皇室こうろぜん。 黄櫨染の由来と染め方は?太陽で色が変わる美しさ!生地の値段は?

皇室ブログウォッチング

皇室こうろぜん

天皇陛下が国内外に即位を宣明される「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿の儀」が22日午後1時35分ごろ、約30分で終了した。 儀式は午後1時過ぎ、約2千人の参列者が見守る中、皇居・宮殿「松の間」で始まった。 鉦(しょう)の合図で参列者が起立すると、陛下の側近である侍従らにより玉座「高御座(たかみくら)」と隣の「御帳台(みちょうだい)」の帳が開かれた。 陛下は古式装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包まれ、皇后さまは十二単(ひとえ)のお姿。 参列者が鼓(こ)を合図に敬礼した後、陛下が即位を宣明し「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられた。 続いて安倍晋三首相が「松の間」の床上で「寿詞(よごと)」と呼ばれる祝辞を述べ、万歳三唱。 参列者も唱和した。 儀式には、皇太子の装束といわれる「黄丹袍(おうにのほう)」に身を包んだ皇嗣(こうし)秋篠宮さまをはじめ、皇族方11方がご参列。 国内からはプロ野球ソフトバンクホークス球団会長の王貞治氏ら約1600人、海外では180超の国や機関から英国のチャールズ皇太子ら約400人が、それぞれ参列した。 儀式では、三種の神器のうち剣と璽(じ)=勾玉(まがたま)、国の印章「国璽(こくじ)」、天皇の印「御璽(ぎょじ)」が、高御座の「案(あん)」と呼ばれる台に安置された。 宮殿内には賓客が両陛下のお姿を見られるようモニター30台が設置された。

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秋篠宮家、上皇后批判ブログが増えました。去年の9月ブログには書かなかったこと

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皇室ブログをネットサーフィンするとなかなか面白く見ているだけで書く事を忘れてしまう。 わたしなど毎日更新は出来そうもないのだが、毎日5から6記事更新している皇室ブログ好きな人だけでなく特に皇室に関心のない人でも知る人は知るブログがあった。 当時の東宮批判、秋篠宮批判ブログなどとても適わないほど秋篠宮家に対しての酷い誹謗中傷ブログでその名は論断net、長くは続かず崩壊してしまったがちゃっかり別の皇室ブログを作った。 その名は菊の門ニュース。 以前より誹謗中傷もトーンダウンしたが作り話が相当に多いブログで皇室ブログ、他ネット界隈では評判が悪い。 評判は悪いがGoogle砲を飛ばしていたのでアクセス数は相当なものだろうと推測できる。 菊の門ニュースを主軸としてななめ読み、縦読み、こうろぜん、皇室ニュース「れいわ」を作り菊の門ニュースの記事をクリックするとあっちこっちに飛ばされてしまうのであった。 同じ菊の門だと思うと違う感じでよく見るとアドレスがnewsからcomに変わっていた。 同じブログを2つ作って良ものなのかわたしには分からない。 今は主に皇室TODAYに飛ばされることが多くなったが、記事の中身は殆ど同じ変わり映えしない。 相変わらず作り話が多く真面目に読むよりコント、ブラックジョークとして読むべきだろう。 しかしコメントしている人達は真面目なのか集団ヒステリーのように秋篠宮家叩きを展開している。 時折りタケロウ氏が秋篠宮家擁護記事を投下するとヒステリーコメント集団は寄ってたかってタケロウ氏を批判をしているが当の タケロウ氏は仕事と割り切っているので気にもしない、寧ろ喜んで叩かれているのではないかとすら思う、飴と鞭の世界ですな。 論断netは皇室特化ブログにしてからわずか4ヵ月くらいで崩壊してしまったが、果たして9月に立ち上げた菊の門ニュースは何年継続できるだろうかとウォッチングするのが楽しい。 論断netには反論断netという正義感に溢れた人がいてnoteにいろいろ書いているのも参考にはなるがわたしは高みの見物の方が合っている。 もうひとつ、元宮内庁職員のつぶやきブログも一時期勢いがありGoogle砲飛ばしていたがある日突然更新を止めた。 やめた理由がGoogle砲が飛ばずアクセス減少したからだった。 それをまことしやかに宮内庁から圧力があったと書いていた。 そこで今は読者参加型のブログとして自分では記事を書ずに広告収入を得る方法は実に商魂逞しく羨ましいくらいだ。 今は本当にやる気をなくしたのかネタ切れになったのかたまにしか更新しなくなった。 なかなか面白い人物でアクセスが少なくなったGoogleNewsに載らない、読まれてナンボの世界で読まれなければ書いても意味がないと正直に書いているところが実に面白い。 さて、わたしは上記に秋篠宮家批判、叩きの激しいブログを書いたがこれは批判ではなく皇室ブログウォッチングの感想だと思っていただきたい。 今までは眞子内親王と小室圭さんの結婚問題と上皇上皇后陛下の退位と天皇陛下の即位で皇室ブログも注目を浴びたと思うが今後はそれほど関心が高くなることはないだろうと見ている。 眞子内親王が5月頃に発表するのではないか、と週刊誌に書かれている小室圭さんとの結婚問題がピークで暫くその話題が続いたあとは落ち着くだろうと思っている。 今マスコミは新型コロナウィルス騒ぎで大忙しで皇室どころではない、次にオリンピックが無事に開催されればオリンピックに注目がいく。 皇室特化ブログで今後20年30年と生活するにはなかなか厳しいところだろう。 長く皇室ブログをやっている人達は別に仕事を持っているかブログ収入で生活をしている人達ではなさそうでありいわゆる皇室好きのオタクな人達のようである。 わたしは皇室オタクではないが皇統は男系男子で繋ぐべきと思っていることと、男系男子で皇統を繋げたいブログが少なくなったと感じた危機感もあり皇室のことを書いている。 枯れ木も山の賑わいの枯れ木の存在で良しとしている。 afpbb.

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歴史伝える「即位礼正殿の儀」

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皇居・宮殿で22日に行われる「即位礼正殿の儀」は、天皇の国事行為である「即位の礼」の中心儀式だ。 国内外の代表が参列する中、天皇陛下が即位を公に宣言されるが、その場は、皇室の長い歴史を伝える装束や調度品で華やかに彩られる。 伝統の品々の由来や特徴、見どころをまとめた。 皇室の伝統 最新技術でみせる 上皇さまの譲位により、5月1日に第126代天皇に即位された天皇陛下。 即位当日にも儀式はあったが、皇位継承から約半年を経て、いよいよ即位礼正殿の儀に臨まれる。 儀式は、皇室の伝統に根ざしながら、現代的な工夫も取り入れられて挙行される。 儀式が行われるのは宮殿で最も格式の高い「松の間」。 束帯や十二単(ひとえ)を着用した皇族方が並ばれ、三権の長らも定められた位置につくと、午後1時、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)に身を包んだ陛下が、歴代天皇に伝わる三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の複製品と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、公務で使われる天皇の印章「御璽(ぎょじ)」、国の印章「国璽(こくじ)」とともに、「高御座(たかみくら)」と呼ばれる玉座に昇段される。 続いて、十二単姿の皇后さまも「御帳台(みちょうだい)」と呼ばれる御座に昇られる。 陛下が高御座から即位を宣言する「お言葉」を述べられた後、安倍晋三首相がお祝いの「寿詞(よごと)」を述べて万歳三唱し、参列者も唱和。 儀式は約30分で終了する。 PR 松の間の前には、昭和まで即位式が行われた京都御所の正殿「紫宸殿(ししんでん)」を模して、18段の大階段が設置され、中庭に皇室の歴史を感じさせる調度品が並ぶ。 両側に色鮮やかな、のぼり旗が計26本立つほか、伝統楽器が飾られ、古装束姿の職員らが参列する。 宮殿内には、約2千人の賓客が両陛下の姿を見られるように、大小のモニター30台が設置される。 モニターは薄型となり、平成のときより15台増えた。 宮内庁幹部は「最新の映像技術で、両陛下の姿を詳しくみてもらいたい」と話している。 漆芸、金工…匠の技輝く高御座 即位礼正殿の儀で、陛下が昇られる高御座は、遅くとも奈良時代から即位式で使われていたとされる。 平安以降の資料や江戸時代の絵図が残っており、明治42年に制定された「登極令(とうきょくれい)」の附式には高御座の形状が詳しく規定された。 現在のものは、皇后さまの「御帳台」とともに、大正2年に復元されたものだ。 PR 「即位礼正殿の儀」で使われる「高御座」(左)と「御帳台」=19日、皇居・宮殿「松の間」 (代表撮影) 天蓋(てんがい)もある高御座の高さは約6・5メートル、重さ約8トン。 御帳台とあわせて、約3千の部品からなる。 麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)が描かれた台座の上に、八角形の床板を2段に重ね、周囲を朱色の欄干(らんかん)がめぐらされている。 八角形の天蓋の頂上と外周に飾られた計9羽の鳳凰が金色に輝く。 平成の即位の礼の後、宮内庁は高御座と御帳台を解体して、京都御所の紫宸殿で保管してきたが、昨年9月、再び京都から皇居内へ陸送。 前回から約30年が経過し、漆塗りの木材は色あせ、金具にも劣化が見られたため、宮内庁は希少な国産漆や純度の高い金箔(きんぱく)を用いて修復。 改めて松の間に組み立てられたものは、鏡のような光沢を放つまでに仕上がった。 高御座をめぐっては、天孫降臨神話を想起させるという理由から、国事行為の即位礼正殿の儀に使うことに批判的な声も一部にある。 平成の際には過激派の攻撃対象となり、京都から皇居への輸送に陸上自衛隊のヘリが使われた。 だが、高御座は皇室の伝統文化に根ざした調度品でもある。 修復には国内トップ級の職人らが携わり、漆芸や金工など伝統工芸を継承する機会にもなっている。 PR 平成の即位礼正殿の儀で、儀式を終えて退出される黄櫨染御袍の束帯姿の上皇さまと、十二単姿の上皇后さま =平成2年11月12日 天皇陛下の「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」は、平安時代、嵯峨天皇が天子の御服と定めて以来、天皇のみが着用できる色の装束として伝わってきた。 即位礼正殿の儀だけでなく、宮中祭祀(さいし)でも身につけられる。 頭にかぶられる「立纓(りゅうえい)の御冠(おんかんむり)」も天皇を象徴する冠だ。 皇嗣(こうし)秋篠宮さまは皇太子の装束である「黄丹袍(おうにのほう)」を着用される。 「昇る朝日の色」ともいわれ、儀式では陛下から譲り受けた歴代皇太子に伝わる「豊後国行平御太刀(ぶんごのくにゆきひらおんたち)」を携えられる。 PR 皇后さまをはじめとする女性皇族方は「五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)」という、いわゆる十二単を身につけられる。 十二単のご着用は即位儀礼とご結婚の際に限られるため、女性皇族方にとっても貴重な機会だ。 既婚と未婚で長袴の色が異なるという。 そのほか、宮内庁幹部や中庭に整列する職員らも古装束を身につける。 こうした和様装束を天皇が即位式で着用するようになったのは、実は比較的新しく、明治天皇以降のことだ。 江戸時代までの長い期間、即位式は中国文化を色濃く反映した古代からの形式がそのまま受け継がれていたため、「礼服(らいふく)」という中国風の装束や冠が用いられていた。 皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏(77)は「束帯や十二単は日本の風土に合わせて発展してきた独自の装束。 王政復古を目指した明治維新を機に中国風から和風装束となったのは長い皇室の歴史の中でも大変革だった」と話す。 また、今回は高齢の皇族方に配慮して、洋装も可能とする柔軟な対応が取られた。 荘厳・壮麗 儀式彩る「和の色」 「式全体が荘厳に行われ、特にカラーコンビネーションがすばらしく壮麗であった」 PR.

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