練馬 とんかつ まる とし。 焼身自殺濃厚の練馬「とんかつ店主」 苦学で慶応、日大大学院を卒業したインテリの素顔

【画像】聖火ランナーとんかつ店主が焼死「まるとし」の若山太郎さん

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30日午後10時ごろ、同区北町2の鉄筋ビル3階建ての1階に入るとんかつ店から出火した。 煙に気づいた近所の住民の119番で消防隊員らが駆けつけると、床と壁の一部が焼けており、客席付近で男性が倒れていた。 搬送先の病院で、約1時間半後に死亡が確認された。 同署は現場の状況から男性が油をかぶった可能性があるとみているが、遺書は見つかっていないという。 近隣住民の話や地元ケーブルテレビのインタビュー番組によると、とんかつ店は創業50年の老舗で、男性は3代目の店主だった。 埼玉県戸田市で生まれ、中学生の時に東京都板橋区に引っ越した。 地元の高校を出て、法政大の夜間学部で経済学を学び、昼間はアルバイトで学費をためた。 卒業後は慶応大にも入学。 日本大大学院で修士課程を修了した後、妻の実家が営んでいた店を継ぎ、夫婦二人三脚で切り盛りしてきた。 商店街の行事で中心的な役割を担うなど、地域への思いも強かったという。 男性の趣味はマラソンだった。 2005年に都内の市民マラソンに初めて参加し、ゴール地点で3人の娘に迎えてもらった。 全国各地の大会にも参加するようになり、娘たちから手作りの表彰状をもらうのが楽しみだったという。 19年12月には五輪の聖火ランナーに選ばれた。 男性はフェイスブック(FB)で「申し込みの文章を妻や子どもたちに何度も添削してもらった。 夢のようだ」と喜びを語っていた。 今年7月18日に練馬区内を駆け抜けるはずだった。 ところが、新型コロナの感染が世界中で広がった。 五輪開催が危ぶまれるようになった3月に入ると、FBに「聖火が新国立競技場に届くことを願わずにはいられない」と投稿。 延期が濃厚になると、周囲に落胆の色を見せるようになった。 一方で「店で今日も明日もお客様を迎えられることに感謝しながら、料理を作り続けたい」と前向きな投稿もあった。 引用元:.

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ねりま人081 若山 太郎さん|ねりま人|とっておきの練馬

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・新型コロナウイルスの影響で臨時休業 火災が発生したとんかつ屋「まるとし」は新型コロナウイルスの影響を受け、2020年4月13日 月曜日 から臨時休業していた。 店主は自身のFacebookにて「期間は、今の情勢を注視して判断し、今月末までは、働きたい気持ちを抑えて、事態の沈静化を願って感染予防に徹したいと考えております」と語っていた。 ・店主の優しい人柄のが伝わる投稿 その後、お店は休みとなったが店主はFacebookに投稿を続けた。 映画が好きなようで、連日、「アリスインワンダーランド」「メリーポピンズ リターンズ」「白雪姫と鏡の女王」「マレフィセント」など、オススメする映画の解説を掲載。 セレクトした作品や解説文からも、店主の優しい人柄のが伝わってくる。 ・消毒液が手に入れば営業再開か 2020年4月20日 水曜日 には、お店の再開のめどが立ちそうなコメントを残している。 店主はFacebookに「昨晩は、妻と子供たちに、近いうちに、商店街から、消毒液が配布されることが分かったので、マスクはもちろん、いろんな予防策を徹底しての時短営業のことについて、話し合いました」と書き込み。 そして2020年4月28日 火曜日 に、あまりにも辛い報告が書きこまれた。 ・店主の書き込み 「残念ながら、用意してもらえたと思っていた消毒液が先ほど確認したら、無理そうなので、家族みんなと事前に話したことで、また、振り出しに戻った状況になりました。 ご縁のあった皆様、中途半端な告知となり、申し訳ありませんでした。 まるとしは、皆様と全く同じ状況、首都圏の連携・協力あなたの命を、家族を、大切な人を、社会を守るため新型コロナウイルスの感染拡大をくい止める大型連休(4月25日~5月6日)の外出を自粛 STAY HOME ウチで過ごそう。 その言葉を、あらためて、心に刻みました。 いつもありがとうございます」 ・東京オリンピック聖火ランナー抜擢 それが店主の最後の書き込みとなった。 2020年4月30日 木曜日 の夜、お店で火災が発生し、店主は命を失った。 彼は東京オリンピックの聖火ランナーとして活躍する予定だったが、それも新型コロナウイルスによって2020年に現実することはなかった。

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焼身自殺濃厚の練馬「とんかつ店主」 苦学で慶応、日大大学院を卒業したインテリの素顔(デイリー新潮)

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とんかつ屋から出火したのは、30日の午後10時頃だった。 近所の住民がすぐに119番通報。 消防隊員が駆け付けた時は、店の壁と床の一部が焼けていて、客席付近に高山さんが倒れていた。 搬送先の病院で1時間半後に死亡が確認された。 遺体にはとんかつ油を浴びたような跡があり、警察は自殺の可能性が高いとみている。 遺書は発見されていない。 高山さんは埼玉県戸田市出身。 中学生の時に東京都板橋区に引っ越した。 地元の高校を卒業後、法政大学の夜間部で経済学を学び、1989年にダイエーグループの金融会社に入社した。 会社生活の傍ら、慶應大学経済学部の通信教育に学士入学。 11年半かけて2001年3月に卒業した。 さらに01年4月には日本大学大学院総合社会情報研究科(通信制)に進み、03年3月に修了した。 金融会社は92年に退職し、学生時代から付き合っていた女性と結婚。 彼女の実家が経営するとんかつ屋「まるとし」に勤務するようになった。 趣味はマラソンで、2005年に都内の市民マラソンに初めて参加。 以後、全国のマラソン大会に参加するようになった。 聖火ランナーに選ばれたことを、「夢のようだ」と語っていたという。 高山さんは、02年3月から07年12月まで、電子マガジンで「東武練馬まるとし物語」を執筆している。 以下はその引用である。 《「東武練馬まるとし物語 第一部」 その一「世代交代」(2002. 1発行) 東京都練馬区に、30年続いている「まるとし」というとんかつ屋がある。 僕はここで今働いている。 おやじさんは、僕の妻のお父さんであり、僕の師匠である。 僕の店「まるとし」は、客数17の店である。 東武東上線「東武練馬駅」南口から歩いて数分、商店街の表通りに店はある。 (中略)今までのおやじさんの経営方針は、職人肌の勘と経験を頼りにしたものである。 昨今の牛丼やハンバーガー屋を意識して、限定で安売りをするアイディアを出し、それなりに努力した。 ただ、お客様に来店していただかなければ、その効果も限度があった。 僕は、(編注:日本大学大学院に)入学後、研究科での小松憲治先生のご指導のゼミで、経済の基礎からもう一度学ぶことができた。 今までの独学で得ていた知識が次第にまとまり始め、かなりマクロ的な世界や日本の経済の流れをつかむことができた。 その都度、おやじさんにもその話をするように努めた。 また、僕の企業研究の成果として、過去の成功体験を捨て、今の流れの速い時代を乗り切るには、「売上げ拡大志向から利益重視への経営の変革」はその規模は問わず、僕の店にも有効であると考えていた。 それをおやじさんに話すが、過去の成功体験にしばられていたので、なかなか理解してもらえなかった。 「20年ほど前、『まるとし』は同じ練馬区北町の別の場所で営業していたのですが、もらい火事で店が焼けてしまって、現在の場所に移ってきたのです」 と語るのは、練馬区で飲食店を営む70代の男性である。 まさか、20年前にも火事に見舞われていたとは……。 「18年前、高山さんに代が変わった時、先代のおやじさんとはうまくいってなかったようですね。 というのは、高山さんは、箸や酒類、油など、少しでも安く仕入れるために、古くから付き合いのあった仕入れ業者を切ってしまったのです。 そんなことされては、おやじさんだって面白くないはずでしょう。 それにおやじさんは、朝早くから店に入って、きちんと仕込みをしていました。 ところが高山さんは、朝早くに店に入るなんてことはしなかったですね。 その辺でも、先代とは考え方が違ったようです」(同) 「まるとし物語」でも、自分の経営方針はおやじさんに「なかなか理解してもらえなかった」と告白している。 大学で学んだことをとんかつ屋に応用することはそう簡単ではなかったようだ。 「高山さんからある時、大学院のレポートを見せられたことがあります。 西友を買収したアメリカのウォールマートというスーパーのバックヤードについて研究したレポートでした。 正直言って、これととんかつ屋の経営がどういう関係があるのかと思いましたけどね。 彼は学歴など、肩書きを重んじるところがあって、商店街の役員を務めたことも自慢していました。 ですから、聖火ランナーに選ばれた時も、店のホームページにも大きく掲載していました」(同) 自殺を図るような心当たりは? 「やはり原因は、金銭的なことではないか。 先代はパートも雇って、ちゃんと店を切り盛りしていました。 しかし高山さんに代が変わってからは、経営が上手くいってなかったようです。 最初、高山さんご夫婦は賃貸マンションに住んでいましたが、高山さんが店を継いで1年程で、練馬区にある奥さんの実家で同居するようになったのです。 経済的に苦しくなって実家に行ったと言われています。 婿養子みたいなものです。 居心地は悪かったと思いますよ」(同) とんかつ屋は貸し店舗で、家賃は14~15万円という。 「この近所では知られた店ですからね。 1年くらい休業しても何とかなると思うんですけどね。 とにかく、なんかおかしいなと思ったのは、高山さんが亡くなる少し前、彼がずっと店にいたことです。 彼は毎日、奥さんの実家からスクーターで店に通っていたのですが、そのスクーターがずっと店に置きっぱなしなんです。 どうやら店に寝泊まりしていたようです。 奥さんも店に出ていなくて、彼が一人で店を切り盛りしていました」(同) 別の飲食店の店主もこう言う。 「高山さんは、Facebookではいつも理路整然とした文章を書くのに、亡くなる少し前は支離滅裂な文章を書いていて、挙げ句の果てに閉鎖されました。 LINE仲間も沢山いましたが、亡くなる直前に退会していました」 高山さんと親しい居酒屋店主によると、 「亡くなる3日前の27日の夜9時頃、私の店に高山さんが見えました。 北町商店街ではゴールデンウィーク明けに消毒用アルコールを配布することになっていました。 彼は『5月1日から店を再開したいので、遅くとも30日までにもらえないだろうか』と言うんです。 その時、『商売が大変だあ、どうなるのか悩んでいる』とも言っていました。 すごく暗い顔をしていましたね」 居酒屋の店主は商店街に掛け合い、アルコールを入手。 30日に高山さんの店に持って行ったという。 「午後3時過ぎでした。 店は臨時休業しているので裏から入ると、高山さんと奥さんがいました。 アルコールを渡したところ、彼は『商売を辞めます』ときっぱりと言うのです。 びっくりしましたね。 彼は商店街の副理事長を務め、地域の班長もやっていて、彼は『商売を辞めるにあたって、班長も誰かに代わってほしい』と言うのです。 私は、『わかりました』とだけ答えました。 まさかその日の夜に、あんなことが起こるとは夢にも思いませんでした」 高山さんは、非常に真面目な性格の人物だったという。 「酒もギャンブルもしない。 仕事が生きがいみたいな人で、勉強家でした。 マラソンも好きで、聖火ランナーとして走るのが延期になった時、すごいショックを受けたようでした。 それで歯車が狂ってしまったのでしょうか。 細々とでも店を続けていけば、応援してくれる人が出てきます。 国や都から補助金もあるでしょうし、なぜこんなに死に急いだのか分かりませんね」 週刊新潮WEB取材班 2020年5月12日 掲載 新潮社.

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