し ず ヤマ 夫妻。 山川紘矢・亜希子公式ページ Spiritual World(スピリチュアルワールド)

株式会社ササヤマ

し ず ヤマ 夫妻

伝統的なヨーガにおいて、悟りを求める修行者が師について学び始めるとき、師は弟子に対して初めに禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)を教えます。 非暴力でいえば、実際に生き物を傷つけないということもありますが、想念のレベルでも傷つける行為をしないということです。 想い、言葉、行為のすべてにわたって戒律を守ることが必要とされます。 それは大変難しいことですが、もし非暴力を真に達成したら、その人は誰からも傷つけられなくなるといわれています。 また、正直に徹するならば、その人が言うことは本当に実現するようになるといわれています。 禁戒と勧戒は霊的に深い意味をもつ日常生活の教えです。 「宗教的な教えはふたつの道があり、ひとつは願望の道で、もうひとつは放棄の道です。 願望成就は前者に属し、真の宗教的な教えに到る準備段階に相当するということを、認識しておく必要があるでしょう。 大きな夢をもち、夢に向かって努力し、夢を実現することが美徳のように考えられています。 今や教育においてすら、生徒の学業に対する意欲の向上のために、明確な目標をもつことの重要性が説かれるようになってきました。 しかし、宗教的観点からはこのような考え方ははっきりと誤りであるといえます。 第一に重要なのは正しい認識です。 真理は、愛を通してのみ得られ、社会的地位や、名声、ましてや富を獲得することが人生の目的ではありえないということをはっきりと自覚できなければなりません。 この自覚をもつ者のみが、才能を開花させ、その才能を社会に生かすべく、明確な目標をもつことを勧められるのです。 たとえば、「医者になりたい」という願望が単に社会的、経済的理由からくるのであるならば、それは真実の望みとはいえないでしょう。 仮にそのような人が本当に医者になってしまったら、おそらく人の命よりも病院の経営の方を優先するようになるでしょう。 それは、その人個人のレベルだけではなく、社会全体にとって不幸なことだといわねばなりません。 実現させたい夢が単に自己中心的な欲望からくるものなのか、それともそれ以上のものなのかを十分に吟味する必要があります。 人生に明確な目標をもち、その実現に向かって黙々と努力する人は決して多くありません。 ましてやその目標が自己中心的な欲望に基づくのではない人々はほとんどいないといってよいかも知れません。 多くの人々は自分が何をしたいのかすらもはっきりとはわからないものなのです。 しかし、才能を開花させそれを社会のために役立てたいと切に願う人々がまず最初に行なうべきことは、徳を積むことなのです。 明確な目標をもちながら成功する人と失敗する人の違いは、一言でいってしまえば、その人がもつ徳によります。 徳を積んだ人には他者からの援助が得られ、徳のない人は自力からくる限界という壁に突き当たります。 徳を積むというと、奉仕活動をしたり、困っている人々に対して寄付をすることをまず考えるでしょう。 それは徳を積むという意味において、最も基本的な態度といえるでしょう。 それに加えてぜひ、禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)を勧めます。 これら十項目を常に日常生活の中で実践している人は、「徳の高い人」だといえるでしょう。 禁戒、勧戒の実践は徳を積むという意味において、王道といえるのです。 三年間徳を積み続けてください。 不思議なことが起こり始めます。 人生に明確な目標のなかった人でも、自然に自分の中に眠っている深い願望が浮かび上がってきます。 そしてあなたを援助してくれる人々があなたの回りに集まってくるでしょう。 こうしてあなたの夢は大きな努力をはらうことなく、少しずつ実現の方向に向かっていくでしょう。 この過程の中で、人生の明確な目標がはっきりと定まる人もいるでしょう。 そうしたときに、神々に祈ることを勧めます。 どのようにして祈ればよいのでしょうか? 言葉にして祈ってもよいし、願いが実現している様をイメージとして思い描いても結構です。 大切なことは、祈りの最後にそれらの言葉やイメージを天高く持ち上げ、天上の神々に祈りを送り届けるように意識を高く持ち上げることです。 以上があなたの願望を叶える最短で最も容易な方法です。 徳を積まず、イメージトレーニング(視覚化)による強引ともいえる願望成就の方法がよく紹介されていますが、あなたが不必要なカルマを積まないようにするためにも、このような方法に頼るべきではありません。 自分の望むことをして生活ができ、自分の仕事が人々に喜んでもらえるならば、それは素晴らしいことといえるでしょう。 そうした人生を生きるためにも禁戒、勧戒を生活の基本においた人生設計を考えていだたきたいと思います。 (竹下雅敏) 禁戒(ヤマ:Yama) 禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)はを浄化するための教えです。 チャクラの浄化とは、チャクラのプラーナの通り道に溜まったネガティブなエネルギーを取り除くことです。 [1] 禁戒(ヤマ)・勧戒(二ヤマ)とチャクラの関係 ヨーガの目的は、まず身体のチャクラを浄化し、覚醒させ、次に脊柱底部に眠るクンダリニーエネルギーを覚醒し、それを上昇させて解脱に至ろうとするものです。 このとき重要なのが脊柱中にある主要な7つのチャクラで、それらは体の中心線上のツボの位置に、それぞれ気(プラーナ)の出入口を持っています。 これらのツボはチャクラではありませんが、便宜上、体表のチャクラと呼ぶことにすれば、体表のチャクラは気(プラーナ)の放出と吸収に応じて、各々7つの色彩を持っています。

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禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)

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山川 紘矢著書のお知らせ 角川書店 ¥821 病気も老いも人生の恵み。 それを受け入れ「いま」を大切に生きることが幸せへの確実な第一歩。 スピリチュアル・ブックの翻訳家、山川紘矢が死と生の本質を語った、読むだけで気持ちが楽になるエッセイ 角川書店 ¥ 734 世界銀行の要職として米国にいた僕は、ある日一冊の本に衝撃を受ける。 スピリチュアル書の翻訳を始める原点となった人生の転機! ダイヤモンド社 ¥ 1,365 精神世界書の翻訳家の第一人者が明かす、スピリチュアルな奇跡と気づきの実話の数々。 これまで出会ってきた奇跡や不思議体験などを紹介する、スピリチュアル・エッセイ。 山川 紘矢・山川 亜希子著書のお知らせ 徳間書店 ¥ 1,404 目覚めの体験を経て「ワクワクだけを信じて生きる! ダイヤモンド社 ¥ 1,296 神社仏閣へのお参りや祈願など身近に感じている割に祈りを単なる気休めと考える人は多い。 だか、祈りには現実に効果があることが欧米の研究機関の実験ではたびたび実証されている。 日本中のスピリチュアリストから絶大な信頼を寄せられる山川夫妻が実体験してきた祈りの効果と日々、気軽に使用している祈りの言葉。 わかってる人たちから学ぶ優しいさとりかた ヒカルランド ¥ 1,560 こんなセッションを待っていた! ! 翻訳家山川夫妻とその作品群に感化され、お二人に続くあさりさん、牧野内さんもまた奥深い叡智の言葉をどんどんと発信してくれました。 このサイトでは、癒しをキーワードに様々なサービスを行っています。 また、新たに 山川亜希子のフォトエッセイを始めました。 毎週、美しい写真とエッセイをお届けします。 ぜひご覧下さい。 PHP研究所が行っています。

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閻魔

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音訳は 閻魔羅闍 ( えんまらじゃ )、は 閻魔大王 ( えんまだいおう )。 略して 閻羅王 ( えんらおう ) 、 閻 ( えん )とも。 Yama(閻魔)は、縛、雙世、雙王、静息、遮止、平等などと和訳される。 各地の信仰 [ ] インドの「ヤマ」 [ ] 19世紀前半に描かれたヤマ 本来は()共通時代にまで遡る古い神格で、『』の聖王(中世・近世で ジャム(「輝けるジャム」の意味で とも呼ばれる))やの巨人と同起源である。 『』では、ヤマとその妹ヤミー()はの子で、母はの娘 ()とされた。 人間の祖ともされ、ヤマとヤミーの により最初のが生まれた。 ヤマは人間で最初の死者となり、死者が進む道を見いだした。 そして死者の国の王となった。 虚空のはるか奥に住むという。 インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた。 そこは死者の楽園であり、長寿を全うした後にヤマのいる天界で祖先の霊と一体化することは、理想的な人生だと考えられていた。 しかし後代には、赤い衣を着て頭に冠を被り、手に捕縄を持ち、それによって死者のを縛り、自らの住処・国に連行されると考えられた。 ヤマの世界は地下だとされ、死者を裁き、生前に悪行をなした者を罰する恐るべき神と考えられるようになった。 の姿をした死の病魔や [ — ]、神犬から生まれた 4つ目で斑の2匹の犬 サーラメーヤ()を従える。 現在のインドでは、青い肌でに乗った姿で描かれる (本来は黒い肌だが美術上の様式として青く描かれる)。 の閻魔像 後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩はには『地蔵十輪経』によって伝来していたが、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。 になってが蔓延するにしたがいらによって平安初期には、平安後期には一般民衆と広くされるようになり、初期には預修十王生七経から更なる偽経の『』(略して『地蔵十王経』)が生み出された。 これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。 本地である地蔵菩薩は地獄とを往来出来るとされる。 なお前述の通り、の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる。 中国では焔摩天が閻魔大王に習合されていたが、日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため同一存在が二つに分かれたとも考えられている。 閻魔王の法廷には、という特殊なが装備されている。 この魔鏡はすべての亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場でスクリーンに上映する機能を持つ。 そのため、裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという。 司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している。 の公卿・には、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある(「」を参照)。 の武将・にも、閻魔大王宛に死者の返還を求める手紙を書いたという逸話がある(「」を参照)。 のには、閻魔・司録・司命が居並ぶ地獄の法廷を再現した鎌倉時代の木像があり、に指定されている。 には、閻魔を祀った(正式には「合邦辻閻魔堂西方寺」。 創建は伝・)があり、の「」の舞台にもなっている。 ・7月16日前後、奉公人は休暇を貰いに帰るの日であった。 余暇を使いその日に閻魔堂に詣でたり、などを楽しむ奉公人が多く、昔は1月16日・7月16日を「賽日・初閻魔」と呼んでいた。 からにかけては、7月1日には地獄も定休日として罪人を煮るのふたを開き、亡者を苛むのを休んだということから「釜蓋朔日」と呼び、この日から入りとする [ ]。 閻魔王はが大好物であるという俗説もある。 のにこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像があるほか、各地の閻魔堂でこんにゃく炊きの行事が行われる [ ]。 閻魔を題材とした作品 [ ]• 『』 - の一つ。 噺のなかに閻魔大王が登場する。 『』 - 閻魔大王の補佐官「鬼灯」を主役として、地獄の日常を描く漫画。 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2016年11月)• 『神の文化史事典』他編、、2013年2月。 「イマ」、pp. 91-92. 沖田瑞穂 「ヤマ」、pp. 545-546. 「ヤミー」、p. 548. 『エソテリカ事典 1 仏尊の事典』学研編集部、〈NEW SIGHT MOOK〉、1997年4月。 ほか『東洋神名事典』監修、〈事典シリーズ 7〉、2002年12月。 草野巧『地獄』新紀元社〈Truth In Fantasy 21〉、1995年12月。 、『密教曼荼羅 - 如来・菩薩・明王・天』新紀元社〈Truth In Fantasy 52〉、2000年10月。 蔡丈夫『インド曼陀羅大陸 - 神々/魔族/半神/精霊』新紀元社〈Truth In Fantasy 11〉、1991年12月。 『ヴェーダ アヴェスター』訳者代表 、〈世界古典文学全集 第3巻〉、1967年1月。 : 、。 辻直四郎訳 「ヤマ(死者の王)の歌(10・14)」(リグ・ヴェーダの讃歌)、pp. 75-76. 「ヤマとヤミーとの対話(10・10 」(リグ・ヴェーダの讃歌)、p. 辻直四郎訳 「昼夜の起原の物語(マイトラーヤニー・サンヒター 1・5・12)」(ブラーフマナ散文の挿話)、p. 145. 錦織亮介『天部の仏像事典』〈東京美術選書 35〉、1983年11月。 『年中行事辞典』編、、1958年5月23日、初版。 『地獄変:中国の冥界説』、1991年7月、修訂版。 関連書籍 [ ]• 『地獄めぐり』(:246、2000年)• 鈴木あゆみ 「仏教と道教の十王信仰:『仏説閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』と『玉歴至宝鈔』における閻魔の地獄」(『比較思想研究』 33、比較思想学会、2006年。 「閻羅王信仰の伝播者の問題」(『久里』 13・14号、民俗学会、2003年。 田中久夫 「閻羅王信仰の伝播者の問題」、『生死の民俗と怨霊』 御影史学研究会編、岩田書院〈田中久夫歴史民俗学論集4〉、2014年6月。。 田中文雄 「地獄と閻羅王:冥界の裁判官 (特集 道教の神々-その由来と信仰)」(『月刊しにか』 8(1)、、1997年。 「」(『日本常民文化紀要』 14、、1989年。 )成城大学機関リポジトリ• 「「活閻羅断案」攷」(『仏教史学』 4(1)、、1954年。 ) 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - ヤマーンタカ、降閻魔尊という異名をもつ五大明王の一尊• - では「閻魔の星」• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 『リグ・ヴェーダ』の「ヤマとヤミーとの対話」(リグ・ヴェーダ 10・10)において、ヤミーはヤマに子孫を残す必要性を訴えて結婚を迫るが、ヤマは神と神の定めた天則に沿わない行為だとして拒む。 なおによれば、この対話形式の讃歌は人類の起源を説明しているものの、詩の作者がという倫理に反する表現を回避しているという。 ヤマの死は昼夜の起源ともなった。 『マイトラーヤニー・サンヒター』(1・5・12)の伝えるところでは、ヤマが死んだ頃はまだが無かった。 悲しみに暮れるヤミーは、神々に慰められるたびに「ヤマは今日死んだ」と言っては泣いた。 神々はヤミーがヤマを忘れられるように、今日を昨日とすべく夜を作り出したので、ヤミーは立ち直ることができたという。 俗説では、嘘をついた者は地獄で閻魔に舌を引き抜かれる刑に処されると言われた。 子供を叱る際にはしばしばこの話が持ち出される。 また、かつて和釘を引き抜くのに使われていた、やっとこ形の釘抜きは「えんま」と称されていた [ ]。 出典 [ ]• 『』 [ ]• 『広説仏教語大辞典』上巻、東京書籍、2001年6月、136頁。 Julius Pokorny. 505. 『神の文化史事典』、pp. 91()、545(). 80(). 『』、p. 548(ヤミー). 「」、p. 145. 「」、p. 『』、pp. 545-546(ヤマ). 546(ヤマ). 「」、p. 蔡丈夫 『インド曼陀羅大陸』 [ ]• 『』 p.

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