行人偏に正しい。 「衡」という字の、真ん中の部分(魚の下の部分が大になっている字)っ

部首が「ぎょうにんべん」の漢字一覧

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A ベストアンサー 以前、漢字検定を受験した事のある者です。 部首については、辞書によって名称や属する部首が異なる事があります。 それは辞書の編集者の意図によるものです。 漢字検定を実施している日本漢字能力検定協会では、部首については「康煕字典」をよりどころとして決めています。 康煕字典による「全」の部首は入(いる)です。 また、「男」の部首は田(た)となります。 私も部首の学習では頭を悩ませました。 私の場合は協会が発行している「漢字必携」という本で部首を学習しました。 (10年位前の書籍なので現在同じ名称かどうかはわかりません)部首については例外的な分類があったり、漢字そのものが部首だったりと、法則性に乏しいので一つ一つ確実に覚えていくのが賢明ではないかと思います。 あとは、問題集でより多くの部首の問題を解いていくのも効果的です。 ご参考までに。 A ベストアンサー エクセルのバージョンがわかりませんがエクセル2007の場合、エクセルを起動して「挿入」>「図」>入れたい画像を選ぶ で入れられました。 ocn. htm ここに色々ソフトがあります。 ただ、新らしいソフトを使うということで、そのソフトの使い方になれる必要はあると思います。 A ベストアンサー そもそも「おおざと」と「こざと」では、それぞれの文字の起源が違い、まず「おおざと」があって、これに対して「こざと」という言い方になったようです。 中にふさぎこめるの意を含む。 のち阝(おおざと)の形となり、町や村、または地名に関する漢字の部首となった。 「こざと(阜)」は、 もと、ずんぐりとした形に土を積み重ねたさまを描いた象形文字。 従って、ずんぐりとした形にふくれたおかのこと。 現在は、双方とも似た文字(阝)になっていますが 「おおざと(邑)」の名称は、大きな村里の意を文字通りに示すのに対して、 「こざと(阜)」の名称は、「おおざと(邑)」に対して付けられました。 阝の部首(旁ツクリ・扁ヘン)の位置関係ではないのです。 A ベストアンサー 抜粋です.「普通自動車免許」ですね. 「第一種運転免許」はありますが,「普通自動車第一種免許」や「第一種普通運転免許」とは言わないようです.第二種の場合は名称に入り,「普通自動車第二種免許」のように言うようです. -------------------- 道路交通法 第六章 自動車及び原動機付自転車の運転免許 第八十四条 自動車及び原動機付自転車(以下「自動車等」という。 )を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。 )を受けなければならない。 2 免許は、第一種運転免許(以下「第一種免許」という。 )、第二種運転免許(以下「第二種免許」という。 )及び仮運転免許(以下「仮免許」という。 )に区分する。 3 第一種免許を分けて、大型自動車免許(以下「大型免許」という。 )、普通自動車免許(以下「普通免許」という。 )、大型特殊自動車免許(以下「大型特殊免許」という。 )、大型自動二輪車免許(以下「大型二輪免許」という。 )、普通自動二輪車免許(以下「普通二輪免許」という。 )、小型特殊自動車免許(以下「小型特殊免許」という。 )、原動機付自転車免許(以下「原付免許」という。 )及び牽引免許の八種類とする。 4 第二種免許を分けて、大型自動車第二種免許(以下「大型第二種免許」という。 )、普通自動車第二種免許(以下「普通第二種免許」という。 )、大型特殊自動車第二種免許(以下「大型特殊第二種免許」という。 e-gov. cgi? )を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。 )を受けなければならない。 2 免許は、第一種運...

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お客様の紹介 くしろの未来を考える会 会員 斎籐征治様 退会のご挨拶 NHK釧路放送局 局長 西野 和志 会員 3年間どうもありがとうございました。 今月9日付けで報道局に異動になります。 21年振りに北海海に戻ってこられましたが、また東京勤務になりました。 今後、北海道での仕事が有れば真っ先に手を挙げて、来たいと思っています。 後任は現在函館で局長をやっている山田という同期が参ります。 神奈川出身ですが、私と同じく北海道が好きな人間です。 引き続きよろしくお願いいたします。 本当に3年間ありがとうございました。 北海道新聞社釧路支社 支社長 本庄 明彦 会員 本庄でございます。 今日は例会の貴重な時間をお借りしてご挨拶させていただきます。 6月19日付けで本社取締役総務局長として戻ることになりました。 まずもって、皆さまに感謝申し上げる次第です。 本当にありがとうございました。 私が釧路の地で2年間、任を全うできたのもロータリーアンの皆さまとの交流があってこそだとしみじみ思っています。 例会もしかり、仕事の場面でも、プライベートでも大変お世話になりました。 私が釧路の地に比較的早く馴れることが出来たのも、皆さまの貴重なアドバイスがあったからです。 いろいろな場面でお世話になりましたが、私も支社長として、新聞社として一番思っていたことの根底にあるのは、これは脈々と続いてきたことですが、この釧路の地を、道東を応援する気持ちです。 これを具体的に展開してきたつもりですが、まだまだ足りなかったかもしれません。 残してしまったことは次の支社長に引継ぎたいと思っています。 次の支社長は東京論説の副主幹という職から転勤して参ります。 ワシントン駐在、そして一面の「卓上四季」も書いていました。 初代のニュース解説委員長でもあります。 非常に博識で何より人格的に非常に素晴らしい僕の同期です。 可愛がってあげてください。 この頃、家の近辺、米町あたりを散歩することも多いのですが、すごく景色が良くて、夕焼けも非常に素晴らしくて、この景色をまるごと抱きしめてしまいたい衝動に駆られます。 たぶん札幌に行っても、たびたび思い出すのではないのかなと思います。 最後になりますが、歴史と伝統のある釧路ロータリーの隆盛を信じてやみません。 この釧路ロータリークラブの隆盛が釧路の発展に繋がると確信しております。 ご来札の折には、一声を掛けていただければ幸いです。 本当にありがとうございました。 今年度ポール・ハリスフェローの表彰 PHF+6 伊貝 正志 会員 PHF+1 打矢 静司 会員 佐藤 茂良 会員 PHF 川本 和之 会員 関向 一 会員 白崎 義章 会員 小野寺 寛隆 会員 脇 弘幸 会員 会長挨拶 木下 正明会長 皆さん、こんにちは。 本日西野会員と本庄会員、素晴らしい言論人のお二人が退会されることになってしまいました。 お仕事柄どうしても仕方がないことではありますが、私どももいろいろなお話を例会等でさせていただく度に、勉強させていただき感謝しております。 お二人の新天地での益々の活躍をご祈念申し上げます。 ぜひ、また遊びにいらしていただければと思います。 先週の夜間例会、新入会員歓迎会は夜間例会で皆さんと親睦を深められた良い例会だったと思います。 そこでお話をしましたが、先々週弟子屈ロータリークラブの60周年に私たち10名でお伺いしました。 その時のお話で皆さんにお伝えしないといけないことを忘れておりました。 弟子屈ロータリークラブの設立経緯についての鈴木幸栄会長のお話しです。 泉敬会員のお父さまだと思いますが当時の泉功会長と小笠原進幹事のお二人が60地区の伊藤文吉ガバナーを弟子屈にお連れした時に「こんな素晴らしい温泉の地に新しいクラブが出来ないかな」とお話をされたことが設立経緯だそうです。 伊藤文吉さんという方は、新潟ロータリークラブの会長をされており、新潟県内一の大地主ということでした。 弟子屈ロータリークラブは、そのように言われたので何とか人を集めて60年前に設立されました。 町村にあるロータリークラブとしては日本一早い設立だそうです。 フェイスブックのページなどには堂々とその文言が入っております。 本当に弟子屈ロータリークラブ60周年はおめでたいことと思っています。 新潟ロータリークラブは1940年に日本で36番目の設立です。 釧路ロータリークラブが27番目ということで、私どもの4年後に設立したロータリークラブのガバナーさんが来られたのがきっかけで弟子屈ロータリークラブができたということを皆さんにお知らせしたいと思いました。 今日の挨拶はこれで終わりにさせていただきます。 ありがとうございました。 『釧路地域の林業の可能性について』 講師 くしろの未来を考える会 会員 斎籐征治様 プログラム委員会 副委員長 小野寺 俊 会員 プログラム委員会副委員長の小野寺です。 本日ご講演をいただく講師斎藤征治様をご紹介させていただきます。 当釧路ロータリークラブの乗山会員が会長を務めています「釧路の未来を考える会」の会員でいらっしゃいます。 昭和20年生まれで、釧路湖陵高校を卒業された後、北海道大学で農芸化学を専攻され、その後カネボウにお勤めになっております。 研究開発からマーケティング、また海外への商品展開などの部門で活躍され、女性の肌の研究に関してはスペシャリストと伺っております。 2010年、上海工場長を最後にご退職され、現在は東京にお住まいでございます。 退職後、ふるさと釧路のため2か月に1度ほど来釧され、さまざまなエリアで活性化の具体策を推し進めておられます。 本日は「夜明けの始まりは釧路から」という題名で釧路地域の林業の可能性を中心にご講話をいただくことになっています。 私も職業柄、林務関係、林業、林道を作り斜面の保全工事などしていますので、非常に興味を持っております。 それでは斎藤様、よろしくお願いいたします。 くしろの未来を考える会 会員 斎藤 征治 様 こんにちは、斎藤でございます。 よろしくお願いいたします。 木下会長から「林業を中心に話をしてほしい」という依頼を受けました。 常日頃、私が釧路再生のためにいろいろ暗中模索をしておりますので、林業は中心になりますが、それらをお話させていただければと思います。 釧路もそうですが、人口の減少化、地方の衰退化、これは全国的な傾向でありまして、決して釧路だけの問題ではありません。 私はこの5年間、いろいろと釧路のことを考えてきましたが、釧路には様々な良いところがあります。 釧路OBとして、外部の視点で整理して、今日、ご紹介させていただければと思っております。 私の名前を先ほどご紹介いただきました。 この名前が付いている方は間違いなく戦時中に生まれたということになります。 昭和30年4月に、春採湖のほとりに柏木小学校が創立されました。 その時に私は5年生で編入したのが釧路との関わりの始まりです。 音別の向こうに尺別という所がありまして、私はその尺別炭鉱で小学校1年生から4年生まで住んでいました。 人口が2,000人の村から昭和30年当時は人口が11万人だった釧路に住むようになりました。 中学校は今、幣舞中学と名前が変わっていますが東中学校に入りまして、昭和38年に高校を出て釧路を離れました。 10代の8年間だけ釧路にお世話になったということです。 東京で仕事をしながら、東京からこちらに来ることはありましたが、あくまでも外部の人間という感じでおりました。 現役の最後の7年ほど上海に単身赴任しましたが、2010年にそこを退職して現在は東京で隠居生活をしています。 週の半分くらいはアルバイトをして、小遣い銭稼ぎをしてこちらに来るのを楽しみにしている状況です。 今日、こうして皆さんの前でお話するようになったきっかけは2つあります。 ひとつ目は、2012年9月、北広島市。 5年ほど前になりますが、これは私の東中学校のクラス会があった時です。 2年に一度でしたが、上海駐在が永かったので14年振りの参加でした。 その中の釧路から来た仲間の1人が私に開口一番こう言いました。 「斎藤君、釧路はいま大変な状態になっているぞ。 第二の夕張になると言われていて、北大通はシャッター街になって非常に寂しい。 生活保護を受けている人も非常に多い」という話を聞いて私は大変ショックを受けたものです。 私は、クラス会が終わった翌日は札幌市内をぶらっと回って、午後の便で東京に帰るつもりで来ていました。 が、これはまずいなということで、翌日、スーパーおおぞらに飛び乗り、14年振りに釧路駅に降り立ちました。 幣舞橋まで歩きました。 確かに言われるとおり想像外の状況だったので私は改めてショックを受けました。 これは何とかしなければいけないと思いまして、その後、個人的にいろいろと動き回っています。 私に「釧路が大変な状態になっている」と伝えてくれた友人、私にとってある意味では恩人です。 私の眠っていた気持ちを目覚めさせてくれたことに感謝しています。 その男は、このホテルの向こう側、幣舞橋の向こう側にある東家というお蕎麦屋さんの店主で、平光二といいます。 彼が私に教えてくれたので、今、ここに立つことになり、彼は私の恩人だと感謝しています。 個人的にいろいろと動き回っていたのですが、いかんせん1人では何もできませんで、この5年間はこちらへ来てお金を使うくらいの貢献しかできませんでした。 2つ目のきっかけが2016年11月、「くしろの未来を考える会」との出会いです。 これはいろいろな方とお話をしている中で、鳥取神社の宮司・木下さんが非常に積極的に動いておられると何人もの方から伺いました。 「ぜひお知り合いになりたい」と神社へ電話を差し上げて、11月にお会いしました。 すぐに、木下会長から「くしろの未来を考える会の会員になるように」とお話をいただきました。 それで今年の1月からこの会に出席するために釧路へ来る回数が増えました。 毎月という訳にはいきませんが、2か月に1度、こちらに来て、皆さんと交流を深めている状況です。 「釧路の天の恵み」。 皆さんにこういうお話するのはどうかと思いますが、私は小さい頃から釧路の方は口が重いと言いますか、口下手と申しますか、謙虚な方がとても多いと感じています。 釧路には大変素晴らしいことがあります。 これを中心にしてご紹介したいと思います。 私が思うのは、札幌と、東京と、同じ土俵で相撲を取らないようにしましょうということ。 声を大にして言いたいです。 釧路には釧路ならではの良さがたくさんありますので、ぜひ皆さんが認識して自信を持っていただければと思います。 1番目は、『三つの天然』です。 現在、釧路市全体をあげて長期滞在者を取り込もうと運動しております。 「天然のクーラー、涼しい夏」、これは大変素晴らしいキャッチフレーズです。 二つ目の「天然のモイスチャー」です。 昨年の5月にこちらに来た時にあるご高齢の女性、多分私より上ですので80歳くらいのお二人に前後してお会いしました。 最初の女性にお会いした時に、とても上品で綺麗な方と強烈に覚えています。 感心しました。 その方とお別れして2時間ほど経ってから別の80歳ぐらいの女性を紹介されて、お話をしました。 この方も負けず劣らず上品で綺麗な方でした。 ひとりくらい綺麗な方がいても、そう驚きませんがお会いした二人とも上品で綺麗な方というのはなかなかないことでしょう。 そうすると個人的な問題はなく、地域的な何かがあるのではないかと考えました。 私はご紹介にありましたように、化粧品会社でスキンケア、ローション・化粧水・乳液・クリームなどを中心に仕事をやっておりましたので、皮膚生理学的な勉強はかなりしたつもりでおります。 日本の美人の県というと、新潟や秋田と一般的に言われます。 あそこは雪国でして、うるおいがたっぷりある地域なのです。 「うるおいが女性の肌にとって非常にいい」と現役時代に語っていました。 お二人を見て、これはどういうことが原因だろうかと考えて、辿り着いたのが霧でした。 霧は本来、生活にはあまり良いことはありません。 洗濯物が乾かない、部屋の中が湿っぽい、飛行機が欠航する、と良いことはないと思っていました。 ところが逆から眺めると、この霧がうるおいを与えてくれる。 これが美人を育てる要因になっているのではないか、釧路美人の素は霧です。 ということから霧に『天然のモイスチャー』という名前を付けました。 私が1月に、「くしろの未来を考える会」に初めて参加した時、手土産ということで冒頭にこのお話をさせていただきました。 乗山会長が早速ご自身のブログにこれを発信しました。 それが伏線です。 『HO』(ほ)という情報誌、これを皆さんもご存じでしょう。 コンビニなどで売っています。 5月25日号、ちょうど1週間前に発売されて釧路の霧を特集しています。 札幌の編集の方から乗山会長にアプローチがあったようです。 その電話取材に応じて、できたのがこれです。 「霧のおかげです。 釧路はモイスチャー美人が多い」と大々的に宣伝されることになりました。 何かの参考にこれをお使いにいただければと思います。 天然のモイスチャーをお話した時に、くしろの未来を考える会のメンバーの1人が「天然のクーラーから始まって、モイスチャー。 ふたつになった。 3つ揃えると良いですね。 トライアングルで強力になるので3つ目は何かないか」ということから考えたのが「天然のギャラリー」です。 幣舞橋から見える釧路港の夕日です。 私は、夕日はとても素晴らしい観光資源だと固く信じております。 この「天然のギャラリー」、つまり幣舞橋から夕日を眺める、あれは画廊と言えるのではないかと感じて、「天然のギャラリー」を3月のくしろの未来を考える会で発表しました。 これをその方が「大々的に宣伝していく」と言っていただいて、これから徐々に認知されるのではないかと思います。 2つ目です。 「観光資源の宝庫」。 これは言うまでもありませんが、阿寒国立公園から阿寒摩周国立公園と名前が変わると聞きました。 それをはじめ、釧路湿原、丹頂鶴、これは大変素晴らしいです。 それから、ノロッコ号、数えたら切りがないくらい観光資源が揃っている大変珍しい街、これが釧路だということです。 これは私が言うまでもないと思います。 3つ目です。 「アメリカから最も近い日本のバルク港」です。 30年ほど前にマッキンゼー支社長だった大前研一さんが中心となって「日本を10いくつかに分割して地方分権を進めたらどうか」と、道州制が話題になった時期があります。 その時に、北海道を例に挙げて、北海道というのはアメリカから最も近い所なので、この地の利を利用して、いろんなことが考えられると提案しています。 最近、くしろの未来を考える会が中心になって、釧路がバルク港に指定されたということです。 これは非常に素晴らしいことをやっていただいたと思っています。 先見の明がある。 いずれ道州制が導入された場合には、アメリカに最も近い日本のバルク港という利点は劇的に活きてくると信じております。 4番目、「第一次産業の適地」。 私は7年間上海におりました。 現地では、日本の中小企業、大企業、名だたるところはほとんど進出しています。 つまり安い労働力を求めて生産基地を海外に移すという波がずっと続いているのです。 従って、第2次産業はだんだんと空洞化していくのは自然の流れになります。 すると地方衰退を解決する方法としては、地元に密着している第一産業にてこ入れせざるを得ない、それ以外に成長の道はないと言っても良いでしょう。 林業の話は後ほど言います。 畜産もかなり有望です。 先ほど霧のお話をしました。 こちらは霧が多いですから牧草に霧が降り注ぎます。 塩分・ミネラル分が豊富にありますので非常に優秀な牛に育つことから、浜中町の鈴久名牧場がアイスクリームのハーゲンダッツに独占的に納入しているほどで皆さんは当然ご存じだと思います。 霧のおかげで素晴らしい牛乳が生まれています。 一方、肉です。 これも霧が牧草の上に降り注いで、それを牛が食べます。 柔らかくて適度の湿気がありますので、牛はストレスを感じないので非常に良い環境で育つからこちらの肉は大変おいしいと聞いております。 が、それはあまり認知されていませんので、釧路・根室一帯を含めた霧の恩恵を受けている牛のブランド化をぜひ実現していきたいと思っております。 林業に関しては、いろいろな本が出ていますが、日本の国土67%は森林です。 この67%の森林で、残念ながら今の日本の森林は宝の持ち腐れ、大変苦戦をしている状況です。 ドイツと比較しますが、ドイツと日本の国土はほとんど同じです。 森林の面積がドイツは日本の半分以下ですが、ドイツは林業の先進国でありまして、林業がGDPの5%を占めるという巨大な産業に育っています。 自動車が1位のようですが、電気・電子、3番目が機械で4番目が林業です。 林業従業員の給料が高くて、若い人があこがれている産業です。 日本も今後ドイツ並に育ってくれたら大変巨大な産業になるということです。 日本がドイツ並に成長していきますと、日本のGDPは全体で540兆円と言われていますから、これの5%となると、年間27兆円の大変巨大な産業に育つ可能性を秘めているのです。 北海道は554万ヘクタールです。 これもGDP5%では、6兆円です。 私たちの東北海道、これは69万ヘクタールで年間7,500億円。 そういう規模の産業に育つ可能性があるのです。 この69万ヘクタールの根拠は、ドイツは1,100万ヘクタール、日本の2,500万ヘクタールに対し半分以下です。 ドイツは16の州からできていて州単位で森林を管理しています。 1,100万を16で割ると69万へクタールで、ドイツ並にひとつの塊として69万ヘクタールを管理し、上手く回していくと年間7,500億円の産業に育つ可能性があると言われています。 ちなみに釧路管内は39万ヘクタールあります。 これでは足りないのでどこかと共同で最低でも69万ヘクタール位、できたら69万の倍で140万ヘクタール位をまとめて管理して合理的に対応していく体制ができたら大変強くなるのではないかと思っています。 活性化への課題は先ず違法伐採材の輸入を禁止するということです。 先進国で違法伐採材を輸入しているのは日本だけです。 格安の違法伐採材に国内市場が被害を受けて国産材が流通しにくい状態になっているのです。 違法伐採材が流通するのを止めないといけない。 これは法律が問題です。 辛抱強く訴えていく必要があります。 後は木材需要の拡大です。 最近話題になっているCLT(直交集成板)に注目しましょう。 欧米ではこのCLTを使った10階建ての高層建築が出現しています。 日本でも期待できます。 木材を大量に使うような施策をやっていきましょう。 林業の夜明けが近いと見られているからでしょう、昨今、林業大学校の開設への動きが全国的に活発です。 現在、日本では群馬県、長野県、静岡県、岐阜県、京都府、島根県の6校しかありません。 最近、日本各地で林業大学校の開校に向けて動き出していると先日、報道されました。 北海道でも是非、早い時期に開校していただければと願っています。 林業適地の北海道の価値が如何なく発揮できる。 そんな時節到来が近いと感じています。 くしろの未来を考える会の皆さんと力を合わせて少しでも釧路が変わったという、そういう姿を皆さんに広く示すことができればと願っています。 変わってきたということを一人一人の方が認めていただければ、釧路全体がかなり変わってくるのではないかと期待しております。 皆さんと力合わせてやっていきたいと思っております。 ご静聴どうもありがとうございました。 会長謝辞 木下 正明 会長 斎藤様、ありがとうございました。 いろいろ参考になるお話をいただいたと思います。 釧路出身の方で、定年した後こういった活動していただけるというのは本当にありがたいことです。 僕は釧路出身ではないのですが、その活動に感銘を受けてお手伝いさせていただいています。 皆さんもご協力いただければありがたいです。 本日はありがとうございました。

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行人偏に正しい

本紀9巻・后紀1巻・志30巻・列伝80巻、全 120巻から成る。 本紀・后紀・列伝は、先行する『世祖本紀』『光武時功臣列 伝』『東観漢紀』などをもとに、范曄によってまとめられたものである。 志は、 西晋の司馬彪? -306 (司馬懿の弟の司馬進の孫)の書いた『続漢書』の八志( 律暦・礼儀・祭祀・天文・五行・郡国・百官・輿服)30巻を併せたものである。 現在の形になったのは、1022年のことで、成立は遅い。 そのため、史料価値 としては、高いとは言えない。 現存する『後漢書』本紀・后紀・列伝には、唐の李賢による注がついている。 この李賢注は、儀鳳元年(676)のものとされる。 この年は、新羅が韓半島統 一を果たした年でもあり、その13年前には、あの白村江の戦いがあった。 7世 紀後半、激動の東アジアを知る上では、李賢注は貴重な史料と言える。 なお、志 には、南朝梁の劉昭の注がある。 巻115に東夷伝があり、倭条すなわち「倭伝」がある。 先行する『三国志 魏志』巻30・東夷伝倭人条すなわち「魏志倭人伝」を第一史料としているが、 『史記』・『前漢書』・『三国志 呉志』などに拠ると思われる記録もあり、興 味深い。 以下は、百衲本『後漢書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものであ る。 また、李賢注は、〔〕を用いて明記した。 また、文節の区切りについては、岩波文庫版『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・ 宋書倭国伝・隋書倭国伝』(石原道博編訳 1985)を参考にした。 この『三国志(さんごくし)』は、3世紀末に晋の陳寿(ちんじゅ) 233-297 によって書かれた『魏書(ぎしょ)』30巻・『呉書(ごしょ)』20巻・『蜀 書(しょくしょ)』15巻から成る中国の正史である。 内訳は、魏の本紀・列伝、 呉の列伝、蜀の列伝であり、呉・蜀には本紀がない。 また、それぞれ、『魏志』 『呉志』『蜀志』と通称される。 『魏志』巻30・東夷伝の最後に、「倭人伝」がある。 古くは、魚豢(ぎょけ ん)の『魏略(ぎりゃく)』を第一史料としたと考えられていたが、近年の研究 により、両者がほぼ同時期に成立したことがわかり、両者が同一の史料をもとに したとする説が主流になった。 以下は、百衲本『三国志』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものであ る。 また、文節の区切りについては、岩波文庫版『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭 伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(石原道博編訳 1985)を参考にした。 現存する『魏志』には、南朝宋の裴松之(はいしょうし)が元嘉6年(429 )に施した注、いわゆる「裴注」がついている。 ここでは、〔〕でそれを明記し た。 また、文字を組 み合わせることで表現できる場合は、{}で表記した(例:「訳」={言尺})。 帝紀10巻・志20巻・列伝 70巻・載記30巻、全130巻から成る。 巻97の東夷伝に倭人条、すなわち「倭人伝」がある。 晋より4百年以上も隔 てての成立のためか、誤記が目立つが、外交記録は史料価値が高い。 以下は、百衲本『晋書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものである。 自序には、70巻とあり、志はやや後に成立した。 巻97の夷蛮伝には倭国条すなわち「倭国伝」がある。 478年の倭王武によ る上表文を載せるなど、5世紀の日本を知る上で、その史料価値は高い。 また、 古くから、倭国伝に登場する、いわゆる「倭の五王」を誰に比定するかという研 究も盛んである。 以下は、百衲本『宋書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものである。 また、文節の区切りについては、岩波文庫版『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・ 宋書倭国伝・隋書倭国伝』(石原道博編訳 1985)を参考にした。 『梁書』『南史』には、60巻とあるが、後の劉知幾の『史通』は59巻とす る。 現行本は、本紀8巻・志11巻・列伝40巻から成る。 巻58の東南夷伝に倭国条、すなわち「倭国伝」がある。 倭の五王で有名な 『宋書』に続く時代の記録であり、倭国が引き続き南朝の皇帝を天子と仰いでい たことがわかる。 短文ではあるが、その史料価値は低くない。 以下は、百衲本『南斉書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものであ る。 巻81に東夷伝があり、流求国条に引き続き、タイ国条すなわちタイ国伝があ る。 「タイ」は、人偏に「妥」という字であるが、一般には、「倭」の誤記とさ れ、「倭国伝」と呼ばれているが、ここでは、原文の表記に従って、「タイ」を用 いることとする。 以下は、百衲本『隋書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものである。 また、文節の区切りについては、岩波文庫版『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・ 宋書倭国伝・隋書倭国伝』(石原道博編訳 1985)を参考にした。 全200巻(本紀20巻・志30巻・列伝150巻)か らなり、945年に成立した。 唐代においても『唐書』(130巻)・『唐暦』(40巻)・『続唐歴』(2 2巻)などの国史が編纂されたが、唐末の内乱でその多くが焼失・散逸した。 こ の『旧唐書』も少ない史料をもとに作られたために不備も多い。 巻199上の東 夷伝に「倭国伝」が収められている。 『日本書紀』に見えない記事もあり、7〜 9世紀の日中関係を知る上でも貴重な史料といえる。 これは、百衲本『旧唐書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものであ る。 また、文節の区切りについては、岩波文庫版『新訂 旧唐書倭国日本伝・宋 史日本伝・元史日本伝』(石原道博編訳 1986)を参考にした。 従来は、「倭国日本伝」と一つにまとめて表記し、かつ、扱うことが多 かったが、原文では明らかに別記しているので、ここでは両者を別けた。 倭と日 本について、古くは『釈日本紀』、近世では松下見林が『異称日本伝』で問題に している。 現在でも諸説があるが、敢えて言及しない研究者が多い。 ちなみに、中国の正史を見ると、『後漢書』『三国志』以降『旧唐書』までは 「倭伝」「倭人伝」「倭国伝」などとするが、『旧唐書』以降は全て「日本伝」 「日本国伝」としており、『旧唐書』のみが「倭国伝」「日本伝」を併記してい る。 以下は、百衲本『旧唐書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものであ る。 また、文節の区切りについては、岩波文庫版『新訂 旧唐書倭国日本伝・宋 史日本伝・元史日本伝』(石原道博編訳 1986)を参考にした。 本紀10巻・志5 0巻・表15巻・列伝150巻から成り、1060年に成立した。 本紀・志・表 は欧陽修 1007-1072 、列伝は宋祁 998-1061 により書かれた。 先に成立した『旧唐書』は、唐末の内乱後に残った少ない史料をもとに編纂さ れたものであったので、首尾一貫せず、記載にも不備が多かった。 宋の統一後、 唐代の史料が多く現われたのを機会に「唐書」の再編纂が行われ、『新唐書』が 成立した。 『新唐書』は、『旧唐書』が原史料をそのまま記載していたところを全般的に 補正した上に文章を簡略化したために誤った解釈も多く、史料価値は低いとされ る。 『新唐書』巻220・東夷伝に「日本伝」が収められているが、『旧唐書』 のように「倭国伝」はない。 したがって、両者の表記を比較することにより、倭 が日本と改名した原因や時期を考える上で格好の史料のなると考える。 以下は、百衲本『新唐書』を底本として、ほぼ忠実に原文を再現したものであ る。

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