インド パキスタン 国境。 インドとパキスタンの国境が点線になっている理由

【世界一かっこいい国境】インドからパキスタンへ陸路国境越え!

インド パキスタン 国境

からまでの夜間の国境 特徴 対象 延長 3323 km 歴史 制定 1947年8月17日 に伴う ()による ()の制定 最終変更 1972年7月2日 によるの画定 条約 ()、 備考 管理ラインは におけるインドとパキスタンの地域の境界であり、国際的に認められた国境ではない。 インド=パキスタン国境は、ととの間のである。 日本語では 印パ国境(いんぱこっきょう)と略称される。 北はにおける実効支配地域の境界である LoC に始まり、南はまで続く。 の数値によれば、国境の全長は3,323キロメートルである。 原型は1947年のの際に制定された ()である。 主要な都市部や人を寄せ付けない砂漠など様々な地形を横断する。 からのインド・パキスタン分離独立以来、両国間では国境を挟んだ多数の紛争や戦争が起きている。 世界で最も関係が複雑な国境の一つであり 、2011年の『 ()』の記事には、世界で最も危険な国境の一つと書かれている。 インドが国境に沿って約5万本の柱に15万個の ()を設置しており、夜間には上空から国境線を見ることができる。 カシミールにおける管理ライン LoC と作業境界 両国間の国境のうち、の紛争地帯にある境界は、国際的に認められた国境ではない。 カシミールの紛争地域は、1947年の後の1949年に制定された国連停戦ラインによって2つの部分に分割され、1972年に LoC として再定義された。 カシミールのパキスタン支配地域にはと、インド支配地域にはとがある。 とカシミールとの境界は、パキスタン政府によって作業境界 Working Boundary と呼ばれている。 インド側はその境界を国境 international border と呼んでいる。 作業境界 Working boundary : パキスタン側のパンジャーブ州とカシミールのインド支配地域との境界。 この境界のパキスタン側はパキスタン領であることが国際的に認められているが、境界の向こう側もパキスタンが領有を主張する紛争地域であるため、パキスタン側では「作業境界」という呼び方をしている。 Line of Control, LOC : パキスタンのアザド・カシミールとインドのジャンムー・カシミールの境界。 1972年のシムラー協定により境界が定められた。 国境: 国際的に認められたインドとパキスタンの国境。 1947年に ()が定めた ()に基づく。 国境通過点 [ ] ICP国境検問所 ICP Border crossing は、出入国管理施設と税関施設を備えた国境検問所として指定された統合検問所 ICP: Integrated Check Post であり、以下の2か所が指定されている。 ()(インド・)と(パキスタン・パンジャーブ州)が、毎日夕刻に国旗降納の式典が行われることで有名な国境通過点である。 アムリトサルから32キロメートル、ラホールから24キロメートルの位置にある。 ()は、インドの ()にある村で、インドとパキスタンを結ぶ ()が通る鉄道駅で有名である。 1965年の以降は閉鎖されていた。 2006年2月に再開され、インドのからパキスタンのまで運行している。 ワーガの国旗降納式典 [ ] ワーガの国旗降納式典(2015年) における国旗降納の式典は、 () BSF と、 ()によって、毎日日没の直前に行われる。 これは1959年から続いている。 式典は、両国の国境警備隊の兵士が国境を挟んで戦闘の開始を大声で叫ぶことから始まる。 これに続いて、ハイキック、ストンプ、ダンスなどのパフォーマンスが行われる。 最後に、両国の国旗を降納し、兵士が握手をすることで式典は終了する。 両国側に観客席が設けられ、旅行者など多くの観客がこの式典を鑑賞する。 この式典は、両国が共有する同胞関係とライバル関係を象徴するものとなっている。 両国の国境警備隊は、ムスリムの祝日()とヒンズー教徒の祝日()にお菓子を贈り合うことで知られている。 ただし、軍事的緊張が高まった2016年と2018年には、インド国境警備隊は贈り物を取りやめた。 2014年には、式典の最中に自爆テロ()があり、60人が死亡、110人以上が負傷した。 両国間における同様の式典は、他の国境の街でも行われているが、それらは地元の人たちが参加するのみで、観光客はほとんどいない。 ギャラリー [ ]• Khan, MH 2006年3月5日. Dawn News archives. 2013年4月15日閲覧。 PBS. 2013年4月15日閲覧。 PHILIP WALKER 2011年6月24日. The Foreign Policy. 2013年4月15日閲覧。 2014年10月23日閲覧。 India-Pakistan Border at Night. NASA 2015年9月23日. 2015年10月14日閲覧。 2019年12月6日閲覧。 CNN. 2019年4月20日閲覧。 India Today. 2016年8月17日. 2018年7月30日閲覧。 Khaleeli, Homa 2010年11月1日. The Guardian. 2019年4月19日閲覧。 www. bbc. com. 2019年4月20日閲覧。 2014年11月3日. 2019年4月20日閲覧。 外部リンク [ ]• ウィキメディア・コモンズには、 に関するカテゴリがあります。 2019年6月26日. 2019年12月6日閲覧。

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インド=パキスタン国境

インド パキスタン 国境

映画「 風の谷のナウシカ」がテレビ放送される度に思い起こされる場所があります。 それは中東 パキスタン北部の フンザという山岳地域です。 名峰が連なるパキスタン北部に位置するフンザは、「中東」や「イスラム教」といった言葉の持つ砂漠イメージとは違い、水と緑の豊かな土地でした。 元はシルクロードの中継地。 古くから商人が往来してきた土地柄であるためか、村人は道ゆく旅人にやさしく、何ともまったりとした居心地の良い空間だったのです。 いま「中東」と聞いて何を思い浮かべるでしょう? サッカー中継のスタンドで見かける白い民族衣装の髭おじさんたちの姿? それともこんなご時世ですからネガティブな出来事を思い浮かべるでしょうか? 残念ながら現在は情勢悪化の影響でパキスタンなど中東地域を旅する人が少なくなり、現地の情報を伺う機会も少なくなってしまいました。 しかし10年前に私が旅した中東は、それはそれは素敵なところだったのです。 こんな時代ですので、たまには良い情報でもお届けできればと思います。 私がフンザを旅したのはずいぶん前の話ですが、その当時の素敵な情景を思い起こしてみます。 今回はフンザまでの道のり。 インド国境からパキスタンの首都 イスラマバードまでです。 まずは、「イスラム」ってどんなイメージです? イスラム圏とは主にインドの左隣パキスタンから西、アフリカ大陸北部まで、中央アジアを含むユーラシア大陸南部の乾燥地帯を中心に広がる地域です。 現在は「イスラム」と聞いてネガティブなイメージを持つ人は多いのではないでしょうか。 外務省からも中東の広範囲に対し「渡航注意」などの勧告が出されているため、私がバックパッカーをしていた10年前と比べると、イスラム圏への旅行者もだいぶ減ってしまったように感じます。 何かあってからでは大変ですから、こればかりは仕方がありません。 ただ、現地を訪れる人が減ったということは、良くも悪くも生の情報が減ってしまっているということ。 時折テレビやネットで流れるニュースはいつもテロや過激派などといったネガティブなニュースばかり。 残念なことに、そんなニュースに覆いかぶされてしまうと、良いイメージを見つけるのも難しくなってしまいますよね…。 パキスタンってどんな国? 正式名称は「パキスタン・イスラム共和国」。 長い名前だったんですね。 インド、中国、アフガニスタン、イランと国境を接するイスラム教の国です。 元はインドの一部でしたが、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との対立から分離独立した国です。 同じく独立したのが東側のバングラディッシュですね。 インド北西部のスリナガルや東部のコルカタに比較的イスラム教徒が多いのはその名残のようです。 そのような歴史から、両国ともインドとは仲が宜しくないようで、怒ったインド人が「チャロ パキスタン!(Go to Pakistan!)」と言っているのを聞いたことがあります。 「おまえなんかパキスタンに行っちまいな!」的な言葉らしいです。 一方、北に接する中国とは仲良くやっているようです。 中国からは、ヒンドゥーシュク山脈を越え続く幹線道路「カラコルムハイウェイ」で結ばれており、10年ほど前にはすでに道路の整備や、物資の流入などが中国の援助で盛んに行われていました。 その結果、中国に友好的なイメージを持つ人が多くなったのでしょう。 国内の商店では中国製のものが非常に多く見られますし、子供のオモチャなどはだいたい中国語で喋ります。 中国としてはアラビア海に面するパキスタン南部の都市カラチやイラン方面に続く陸路を整備し、中国からの物流の起点を作ろうという利点もあるのでしょうか。 アフリカ方面にはグッと近くなりますしね。 インド国境を越え、パキスタン入国 インド側の街アムリトサル 上記の通りパキスタンは意外と多くの国と接しています。 我々日本人が入国できる国境は限られていますが、いくつかの入国ルートがあります。 空路で入国する以外に陸路ではインド、中国、イランからのルートが一般的になります。 ただしその時の情勢によって入国状況は変わるのでご注意を。 10年前、私が通ったのはインドのアムリトサルからの陸路入国でした。 インド西部の街アムリトサルはシク教徒の多く集まる街です。 インドはヒンドゥー教の国と思われていますが、イスラム教やキリスト教、仏教やジャイナ教など多宗教が混在している国です。 シク教徒の国内比率はヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教に次ぎ4番目で2%ほど。 ちなみにシク教徒は頭にターバンを巻いている人が多いので外見で見分けることができます。 「インド人」として描かれるターバンのおじさんをイメージするとわかりやすいですね。 近頃の若者はターバーンを巻くことが少なくなっているようですが、厳格な家庭では毎朝ネクタイを締めるように頭にターバンを巻いてでかけます。 ヒンドゥー教徒が大半を締めるインドで何故か「インド人=ターバン」となっているのは、他の宗教に比べシク教徒は富裕層が多く、渡航先や外交の場で見受けられる機会が多いからなのでないでしょうか。 そんなシク教徒の街アムリトサルで有名なのが、シク教の総本山ともいうべき寺院「ゴールデンテンプル」です。 さすがに大きな寺院ということだけあり、毎日全土から多くの参拝の人が訪れます。 遠路から訪れる参拝客も多いので宿泊や食堂が併設されていています。 ちゃっかり異教徒の私も気持ち程度のドネーションを納めて宿泊させてもらいました。 そして参拝を済ませ翌日、国境に向かうのでした。 インドを出国しパキスタンのイミグレでパスポートとパキスタンビザを見せてすんなり入国します。 パキスタン側はワガという町。 国境付近というのは味気のない荒野であったり、国境の設置に伴ってできた新しい町であることが多く、ここパキスタンの国境も同様に荒野に茶屋がポツンといった感じ。 ただ一つ違うのが毎日行われているフラッグセレモニーと言う閉門の式でした。 ラホール行きのバスはセレモニーの後に出発するということ。 島国育ちの私にとってはなかな経験できることではないので、パキスタン側からフラッグセレモニーを見学しに行ってみることにしました。 簡単に言うと、お互いの軍人さんが派手に国境の門を閉めるパフォーマンスなのですが、それを見るだけのために両国から多くの観客が訪れており、これが意外と盛り上がったりもしているのです。 不思議なものです。 見学後はバスで一路ラホールへ向かいます。 バスは前後のドアが開いているのですが、一様に男性は後ろから、女性は前から乗り込んで行きます。 車内に入るとその理由がわかりました。 バスの中央には仕切が設けられていて、男女のスペースが区切られているのです。 そう、ここはイスラムの国なのです。 前方の女性車両は割とスカスカなのですが、私の乗る後方車両には先ほどまで応援にきていたパキスタンの応援団の人たちがワサワサ。 間違えて体育会系の男子校バスに乗り込んでしまったような気分です。 ラホールまでの1時間弱彼らと一緒にバスに揺られます。 男子校バスにむさ苦しさを感じひっそりと車窓を眺めていたはずの私でしたが、気がつくといつの間にやら団員の和の中にいました。 団員がなぜか私に好意的なのです。 先ほどまでの応援で興奮冷めやらぬせいか、『インドから、こちら側にきた観光客』と言うことで妙に私に共感を抱いてくれているのです。 「セレモニー見たか?パキスタンの応援は良かっただろ?」「ラホールまでは30分だ」「これ食べるか?うまいぞー!」とアレヤコレヤ親切にしてくれます。 大概空港や国境付近には入国間も無く貨幣価値や土地勘が効かない旅行者を狙った悪徳業者が溜まっていたりするものなのですが、パキスタンの国境で待っていたのは子供が店番をするチャイ屋とそこでバスの出発を待ちマッタリとくつろぐおじさん。 バスに乗り込んでも歓迎ムードでウエルカムな車内。 そんなこともあり、初めてのイスラム圏の旅の入り口はなかなか好印象なもとなったのです。 イスラマバード(ラワルピンディ) ラホールに到着した翌日、バスターミナルからイスラマバードへ向かいました。 正確にいうと、イスラマバードではなく15kmほど離れた隣のラワルピンディという街。 イスラマバードは大使館や病院・高級住宅などがきれいに並ぶ都市計画された新しい街なのにに対し、ラワルピンディは古くから交易で栄えてきた交通の要所のような街。 街並みは古く建物もボロボロゴチャゴチャとしているのですが、活気があり宿泊料も安いのです。 私が滞在した宿も街並みを覗こうとバルコニーの柵にもたれようものならば、そのままボロッと落ちてしまいそうな年季の入ったお宿。 その代わり、旅人が多く滞在するため各地への情報が入りやすく、バスターミナルへのアクセスも容易と、旅人には都合の良い立地。 イランに向かうのならば人数を集めて国境越えの車を手配する方が安上がりで安全だと聞いていたので、人集めにも都合の良い宿、のはずでしたが…。 当時電力供給の不安定だった旧市街ラワルピンディ。 夜は頻繁に停電が起こっていました。 停電といっても30分くらいするとすぐに復旧します。 停電の間は部屋に備え付けられたファンも止まるため自然の風を求めてバルコニーへ避難します。 その後すぐに電気は復旧しましたが、さきほどまでの暑さから喉の渇きを感じた私は冷たい飲み物を求めて夜の街へ。 たどり着いたのはフレッシュな搾りたてジュースやアイスを提供するお店。 冷たいアイスを店内でいただきます。 やはりスイーツを取り扱う店であっても、お客さんは「髭おじさん」ばかり。 通りすがりの結婚式に飛び入り参加! 翌朝、当初の予定通りイランビザ申請のために向かったのはイスラマバードの大使館地区。 ラワルピンディからはリキシャ(オート三輪)に乗って30分くらい。 イスラマバードはリキシャの乗り入れが規制されていたので、そこからはタクシーを利用。 現在はメトロが通っているらしくアクセスがかなり良くなったみたいですね。 さて、イラン大使館近くにたどり着き、大使館はどこかな〜と探していると、どこからか騒がしい音楽が。 音につられ近づいてみると、髭おじさん達がワイワイと楽しそうに踊っていました。 どうやら結婚式のようです。 遠巻きに楽しい様子を眺めていたところ、私に気がついた髭おじさんの一人が「Come Come」と手招いてくれました。 「へ〜、結婚式って飛び入りできるのか」と不思議に思いながらも急遽式に参加してみることになりました。 楽団の音楽に乗りひとしきり外で踊った後は、室内に入り食事をいただくみたいです。 カレーやスイーツ、ドリンクなどの立食パーティー形式。 祝いの席と言えど、イスラム圏なのでもちろんアルコールはNG。 ドリンクは7UP(スプライト)です。 室内に入っても辺りは髭おじさんばかり。 正確にいうとおじさんぽく見える髭面の若者が大半。 めでたい式くらい女性も一緒では?と思ったのですが、やはりそこは厳格なイスラム教徒の国パキスタン、女性は別室で盛り上がっているみたいです。 2〜3時間ほど滞在させてもらったのですが、挙式の様なセレモニーはなかなか始まらず、結局女性の姿を見ることもなく式場を後にしたのでした。 当初向かう予定だったイラン大使館はまた明日出直しということで宿へ戻ります。 パキスタンの後にもいくつかのイスラム圏の国を旅したのですが、どの国でも大抵外に出ているのは男性ばかり。 子供と旅行者以外女性の姿を見るのは稀なことでした。 そのかわり、出会った髭おじさんたちは人懐こくフレンドリーな人ばかり。 髭面で彫りの深い険しい見た目からは想像できないほど親切な人ばかりなのです。 フンザへ向けて北上 さて、肝心のイランビザ取得はというと。 結局イスラマバードでの取得は諦めたのでした。 同じ宿に滞在していた旅行者の情報によると、当時の情勢ではイスラマバードのイラン大使館ではビザの取得が難しいらしく、できたとしても数週間待ちといった状況とのこと。 ペシャワールにあるイラン大使館ならば簡単に取得ができるという話を聞いた私は、イスラマバードに止まる理由もなくなり、この地を後にしたのでした。 どうせならば少しパキスタンを旅してから向かおう。 そう思った私は、当時旅人の間で桃源郷と称されていたパキスタン北部の地「フンザ」へ向かうことにしたのでした。

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【インド/パキスタン国境】アムリトサルからワガ国境を越えてラホールに行く方法

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この攻撃はパキスタンに拠点を置くイスラム過激派集団「ジェイシモハメド(JeM)」が犯行声明を出しており、インドは報復を約束していた。 またインドは、パキスタンが領内で武装集団の活動を許していると批判しているが、パキスタンはこれを否定している。 インドとパキスタンは、イスラム教徒が多数を占めるカシミール地方の帰属をめぐり対立している。 1947年にイギリスから独立して以降、両国はこれまでに3度の戦争と1度の局地的な紛争を行ったが、うち1つを除いた全てがカシミール地方をめぐるものだった。 カシミール地方のインド領とパキスタン領を分ける事実上の国境線を越えて空爆が行われたのは、1971年の第3次印パ戦争以来、初めてのこととなる。 何が起こった? インドとパキスタンは今回の空爆について異なる主張をしている。 インド政府は、パキスタン北西部のバラコットにある拠点を空爆したと発表した。 ヴィジャイ・ゴカーレ外務次官は、この空爆で「多数の」戦闘員が殺されたと述べ、さらなるJeMからの攻撃を阻止するための「先制攻撃」だったと擁護した。 バラコットの住民はBBCの取材に対し、大きな爆発音で目が覚めたと語った。 犠牲者については確認が取れていない。 パキスタン軍は、空爆による犠牲者はいないと主張している。 また、パキスタン軍の戦闘機がインド軍機を撤退させ、「積載物」を住民があまり住んでいない地域に投下させたとしている。 2016年9月にカシミール地方ウリのインド軍が攻撃された際もインド政府は「局地的な空爆」で対抗し、同じような状況が生まれた。 インドはこの際、特別部隊をパキスタン側のカシミール地方に投下して武装集団の拠点を破壊したと主張していたが、これは大きく誇張されていたことが分かった。 しかしインド軍は実際にカシミールの停戦ラインを越えてパキスタン側に侵攻し、パキスタン軍に犠牲者を出している。 今回インドは、パキスタン領内の国境線を越え、ここ数年カシミールの武装集団の訓練キャンプがある場所を攻撃した。 パキスタン軍は空爆された区域を閉鎖しており、地元警察も立ち入ることができない。 空爆の詳細が明らかになるには時間がかかるだろう。 また、パキスタンの高官は今回の空爆が国境線ではなく「停戦ラインを越えて」行われたと述べ、その深刻さを控えめに示している。 パキスタンは対抗措置を取るとしているが、外交手段以上のものにはならないだろう。 しかし、パキスタン軍が「時機を見て」カシミール地方に駐屯するインド軍に報復攻撃を仕掛ける可能性も否定できないとする意見もある。 インドとパキスタンの緊張関係 1947年10月:イギリスから独立して2カ月後に、カシミール地方の領有権をめぐって戦争が始まった 1965年8月:再びカシミール地方をめぐって短い戦争が起きた 1971年12月:東パキスタンが独立運動を起こし、インドが介入。 パキスタン領内を空爆した。 結果として東パキスタンはバングラデシュとして独立した 1999年5月:カシミール地方カールギルのインドの駐屯地を、パキスタン軍と武装勢力が制圧。 インドは空と地上から攻撃を行い、パキスタン側を排除した 2001年10月:インド側のカシミールの国会が攻撃され、38人が死亡。 2カ月後にインドの首都デリーの国会議事堂が攻撃され、14人が亡くなった 2008年11月:インド西部ムンバイの主要駅や高級ホテル、ユダヤ人の集会所などが同時に攻撃され、166人が犠牲となった。 インドはパキスタンに拠点を置く過激派集団「ラシュカレトイバ(LeT)」の犯行だと非難している 2016年1月:インド北部パサンコットの空軍基地が4日間にわたって攻撃され、インド兵7人と戦闘員6人が死亡した 2016年9月18日:カシミール地方ウリのインド軍駐屯地が攻撃され、インド兵19人が死亡した 2016年9月30日:インドはパキスタン側のカシミールにいる武装集団に「局地的な空爆」を行ったと発表。 パキスタンはこうした空爆はなかったと主張している.

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