ウル 第 三 王朝。 メソポタミア文明:初期王朝時代④ シュメール王名表

メソポタミア文明:初期王朝時代④ シュメール王名表

ウル 第 三 王朝

ハゲワシの碑の断片 初期王朝時代(-)には、ウル、ラガシュのような多くの新興シュメール都市国家が成立し、王朝が成立した。 考古学的に実在が確認されている最古の王は、頃のキシュ第1王朝の王である。 アワン朝 ()時代(頃)、3代に渡ってシュメールを支配したと伝えられる。 紀元前2700年頃、シュメール下流の都市が繁栄し、キシュはさびれた。 頃と考えられているウルク第1王朝の王は『』によってその名を知られているが、エンメバラゲシの実在が確認された事から実在が確実視されている。 シュメールとの交易相手には、、が知られており、この時代には広大な交易網が形成されていた。 の王の碑文にディルムンと交易していた記録が残っている。 がであるとする説をの アスコ・パルボラ ()博士とら多数の学者が支持している。 が完全な文字体系に整理されたのは頃である。 伝説ではウルク第1王朝の王が文字を使って アラッタ ()に降伏を勧告した( エンメルカルとアラッタの領主 ())。 (-)時代、エラムが再びシュメールを支配したと伝えられる。 初期王朝時代後期の150年に、シュメール地方の覇権をめぐって都市国家間の合従連衡の動きが活発になり、時代が転換した。 戦勝記念碑ハゲワシの碑()によれば、の孫の治世()にとの間で沿岸の土地「グ・エディン・ナ」 (: GU. EDEN. NA)で水利権を巡って「 ラガシュ・ウンマ戦争 ()」と呼ばれる記録に残る 世界最古の戦争を100年に渡って行なった。 当初、が優勢な地位を占め、ウルク第2王朝の王が「国土の王」を初めて名乗り、ラガシュ側に加勢した。 頃、ウンマ王のが、のを破って初めて シュメール地方の統一を果たし、が成立した。 ウルク第3王朝は20年ほど続いた。 アッカド帝国の成立 製の座像 , 初期王朝時代の次がアッカド帝国時代 - である。 「(: Akkad)」とは、が作ったバビロニアの北にある中心都市「(: Agade)」 の別称である。 そこの住民は、と異なるのを話すため、シュメール人からアッカド人と呼ばれた。 アッカド王のは、当時では特殊であった常備軍を有することでシュメールに対する軍事的優位性を確保すると、統一されたばかりのシュメールに攻め入ってを破り、シュメール地方とアッカド地方からなる の統一を果たした。 次王はすぐに暗殺され、が第3代の王になった。 第4代の王、は新たな王号として「四方世界の王」を採用し、シリア、アナトリアへ積極的に軍事遠征を行った。 このとき BC2300頃 アッカド帝国の版図は最大になった。 また、世界で初めて自らを神格化させた王という記録も残っている。 アッカド王朝以降、アッカドの文化はオリエント全域に影響を与え、アッカド語はこの地域の共通語として使用されるようになった。 グティ朝 ウル第三王朝とその勢力圏 この混乱をおさめたのがウルクの王であったである。 さらにウトゥ・ヘガル配下の将軍であったがを創始した(紀元前2113頃)。 ウル第三王朝(-)と呼ばれているのは、シュメール人によって再建された最後の王朝の時代である。 なお、ウル第三王朝と呼ばれるのは、三番目の王朝という意味ではないことに注意、これは考古学的に(遺丘)の第三番目ストラトス(地層区分)に位置する遺跡という意味の呼称である。 政治的には中央集権制度を整備した。 初代王、あるいは2代目王の時代には、世界最古の法典である「」が記された。 この法典は後に遊牧民系民族であるアモリ人の国家で制定された「」とは異なり、「同害復讐法」を採用していないのが特徴である。 ウル・ナンム王はウル第3王朝における最盛期の王である。 地方の諸国家が強さを増すと共に、シュメール人はメソポタミアの多くの部分で政治的なを失い始めると、ウル第三王朝から支配下の諸都市が離反し、に、東方の シュマシュキ朝 ()の王 キンダットゥ ()による占領によってシュメール人国家は滅亡した(『 ウル市滅亡哀歌 ()』)。 のの表示にはUnicodeフォント(Akkadianなど)が必要です。 狩猟採取経済から生産経済へ• ザグロス高原から来た住民については何もわかっていない。 「シュメル人問題」と呼ばれる未解決問題である。 ウバイドの民族系統は不明で、シュメール人が短頭であるのに対してウバイドでは長頭であり、地名などの文字の綴りがシュメール語では説明不可能なものであることから、シュメール人ではないだろうと考えられている。 彼らはにはシュメール地方に存在していたと思われる。 は、にあたり、日本でもとして知られるが起こった。 の神話では、の守護神から逃げてに辿り着いたイナンナがの守護神になる。 「平野の境界」の意。 のモデルとされる。 所在地は現在も不明。 ( 25ページ)• イラン高原西南部全域を勢力圏にし、さらにディヤラ地方からメソポタミア中部地域まで勢力を伸ばしていた。 ( 24ページ)• ラガッシュとの国境争いがよく知られている。 ( 24ページ)• 紀元前2900年頃には都市国家の王権が確立し、都市国家分裂期( 23ページ)• シュメールとアッカド両地域が一人の王に統一された国家形態( 23ページ)• 紀元前3200年頃の粘土板文書に現れる。 どのような存在であるかについては議論が続いている。 ( 24ページ)• ウル第3王朝も用いた。 ( 24ページ)• 中原は、日本におけるシュメール研究の基礎を築いた。 実証性を欠いた従来の研究動向を批判し、同時代資料の実証的分析によってシュメール王権の展開過程を明らかにした。 The Sumerian Tablets in the Imperial University of Kyoto. Tokyo. 1928を出版。 戦後京都大学でシュメール学を担う後進の育成に努めた。 ( 23ページ) 出典• Parker, Adrian G. ; et al. 2006. Quaternary Research 66 3 : 465—476. の2008年9月10日時点におけるアーカイブ。 David McAlpin: "Linguistic prehistory: the Dravidian situation", in Madhav M. Deshpande and Peter Edwin Hook: Aryan and Non-Aryan in India, p. 175-189• 19ページ• 『シュメル 人類最古の文明』中央公論新社〈中公新書〉、2005年。 198頁• 前田徹・川崎康司・山田雅道・・山田重郎・鵜木元尋『歴史の現在 古代オリエント』、2000年。 6ページ• 森征一 1987. 近代日本研究 慶應義塾福澤研究センター 4: 161-179. 三島敦雄 『天孫人種六千年史の研究』 スメル学会、1927年。 なお、著者はここで「『シュメル』の方がアッカド語の原音に近い表記」であると言っている。 「原節子の真実」(新潮社)P. 134• 石川康子 『 伝説のピアニスト』、〈〉、2001年。 「原節子の真実」(新潮社)P. 134• 本地陽彦『原節子・永遠の処女伝説』愛育社、2006、116p以降• 『世界興廃大戦史 東洋戦史 第二十四巻 上代太平洋圏』、世界創造社、1942年。

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ウルク (メソポタミア)

ウル 第 三 王朝

概説 [ ] 当時の王権観では、王権は神から授けられ、軍事的征服によってある都市から別の都市へと推移すると考えられていた。 シュメール王名表に記されている唯一の女王はの1代限りの君主であったである。 シュメール王名表には、以前の時代の在位期間が異常に長い、明らかに神話上の人物であると考えられる王や、存在が確実視できる王が混在している。 だからといって、そうした王名表の初期の王たちを切り捨ててしまうべきではない。 実在と考えられる王たちもまた、後世に同様に神話的偶像となったからである。 なお、不自然に長い在位期間の多くは「12」で割り切ることが可能である。 近年の考古学上の発見によって実在が確認された王名表中の最古の年代の人物は王であり、彼の名はにも登場する。 このことは、もの実在の王であり、単なる伝説上の人物ではないということを示している。 王名表にはの歴代エンシ(祭司王)の名が含まれていないが、彼らについては頃以降の碑文から直接窺い知ることができる。 もう一人、王名表に記された初期の王で存在が確実視されているのが、ウルク王()である。 彼はラガシュを征服したが、後にのに倒された。 他に正確な史料が少ないため、の年代学においてはシュメール王名表が中心的な史料となる。 しかし、このシュメール王名表にも問題はある。 初期の王の在位期間が異常に長い場合がある上、諸王朝は1つずつ交替するのではなく同時代に複数存在し、それぞれ独自の都市を支配していたと考えられるからである。 このため現在では、初期の王の西暦紀元年代が古い刊行物によるものよりもっと新しくなると思われる。 グティ時代の継続期間がかなり不確実なため、()以前の出来事の年代を特定するのはほぼ不可能である(、の項も参照)。 初期王朝時代I(大洪水以前) [ ]• 王(Alulim、在位28800年間)• (Alalngar、在位36000年間)• 王(En-men-lu-ana、在位43200年間)• バド・ティビラ王(En-men-gal-ana、在位28800年間)• 王(En-sipad-zid-ana、在位28800年間)• 王(En-men-dur-ana、在位21000年間)• 王(Ubara-tutu、在位18600年間) 初期王朝時代II [ ] キシュ第1王朝 [ ]• (在位1200年間)• (在位960年間)• (在位670年間)• (在位420年間)• (在位300年間)• (在位840年間)• (在位960年間)• (在位840年間)• (在位900年間)• (在位600年間)• (在位840年間)• (在位720年間)• (在位1500年間) 「牧人、天に昇った者、国土を固めた者」• (在位400年間)• (在位660年間)• (在位900年間)• (在位1200年間)• (在位140年間)• (在位305年間)• (在位900年間)• (在位1200年間)• (在位900年間) エラムを征服。 (在位625年間) ウルク第1王朝 [ ]• (在位324年間) 太陽神 ()(Utu)の息子とされる。 (在位420年間) ウルクの創建者。 (在位1200年間) 牧人。 ()(在位100年間) 漁師。 キシュ王エンメバラゲシを捕虜とした。 (在位126年間) ここではリラ(後の死霊リルー)の息子とされ、クラブ(クラバ=ウルクの神域)のエン祭司とされる。 ウル・ヌンガル(在位300年間) トゥンマル文書等の異本ではウル・ルガル• ウドゥル・カランマ(在位15年間)• ラバシュム(在位9年間)• エンヌンダランナ(在位8年間)• メスヘデ(在位36年間)• メラムアンナ(在位6年間)• ルガルキドゥル(在位36年間) ウル第1王朝 [ ]• (在位80年間)• メスキアグナンナル(在位36年間)• (在位25年間)• バルル(在位36年間) 初期王朝時代III [ ] アワン王朝 [ ]• 3代の王(名は不明)が計356年間統治した。 キシュ第2王朝 [ ]• ススダ(在位201年間)• ダダシグ(在位81年間)• ママガルラ(在位360年間) 船頭。 カルブム(在位195年間)• トゥゲ(在位360年間)• メンヌンナ(在位180年間)• (不明)(在位290年間)• ルガルング(在位360年間) ハマジ王朝 [ ]• ハダニシュ(在位360年間) ウルク第2王朝 [ ]• (在位60年間) 初めて「国土の王」の称号を使用した。 ルガル・ウレ(またはルガルキギンネドゥドゥ)(在位120年間)• アルガンデア(在位7年間) ウル第2王朝 [ ]• ナニ(在位120年間)• メスキアグナンナ(在位48年間)• (不明)(在位2年間) アダブ王朝 [ ]• ルガルアンネムンドゥ(在位90年間) マリ王朝 [ ]• アンブ(在位30年間)• アンバ(在位17年間)• バジ(在位30年間)• ジジ(在位20年間)• リメラ(在位30年間)• シャルム・イテル(在位9年間) キシュ第3王朝 [ ]• (クババとも、在位100年間) アクシャク王朝 [ ]• ウンジ(在位30年間)• ウンダルル(在位6年間)• ウルル(在位6年間)• プズル・サニラー(在位20年間)• イシュ・イル(在位24年間)• シュ・シン(在位7年間) キシュ第4王朝 [ ]• プズル・シン(在位25年間)• (在位400(6? )年間)• ジムダル(在位30年間)• ウシ・ワタル(在位7年間)• イシュタル・ムティ(在位11年間)• イシュメ・シャマシュ(在位11年間)• シュ・イリシュ(在位15年間)• ナンニア(在位7年間) 宝石商。 ウルク第3王朝 [ ]• (在位25年間) アッカド王朝以降 [ ] アッカド王朝 [ ] 詳細は「」および「」を参照• (空位期:紀元前2083年〜)• ウルク第4王朝 [ ]• ウルニギン(在位7年間)• ウル・ギギル(在位6年間)• クダ(在位6年間)• プズル・イリ(在位5年間)• ウル・ウトゥ(またはルガル・メラム)(在位25年間) グティ王朝 [ ]• 19代 を参照。 ウルク第5王朝 [ ]• (在位年数は、427年、26年、7年など諸説ある) グティ人を放逐。 ウル第3王朝 [ ]• 5代 を参照。 イシン王朝 [ ]• 14代 を参照。 外部リンク・参考文献 [ ]• Black, J. , Cunningham, G. , Fluckiger-Hawker, E, Robson, E. , The Electronic Text Corpus of Sumerian Literature , Oxford 1998. bartleby. com.

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メソポタミア文明:ウル第三王朝② 初代ウルナンム

ウル 第 三 王朝

の軍事司令官であったが自立して、前22世紀末に ウル第三王朝が建てられた。 建国者のウル・ナンムは、の建築やの建設などを行うと共にと称される法典を定めた。 この法典は、のちに古バビロニア王国でまとめられるに影響を与えたと考えられる。 第2代の時代までに行政機構が確立し、王権の神格化も進んでいった。 しかし、まもなくこの王朝はやの侵入に苦慮することとなった。 シュルギ王やのちの王は、彼らの侵入を防ぐために防壁を設けた。 (または)、シュ・シンの息子である王の時代にが侵攻するとウルは陥落。 エラム人によって王ははるか東方へ連行され、これをもってウル第三王朝は滅亡した。 その後 [ ] はの影響下に置かれ、にが誕生し、に第6代の王がメソポタミアを再び統一した。 一方、は、にのがのを破って新王に即位したが、の台頭に押された。 の時代には、当初はの勢力圏下に置かれたが、の治世にミタンニ王国の影響下を脱すると、を征服しての一大勢力となった。 歴代君主 [ ]• (前2113頃 - 前2096頃)• (前2095頃 - 前2048頃)• (前2047頃 - 前2038頃)• (前2037頃 - 前2030頃)• (前2029頃 - 前2006頃) 関連項目 [ ]• この項目は、に関連した です。

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