おいたわしや兄上。 日本語の一人称代名詞

太平記49

おいたわしや兄上

この記事には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2017年9月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2011年10月)• 曖昧な記述になっています。 ( 2017年9月) 日本語の一人称代名詞は、において、すなわち話し手を指すである。 、、など他の多くのと異なり、現代日本語には的にとはっきり区別される代名詞がなく、様々なが一人称代名詞として使われ、それぞれや立場が異なる。 人称代名詞とは何かについては議論の分かれるところである。 この記事の中には人称代名詞とは考えられないようなものもあるが、敢えてその議論は避けて記載している。 人称代名詞でないものを含めれば、英語でも the writer (筆者)、 this study (当研究)などの普通名詞が意味の上で I(私)や we (我々)の代わりに使われることがある。 詳細は「」を参照 、特にやのの一人称代名詞は、であることが多い。 このため現実には使われないような代名詞もある。 のの一人称代名詞は、当初は「僕」であったが、後半の『』や『』などから「俺」が主流になった。 ヒーロー像がエリート少年から野性的な少年に変わったためと考えられる。 また一人称が発話者自身の役割を示す役割語でもあることから、複数ある一人称からいずれを選ぶかは発話者自身による個性の主張であると同時に自身の役割の主張でもある。 逆に、自我が形成され自身の役割に関して悩み多い思春期には、一人称に何を用いるかについて悩む場合がある。 特に前述の少年漫画の主人公の一人称が変わった頃は、その影響を受けた少年にとって「僕」を用いることはそれ以前のヒーロー像である「目上の人に従順な良い子」であることを主張していることになり、反抗期の特性としてこれから脱却したい。 さりとて「俺」を用いることは自身で自身を少年漫画のヒーローの役割であると主張することとなり、それは他者からの嘲笑を誘うのではないか、と悩む場合があった。 一人称と二人称 [ ] 日本語では、がに転用される事が多い。 例えば、「自分」はの一部で二人称としても用いられてきたが、現在では他の地方でも用いられる事が多くなっている。 の一部では「我」の古い言いかたと思われる「わ」が一人称としても二人称としても用いられている。 ちなみに、古くは一人称に用いられていたと思われる「手前(てまえ)」が訛った「てめえ」は、現在では主に東日本方言において、相手を罵るときに用いられる言葉になっている。 一人称単数代名詞の一覧 [ ] 以下にあげたもの以外にも日本人が使用する一人称は存在しており、どれだけの語が一人称になっているかは、未だにわかっておらず、正確な数は把握されていない。 日本語は一人称となる語が最も多い言語と言われるが、実際に最多か否かも把握されていないのが実情である。 公的表現 [ ] 私(わたし) [ ] が最も多く使用する一人称である。 わたくしのくだけた言い方。 以降に わたくしの くが省略された わたしがを中心に見られるようになった。 現在では男女ともに使用する。 公の場ではたとえであっても自分のことをわたし、もしくは わたくしと言うのが礼儀とされている。 女性が常用する場合は「あたし」「うち」とは異なり、やや真面目な女性の言葉とされている。 ただし「わたくし」の古くからある関西では、このような私的 個人的 な人称は避けることが良いとされ、社会的には「わたくし」そのものを敬称と見なしてはいない。 かつての表では「私」の訓読みは「わたくし」のみが認められていたため、公用文や放送用語では「わたし」はひらがなで表記することになっていたが 、の常用漢字表改定で「わたし」という訓読みも認められるようになった。 なお、活字媒体などでを表現する際、「 わだす」「 あだす」「 わす」のような一人称が用いられることがあるが、話者自身は「わたし」または「あたし」や「わし」と発言しているのであり、一人称のバリエーションではなくあくまで発声のバリエーションである。 また、表記としての「わだす」「あだす」「わす」は、共通語話者の立場から聞き取れる音を、共通語の表記体系に無理に当てはめようとしたものであり、実際の東北方言の発音を正確に写し取ったものではない。 私的表現 [ ] 自分(じぶん) [ ] など、いわゆるの男性がよく使用する。 『』ではが演じた主人公・が用いた。 この他にのらも用いる。 文章でもしばしば使われる一人称であり、その場合は女性も用いる場合もあるが、改まった文章やビジネス文書では使われない。 近世以降に広く知られるようになった語で、用法としては「おのれ」に近いものである。 では「自分」を二人称でも用いる(「てめえ」「おのれ」「われ」の用法変化と相似)。 国語審議会は『「じぶん」を「わたし」の意味に使うことは避けたい』と述べた。 旧では一人称を「自分」とすることが推奨されたが、では任官時のに代表されるように「私」を使用することが推奨されている。 僕(ぼく) [ ] 主に男性が私的な場面で用いるが、フォーマルな場での使用も許容される。 男性の謙称であり、字義としては「僕(ボク)」は男の召し使いを指しており、女は「妾(ショウ)」を用いる。 僕妾でしもべとめかけ、下男下女。 『』において速須佐之男命()やなどがしばしば自分を「僕」と呼んでいるが、これは「あ」または「やつこ」と訓じられる。 頃からの文書では「やつがれ」と訓じられていた。 かつて「僕」は謙譲語としての敬意が非常に高かったが、武家教養層などの使用を経て、1860年代には謙譲性の低い語となっていった。 1863年、奇兵隊が自称として用いたことが知られている。 時代になって、などが愛用し、広く用いられる語となった。 「 ボク」と頭高型アクセントで読む人と、「ボ ク」と平板型アクセントで読む人がいるが、共通語では前者が遙かに優勢である。 男児に対する二人称として使われることがあるのは、「手前」「自分」と同様の変化によるものである。 俺(おれ) [ ] 多く男性に使用されている。 もっぱら私的に、もしくは俗において通用しており、公の場での使用は憚られる傾向にある。 までは二人称として使われたものが、次第に地方で一人称に転用され、には貴賎男女を問わず幅広く使われた。 明治以降になると共通語では女性の使用者は少なくなったが、東北地方を中心に方言では根強く残っている。 西三河地方でも農業地区では女性の一人称として今日に至っても使用されている事例がある。 また、アクセントは平板型(「れ」の方が高く、それとほぼ同じ音高で後の語が開始する)が一般的であるが、一部地域(例としてや静岡県志太地域など)では複数形「おら」のアクセントに同調して頭高型で使用することもある。 「俺」という字は長らくになかったが、の常用漢字表改定で追加された。 追加する字を決める際、「品がない言葉だ」「公の場で使うべきでない」として反対する意見もあったが、最終的に追加された。 俺様(おれさま) [ ] 「俺」を高慢にした表現。 「あいつは俺様な奴だから」などと他者から揶揄・批判される場合 で使用される場合が多く、創作の世界を除くと実際に自称として用いられる事は少ない。 儂、私(わし) [ ] 「わたくし」の省略形で、主にを中心に用いられる。 ・・以西の西日本各地で用いられ、特に瀬戸内海周辺に根強い。 一部地域では(主に高齢層で)女性が使う場合もあり、例えば中部地方では「わたし」の「た」の音が抜けたような「わっし」に近い発音で主に女性が用いる。 常用している著名人としては、、の他、、、ら広島県人がいる。 そのほか、力士や政治家にも常用者が多い。 創作の世界では老人やの一人称とされることが比較的多い。 あたし [ ] 「わたし」のくだけた表現。 日本の多くの女性は「わたし」かこの「あたし」を使うが、改まった場では「わたし」ときちんと発音すべきとされている。 ではやの男性が好んで使い、現代でもが使用する場合もある。 あたくし [ ] 「わたくし」のくだけた表現。 創作の世界では高慢な女性の一人称として用いられるが、実際の日常生活で聞くことは少ない。 伝統的な東京方言では通常の改まった一人称として男女とも使用した表現であり、など落語家が使用していた。 「あたくし」の的な表現に アテクシがあり、上の書き込みなどにおいて少し気取った自称として使用される例がある。 あたい [ ] 「あたし」のさらにくだけた表現で、主に蓮っ葉な女性が使う。 現在では稀だが、創作の世界では見られる。 かつて、などにも見られた。 著名人ではが使う。 わえ [ ] で用いる表現。 我(吾)から変化した「わえ、わえら」などが口語として使われる。 近畿北部や近畿南部に多く、周辺地域では男女とも使用する一人称である。 二人称に用いる地域もある。 わて [ ] 末期以降ので用いる表現。 「わたし」から変化した「わたい」がくだけたもの。 男女とも使用し、京都などでは「わて」がさらにくだけて「 あて」とも言った。 現在の近畿地方では落語の世界や高齢層を除いてほぼ死語となったが、創作の世界では関西人の一人称としてしばしば用いられる。 わい [ ] 「わし」がくだけたもので、専ら男性語。 近世末期以降の近畿地方で見られるほか、のでは、男女共に「わい」を用いる。 の話者には、「わい」を「猥」や「賄」などの語に聞き取り、不快な印象を持つ者の割合が多い。 また九州地方、特に長崎においては、一人称として「おい」を使用する場合、「わい」を二人称として用いることが多いため、注意が必要である。 うち [ ] 所有格としては全国一般で男女関係なく用いられるが、一人称主格としては西日本を中心に主に語として用いられてきた。 九州の地域など男女関係なく用いる地域もある。 京都では「うちら」は男性語でもある。 になると、低年齢層の女性において日本全体で使われるようになり、使用者が年齢を重ねるにつれてその使用層も増えている。 己等(おいら) [ ] 主に男性が使用する。 かわいこぶるときに男女とも使用する事もある。 ちなみに「俺等」もしくは「俺ら」と書いて「おいら」と呼ぶ表現もある。 俺ら(おら) [ ] 使用されるのは主に以北で、現代では「」というにもあるように、として使用される場合が多い。 特に南部の主に沿岸やをはじめとするやなどでは平板型(「ら」の方が高く、それとほぼ同じ音高で後の語が開始する)。 昭和初期の・のは出身だが、一人称が「おら」だったことから「おらが大将」といわれた。 おい、おいどん [ ] 「 おいどん」はこの項目へされています。 桃太郎電鉄シリーズのキャラクターについては「」をご覧ください。 、特に地方の男性が使う。 「おれ」「おり」の変型。 「おいどん」は年配の男性(戦前生まれの中では女性も)が使う。 の作品『』で知名度が上がった。 出身のも地元では「おい」を使う。 全国的には「きみ」「お前」の意味の二人称でも使われる。 「おい! 」は喧嘩などの威嚇で使われるが、明治初期に出身の警官が多かったことから普及した。 うら [ ] (福井県、石川県など)や(ナヤシ方言)で、主に男性が使う。 昔は女性も使っていた。 わ、わー [ ] 古代からあった人称代名詞とみられ、南部の沿岸やでは男女の区別なく使われる。 では主に年配の男性が使い、二人称で使われることも同等にある。 では濁音によって人称を使い分ける。 他に(ウチナーグチ)などでの一人称では主に男性が使う。 ぼくちゃん、ぼくちん [ ] 主に男性が使用する。 大抵はかわいこぶったり、ふざけたりして使う。 『』に出演したがふざけて使用した。 おれっち [ ] 「俺」の変型で江戸っ子言葉。 のエッセイによると、江戸っ子は「おれたち」「おれら」という俺の複数称を単数称にも使い、「おれら」が崩れたのが「おいら」であり「おれたち」が崩れたのが「おれっち」であるという。 現在では中部地区を中心に使われている。 はプライベートでは「おらぁ」と自称することが多かったと言われている。 ミー [ ] の目的格一人称である meを借用したもの。 通常は使わないが、で話されていた日本語()と英語のであるで使われていた(小笠原方言では、英語の主格一人称である Iは用いられなかった)。 フィクション作品などでは、外国かぶれのキャラクターが使う例がある。 ビジネス文書 [ ] 当方(とうほう) [ ] 話者本人及び、話者の属している場所、団体などを含めて言われる場合が多い。 ビジネスなど、比較的改まった場で使用される。 下名(かめい) [ ] 自分をへりくだっていう語。 相手が目上でも目下でも使える表現とされる。 職業 [ ] 本官・小官 [ ] 、、、等のにある者が自分を指す言葉。 たとえば第1回における首相のの一人称が「本官」であった(山縣はだったので前記の「士官」に該当する)。 現在ではほとんど用いられなくなっているが、フィクションにおいて警官などが用いることはある。 小官は謙譲語。 本職・小職 [ ] 公務員が職務において用いる。 例えば、では録取者である検察官や警察官などを示す定型語として「本職」が用いられる。 小職は謙譲語。 小職に関して、民間企業の人間が「小職」を使うのは本来間違いであるが、昨今一般的な表現になっている。 当職・弊職 [ ] 一定の職務にある者が当該職務において用いる。 、、等の専門職が用いることが多い。 弊職は謙譲語。 愚僧(ぐそう)、拙僧、愚禿(ぐとく) [ ] がへりくだった言い方。 「愚禿」は特にが多用したことで有名。 無線 [ ] 当局(とうきょく) [ ] 家同士の会話や文書で使われる。 二人称は貴局(ききょく)と言う。 本来はアマチュア無線通信における表現であり、送信者が送信局であるため。 こちら [ ] で使用される。 通信において自らの名を名乗る場合、「こちら山田」のように表現していたものが由来。 これから転じてか、電話や通信の際に「こちら本部」「こちら339便」などのように用いられることもある。 英語でも、無線や電話での自己紹介では I am の代わりに、This is が使われる。 古風 [ ] 我輩、吾輩、我が輩、吾が輩(わがはい) [ ] もったいぶった、尊大な表現。 『』の題名および主人公の一人称として有名である。 が使っていた。 このほかも使用している(の構成員も使用することがあった)。 某(それがし) [ ] 中世以降の用法。 謙譲の意を示すが、後には尊大の意を示した。 主に武士の一人称として用いる。 などに多く使われた。 朕(チン) [ ] かつて古代において王侯貴族が使っていたが、がのみ使用できる一人称として独占した。 それに倣い、においてもが詔勅や公文書内における一人称として用いた。 終戦のでも用いられている。 しかし、戦後は公式文書や発言の中から朕の使用は徐々になくなり、やは わたくしを使用している。 ただし、戦前においても 朕は文書やその朗読で使われたのみでも口語では わたしを使用していた(プライベートでは 僕)。 尚、漢字 朕には「兆し」という意味がある。 麻呂・麿(まろ) [ ] 古代の日本において男性名に使われていたが(、など)、以後一人称として使用されるようになり、身分や男女を問わずに用いられた。 現代では主に創作において言葉として使われる。 はの翻訳の際、朝廷の高官の一人称として「まろ」を使用したことがある。 あ [ ] 以前からまで一人称として使われた。 我・吾(われ・わ) [ ] の「」など。 日本古来からの正統な一人称であるが、東京などでは口頭には使われず、文章においても書名などの改まった場合に用いられるだけである(たとえば『』、『我、に生まれて』など)。 一方、関西圏では方言として一人称や二人称にも使用する。 また、では、「我」(ワン)が専ら一人称として用いられたが、明治期の標準語化教育によって現在では用いられなくなっている。 己・己れ(おのれ) [ ] 平安時代から多用されている人称で、反照代名詞であるものを一人称や二人称に用いた。 二人称の場合は相手を卑下する意をもった使い方であるが、一人称の場合もそれと同じく、自らを卑下した謙遜の意を含む表現でもある。 全国的には文語として知られているが、近畿地方など関西では口語として用いられる。 余・予(よ) [ ] 平安時代以後使用されるようになった。 余・予共に「われ・わ」と訓じる。 なお、現在余・予を「あまる」「あらかじめ」とも訓じるのは古来の読みではなく、内閣告示第32号『』によって、本来別字である餘(あまる)と余(われ)、豫(あらかじめ)と予(われ)がそれぞれ同字形となったからである。 小生(しょうせい) [ ] 主に書面上で用いられ、男性が自分を遜って使う。 現在でも書簡には用いられる。 吾人(ごじん) [ ] かつて書簡や文章で、男性が使用した。 巻末の「読書子に寄す」で用いられているのが現代見かける数少ない例である。 愚生(ぐせい) [ ] かつて書簡で、男性が謙称として使用した。 非才・不才・不佞(ひさい・ふさい・ふねい) [ ] 自らの才をへりくだって使う。 主に男性用である。 あっし [ ] 主に男女を問わず、庶民に多く使用された。 「あたし」がさらに崩れた結果、「あっし」になったと考えられている。 あちき [ ] 様々な地方から集められた達が、お国訛りを隠すために使用した「廓言葉」における一人称として、「あっし」と共に用いられた。 さらに、「わちき」「あちし」というのがあるが、これはなどフィクションの中でのみ用いられる。 わっち [ ] これも廓言葉として使用された女性の一人称。 「現在はほとんど使われない。 ただし、では男女問わず一人称として使われる。 岐阜市のコミュニティFM局「」の命名もこれに由来する。 妾(わらわ) [ ] 詳細は「」を参照 女性のの一人称で、語源は「童()」。 に近づきするをほどこされた・(侍女)。 では特にの女性が用いた。 「童」はの上にをされ、重いを背負わされたのを表し、転じてわらべの意味をも表す。 フィクションにおいては女王や女性貴族などが尊大な演出として使う場合がある。 拙者(せっしゃ) [ ] 主に武士、、などが自分のことを謙って使用する。 の場合「拙僧」になる。 遊び人風に「拙」という場合もある。 身ども(みども) [ ] 武士階級で、同輩か同輩以下に対して使われた。 男性が用いる。 僕(やつがれ)、手前(てまえ) [ ] 現在でもビジネスなどで「手前ども」といった形で「こちら」の代わりに使用される。 此方(こなた)、此方人等(こちとら) [ ] 此方は話し手に距離、あるいは心理的に近い場所を表し、「こちら」の意。 人を直接示すことを無作法とし、曖昧な位置で示そうとする意識に起因する表現である。 主に武士階級や公卿・華族の女性が用いた。 対応する庶民の無作法な言い方として、此方人等(こちとら)があり、17世紀頃から使われた。 単数にも複数にも用いられるが、単数の用法のほうが新しい。 私め(わたしめ)(わたくしめ) [ ] 「め」は自分を卑下するである。 が主人(この場合男女は問わない)に対して使用したり位の低い者が目上の人物に対して使用する事もある。 一人称複数代名詞 [ ] 〜達(たち) [ ] 話者を含んだ複数人称。 ニュートラルに使用できるが謙譲語が求められる場で「わたしたち」などを用いることは不適とされる。 〜共(ども) [ ] 一人称複数の謙譲語として現在では「わたくしども」が標準とされる。 〜等(ら) [ ] 前につく一人称によってニュアンスが異なる。 「俺ら」(ぞんざい・親しみ)• 「僕ら」(硬くなり過ぎない丁寧・謙譲)• 「我ら」(非常に改まった語) など。 我々(われわれ) [ ] 改まった言い回しであり、公的なスピーチや強い主張で用いられることが多い。 代名詞を使わない一人称 [ ] 話者の名前 [ ] 主に未成年の女性や幼児が使っている。 」など)。 は生前、自分のことを「水木サン」と呼んだが、老人としては例外的である。 また、が主人(この場合男女は問わない)に対して使用する事もある。 外国語の場合、英語を含めて欧米の言語ではのがしたり、人称代名詞のがあるといった文法上()の理由から、自分の名前で呼ぶ事は一般的ではないが、幼児(セサミストリートに登場するモンスターの一人であるなど)では見られることがある。 一方、東アジアでは特に、の話者によって自分のことを名前で呼ぶことが行われている。 かつての中国では、自分の名前を一人称として使用することは相手に対する臣従の意を示していた。 かつての日本でもその影響でに対する正式の自称は「臣なにがし」であった(戦後の例ではがに「臣茂」と言ったことがある)。 地位・立場 [ ] 親族呼称 [ ] とは「父さん」「母さん」「姉さん」「兄さん」「じいちゃん」「ばあちゃん」「おじさん」「おばさん」などを指す。 家族の間で使われる言葉で、子供や孫を中心に据えて家族の自分の立場を表現する。 バリエーションは多彩で頭に「お」を付けたり「さん」の代わりとして「ちゃん」に置き換えたり「父さん」「母さん」のかわりに「パパ」「ママ」、「じいちゃん」「ばあちゃん」の代わりに「じーじ」「ばーば」を使用するなど実に様々である。 なお、「お兄さん」「お姉さん」「おじさん」「おばさん」の表現の場合は家族関係でなくても大人が子供に使う表現である。 英語でも小児に対しては、"Dad will do it. "(お父さんがしてあげよう)のように父親が I の代わりに Dad を使うことがある。 作者 [ ] 小説作品などでは、その作者が解説として文中に自身の事を「作者」と表記する事がある。 特に『』の文中にも作者であるが使用している。 先生 [ ] ・・でが・に対して使う一人称。 特にの小・中学校において使う教師が多い。 たまにを含むときもある。 また、業界でもが子供の患者に使用する例がある。 親族呼称の延長と考えられる。 編集子、筆者 [ ] (へんしゅうし)や筆者は、記事にて、署名以外にも編集者、著者の自称として用いられる一人称。 「子」など。 例えば、が業界紙編集長としてコラム「甘味辛味」を連載していた時には「甘辛子」(あまからし)を名乗り、「甘辛子もサラリーマンのたしなみとして多少やる」などと使用している。 脚注 [ ] []• 、NHK放送文化研究所、更新、閲覧。 、文化庁。 新明解国語辞典 第5版、、(ただし、アクセントの記載順は、必ずしも多く使われている順ではないとは書かれている)および日本国語大辞典第2版、小学館• 『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二 著、、2005年、)といった著作も存在する。 (2011)。 "「東京式アクセントに関する社会言語学的研究」• デジタル大辞泉() に『愚禿親鸞』という随筆がある。 小説家のは『小生物語』()というエッセイを出版した。 藤沢周平・徳永文一『甘味辛味』(文春文庫)2012より。 関連項目 [ ]• - 英語の一人称代名詞 I について(英語版).

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pixivision• 2020-07-18 18:00:00• 2020-07-18 17:00:00• 2020-07-18 12:00:00• 2020-07-17 17:00:00• 2020-07-17 14:00:00 人気の記事• 更新された記事• 2020-07-18 22:02:50• 2020-07-18 22:02:47• 2020-07-18 22:01:40• 2020-07-18 22:01:15• 2020-07-18 21:59:41 新しく作成された記事• 2020-07-18 21:54:51• 2020-07-18 21:48:07• 2020-07-18 21:45:49• 2020-07-18 21:57:45• 2020-07-18 21:27:28•

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概要を書かねば…無作法というもの… 「」の台詞。 自身の子孫であるの剣術を「良き技だ…」と評して抜刀する際に「此方も抜かねば…無作法というもの…」と呟いた。 鬼となっても侍である彼なりの礼儀が伺える台詞である。 その後の戦闘は無一郎にとって絶望的な実力差を見せつけられる事になってしまった。 と、ここまでなら黒死牟の一セリフでしかなかったのだが… 何だこの使われ方は… 何故かやof静画では、まったく別の使われ方をされている。 ニコ動では水着、お風呂 シャワー 、着替えシーンでこのセリフが書き込まれる。 ちなみにこのセリフへの間違った使い方に対し弟の「」がツッコミとして使われる事も。 そして記事作成時点では『Pixivに投稿された作品』が表示されない 不適切な作品は除外される という不具合が生じている。 肌色多めだから仕方ないのであろう。 関連記事 関連記事 親記事.

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