はぐれ 哲学 者。 internal.artstor.org

はぐれ哲学者さんでも突破できなかった「壁」とは?◆リテラシーの問題

はぐれ 哲学 者

YouTubeにてをしている「天野のメモ」です。 はぐれ哲学者さんが、へずまりゅうさんとシバターさんのいざこざについて取り上げました。 それを見て、つくづく「はぐれ哲学者さんでさえ突破できない壁があるんだな」と私は感じました。 それは、 「人は、目立つものにしか興味がない」 という壁です。 はぐれ哲学者さんには、本来やりたいことがあります。 それは、本職である「数学」のことや政治経済の話、などです。 しかし、そういう話は、「地味」ですよね? なので、はぐれ哲学者さんは、N国党の配信をはじめることによって、まずは「人の目を引く」ことを考えました。 最近のN国・平塚界隈には、「目立つ争い」が少なくなってきています。 そういうことから、はぐれ哲学者さんは「へずまりゅうさんとシバターさんのいざこざ」も取り上げたんだろう、と思います。 配信者になった理由は「意義のある配信をしたいから」です。 とはいえ、いくら意義があっても、それが地味であったなら、リスナーさんは見てくれません。 だから、多くの配信者は「世間で話題になっている目立つもめ事を取り上げて、ついでに自己主張する」というスタイルを取ります。 私も一時期は、そうしたスタイルをとっていました。 しかし、そういうスタイルである限り、いわゆる「モノ申す」形になってしまいます。 たしかにこのスタイルは「目立ち」ますが、「意義のある配信」にはなりにくいものです。 なぜなら、リスナーさんは、「自己主張」の部分を見ずに、「人を批判している部分」だけを見て盛り上がってしまうからです。 はぐれ哲学者さんも、本当はこういう「モノ申すスタイル」はとりたいとは思っていないでしょう。 事実、「人の批判はしたくない」と以前、おっしゃっていましたよね。 はぐれ哲学者さんは、やがては「意義のある配信」に切り替えたいと思っているのではないでしょうか。 しかし、「意義のある配信」をすると、多くの人は見てくれない。 ジレンマですね。 いくら「意義のある商品」を開発しても、人は買ってくれません。 それよりも、「目立つもの、安いもの」ばかりに目が行きます。 だからたとえば飲食店は、「化学調味料をたくさんいれた、見かけと味だけを重視したメニュー」を出すのです。 こういう問題を解決するには、やはり個人個人の「リテラシー」を上げることでしょう。 果たして何が「意義のある情報、商品」なのかを見極める意識。 こういうことが大事になってきますね。 ブロガーyoutuber : 天野のメモより.

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はぐれ勇者の鬼畜美学(エステティカ)1話~最終話の見逃し動画を無料で視聴する方法【アニメ】

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YouTubeにてをしている「天野のメモ」です。 平塚正幸さんやはぐれ哲学者さんは、 YouTubeの「コメント欄・チャット欄でブロックしまっている」ということでよく批判されます。 私も、以前は彼らのそういうスタイルには反対でした。 ただ、今は考えが変わりました。 むしろ、 「中途半端にアンチコメントを残す人より、きれいさっぱり全てブロックしている人の方が信用できる」とすら考えています。 「中途半端にアンチコメントを残す」ということは、言い方を変えたら「印象操作している」ということになりますよね? 一方、「アンチコメントを全て消している人」は、最初から「このYouTuberはアンチコメントを消しているんだ」という視点で見ることができます。 しかし、実際にコメント欄を見るときは、そのコメント欄全体から感じ取れる雰囲気をそのまま受け取ってしまうものです。 たとえば、コメント欄全体が「消費税はさらに上げなければならない」という雰囲気だったら、「ああ、ここのリスナーの多くはそう考えているんだ」と受け止めますよね? でも、実は削除・ブロックされてしまった意見もたくさんあるのです。 それがコメントを見ているリスナーさんには感じ取れないんですよね。 「アンチコメントは、ある程度残しますよ。 両論併記を心がけます」 と言っているYouTube配信者の方こそ、警戒して見るべきだ、と。 なぜなら、 「ある程度残す」というやり方だと、どうしても偏向してしまうからです。 もちろん、そのYouTube配信者は「正しい基準でコメントを選別している」と自分では思い込んでいるでしょう。 でも、それはどこまで言っても「主観での選別」でしかないのです。 もちろん、私の中では、「正しい選別」をしているつもりでした。 しかし、どんなに「正しく選別している」つもりでも、どうしても「主観での選別」になってしまうんですね。 それに気づいてからは、私のチャンネルは、「アンチコメントは、基本、全て削除」という方針にしています。 その方が、リスナーさんにとってはわかりやすいので、むしろ「誠実な運営方法」だと思っています。 N国・平塚界隈で言うと、「N平党」さんや「失敗小僧」さんですね。 そういう方々のコメント欄は、疑う必要は全くありません。 ただし、それ以外のYouTube配信者は、「アンチコメントを適度に消している」と思ってください。 なので、コメント欄を見るときは、そのコメント欄の雰囲気をそのまま受け取らず、自分の頭で考えるようにしましょう。 <最後に追記> なお、大多数のYouTuberは、「ブロック・削除」は行っています。 これは運営上、仕方のないことです。 なので、そういう理由でそのYouTuberを批判することはナンセンスです。 ブロガーyoutuber : 天野のメモより.

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二人の文字から考える はぐれ哲学者さんと平塚さんの関係はどこまでもつれるのか?

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YouTubeにてをしている「天野のメモ」です。 平塚正幸さんやはぐれ哲学者さんは、 YouTubeの「コメント欄・チャット欄でブロックしまっている」ということでよく批判されます。 私も、以前は彼らのそういうスタイルには反対でした。 ただ、今は考えが変わりました。 むしろ、 「中途半端にアンチコメントを残す人より、きれいさっぱり全てブロックしている人の方が信用できる」とすら考えています。 「中途半端にアンチコメントを残す」ということは、言い方を変えたら「印象操作している」ということになりますよね? 一方、「アンチコメントを全て消している人」は、最初から「このYouTuberはアンチコメントを消しているんだ」という視点で見ることができます。 しかし、実際にコメント欄を見るときは、そのコメント欄全体から感じ取れる雰囲気をそのまま受け取ってしまうものです。 たとえば、コメント欄全体が「消費税はさらに上げなければならない」という雰囲気だったら、「ああ、ここのリスナーの多くはそう考えているんだ」と受け止めますよね? でも、実は削除・ブロックされてしまった意見もたくさんあるのです。 それがコメントを見ているリスナーさんには感じ取れないんですよね。 「アンチコメントは、ある程度残しますよ。 両論併記を心がけます」 と言っているYouTube配信者の方こそ、警戒して見るべきだ、と。 なぜなら、 「ある程度残す」というやり方だと、どうしても偏向してしまうからです。 もちろん、そのYouTube配信者は「正しい基準でコメントを選別している」と自分では思い込んでいるでしょう。 でも、それはどこまで言っても「主観での選別」でしかないのです。 もちろん、私の中では、「正しい選別」をしているつもりでした。 しかし、どんなに「正しく選別している」つもりでも、どうしても「主観での選別」になってしまうんですね。 それに気づいてからは、私のチャンネルは、「アンチコメントは、基本、全て削除」という方針にしています。 その方が、リスナーさんにとってはわかりやすいので、むしろ「誠実な運営方法」だと思っています。 N国・平塚界隈で言うと、「N平党」さんや「失敗小僧」さんですね。 そういう方々のコメント欄は、疑う必要は全くありません。 ただし、それ以外のYouTube配信者は、「アンチコメントを適度に消している」と思ってください。 なので、コメント欄を見るときは、そのコメント欄の雰囲気をそのまま受け取らず、自分の頭で考えるようにしましょう。 <最後に追記> なお、大多数のYouTuberは、「ブロック・削除」は行っています。 これは運営上、仕方のないことです。 なので、そういう理由でそのYouTuberを批判することはナンセンスです。 ブロガーyoutuber : 天野のメモより.

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