大江山の歌 技法。 百人一首:歌番号051~060現代語訳・品詞分類など

リズムを作る!和歌の技法「句切れ」の意味と使い方

大江山の歌 技法

小式部内侍の母は当時の有名な歌人であった和泉式部。 「和泉式部日記」の作者としても知られていますね。 当時、小式部内侍が歌が上手なのは、この母親の代作ではないかと疑われることもあったようです。 そして、ある時、小式部内侍は歌合の歌人として選出されます。 このことは、当時の歌人にとっては大変名誉なことでした。 そんな中、定頼中納言がおもしろがって、今度の歌合で詠む歌は、お母さんからもう教えてもらったのかという意味合いのことを言って、小式部内侍をからかいます。 すると、小式部内侍はすぐさま歌を詠んでやり返しました。 「お母さんがいるところは、ここから遠いから、まだ会いに行ったこともないし、もちろん手紙ももらってないわ。 (歌はお母さんから教えてもらっているんじゃないんだから。 )」 この歌が、掛詞の技法を用いつつ、すばやくその場にふさわしい内容を詠み込んだすばらしい出来栄えだったんですね。 してやられた感のある定頼中納言は、何も言い返すこともできずに逃げていくしかなかったわけです。 ですが、この一件が、小式部内侍の歌人としての名声を上げるのに一役買うことにもなったようですね。 鎌倉時代中期の説話集で、十の教訓の説話を集めています。 なお、この話は教科書によっては、「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」から出典されているものもあります。 内容はほぼ同じものになっていますが、多少違いがありますので注意してください。 それでは、原文と現代語訳と注釈です。 いかに心もとなく思(おぼ)すらむ。 」 と言ひて、局の前を過ぎられけるを、 6 御簾(みす)より半(なか)らばかり出(い)でて、わづかに直衣(なほし)の袖(そで)を控へて、 7 大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天(あま)の橋立(はしだて) と詠みかけけり。 8 思はずにあさましくて、 「こはいかに、かかるやうやはある。 」 とばかり言ひて、 9 返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。 10 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出(い)で来(き)にけり。 11 これはうちまかせて、理運のことなれども、 12 かの卿(きやう)の心には、これほどの歌、ただ今詠み出だすべしとは、知られざりけるにや。 どんなにじれったくお思いになっていることでしょう。 」 と言って、部屋の前を通り過ぎなさったが、 6 (小式部内侍は)御簾から半分ほど身を乗り出して、かろうじて(定頼の)直衣の袖を引き止めて、 7 (小式部内侍の歌)大江山を越えて行く、生野の(丹後までの)道が遠いので、まだ(丹後の)天の橋立は踏んだこともありませんし、(母からの)手紙も見ていません。 と詠みかけた。 8 (定頼は)思いがけないことに驚いて、 「これはどうしたことか、このようなことがあろうか(いや、あるはずがない)。 」 とだけ言って、 9 返歌をすることもできず、袖を引き離してお逃げになった。 10 小式部は、このときから、歌人としての世間での評判が立つようになった。 11 これは普通一般に、道理にかなっていることであるが、 12 あの卿(定頼)の心の中では、これほどすぐれた歌を、今すぐに詠み出すことができようとは、ご存知ではなかったのであろうか。

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縁語

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【現代語訳】 もう春が過ぎて、夏が来たらしい。 衣を干すという天の香具山に、美しく白い着物が干されているなぁ。 【解説】 天から降りてきたとされる伝説の山、天の香具山に、初夏になると衣替えのためか 真っ白な着物が点々と干されている情景を詠んだとされています。 初夏の緑と衣の白が相まって さわやかさと美しさを感じられますね! のちの女帝となる作者の持統天皇が季節の移り変わり(時の流れ)と風景のコントラスト、そして伝説の香具山に想いを馳せていたのが目に浮かびます。 持統天皇とは、どんな人物?? 第41代天皇。 父親は天智天皇、夫は天武天皇。 壬申の乱に勝利した天武天皇を支え、天武天皇崩御後は、政治の実権を握ります! その後、女帝となり日本最古の都、藤原京を築いたのでした。 まとめ! 上の句 春過ぎて夏来にけらし白妙の 下の句 衣ほすてふ天の香具山 歌人 持統天皇(645~702年) 決まり字 はるす 決まり字数 3 収載和歌集 新古今和歌集 【文法解説】 来けらし 来てしまったらしい。 推定の「らし」。 ほすてふ 干すという。 「という」の短縮形「てふ」。 読みは「ほすちょう」。 天の香具山 大和三山の1つで、現在の奈良県橿原市にある。 天上から降りてきたという伝説を持つ。

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小式部内侍が大江山の歌の事・ 現代語訳・品詞分解・読み方

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ふじわらのさだより が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。 大江山を越え、生野を通って行く道のりが遠いので、母の和泉式部がいる天橋立へ行ったことはまだありませんし、母からの手紙をまだ見ておりません。 音が同じことを利用して、二つの意味を表すこと。 「いくの」が「行く」と「生野」を掛け、「ふみ」が「踏み」と「文(手紙)」を掛けます。 終止形のところが切れ目となる場合が多いです。 和歌を体言(名詞)でしめくくることを体言止めと言います。 「天橋立」という体言(名詞)でしめくくられています。 それぞれの意味は文脈によって判断します。 「遠ければ」は「遠いので」の意味を表します。 が小式部内侍の局のほうにやってきて、「歌はどうなさいましたか」、「丹後へ使者を送ったのでしょうか」、「使者が帰ってくるかどうか、どれほど心配でいらっしゃるでしょうね」、などとふざけながら立っていたのを、ひきとどめて、よんだ歌。 おほえやま【大江山】 京都市西京区大枝(おおえ)。 したがって大枝山とも書く。 今も山を越えて亀岡市に入る山陰街道に大江の関址がある。 『万葉集』巻十二の「丹波道(たにはぢ)の大江の山のさねかづら絶えむの心わが思はなくに」は、ここをいうのであろう。 いっぽう、小式部内侍の有名な歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)になると、丹波への道にあたるこの大江山を越えて生野(今の福知山市)へ行くとも解せるし、福知山市の北にある大江町の、あの酒呑(しゅてん)童子で有名な丹波の大江山と解することもできるのである。 丹波国の歌枕。 今の京都市福知山市生野。 「別れにし程に消えにし魂のしばしいくのの野辺に宿れる」(元真集)や「君にわがあはでいくのの幾度(いくたび)か草葉の露に袖ぬらすらん」(風情集)など「生き」「行く」「幾」を掛詞にしてよむことが多かった。 『百人一首』にも採られて有名な小式部内侍の歌「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上)は「行く」と掛詞にして、山城国と丹波国の国境の大江山をはるばる越えて行く地としてよんでいるが、以後もこの歌を意識して「大江山」の地名とともによみ込まれることが多かった。 「大江山こえて生野の末遠み道ある世にもあひにけるかな」(新古今集・賀・範兼)はその例である。 ) あまのはしだて【天の橋立】 「橋立」という形でもよまれた。 丹後国の歌枕。 今の京都府宮津市。 小式部内侍の「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立」(金葉集・雑上、百人一首)が有名であるが、「音に聞く天の橋立たてたてておよばぬ恋も我はするかな」(伊勢集)のように古来丹後の代表的名所であった。 (後略) 百人一首の現代語訳と文法解説はこちらで確認 こちらは小倉百人一首の現代語訳一覧です。 それぞれの歌の解説ページに移動することもできます。

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