攻撃隊を迎えうち、爆撃機は全て事前にガ島南西端上空へ避退していた。 さらに当日の日本軍の攻撃隊の発進もにより逐一動静をつかんでいた。 また、この方面には当時第18任務部隊のホノルル、ヘレナ、セントルイス、駆逐艦6隻も在泊していたが、日本軍の接近を察知し、当日予定されていたムンダへの砲撃をキャンセルし ()海峡を南下し避退していた。 9日、大本営海軍部は現地からの報告を元に戦果を発表した。 撃沈 巡洋艦1隻、駆逐艦1隻、• 撃墜 37機 なお、この戦闘を大本営海軍部は「フロリダ沖海戦」と呼称した。 4月11日 Y2攻撃 [ ] オロ湾、1943年 予定では4月10日にY攻撃実施となっていたが、前日より、方面の天候悪化のため、これを延期し、10日以降Y1、Y2攻撃を実施するとし、整備のため1日間をおいて11日ブナ方面(オロ湾)攻撃であるY2攻撃が実施された。 部隊編成は以下のようになった。 また艦爆隊は各機60キロ爆弾2発装備で出撃した。 制空隊 瑞鳳隊(零戦15機)• 第一攻撃隊 瑞鶴隊(零戦27機、艦爆13機)• 第二攻撃隊 飛鷹隊(零戦21機、艦爆8機)、隼鷹隊(零戦9機) 8時30分から9時にかけてラバウルを発進した攻撃隊は、11時25分から40分にかけてオロ湾およびその南のポートハーヴェイ上空に到着、艦爆隊は在伯中の輸送船を攻撃し、イギリス「ハンヤン」に直撃弾2発を与え、他に護衛のオーストラリア海軍の「パイリー」 と小型の輸送船にも命中弾を与えた。 この攻撃に対しP-38およびP-40戦闘機約50機が日本軍を迎え撃ったが、当日迎撃に上がった米陸軍の第8、第49戦闘航空群の戦闘機隊は日本の陸軍航空隊との連日の空戦を経験しているため練度が高く、日本海軍機は撃墜戦果を果たすことができなかった。 その後攻撃隊は14時から14時40分にかけて帰着した。 日本軍の損害 零戦2機、艦爆4機喪失• 連合軍の損害 掃海艇(パイリー)1隻、貨物船1隻損傷 4月12日 Y攻撃 [ ] オーエンスタンレー山脈 連合艦隊は11日の天候予想の結果に基づき、12日にY攻撃を実施することを決めた。 攻撃直前の偵察も2回に渡り実施し、2回目は進撃路上空の天候偵察に重点が置かれた。 これはニューギニア特有の変化の激しい天候と、オーエンスタンレー山脈を越える際の危険性に配慮したものだった。 部隊編成は以下のようになった。 制空隊 瑞鶴隊(零戦23機)、隼鷹隊(零戦15機)、飛鷹隊(零戦18機)• 第一攻撃隊 二五三空(零戦18機)、瑞鳳(零戦14機)、七五一空(陸攻18機)• 第二攻撃隊 二〇四空(零戦24機)、五八二空(零戦20機)、七〇五空(陸攻27機) 今回はラバウル上空で全飛行隊が集合、第一攻撃隊と第二攻撃隊は約1000メートルの間隔を空けて編隊を組み、その上空500メートルに制空隊を配備して進攻した。 攻撃隊は9時ごろポートモレスビー上空の手前から連合軍機44機の邀撃を受け、その後9時25分頃から爆撃開始、おおよそ12時30分頃に帰着した。 また、瑞鶴隊の一部はいったん西部の基地に着陸し、燃料を補給した後13時15分ラバウルに帰着した。 日本軍の損害 陸攻9機• 連合軍の損害 戦闘機6機 、中型機4機(地上撃破)、燃料集積所の火災 4月14日 Y1、Y2攻撃 [ ] ミルン湾、1943年 この日ミルン湾およびに対する基地航空部隊の攻撃(Y1攻撃)と、同じく母艦飛行機隊の攻撃(Y2攻撃)が実施された。 部隊編成は以下の通りであった。 Y1攻撃隊• 直掩隊 二〇四空(零戦21機)、二五三空(零戦17機)、五八二空(零戦18機)• 攻撃隊 七〇五空(陸攻26機)、七五一空(陸攻11機) Y2攻撃隊• 制空隊 瑞鶴隊(零戦23機)、瑞鳳隊(零戦15機)• 攻撃隊 飛鷹隊(艦爆12機)、隼鷹隊(艦爆11機)• 直掩隊 飛鷹隊(零戦20機)、隼鷹隊(零戦17機) 攻撃隊は11時35分から11時50分にかけミルン湾在泊の敵艦船および ()を爆撃した。 Y1攻撃隊の七五一空の陸攻は泊地を爆撃したが、有効弾は与えられなかった。 また、七〇二空の陸攻隊は敵戦闘機の邀撃を受け隊形が乱れ、泊地攻撃の予定を変更し、ラビ東飛行場を爆撃、数カ所を炎上させた。 隼鷹、飛鷹の艦爆隊は湾内の艦船の攻撃に成功、オランダ商船ヴァン・ヘームスケルクを至近弾により火災を生じさせ、その結果同船の貨物室は大爆発を起こし、オーストラリア掃海艇ワガの消火作業も実らず、遂に放棄されその後沈没した。 その他ヴァン・オウツフールン、ゴーゴンの2隻の商船にも損害を与え、攻撃隊は15時頃に帰投した。 ラビ付近の敵対空砲火は比較的少なく、連合軍のP-40、P-38戦闘約40機が日本海軍の攻撃隊を迎え撃ったが 、その妨害行動もあまり執拗ではなかったという。 日本軍の損害 零戦4機、艦爆3機、陸攻4機• 連合軍の損害 戦闘機3機 、貨客船1隻大破(その後沈没)。 作戦後 [ ] 4月15日、予定計画に基づき各飛行隊は翌日のブナ攻撃の準備に入った。 16日早朝、東部ニューギニア北岸への偵察を実施したところ、ブナ方面に敵艦船は見られなかった。 このため山本長官はブナ攻撃を中止し、これをもってい号作戦の終結を下令した。 また同日、連合艦隊は第二期作戦の戦果並びに被害を報告、「ガ島方面攻撃に相次ぎニューギニア方面航空作戦に敵の意表を衝き甚大なる打撃を与え敵の反撃企図を相当防遏し得たるものと認む」と所見を出し、概ね作戦目的を達しえたものと判断した。 作戦終了後の17日、連合艦隊はラバウルで「い号作戦」研究会を行なった。 ここでは連合軍の増勢遮断と前線航空基地の整備を主題として取り上げ、山本も航空戦の成否が勝敗を決するという趣旨の訓示を行なった。 また、宇垣は航空作戦に関して、偵察を徹底すること、小目標であってもこまめに攻撃すること、大型機に対する対処法や、新たな攻撃法に対する研究の促進などを希望として述べた。 詳細は「」を参照 「い号作戦」の間、山本長官は、トラック島の連合艦隊旗艦「武蔵」を離れ、「い号作戦」を直接指揮するため、幕僚をしたがえてラバウル基地に来ていた。 作戦終了後、山本は、ブーゲンビル島、ショートランド島の前線航空基地の将兵の労をねぎらうため、ラバウルからブーゲンビル島のブイン基地を経て、ショートランド島の近くにあるバラレ島基地に赴く予定を立てた。 その前線視察計画は、艦隊司令部から関係方面に打電された。 これは前線視察を兼ねて現地将兵の士気高揚を狙ったものであったが、同時にガ島奪回作戦以来、苦闘を続ける陸軍に対し宇垣連合艦隊参謀長は司令部を訪問しその戦功を労いたいと以前から考えており、山本もそれを望んでいたことも理由の一つであった。 前線視察に関しては第三艦隊のらから反対されたが、視察は予定通り決行された。 4月18日6時5分、司令部一行は2機の一式陸攻に分乗し、護衛の零戦6機をともなってラバウル東飛行場を発進した。 7時40分頃、米陸軍のP-38戦闘機16機と空戦になり、一式陸攻は2機とも撃墜され、山本は20日捜索隊によって死亡が確認された()。 この後21日にが連合艦隊司令長官に任命されたが 、参謀長の宇垣以下司令部員も多くが戦死、負傷しており、その結果、3月に軍令部より打ち出された第三段帝国海軍作戦方針に基づき、直ちに発令されるべき連合艦隊第三段作戦命令の発令が8月になり、日本海軍の作戦指導に影響を与えた。 戦績 [ ] 報告による戦果と実際の戦果 巡洋艦 駆逐艦 輸送船(大中小型) その他の大型艦船 その他の小型艦船 航空機 報告戦果 1隻撃沈 2隻撃沈 19隻沈没、8隻撃破 なし なし 134機撃墜 実戦果 なし 1隻撃沈 貨物船1隻撃沈、2隻撃破 油槽船1隻撃沈 コルベット艦1隻撃沈、掃海艇1隻撃破 25機喪失 日本の航空機の消耗 準備数 消耗数 消耗度 零戦 206機 25機 12% 艦爆 81機 21機 21% 陸攻 83機 15機 18% (消耗数には10月15日の空襲による被害や作戦後被弾のため廃棄された物、作戦中事故や故障など様々な要因で廃棄された機体も含むものと思われる 影響 [ ] 海軍 [ ] 母艦飛行機隊は一度損耗すると再建に時間がかかるという理由から、「い号作戦」は短期間で終了したものの、母艦飛行機隊の航空機は艦戦14機、艦爆16機を自爆、未帰還で失い、艦戦6機、艦爆17機が被弾した。 特に母艦飛行機隊の艦爆の損耗率は三割に達し(上記の消耗度と一致していないが、これは基地航空隊である五八二空所属機が含まれていないため)、被弾した物を加えると六割を超えており、結局一航戦は機材と搭乗員の一部を二航戦に移し、飛行機隊再建のため五月に内地へ帰投することとなった。 このため5月12日にはじまるや6月30日に始まる連合軍の中部ソロモン地域に対する反攻()に対して機動部隊を活用することができず、一航戦がトラックに再進出するのは7月15日になった。 また、基地航空部隊も、作戦直後の偵察により、ガ島周辺および東部ニューギニア北岸地域に多数の航空機、艦船の集結を認め、今後もい号作戦のような大規模な航空作戦の必要性を感じていたが、二十一航戦、二十六航戦ともにい号作戦の消耗から回復しつつ、小規模な攻撃を実施する程度で、大規模な攻勢作戦は5月の二十五航戦の再進出まで待たねばならなかった。 また、草加任一の回想によれば、17日の研究会において戦闘機の実力が開戦時に比べ相当落ちていることが取り上げられており 、過大な戦果報告と空戦能力の低下は、徐々に日本軍の航空作戦の問題になり始めていた。 こうした犠牲を払いながらも、今回の作戦により連合軍側も7日のX攻撃によって連合軍の北上作戦が10日間延期されている。 陸軍 [ ] 今回の作戦についての連絡は、現地のには3月12日に、には同18日に正式に伝えられていたが、海軍の航空作戦に呼応して、積極的な航空作戦や大規模な船団輸送を実施するような機運にはならず、中央も現地も傍観的な態度であったという。 これに関して『戦史叢書66、大本営陸軍部〈6〉』では「なぜ陸海軍航空隊による統一作戦・航空撃滅戦が実施できなかったのか?」と指摘している。 3月の時点で参謀総長は南東方面陸海軍航空指揮の統一運用を唱え、3月22日の南東方面陸海軍中央協定でも「航空作戦ノ指導ニ方リテハ特ニ陸海軍航空戦力ノ統合発揮ニ努ム」と指示されている。 4月初め、天皇は参謀総長に「海軍はソロモンやモレスビー方面に大規模の航空作戦を行なうというが、陸軍はいかにするか」と暗に陸海軍の協同作戦について注意を促した。 4月11日、天皇からもい号作戦に関連して陸軍の作戦指導に関する質問がなされた。 そのため参謀本部では現地第8方面軍に対して、12日には補給の現状と今後の見通しについての問い合わせが、14日には海軍の航空作戦に呼応して積極的に輸送作戦を実施するよう督促が発せられた。 中央の指示に対しラバウルの第8方面軍では、ニューギニア方面の輸送計画に関して海軍側と困難な折衝を続けていたいきさつもあり 、方面軍参謀のはそれまでの中央の現地に対する無理解への不満も相まって 、中央からの神経質な干渉に相当な苛立ちを感じていた。 ただ現実問題として、当時積極的な航空作戦を実施できるほど陸軍の航空戦力が充実していなかったことは井本自身も認めている。 当時の南東方面はもはや航空援護無しに輸送作戦を実施することはありえない情勢であったため、事は簡単ではなかった。 また、この当時の南東方面に展開していた陸軍航空部隊であるの3月20日頃の実働戦力は、50機、16機、17機、3機の合計87機であり、これは部隊定数の60%に過ぎず、この頃の第六飛行師団はもっぱらブナ、オロ湾方面への夜間爆撃と、輸送部隊の船団護衛に従事する程度の活動に甘んじていた。 それでもこの作戦中にソロモン方面、ニューギニア方面への輸送は数回実施されており、この時期の同方面への輸送船団が航空機による妨害を受けないことはまれであったが、X攻撃直後の4月8日のムンダ輸送は連合軍の妨害を受けることなく成功し、この後始まる中部ソロモンの防衛の一助となった。 第8方面軍もい号作戦によってムンダ、サラモア方面の連合軍の活動が低下したことを認めている。 とはいえ、作戦実施期間の関係でその効果が現れた期間は短く、陸軍側には物足りないという思いが残った。 評価 [ ] 作戦終了時、連合艦隊は、「ガ島方面攻撃に相次ぎニューギニア方面航空作戦に敵の意表を衝き甚大なる打撃を与え敵の反撃企図を相当防遏し得たるものと認む」と所見を出し、概ね作戦目的を達しえたものと判断している。 この作戦の問題点としては、戦果に比して日本の被害が大きいことが挙げられ、参加部隊の機材の損失、搭乗員の質の低下といった航空戦力の低下を招いたことが批判される。 戦死者も、戦闘機搭乗員のみの比較でも日本側の15名に対し連合軍側は3名と少なかった。 こういった結果は予測できたものとして、計画者の長官を批判する意見もある。 当時のアメリカ太平洋艦隊司令長官のは、「山本長官は戦勢の悪化に驚き、連合国計画の撹乱を意図した全面航空攻勢作戦を指揮するため、自らラバウルに出発した。 第三艦隊(空母部隊)から派遣した約200機と、陸上基地の海軍機100機をもって、彼は戦争中もっとも強力な日本航空部隊を編成、まず最初に、における船舶を、次いで、東部ニューギニアの目標に攻撃を加えた。 この結果はけっして小さくなかった。 駆逐艦1隻、1隻、給油艦1隻、輸送船2隻を撃沈し、25機の連合軍飛行機を破壊した。 しかし、日本は40機の犠牲を出し、空母の第一線搭乗員の大きな損失は、日本の空母部隊の戦力をこれまで以上に大きく低下させたのである。 」と評している。 戦後GHQによって作成された「マッカーサー・レポート」には「航空攻撃の非常に有効な結果にも関わらず、日本海軍航空隊は大規模な航空攻撃を継続する能力を持っていなかった」と評価をしている。 連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部長は「広く分散していた三つの目標に飛行隊を分けた結果、その攻撃は徹底さを欠いていた」と評している(「三つの目標」とは当時マッカーサーが担当していた戦区である東部ニューギニア方面へのY攻撃を指すと思われる)。 は、4月7日のX攻撃については「アメリカ軍の攻勢準備のスケジュールを約10日間遅滞せしめた」と記し 、また11日以降に始まるY攻撃に関しては「艦砲射撃のない航空戦力は航空支援のない艦艇と同様に効果がないことを証明した」 と両航空作戦を評価している。 脚注 [ ]• 昭和18年度帝国海軍戦時編制案は、機動部隊を2隊編成するという案であり、具体的には第二航空戦隊の第二艦隊への編入が提案されていた。 この内艦攻隊はカビエンにて訓練、対潜哨戒に任じ、直接攻撃には参加していない。 また基地航空部隊の機数は常用定数であり、作戦開始時にはほぼ定数を満たしていた。 戦史などではこのパイリーを「コルベット艦」と表記するケースもあるが、「HMAS Pirie」はオーストラリア海軍の正式な艦種区分では「Minesweepers」(掃海艇)である。 Sea Power Centre Australia. 2012年5月21日閲覧。 出典 [ ]• , pp. 367a-369「い」号作戦実施の動機• 奥宮正武『ラバウル海軍航空隊』学研M文庫256頁• 奥宮正武『ラバウル海軍航空隊』学研M文庫250頁• , p. 371山本聯合艦隊司令長官の戦死• , pp. 25-26南東方面作戦方針の転換• , pp. 30-37大本營の新作戦に関する命令、指示• , pp. 58-59ガ島撤収作戦の実施• , pp. 68-74田辺参謀次長の南東派遣と帰還報告• 、pp89-103• , pp. 76-78,80-81ニューギニア方面の作戦指導• , pp. 247a-249八十一号作戦計画とダンピールの悲劇• , p. 247b. 79-81. 248. , p. 249. 250-252. 117-118頁• , pp. 259-264南東方面作戦陸海軍中央協定• , p. 261. , pp. 264-267陸海軍中央協定の問題点• , pp. 266-267四 航空作戦について• , pp. 267-268招致の目的と日程• , p. 273-275. , pp. 42-43ソロモン群島の防衛• , pp. 74-76ソロモン方面の防衛問題• , p. 359. 、p80-81• , pp. 361-362ソロモン方面連合軍の反攻準備• , pp. 44-45. , pp. 54-55ソロモン方面の戦況• 、 p115• , pp. 281-283. , p. 363. 、p117• 、p117• 、pp50-55• , p. 367b. 軍令部第一課長山本親雄および南東方面艦隊司令長官草加任一の回想。 、pp117-118• 、pp121-122• 、p106• 118• 、p106• , p. 254. 368. , p. 257. 、pp126-130• この口述書は、山本五十六戦死後の4月28日「山本聯合艦隊司令長官作戦指導ノ為『ラボール』進出及『ショートランド』方面実視ニ至ル経緯竝ニ所見」として海軍次官に報告されたものである。 、pp104-105• 、pp107-109• 、pp122-123• 、 pp109-110• 、p281• 、pp112-114• 、p112• 、pp112-115• 、「JACAR アジア歴史資料センター Ref. C08051584800、昭和17年10月〜昭和18年4月 飛鷹飛行機隊戦闘行動調書 防衛省防衛研究所 」第48画像目• 、pp86-87• 、p108• The Official Chronology of the U. Navy in World War II、1943年4月7日および8日の項• 、p108• 、pp112-115• History of United States Navak Operations in World War II Volume6, p. 120• 、pp116-117• 、pp98-100• Miller, John, Jr. 1959年. United States Army in World War II: The War in the Pacific. Office of the Chief of Military History, U. 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礼号作戦

あ号作戦

第十一号作戦とは、「」においてからまで実施された、期間限定域()である。 通称5(イベ)。 概要 今回新規に追加されたは、• から来訪する新「Lio」• 同じくから来訪する「」• 「」二周年記念の新 「」 このうち・Lio・は域突破報酬で、・は域にて手に入る。 前回のにて新された「甲」の選択が今回もされており、は全てのが選択可でさらに歴戦のは「」「甲」も選択できる。 今回も域ごとに選択する方式になっており、域前なら全回復と引き換えに変更できるのも同じだが、追加として でした次の域は「甲」が選択できなくなる。 つまり、ある域でをした場合、甲に戻るには次の域を一旦でし、その次にようやく甲に戻れるという事になる。 突破報酬などの兼ね合いである域を甲でしたいと考えている場合、その1つ前の域の選択も忘れてはならない。 さらに今回は戦の温存・投入に伴う 出撃識別札がの・以来再びされた。 概ね14と同じ仕組みであり、一度でも出撃させるとその域の札が貼られて他の域に出撃できなくなるが、一般域やへの参加、装備の付け外しは札に関わらず可であり、また艦隊として出る分には関係ない。 なお域全域にお札による出撃制限があった14と異なり、今回の域でお札によって出撃制限がかかるのは・4・5の3つの域だけであり、~2およびには出撃してもお札が貼られることはく、異札が貼られているを混在させた艦隊で出撃する事も可。 また、 を選択している場合、お札の有に関わらずに出撃できる。 出撃させれば以上と同様にお札が貼られはするが、以上のに変更しない限り関係で、お札が貼られていても出撃させられる。 また、と直接の関係はいが、が開催された同日に「」が2周年を迎え、時期を同じくして一部のにも専用の追加がされている。 新システム【能動分岐】 今回ので追加された新。 出典: たちを散々翻弄してきたが、ある域ののに限り自分の意志で艦隊の針路を決定できるようになっている。 選択可な域のが発するので、向かいたい先のをすればOK。 進む先の針路や待ち構える敵艦隊及びこちらの艦隊の戦を考え、最適な選択をしていきたい。 例によって、 ながらなどによる誤に注意。 ちなみに動分岐では、燃料などの消費は発生しない。 作戦内容 第1作戦海域【発動準備、第十一号作戦!】 第十が発された! に先立ち、とで編成されたによる域の威偵察を実施せよ! 最初の。 とのみの編成で出撃可。 始めの域だけに敵艦隊の編成や構成も割とあっさりしており、歴戦のにとっては肩慣らし程度の。 出撃制限(お札)も関係なので、最も練度が高い筆頭戦を投入してかまわない。 安として、(3-2)をできたであれば、や甲でも充分打ちできるはず。 また、動分岐が速登場し、北周りと南回りでどちらの針路を進むかをが任意で選択できる。 北周りは中が2戦で済む代わりに、とをなどといった強な艦隊が待ち構えるため率が高い。 南回りの場合は隊や部隊と戦い、中が3戦になる代わりに敵が北回りよりも弱めなので安定して進める。 それでも運が悪いとやの撃が刺さって大破に追い込まれたりもするが。 艦隊の戦とのに合わせて、最適な針路を選んでいこう。 このをでした場合は上述の通り、下記ので甲を選択できない。 としての登場はのE-1以来で、や、やとべればさほどの相手でもないが、今回はとだけで戦う以上やはり結構な強敵となる。 や装甲の高さは論、に持ち込んでもばりにかなり高いで攻撃を放ってくる。 さらに甲で進めた場合は破壊が前になると、随伴艦としてなんとに登場したが再び 巡業やってくるので一層撃破が難しくなる。 心配なら艦隊を出撃させるのも可。 なお域突破報酬であるが、例によっての方がである・・・はずだが、甲・・の順に「試製連装」「試製46連装」「試製. 6三連装」となっている。 補正の有による命中率の上下が存在するの径は攻撃が高い方が良いとは必ず言えず、艦によってはより46の方が望ましい場合もある(. 6も同様)。 また入手手段もコモン装備からの修で手に入れる事もできる試製. 6はともかく、試製46はのところここ以外では報酬でしか配られていない装備であるため、甲でできる十分な実を持つであっても、ここはあえてですると言う選択を考慮に入れても良いかも知れない。 艦はや、などが入手できる。 とは関係ないが、・・を未所持で甲をしたは試製連装を出来ないので、誤って棄しないように気を付けよう。 第2作戦海域【第二次カレー洋作戦】 先の偵察活動により域の敵情は判明した。 を同方面に進出させ、洋域の制権を握れ! 上記のE-1了後に出撃可となる、第2。 による出撃である事がににて開されている。 こちらも後のの出撃制限は関係なので、全戦を投入してをしたい。 ちなみに今回から、 編成時は第1・第2艦隊ともにを旗艦に配置できなくなっている。 域は部隊であれば北回り針路(Aへ固定)、機動部隊ならば南回り針路(Cへ固定)となる。 どちらの針路も2で動分岐が用意されている。 どちらにしてもEのが門。 さらに北回りの場合はDに登場するのも難関であり、部隊で進む場合は嫌味たらしい二者択一を迫られる事になる。 の進行順の関係上、機動部隊よりも打撃部隊を選んだ方がが安定するのは以前と変わっていないのだが、起動部隊で出撃した場合にのみ進撃できるが回数が少なくて済む等のがある。 これは一見するとを踏んだ上で回数を1回増やす何の得もいだが、が多数出現するために・ウイーー任務の消化が可な上、 のが確認されているでもある。 13年の以来に旗艦として返り咲いた(通常域であれば、4-4や5-2のとしても登場しているが)。 削り段階の前戦であれば部隊でも及び制権は割と何とかなるが、最終形態になると新艦載機を搭載したを連れて来るので、優勢を勝ち取る事さえかなり厳しくなる。 域突破報酬は、正規「」(甲・・共通)、(六〇一)(甲・)、式高射装置、WG42 Wt 42 (甲のみ)である。 また艦はや、と、やなど。 第3作戦海域【ベーグル湾通商破壊戦】 第3。 ここから、出撃制限(お札)が付いて来るので慎重に出撃を選択したい。 この域へ出撃したは後述のE-4及びE-5へ出撃できなくなる。 なお、この域は正規と低速が出撃できない。 この域は特にこれと言った固定がいので、後の域のためにここで使う艦と温存する艦の選択をしっかりしたい。 開幕の分岐はの艦隊ではほぼに近い分かれ方をするようだが、上下どちらも回数が変わる訳でもなく、どちらかが特別にりやすいと言った事もいので、お札のために艦を温存する事を優先して考えて構わないだろう。 強いて挙げるなら、やの大部隊が待ち構える南回りよりは、が待ち構える北回りの方がは低めかもしれないが。 ドではなくのではあるが、自体がとにタフなので、のある艦をある程度は入れよう。 なお、後述にもあるがE4・共にがであり、巡を温存しておく意味はあまりいので、もしここで苦戦するような事があった場合、思い切って巡を使ってしまって構わない。 ちなみにこの域、前のやでは上述の以上にが大勢出現するのでを周回しているだけでがみるみる。 艦狙いのついでに任務やろ号消化などを狙うのも悪くないだろう。 域突破報酬は、新ジのプリエーゼ式防御隔(甲・・共通)、山 六〇一 、応急要員(・)、 OTO 1mm三連装速射(甲・)、修資材(甲は4つ、は3つ)、 六〇一 、勲章(甲のみ)である。 またこの域ではや、などのが確認されている他、もここでする。 第4作戦海域【決戦!リランカ島攻略作戦】 第4。 による出撃。 上記のへ出撃させたはこの域にて出撃できない。 また、このへ出撃したは上記のと下記のE-5への出撃が禁止される。 再びで挑むであり、ここも打撃部隊と機動部隊を選んで編成できる。 打撃部隊と機動部隊でが分かれており、打撃部隊の方が1戦多い事、機動部隊は任意で入れる遠回りがあるのもE2に同じ。 は怖いこと。 例によってであり巡のが通用しない上、甲での最終段階ともなると・装甲と非常に高いタフを誇るので、三式弾を装備させたを第2艦隊に配備するのが重要である。 先述の通り中的に機動部隊の方が有利なのだが、機動部隊だと第2艦隊が中でを受けやすく、に決定打を与えられないも多い。 前でされた特殊装備「WG42」を所持しているは、やにそれを搭載する事ででもある程度のを与えられるようになるので、是非しよう。 ちなみに前のEへ到達した時点で第2艦隊にを入れていた場合、ではなくGへ逸れるがこちらのGにはがとは別に出現する。 域突破報酬は、「リッ」、勲章(甲・・共通)、mm単装高(甲・)、修資材(甲は6つ、は4つ)、mm/ 三連装(甲のみ)である。 またはのやに続いて、や、など。 第5作戦海域【アンズ環礁泊地攻撃作戦】 第5。 上述の、及びE-4へ出撃させたはこの域に出撃できない。 また、このからもをとした静けさとさを備えた曲調へ一変する。 拡第1弾。 通常艦隊で出撃するとなっている。 なお、 今回のでをしたいは少なくとも、このE-5をか甲のいずれかでしなければならない。 通常艦隊なので打撃部隊or機動部隊による分岐はいが、のを使った固定が存在する。 この固定を使った場合のみ、中で踏むはずの戦(F)を回避して燃料getに逸れるため、単純に中を1戦減らした上に資材が増えるという非常にお得な。 制御に使えるは以下の通り。 ・・かれか2隻• これらの艦を戦として保持しているで、これから~E4に出撃するを選んでいるは、~E4でこれらの艦を全て使ってしまわないように気を付けると良いだろう。 また、上記の分岐の後に動分岐でを選べるがあるが、こちらは or+戦の組み合わせの2択となっている。 と聞くと何が何でも回避したくなるも多く居ると思われるが、このは(甲・ではeが加わる)・後期・という組み合わせのため、を連れて行けば・の場合は艦に傷一つ負わせずに突破可である(但し、囮にしたは大破し易いので応急要員を積む事を推奨する)。 甲ではeがを仕掛けてくる事があるものの、の装甲があれば大を受けることはほぼいので気にしなくてよい。 一方の戦には単縦・複縦の交じり艦隊が出てくるので、率で言えばこちらの方が高い。 実質的にを踏むだけ損とすら言えるなので、前述の制御と合わせてを選んだ方が安定すると思われる。 E4のと同じく再び。 は低いが装甲は厚い。 ではないため頭数が少ない分随伴艦を減らしにくいのが難点だが、逆にへのは三式弾装備可な艦種を多く入れられるため、上手い事掃除ができればアッサリ撃破可ではある。 とは対潜攻撃を優先するので、を連れて行けば艦へのを減らす事が可。 最終形態だと2隻が2隻と交代するので、最初の戦との撃さえげば要員にどが出ずに済む。 心配な人はを入れるとかなり安定するだろう。 域突破報酬は、応急(甲・・共通)、mm/ 三連装(のみ)、mm/ 三連装、勲章(甲・)、修資材(甲は8つ、は5つ)、(甲のみ)である。 艦はや、など。 甲の突破報酬であるは、E-6の突破報酬であるを入手しないと使用及び装備出来ないので注意。 第6作戦海域【打通作戦!ステビア海を越えて】 最終。 まででお札がついて出撃制限がかかったも全て使える、の最終である。 そしてこれまでの域の例に漏れず、のや先ので登場した が押し。 この域も例によって打撃部隊か機動部隊かでが分かれる部分があるが、今回はどちらも回数自体は変わらず、敵の容が変わるのみ。 また、前の(M)はどのでも必ず通る。 「」がする一の域であり、Sでするのはとして、 以外でのも存在する(全ての針路の2戦の)。 下記の通りに適したとがするを複数通れるが異なっているので、このことも考えた選択が重要。 尚、2隻ができるのかは(入手報告がいので)不明。 1人1隻、の制限があるのかもしれないが。 通常艦隊との戦の後、 率いる艦隊とのを通る事になる。 一見するとここが最も大破になりそうなところだが、実際はの攻撃はでもでも直撃すればどうせ大破である事、だと必ず1巡のみになる事、戦だと第一艦隊撃のみでを撃沈するのは困難なため第一艦隊・第二艦隊の両方をの撃にさないといけなくなる事などから、 だがよりも大破の危険が少ない。 お供のやがいずれもも連撃もしてこないばかりと言うのも大きい。 以外での負担がかなり軽いである事から、に到達するだけならば最も推奨されるではあるが、このだと 「」がするが上記のであり、ここでSを取るのが極めて困難 という欠点がある。 掘りを並行したい人は注意しよう。 Hにての率いる艦隊と戦う。 この域では対で駄になってしまう三式弾は装備させていない事が多く、少なくとも編成でここのを撃沈(破壊)まで持っていく事は非常に困難で、中破(損)以上に追い込んでを削ぐ事も難しい。 その状態で攻撃をやり過ごすしかないので、と同等以上に大破させられやすい。 を何とか抜けたらを含むの艦隊と1戦交えた後にへ辿り着く。 「」はいかにもしそうなでは確認されていないが、その次のでは確認されている模様。 この場合はH・K共に、敵のを速攻で沈めないとが大破させられる危険がある事で、艦隊部施設を旗艦に装備させるか、軽や巡を編入し爆や撃などで開幕の段階から確実に始末するなどの方法を取るしかない。 Jで を使う艦3隻を含む艦隊とのの後、Nで との戦をする。 全てので大破する危険があり、最も厳しいだと思われる。 しかも打撃部隊でこのに入るにはを踏む事が必須であり、においてはこのを選ぶはほぼいと言える。 「」はのいるNで確認されている。 上記の通りするだけなら視したいなのだが、掘りに限ればこのを好むもいる模様。 艦隊部施設などを駆使してをやり過ごし、で戦って帰るというもの。 で撤退する前提ならば、このでは敵に系が一切出てこないのでを艦攻艦爆ガン積みにでき、開幕で大量してSを取りやすくする事ができる。 また、Nまで進軍して撤退する事を前提に艦隊を編成するならば、第1艦隊の出番はのNだけとなるので、育てたい艦を第1艦隊旗艦へ配置する余裕もある。 (の域の場合、では第1艦隊はに参加せず、終了後は第1艦隊のは旗艦が自動で選ばれる) ちなみに、 甲の場合以外の中2戦でもがするとされるが、このNに限ってはでものが報告されている。 に行くまでにを掘って帰るのは中央でもできるのだが、1戦をやり過ごせる期待値の関係からかこちらが好まれるようだ。 は前回のから引き続いて。 ・・・なのだが、今回はお供には出てこず、せいぜい甲の最終形態でが1隻ついてくるだけであり、スナイプを祈るまでもなく全部撃沈してしまう事が十分狙えるようになっている。 中はともかくの負担だけでいえば、域難度のの数ほどには厳しくないと言えるだろう。 域突破報酬は、「」(甲・・共通)、勲章(甲・は2つ、は1つ)、(甲・)、Fu5 、(甲のみ)である。 艦は上述の通り、そして、など。 ちなみに今回で2つとなるだが、前回も取得していて2つ所持するは、の相手に表示される画面では「甲」の横に小さくと言う数字がついている。 結構小さい数字なのでぱっと見だけだと見逃してしまうかも知れない。 関連動画 関連静画 関連コミュニティ 関連項目• 新登場• の 前回 次回 開催年 -- -- -- -- -- -- -- -- - - -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- 脚注• この4の組み合わせのいずれかでないといけない。 例えば+や+などと言う組み合わせは不可なので注意。 また3と4の組み合わせは(を除いて)三式弾が装備できないのでが下がるがある反面、回避が高いのでを持たせ攻撃を誘導し避ける、という運用も検討できる。 である都合上必ず一巡で相手も6隻なので一人一隻ずつ沈める、つまり最初にを狙った艦がを傷から一撃で撃沈しなければならない。

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い号作戦 ウィークリー任務効率化【第二期】 | ぜかましねっと艦これ!

あ号作戦

概要 ケ号作戦は、(昭和18年)1月下旬から2月上旬にかけて日本軍が実施したからの撤退作戦。 同年にガ島撤退の大命が下り、日本軍は正式に撤退準備を開始した。 日本陸軍はの(司令官陸軍中将) とガダルカナル島現地の(司令官陸軍中将)、日本海軍は連合艦隊司令長官の総指揮下で 、南東方面部隊(指揮官南東方面艦隊司令長官、外南洋部隊指揮官第八艦隊司令長官)および隷下の外南洋部隊増援部隊(第三水雷戦隊司令官海軍少将、第十戦隊司令官海軍少将)が作戦を担当した。 各方面(大本営陸海軍、現地陸海軍部隊)とも悲観的見通しをもってケ号作戦を発動した。 作戦は、基地航空隊による航空撃滅戦を実施して制空権を確保したあと(この航空作戦でが生起) 、によって撤収作戦がおこなわれた。 撤退は3回次に分けて行われ、沈没艦は1隻、損傷は駆逐艦3隻のみで、日本軍のは成功した。 撤退中に発生したについては イサベル島沖と呼称されることが多い。 撤退により救出された日本軍は1万2千名余りだった。 背景 (17年)以降のにおいて、日本軍は9月と10月に2度の総攻撃を行ったものの、が死守するの奪回に失敗した(など)。 日本軍によるガ島へのやのは、の沈没() やの大量消耗により継続できなくなった。 連合軍の上陸から約4ヶ月が経過した12月上旬、大本営はガダルカナル島の奪還が不可能であることを認めざるを得なくなり、大本営陸軍部(参謀本部)では人事異動がおこなわれ陸軍少将(27期)が陸軍部第一部長に、第二課長には大佐(31期)が補任された。 最前線を視察した真田課長はガ島撤収とニューギニア確保を中央部に訴え、参謀総長陸軍大将(12期)、参謀次長陸軍中将(22期)、綾部第一部長の同意を得た。 大本営陸軍部(参謀本部)と大本営海軍部(軍令部)は懇談を行い、12月28日に第八方面軍(司令官陸軍中将〈19期〉、参謀長加藤錀平陸軍中将〈25期〉)へ「(参謀総長指示、参電第359号)第十七軍司令官ヲシテ「ガダルカナル」島ニ於ケル現戦線ヲ整理シ後方ノ要線ヲ占領シテ爾後ノ作戦ヲ準備セシムヘシ」と指示した。 、が臨席する異例ので、日本軍はガダルカナル島からの撤退と東北部ニューギニアへの作戦重点変換を決定した。 天皇は「ただガ島を止めただけではいかぬ。 何処かで攻勢に出なければならない」との意思を伝え、日本軍はニューギニア東部に重点を置くことにしたのである。 また侍従武官を通じて「ガ島撤退は遺憾であるがガ島作戦まで今日まで随分苦戦奮闘したので、直後をやろうと思っている」と意志を伝え、連合艦隊司令長官と第八方面軍司令官に対する勅語発令に至った。 撤退は翌(昭和18年)1月下旬から2月上旬に行われることとなった。 これを隠すため航空攻撃や物資輸送は続けられた。 そのため、アメリカ軍は日本軍の撤退作戦完了後もその事実を知らず、逆に日本軍がガダルカナル島の兵力を増強するための新たなと考えていた。 大本営では、まず大本営陸軍部第一部長陸軍少将が1月2日に横須賀を出発、翌日にトラック泊地の戦艦で連合艦隊司令部と作戦連絡を行った。 南東方面艦隊参謀長海軍少将と第八艦隊参謀長海軍少将もラバウルから招致されており、大本営海軍部第一部長海軍中将を交えて作戦連絡が行われた。 翌4日、綾部少将はに到着して同地の第八方面軍と会議をおこなった。 第八方面軍は作戦の見通しに悲観的であった。 撤退に際しての各方面の意見と企画は、以下のようなものであった。 ガダルカナル島現地の第十七軍は極めて悲観的であった。 第十七軍司令官陸軍中将は後述の大命をうけて「ケ号作戦実施は難事中の難事であるが、大命による方面軍命令はあくまで実施せねばならぬ」と決心した。 第十七軍参謀長陸軍少将(28期)や参謀小沼治夫大佐は1月15日の作戦命令伝達に際し「(ケ号作戦実施は不可能なので)軍としてこの際ここで斬り死させることが軍を生かす道であり、皇軍の本義に徹する所以である」と述べた。 連合艦隊(司令長官海軍大将、参謀長海軍中将)としては、第十七軍の一部をもってガ島の一角を固守してもらいたい。 大本営陸軍部としては輸送船20隻の投入を検討したが全滅の公算大、海軍の駆逐艦をなるべく多く出してもらう。 ガダルカナル島西方にあるをし、これを中継基地として使用する。 当初案では、舟艇機動でガ島からラッセル諸島まで移動、そこから駆逐艦で一挙に引き上げる。 航空撃滅戦をおこなったあと、駆逐艦輸送とを併用し、ガ島~ラッセル諸島~ニュージョージア諸島と逐次撤退する。 ガ島将兵2万名のうち、大本営判断では5000~6000名は撤退可能であろう。 第八方面軍の見通しは「うまく行って1万5000名中、5000名」。 山本長官によれば「三分の一位は撤収可能であるという中央の判断は甘すぎる」。 同時にの為に陸軍は陽動隊を上陸させること。 残存兵は等により撤退させること。 こうした一連の動きにより、アメリカ軍に対し 再び日本軍によるガ島総攻撃があると思わせるのが 日本軍の意図であった。 1月4日、大本営陸軍部と大本営海軍部間で「南太平洋方面作戦陸海軍中央協定」と「 「ケ」号作戦ニ関スル陸海軍中央協定」がむすばれる(大陸命第732号・大陸命第733号・大海令第23号・大海指第184号等)。 ソロモン群島作戦は「カ号作戦」、ガ島撤収作戦は「ケ号作戦」、ニューギニヤ作戦は「ト号作戦」、ポートモレスビー作戦は「レ号作戦」であった。 昭和天皇は作戦協定を綿密詳細に検討し、本作戦に重大なる関心を抱いていたという。 1月15日、昭和天皇臨席のもと御前会議会議が開かれ、大本営陸海軍部はケ号作戦の作戦計画を上奏した。 1 「ガ」島に対し主として海軍艦艇に依り一月上旬の間概ね完全定量一箇月分の糧食を輸送し「ガ」島部隊の戦力向上を図る。 2 在「ガ」島部隊の戦力低下しあるに鑑み1月14日歩兵約一大隊を海軍艦艇により「ガ」島に派遣し戦力を増強して撤収作戦を準備せしめる。 3 第十七軍は為し得る限り速に戦闘に堪へぬ者を「ガ」島西端附近に集結せしむると共に所要の収容陣地竝に「ガ」島西端附近に後衛陣地()を占領し撤収作戦を準備する。 4 「ソロモン」群島方面航空基地の準備完成に伴い1月下旬陸海軍航空部隊の主力を奇襲的に「ソロモン」方面に展開し「ガ」島方面の敵航空勢力に対し撃滅戦を開始し(概ね1月28日頃を予定)所要の期間其の成果を持続するに努める。 5 航空撃滅戦開始後成るべくすみやかに「ラッセル」島を占領し撤収部隊の収容を準備する。 6 第十七軍は1月25日・26日頃より第一線の行動を開始し「ガ」島西端附近に態勢を収縮する。 7 「ラッセル」島占領後情況に依りすみやかに更に歩兵約一大隊の新鋭部隊を「ガ」島に上陸せしめ主として後衛陣地の確保に任ぜしむ。 8 二月初頭以後3・4日毎に三次に亙り駆逐艦を主体として撤収輸送を行い第一次主として戦闘に堪へざる者、第二次主として・の主力、第三次後衛を基幹とする部隊を撤収する。 9 右(駆逐艦撤収)と同時に一部は大発動艇により「ラッセル」島に撤収し爾後駆逐艦に依り「ショートランド」に収容する。 10 以上作戦の終末を2月10日頃と予定する。 「右撤収作戦ハ極メテ困難テアリマシテ予想セサル情況ノ展開モ予期セラレマスノテ 陸海軍愈々協同ヲ緊密ニシ周到ナル作戦準備ヲ行ヒ 全力ヲ集中致シマシテ作戦ノ万全ヲ期シテ居リマス」。 草鹿任一海軍中将は、司令長官と司令長官を兼務。 南東方面部隊指揮官として、南東方面艦隊と第八艦隊を隷下に置く。 司令長官三川軍一海軍中将は、軍隊区分においては外南洋部隊指揮官で、南東方面部隊の隷下で行動する。 1943年1月4日 勅語 「ソロモン」群島竝東部「ニューギニヤ」方面ニ作戦セル陸海軍部隊ハ長期ニ亙リ緊密ナル協同ノ下ニ連続至難ナル作戦ヲ敢行シ有ユル艱苦ヲ克服シ激戦奮闘屡々敵ニ打撃ヲ加ヘ克ク其ノ任ニ膺レリ 朕深ク之ヲ嘉尚ス 惟フニ同方面ノ戦局ハ益々多端ヲ加フ汝等愈々奮励努力陸海協戮ヲ以テ朕カ信倚ニソハムコトヲ期セヨ。 『戦史叢書66、大本営陸軍部』による2月15日報告では、海軍兵749名とする。 第一次撤収作戦に参加した駆逐艦。 により損傷、自沈処分。 第一次撤収作戦で駆逐艦大破。 第二次撤収作戦で駆逐艦中破。 第三次撤収作戦で駆逐艦中破。 , pp. 30b-37大本營の新作戦に関する命令、指示• 41aガ島撤収作戦の見通し• 60-61「ケ」号作戦成功の要因• , p. 41b航空撃滅戦の成否について• , pp. 128-130「ケ」号作戦• , p. 58-59ガ島撤収作戦の実施• , pp. 123-125第三次ソロモン海戦の波紋• , pp. 126-127難しくなった鼠輸送• , pp. 18-19南東方面• , pp. 25a-26南東方面作戦方針の転換• , p. 25b. 26a. , p. 40新作戦方針に対する若干の問題点• , pp. 36-37. 129-130. , p. 26b-29綾部第一部長の第八方面軍との作戦連絡• , pp. 29-30福留海軍第一部長の聯合艦隊との作戦連絡• , p. 41c. 30a. , p. 22-37. , p. , p. , pp. 37-39陸海軍作戦部長の連絡事項の上奏• 38-39. 57-58ソロモン方面航空撃滅戦と海上作戦• , p. 561. 142頁「イサベル島沖海戰」• 126. , p. 145. 676-678頁• 247-248頁• 330頁、248-249頁• 678頁• , pp. 61-62ブナおよびガ島撤収作戦に関する中央部の発表• , p. 570. 143頁「イサベル島沖海戰」• , pp. 49-50東部ニューギニア作戦準備の促進• , pp. 76-85ニューギニア方面の作戦師団• , pp. 247-248八十一号作戦計画とダンピールの悲劇• , pp. 130-131ニューギニア輸送にも危機• , pp. 42-43ソロモン群島の防衛線• , pp. 74-76ソロモン方面の防衛問題.

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