古く から 語り継が れ てき た 話。 7に纏わる怖い話~八丈島で語り継がれる7人坊主の祟り~

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古く から 語り継が れ てき た 話

歴史街道の流域を守護する巫女、明智佐保が楊津小学校区まちづくり協議会を手伝ってくれます。 猪名川町には古くから「佐保姫伝説」が語り継がれています。 『万善地区には「佐保姫」という珍しい地名があり、その地名の由来にまつわる話が今に伝えられています。 今から、約400年前の戦国時代、木津の三蔵山の城に預けられていた明智光秀の娘 佐保姫と、篠山の八上城城主 波多野秀治の息子 貞行は恋に落ち、結婚の約束をしていました。 ところが、光秀の主君 織田信長は光秀に八上城を攻めるように命令し、城を落城させました。 貞行は辛くも城を逃れましたが姫とは泣く泣く別れ、いずことなく消えていきました。 その後、姫の住む城も落城し、姫は目の前を流れる猪名川に身を投じたということです。 それから地名は「佐保姫」となり、姫が入水したところは「姫ケ渕」と呼ばれるようになったと伝えられています。 しかしこのお話には続きがあります。 猪名川町万善の姫ケ淵に身を投げた佐保を、日本古来からの河川の神である日河比売(ひかわひめ)はとても不憫に思いました。 彼女は自信が率いる式神(カエルの姿をしている)たちに命じ佐保にもう一度命を与えました。 こうして佐保は14歳の姿で蘇り、以降今に至るまで約500年の間猪名川流域の五穀豊穣、厄災回避を祈祷し私たち猪名川流域に住む人々の暮らしを見守ることになったのです。

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明智佐保

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メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』やギリシアの『天地創造』など、世界各地には古くから語り継がれてきた様々な神話がある。 日本最古の歴史書といわれている『古事記』もその一種といえる。 ただ、そもそも「神話」とは何なのかという定義は曖昧だ。 (沖田瑞穂著、岩波書店刊)によると、神話とは「聖なる物語である(であった)」であり、人々の間で語られ、そして聞かれていたある話について、それが「聖なるもの」と捉えられていたら、その話は「神話」である、ということができる。 ケルト人は、現在のアイルランド人、スコットランド人、ウェールズ人、フランスのブルターニュ地方のブルトン人などの祖先に当たる人々。 かつてはヨーロッパ大陸でも勢力をふるっていたが、次第に他民族に圧迫されてヨーロッパの西へ西へと追いやられてしまう。 さらにキリスト教化されたので、ケルト神話が比較的多く残っているのは、アイルランドとイギリスのグレートブリテン島西南部のウェールズ地方となっている。 このケルトの神話の一つ、「フィアナ神話」が、日本の浦島太郎とよく似ているのをご存じだろうか。 筋書はこうだ。 主役のオシーンとフィアナの騎士たちが森で狩りをしていると、突然西のほうから白い馬に乗った乙女が現れる。 常若の国の王の娘、金髪のニアヴと名乗り、オシーンを常若の国へ誘う。 そこでは何日も素晴らしい祝宴が続き、オシーンは3年間常若の国で過ごす。 父や友人に会いたくなったオシーンは、そのことをニアヴに話すと「決して白馬から降りないで下さい。 あなたの足が土に触れたら、もう二度と私のところへは帰れないのです」と告げられる。 オシーンは決して馬から降りないと約束し、常若の国をあとにするが、途中で両足を地面につけてしまう。 その途端、目はかすみ、若さは消え、全身から力が抜け、しわくちゃの老人になってしまうのだった。 異界へ行ってわずかな時を過ごして帰ってみると、数十年、数百年の時が過ぎ去っていた、という話を、神話学では「ウラシマ効果モチーフ」とよばれている。 ちなみに中国にも「異界訪問-腐っていた斧の柄『水経注』」という、よく似た神話がある。 本書を読むと、世界の神話には全く別の地域のものにもかかわらず、内容がよく似ているものが多いと気づく。 本書では、その理由について4つの要素を上げている。 1つ目は、一方から地方に神話が伝わる伝播によるもの。 2つ目は、インド=ヨーロッパ語族の場合。 インドやギリシア、北欧のゲルマン、ケルトなどは、みな同じ言語の「家族」だ。 インドからヨーロッパにかけて分布する言語の家族であり、元々は1つの社会を営み、同じ神話を持っていたがのちの分散。 しかし分散した後も、共通の神話を受け継いできた。 3つ目は、人間の同一心理に由来するから。 これは時代と場所を問わず、人々の心のありように共通点があるということである。 4つ目は、同じような自然現象などが似た神話を生み出すことがあるから。 世界各地の神話を深掘りしていくと、新たな気づきもあるはず。 本書をきっかけに世界の神話を楽しんでみてはどうだろう。 世界各地の神話が含む類似と相違に思いを馳せることは、昔から連綿と続く人間の営みと、共通の感情に思いを馳せることなのだ。 (新刊JP編集部) 【関連記事】.

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「小説」と「物語」の違いとは?分かりやすく解釈

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横浜にも浦島太郎の物語があった 横浜市PTA連絡協議会発行の『横浜の民話』には横浜各地の昔話47話が収録されており、荻坂昇(はぎさかのぼる)『神奈川の民話 第4集 よこはまの民話』には20話近くの昔話がある。 ここから推定すると、総数は不明でも、現在の横浜市全体には数十話に及ぶ昔話があると考えられる。 市内各地にさまざまな物語が語り伝えられている。 印南さんいわく、「横浜の民話はいろいろ伝わっていますが、多くは生麦の話だったり、根岸の話だったり、神奈川の話だったりします。 とくに神奈川に伝わる浦島太郎の話は有名です」とのこと。 日本人なら誰でも知っているであろう浦島太郎の物語。 横浜にも、その伝説は残されている。 『浦島太郎』(神奈川区) 遠い昔、相模国三浦を治めていた水の江浦島太夫は、息子の太郎とともに、丹後国与謝郡へ移った。 太郎は丹後で毎日のように釣をしていた。 ある日、海で釣り糸を垂らしていた太郎は、手応えを感じて釣り上げたところ、魚ではなく亀がかかっていた。 五色の色をつけた不思議な亀であった。 その亀を舟に置いたまま眠った太郎は「もうし、太郎様、太郎様」という声に起こされた。 目を覚ますと舟の上に美しい娘が立っていた。 「お前は誰じゃ。 海の中に人はいないはず」驚く太郎。 「私はいま太郎様が釣り上げた亀が生まれ変わったものです。 私は龍宮の乙姫ですが、太郎様を龍宮城にお連れしたく思います」 「龍宮じゃと? それは珍しいところ。 どのようにいくのじゃ」 「私がお連れいたします」 神奈川区にある亀の形をした車止め こうして連れて行かれた龍宮城で、太郎は楽しく遊び暮らしたが、寝る前に必ず霊薬を飲まされた。 そうしているうちに 3 年が過ぎて、太郎も地上に帰りたくなった。 乙姫にそのことをいうと、玉手箱を渡され、決して開けてはならないといわれた。 地上に帰った太郎だが、すでに 300 年が経過していて、父母も死んだ後だった。 あの霊薬は不老長寿の薬だったかと知った太郎は思わず玉手箱を開けてしまい、一筋の煙が出て、年老いてしまった。 その後、老いた太郎は、武蔵の国の白幡の峰を訪れ、亡くなったと言われている。 白幡の峰は、現在の横浜の浦島丘であるともいわれている。 神奈川区にある市登録文化財に指定されている浦島父子の供養塔 浦島太郎の話は全国にあるが、横浜にも神奈川区に「浦島丘」という地名が存在するように、浦島太郎が海で亀に遭遇し、龍宮城に導かれる話が伝わっている。 笠井さんによると、横浜の昔話は動物が出てくるものが多いという。 とくにタヌキはよく現れるようだ。 その一例を挙げておこう。 『タヌキ寺』(港南区) 港南区の東樹院という寺の話。 木枯らしの吹くある日、真夜中に「こんばんは」という女の声が聴こえた。 住職が戸を開けると、美しい娘がいて「夜道に迷い、難渋しております。 どうぞ一夜の宿をお願いいたします」と住職に頼んできた。 不審に思いつつも、人情家の住職は娘を招き入れ、熱い粥と、布団を出していたわった。 翌日、娘は礼を述べてどこかへと去った。 2 日後、再び娘がきて「先日のお礼でございます」と茶釜と、柿本人麻呂の像と、「花鳥風月」の四文字を書き残して去った。 数日後、若い娘が犬にかみ殺される事件が起きて、娘の遺体が寺に運び込まれた。 むしろを取って見ると、そこにいたのは娘の着物を着たタヌキだった。 自然豊かな港南区。 かつては人と動物の距離が、今よりもはるかに近かったことが想像できる。 飛んでも杭だ……強情な男の話 動物の話のような、あきらかに人間が想像力で作り出したとおぼしき話とは別に、先に挙げた『舟のり地蔵』のような歴史的事実だったのでは、と思わせる話もある。 次の『とんでもくい』も、そんな話の一つである。 『とんでもくい』(鶴見区) 鶴見の潮田がまだ一面のアシの原っぱだったころ、二人の男がそこを通りがかった。 ここらで飯にしよう、と並んで座った二人は、沖を眺めていたが、そのうち一人がアシの原の中にポツンポツンと黒いものを見つけた。 「あの黒い杭(くい)はなんだろう。 ずいぶんおかしな所に杭を打ったな」 「いや、あれはカラスだろう。 杭ではないよ」 「カラスだったら動くだろうが、あれはびくっとも動かない。 あれはやっぱり杭だよ」 二人は杭だ、カラスだと口論したがラチがあかない。 とうとう一人が 「見てろ、そら」 と持っていた握り飯を投げつけた。 するとバタバタ舞い上がって、一斉に海の方向に飛んで行った。 「ほら、やっぱりカラスだったろう」 「いや、飛んでも杭だ」 この時以来、この潮田の付近では、強情な人間を指して「とんでもくい」というようになったという。 鶴見区潮田にある潮田神社 ほかにも瀬谷区には、「戸口で毎晩不審な音がするので警戒していたら、獣が出現し、銃で撃ったところムジナが倒れていた」という江戸時代末期の昔話がある。 こうした話は完全に史実ではなくても、それに近いことがあったのではないだろうか。 人から人に語り継がれる昔話 悟空研究所では、こうした昔話を集めて、子どもたちに提示し、子どもたちがそれを演じるという活動をしている。 「子どもたちはおもしろいといってやっています」と理事長の印南さんはいう。 舞台装置も自分たちの手作り(画像提供:悟空研究所) 演じるのも自分たち(画像提供:悟空研究所) 「横浜の民話も、元の正しい話を知っていれば、結末など自由に変えていいんだよと子どもたちにはいっています。 昔話にくわしいのは大学の先生なんかではなく、地元のおじいちゃんやおばあちゃんです」と笠井さん。 あくまで人から人に語り継がれる昔話。 そこにはインターネットもメールも、テレビゲームも入り込めない世界がある。 取材を終えて かつては囲炉裏端でおじいちゃん、おばあちゃんから訥々(とつとつ)とした口調で聞かされた昔話も、今は活字を通して知る機会の方が多くなった。 時代が変わり、生活環境が変わることで、土地に伝わる物語も、その伝承の機会が危うくなっている。 「横浜の昔話」というテーマで取材を進めたが、その行き着くところは郷土愛であり、さまざまな人間への深い愛情、さらには見えない神仏に対する畏敬であることを感じた。 子どもたちのみならず大人も、というより大人であるがゆえに、ときに童心にかえって土の香りのする物語に心を遊ばせる必要が、あるとはいえないだろうか。

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