ぽ けり ん。 古文において文章の語尾が「けり」「ける」はどの様に訳すのですか。「けり」「ける...

【桐一葉日当たりながら落ちにけり】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

ぽ けり ん

五・七・五の十七音の短い言葉の中に、美しい情景やそこに感動した自らの心情を織り込む俳句。 日本のみならず、世界でも高い評価を受ける短形詩です。 俳句はリズム感があって覚えやすく、親しみやすいのに、その意味するところは深甚で汲めども尽きぬ魅力があります。 今回は、そんな親しみ深さと奥深さをあわせもつ句の代表例、 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」という句をご紹介します。 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり 正岡子規 ふゆ#睦月一月八日#寒山落木 — 菜花 咲子 nanohanasakiko2 本記事では、 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の季語や意味・表現技法や鑑賞など、徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。 「庭に積もった雪がはたしてどれくらいの深さになっているものか、何度も家人に尋ねてしまったなあ」 という意味になります。 「いくたびも」というのは、「何度も」という意味です。 この句が詠まれた背景 この句の背景には、あふれる才能を持ちながら若くしてこの世を去ることとなった 作者・正岡子規の病があります。 正岡子規がこの句を詠んだ時、彼は肺結核を患い、病の床にありました。 窓から庭に降り積む雪を自らの目で確かめることもできなかったため、家人に何度も雪の深さを尋ねることとなったのでした。 この句は、「寒山落木」という句集に収められています。 寒山落木は正岡子規の死後まとめられたものですが、明治十八年から二十九年にかけて詠まれた句が収められています。 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の表現技法 「尋ねけり」の切れ字「けり」 切れ字に注目すると、作者がどんなことに 感動や興味をもってこの句を詠んだのかが分かります。 近代の俳句でよく用いられる切れ字は、「や」、「かな」、「けり」の三つです。 わかりやすい言葉に置き換えると、「…だなあ、…であることよ」というような意味です。 しかし、短い字数に強い気持ちを込めることができるため、 俳句において切れ字は重要です。 この句の切れ字は「尋ねけり」の「けり」。 「けり」には、 特に強い詠嘆の意(しみじみとした深い感動を表す)がこめられ、言い切る形になるパワーのある切れ字です。 雪の深さを問う言葉を発している自分自身に、作者の目は向けられています。 「わがことながら、何度も尋ねてしまったなあ」と、問いを繰り返す 自分自身を句の中心に置いているのです。 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の鑑賞文 子規は若いころから肺結核を患っており、当時、肺結核は不治の病とされていました。 徐々にやみ衰えて、日々のことが不如意になっていく 自分自身の体の変化に痛烈に向き合いながら句を生み出し続けたのが正岡子規という俳人なのです。 この句を詠んだ時、子規はすでに病床にありました。 自らの力で起き上がり、庭の雪の深さをじかに確かめる力は失われていたのです。 雪が降っていると知れば、どれだけ積もったのか気になって繰り返し問うてしまう 自らの稚気をおもしろがる気持ち、そんなたわいもない疑問も人に尋ねなければならないもどかしさ、複雑な思いがこめられた句なのです。 作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介! (正岡子規 出典:Wikipedia) 正岡子規は 1867年(慶応 3年)、愛媛県松山市に生まれ、名を 常規(つねのり)と言います。 江戸時代の終わりに生を受け、日本という国の仕組みが大きく変わる激動を目の当たりにしながら、漢詩を学び、戯作や書画にも親しみつつ大きくなります。 やがて文学を志し、和歌や俳諧といった短型詩を研究しつつ、新しい短歌や俳句を生み出していくこととなりました。 正岡子規は、 近代短歌や俳句の祖ともいえる存在なのです。 1889年、 22歳にして喀血しました。 ホトトギスという鳥は「血を吐いて鳴く」と言われますが、正岡青年はこのホトトギスに自らを重ね合わせ、ホトトギスの別名子規を自らの配合として名乗りました。 正岡子規という文学者と病は切っても切れない関係なのです。 死に至る病を抱えながら、子規は自らの体と精神を冷静に見つめ、 1902年(明治 35年)に 34歳という若さで世を去るまで、数多くの短歌や俳句を作り続けました。 正岡子規のそのほかの俳句 ( 子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:).

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「けり」 俳句の作り方 〜初心者入門と定型・切れ字・季語〜

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五・七・五の十七音の短い言葉の中に、美しい情景やそこに感動した自らの心情を織り込む俳句。 日本のみならず、世界でも高い評価を受ける短形詩です。 俳句はリズム感があって覚えやすく、親しみやすいのに、その意味するところは深甚で汲めども尽きぬ魅力があります。 今回は、そんな親しみ深さと奥深さをあわせもつ句の代表例、 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」という句をご紹介します。 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり 正岡子規 ふゆ#睦月一月八日#寒山落木 — 菜花 咲子 nanohanasakiko2 本記事では、 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の季語や意味・表現技法や鑑賞など、徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。 「庭に積もった雪がはたしてどれくらいの深さになっているものか、何度も家人に尋ねてしまったなあ」 という意味になります。 「いくたびも」というのは、「何度も」という意味です。 この句が詠まれた背景 この句の背景には、あふれる才能を持ちながら若くしてこの世を去ることとなった 作者・正岡子規の病があります。 正岡子規がこの句を詠んだ時、彼は肺結核を患い、病の床にありました。 窓から庭に降り積む雪を自らの目で確かめることもできなかったため、家人に何度も雪の深さを尋ねることとなったのでした。 この句は、「寒山落木」という句集に収められています。 寒山落木は正岡子規の死後まとめられたものですが、明治十八年から二十九年にかけて詠まれた句が収められています。 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の表現技法 「尋ねけり」の切れ字「けり」 切れ字に注目すると、作者がどんなことに 感動や興味をもってこの句を詠んだのかが分かります。 近代の俳句でよく用いられる切れ字は、「や」、「かな」、「けり」の三つです。 わかりやすい言葉に置き換えると、「…だなあ、…であることよ」というような意味です。 しかし、短い字数に強い気持ちを込めることができるため、 俳句において切れ字は重要です。 この句の切れ字は「尋ねけり」の「けり」。 「けり」には、 特に強い詠嘆の意(しみじみとした深い感動を表す)がこめられ、言い切る形になるパワーのある切れ字です。 雪の深さを問う言葉を発している自分自身に、作者の目は向けられています。 「わがことながら、何度も尋ねてしまったなあ」と、問いを繰り返す 自分自身を句の中心に置いているのです。 「いくたびも雪の深さを尋ねけり」の鑑賞文 子規は若いころから肺結核を患っており、当時、肺結核は不治の病とされていました。 徐々にやみ衰えて、日々のことが不如意になっていく 自分自身の体の変化に痛烈に向き合いながら句を生み出し続けたのが正岡子規という俳人なのです。 この句を詠んだ時、子規はすでに病床にありました。 自らの力で起き上がり、庭の雪の深さをじかに確かめる力は失われていたのです。 雪が降っていると知れば、どれだけ積もったのか気になって繰り返し問うてしまう 自らの稚気をおもしろがる気持ち、そんなたわいもない疑問も人に尋ねなければならないもどかしさ、複雑な思いがこめられた句なのです。 作者「正岡子規」の生涯を簡単にご紹介! (正岡子規 出典:Wikipedia) 正岡子規は 1867年(慶応 3年)、愛媛県松山市に生まれ、名を 常規(つねのり)と言います。 江戸時代の終わりに生を受け、日本という国の仕組みが大きく変わる激動を目の当たりにしながら、漢詩を学び、戯作や書画にも親しみつつ大きくなります。 やがて文学を志し、和歌や俳諧といった短型詩を研究しつつ、新しい短歌や俳句を生み出していくこととなりました。 正岡子規は、 近代短歌や俳句の祖ともいえる存在なのです。 1889年、 22歳にして喀血しました。 ホトトギスという鳥は「血を吐いて鳴く」と言われますが、正岡青年はこのホトトギスに自らを重ね合わせ、ホトトギスの別名子規を自らの配合として名乗りました。 正岡子規という文学者と病は切っても切れない関係なのです。 死に至る病を抱えながら、子規は自らの体と精神を冷静に見つめ、 1902年(明治 35年)に 34歳という若さで世を去るまで、数多くの短歌や俳句を作り続けました。 正岡子規のそのほかの俳句 ( 子規が晩年の1900年に描いた自画像 出典:).

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「けり」 俳句の作り方 〜初心者入門と定型・切れ字・季語〜

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「ける」は連体形なので、普段は「雨降りける時」など「けり」の後に何か名詞がくっつく場合のみ「ける」の形になります。 が、文末に係助詞の結びを求められた場合「ける」が現れることがあります。 どちらも、大体の場合は「過去」の意味、つまり「~た」と訳せば問題ありません。 ただし、一部「詠嘆」の意味(「~だなあ」)で訳さなければならないことがあります。 「詠嘆」の意味になるのはどういうときかというと、 ・和歌中の「けり」「ける」など ・係助詞の結びの「ける」「けれ」(強調=詠嘆なので) 大体、この二種類のパターンを覚えておけばOKだと思います。 全部「~た」で訳してしまい、何か違和感を感じた部分を「~だなあ」に変えてみるという手もあります。 臨機応変に頑張ってみてください! freeman084さんに賛成です。 以下、単に補足です。 文の終わりが「けり」になっていれば、そのまま「~た」で、普通の文です。 「ける」になっていれば、上のほうに「か」「や」など疑問の助詞か、「ぞ」「なむ」があって、連体形で文を終える「係り結び」を起こしているでしょう。 意味は変わりません。 それもないなら、次に来るはずの名詞が省略されているものです。 枕草子にはよくそういうのがあります。 現代語の「~みたいな。 」という感じですね。 ちなみに「けり」は、人から聞いた伝聞の過去を表し、「~だったそうだ」、また、過去を表すのにもう一つ「き」がありますが、こちらは回想の過去で、自分の経験した内容を思い出すのに使います。 余談ですけれど、昔話では本当のことかどうか分からないので「けり」が使われていますが、古事記など神話は、おそらくシャーマンのような人に神が「とりついて」語ったため、「き」が使われています。

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