松本 山 雅 ユース。 松本山雅FCの選手一覧

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松本 山 雅 ユース

ふと自分で読みたくなって、まとめてみました。 とはいえリンクを貼っているだけですが(笑)、リンクを貼れないものは許可をいただいて引用させていただきました。 見つけ次第少しずつ追加していければ。 初めてU-18を観戦した時の記事。 今だにこの記事を読み返します。 266回 松本山雅U-18の日本クラブユース選手権 by 木次成夫 ゲキサカ[講談社] 【岸野さんの連載コラム】 引用:松本平タウン情報「がんばれ山雅」 ユース監督コラム「情熱は足りているか」1 (2013年4月11日号より) 2月に山雅ユースのU-18の監督に正式に就任した。 私が、子どもを教える上で最も大事にしているのは、誰よりも情熱を持ちグラウンドに立つということだ。 「情熱は足りているか」と常に問いかけながら、35人の選手を育てている。 私がサッカーを始めたのは中学3年生。 それまで柔道をしていたが、休部していたサッカー部を友達と復活させて以来、本格的にサッカーの道を歩むようになった。 18-31歳、(の前身)や(の前身)でDFとしてプレー。 引退後の93年にJリーグが できた。 プレーヤーとしてうらやましくもあったが、で育成指導する立場になっており、「プロを育てる」というのが、私の目標になった。 以後、94年から2004年までトップのコーチを務めた。 育成組織にいる子どもたちの指導もした。 コーチは選手に最も近い立場だ。 監督はほとんど外国人だったため、選手の意思を監督に伝えるつなぎ役になったり、個別練習の相手になったり。 その中には中 澤佑二(現横浜)や(UAEリーグの)ら日本代表や後に海外で活躍する選手も大勢いた。 一流選手に共通していたのは「勝ちへのこだわり」と「努力する才能」だ。 試合よりも厳しい練習をする。 定められているのが10周なら11周走る。 学校にボールを持っていき、休み時間に練習する。 睡眠時間や食事もこだわる。 「こうなりたい」という目標に向け、自分に何が足りないか、何をすればいいかを考え、実践できた。 最近の子どもに欠けているのが、この努力する才能だ。 「次は何をすればいいですか」とすぐに聞いてくるが、与えられたものをこなすだけでは、努力している選手とどんどん差が開く。 今ユースでは、選手の意識の変革を行っている。 ユース監督コラム「情熱は足りているか」2 (2013年5月2日号より) 山雅ユースのプレーを初めて見た時、「球際が弱くてプレーが緩く、勝負にこだわっているのかな?」と感じた。 皆、「勝ちたい」という気持ちはあったと思うが、勝つために何をすればいいのか分からないようだった。 気になったのは、プレー中の声掛けができないこと。 基礎的な戦術を理解していないので、味方にどんな指示を出せばいいか分からない。 自分がどう動けばいいかも分からず、ボールを持たない時はじっとしている。 それから、ボールへの執着心が薄いこと。 1対1の競り合いでは、けがをする恐怖を乗り越え、ボールに飛び込まなければいけない。 その際、味方が駆け付け、2対1、3対1と数的有利な状況をつくる。 それを90分間繰り返しできるのが、運動量が豊富なチームだ。 ユースでは、最終ラインを高くし、コンパクトな陣形で相手陣に攻め込む攻撃的なサッカーを目指している。 相手ゴール前でボールを奪い得点機をつくるので、競り合いでの勝利は必須だ。 通常、弱いチームが勝つには自陣で守りを固めるカウンターサッカーが効果的だが、それは相手に合わせる受動的な戦術。 プロになる選手は育ちにくい。 半年間繰り返し教えるうち、練習の空気が変わってきた。 開始前に仲間と雑談をするなど、塾感覚で来ている子も多かったが、今は練習前後に自主的に走ったりストレッチをしたり。 戦術も徐々に覚え、仲間への声掛けも内容が濃くなった。 自宅や学校で自主練習をする選手も出てきた。 教えられたことを習慣化するまで練習し、自分でも勉強する。 ボールに食らいつく心を持つ。 全ての行動の根底にある「意識」が変わったのは良い変化だ。 伸びが早い子は、トップチームの練習に参加させている。 (ユース監督) ユース監督コラム「情熱は足りているか」3 (2013年6月20日号より) 5月末のクラブユース選手権で、準決勝でに1-2で敗れた。 正確なキックやヘディングなど、基礎技術で富山が上回った。 富山の主力の高校2年生はジュニアユースに入団した中学1年時からそうした技術を磨いている。 その差が出た。 現在、山雅は週1回、U-10からU-18までの監督・コーチ全員が集まり、ミーティングを開いている。 プロを育てるため、どの年代にどんな指導をすればいいかを話し合う。 これまでは各カテゴリーの指導者が、それぞれのやり方で教えていたが、小学生から高校生までの一貫した共通方針「山雅スタイル」というべきものを話し合ってつくった。 技術からメンタル指導まで具体的に示した、プロ育成組織には必須なもの。 これで基盤が一つ整った。 あとは環境だ。 2015年度には専用練習場ができる予定だが、今は内のグラウンドを回り毎日の練習をしている。 良い練習場が比較的押さえやすいのに加え、選手が睡眠や食事の時間を少しでも多く取れるよう、午後7-9時だった練習時間を午後5-7時に変えた。 専用練習場は、今はないが、時間を有効に使い子どもたちの負担を少しでも減らせるよう何とか工夫している。 最近、練習後のミーティングで、自分の意見を言う選手が増えた。 前は何もしゃべらなかったが、変わろうとする意識が子どもたちに芽生えた。 の敗北を「残念だった」で終わらせず、自分の課題を考えるきっかけにすれば、このような環境下でも他のJユースとの差を縮めることができる。 個の大きさが、チームの力を決めるからだ。 メンバーの中には県外から やって来て、下宿をしながら練習に励む選手もいる。 10月末に始まる、Jリーグ下部チームの日本一を決める「Jユースカップ」に初出場する。 同大会にはJユースの40チームが出場。 4チームずつ10組で予選リーグをし、各組上位2チームに、地区予選を勝ち抜いたJユース以外の4クラブチームを加えた計24チームで決勝トーナメントをする。 高橋耕司監督(49)は「プロを目指す同年代の選手と戦っていかなければ、プロにはなれない。 1年生には非常に良い経験。 相手に食らい付き、勝利したい」と話す。 現在30人が所属。 このうち20人が今季入団した1年生で、すでにチームの主力を担う。 いずれも高に通いながら、アパートで暮らす。 埼玉県出身の篠原貫太君 (15)は、中学生の時に練習に参加したのがきっかけで入団を決めた。 「皆が受け入れてくれてすぐに溶け込めた。 ここで夢をかなえたい」と、張り切る。 土・日曜は社会人チームと練習したり、高校チームとのリーグ戦や大会に臨んだりしている。 求めるのはハードワークできる体力。 時には20キロマラソンを行うなど厳しい練習を重ねる。 だが、全ての選手がプロになれるわけではない。 「山雅の指導者やスタッフになり、長野のサッカーの発展に貢献する人材を育てるのもわれわれの役目」と臼井さんは話す。 また、選手は一昨年からホーム試合の運営を手伝う。 入場ゲートでチラシを配ったり、試合終了後にスポンサーの看板を片付けたり。 たくさんの人に支えられ、試合が成り立っていることを学ぶためだ。 高校1年時から所属する細川大樹君(18、高3年)は「トップがJに上がったことは、僕らにとってもすごくうれしく、刺激にもなった。 1年生と競い合って向上し、強くなりたい」と決意を話す。 (倉科美春) Jユースカップ初戦は京都に完敗 同世代に挑み学ぶ (2012年11月1日号より) Jリーグのユース(高校生年代)40チームが出場し、日本一を決める「Jユースカップ」の予選が10月20日から各地で始まった。 2年生が主体の京都に対し、山雅の先発はFW細川大樹(3年)以外全員1年生。 その力が現時点でどこまで通用するか、試金石となる一戦だ。 最終ラインを押し上げ、中盤でパスを回しながら攻める京都に対し、山雅は陣形をコンパクトにして守備を固め、カウンターで得点機を狙った。 後半も猛攻を受け3失点した。 しかし、山雅は体を張って守り、相手DFの裏に抜けて好機もつくり、点差ほど内容に開きはなかった。 試合後、選手たちも「思った以上にできた」と、手応えを感じた様子。 MF篠原貫太(1年)は「相手は体が強く、競り合っても倒れなかった。 ああいう体をつくらなくては」と、強豪から学んだ課題を口にした。 この日訪れた観客は225人。 時折激しく雨が降る中、声援を送り続けた。 次戦は3日に()と、11日は(=)と対戦する。 (倉科美春) U-18 で準決勝敗退(2013年6月6日号より) サッカーのクラブユース(U-18=18歳以下)選手権は5月25、26日と6月1、2日、6チームが参加し、のサブグラウンドなどで開いた。 山雅U-18は準決勝で、優勝したに1-2で敗れた。 トーナメント。 優勝チームが日本クラブユース選手権(7月25日-8月3日・群馬)の出場権を得た。 山雅は1回戦でに3-0、2回戦はに6-1で勝ち上がり昨年同大会の1回戦で1-5で敗れた富山と、準決勝で当たることに。 しかし、主将のDF古市真也(松本県ケ丘高2)が金沢戦で左足を骨折。 主力を欠く戦いとなった。 技術で勝る富山に対し、山雅は中盤を6人にして厚みを持たせ、相手にプレッシャーをかけ攻め込んだ。 前半28分、ゴール前のこぼれ球をMF池上雄太(2)が右足で蹴り込み先制。 しかし、後半7分に同点に追い付かれ、38分に逆転された。 そんな思いを象徴するかのように試合終了後、選手たちは膝を抱えて消沈。 涙を流す選手もいた。 監督が就任以来、初めての全国につながる大会。 現時点でどれほどの力が付いたかを知る戦いでもあった。 選手はこの大会に向け、あいさつなど生活面も見直すなど、自らを一つ一つ変えながら全国を目指した。 しかし、1対1の競り合いの弱さなど、監督が日々口にする課題が表れた。 岸野監督は「勝とうとする姿勢は良かった」と、闘志を評価しながらも「プロを目指す選手として、持ってなければいけないものが、まだ足りない」と、さらなる努力を要求した。 「この負けで、一人一人が自分の課題を自覚した。 もっと練習しなければいけない」と、副主将でもある池上。 ここからどれだけ成長できるかが本当の勝負だ。 10月には、Jリーグ下部組織の日本一を決める「Jユースカップ」が待つ。 今季はアドバイザーとして関わり、来年2月から指揮をとる。 契約期間は1年。 会見要旨と取材に対する答えは次の通り。 山雅サポーターの存在も大きい。 ユース出身のトップ選手の誕生で、サポーターがさらに増え、を2万人の観客で満員にすることにやりがいを感じた。 トップの練習に参加させたり、有望な選手について情報交換するなど、と連携したい。 まだメンバーに会っていないが、専用グラウンドがなく、厳しい練習環境だと聞く。 一緒に泣いたり笑ったりしながら、彼らがでプレーする日を目指す。 、でプレーし90年に現役引退。 (現)のサテライト監督、トップチームコーチなどを経て、07年から当時J2の、10年から今年3月までの監督を務めた。 (倉科美春) 夢はの大声援 ユースアカデミー (2013年1月3日号より) 松本平育ちのJリーガーの輩出は、地域に夢を与え、地元に根ざすクラブの使命だ。 専用練習場がないなど課題はあ るが、過酷な環境でも若者はひた向きに夢を追う。 選手や監督の思い、育成に定評があるJ1の取り組みを探った。 の中心地から離れたふるさと公園で、選手たちはボールを追っていた。 現在25人。 県外出身者もいる。 高校の授業後、約2時間の練習を週4日行う。 練習場所は市内の中学校や市営のグラウンド。 土・日曜は高校の部活動チームなどと練習試合をし、山雅のホーム戦の日は試合運営を手伝う。 山崎生希君(15、松本美須々ケ丘高1)は「いつか、サポーターの応援を受けてでプレーしたい」と、笑顔で夢を語る。 まず、目指すのは意識の変革だ。 「同年代の選手に負ける。 これが今の実力」。 高との練習試合後、敗れた選手に厳しい言葉を掛けた。 だが、同世代との競争に勝ち、全国に通用する力を付けなければJリーガーにはなれない。 「みんなの意識が、『負けてもいい』から、負けると悔しいに変わった」と、古市真也君(15、松本県ケ丘高1)。 岸野さんの言葉を真剣に聞く選手の表情に、諦めない闘志が表れた。 県内各地で開かれた中学年代の試合に足を運び、いい選手をスカウト。 選考会も2度開き、県内外から45人が応募した。 2012年のJ1年間王者に輝いた「」の理念だ。 昨年のトップチームの広島ユース出身選手は9人。 どんな環境で選手を育て、彼らは地域にどんな影響を与えているのか。 育成の先進地に聞いた。 広島の専用練習施設「」は、内から約40キロ離れた吉田町にある。 サッカーで町おこしを望んだ旧吉田町が同市に合併する前の98年、整地費用も含め約25億で設置。 ユースのグラウンドは人工芝。 約8000平方メートルある。 ユースは全寮制で、全員が同町にある県立吉田高校に通う。 クラブは、選手の人間性の育成を最も重視しており、日常生活でのあいさつを徹底。 ユースの監督は、頼まれれば市内の中学や高校サッカー部にも指導に行くな ど、非常に地域に密着している。 そのためユース自体のファンもおり、Jユースカップや全日本ユース選手権の決勝などには市民約100人がバスで応援に行く という。 「同じ高校で学んだ子どもにとってJリーガーは友達であり、市民にとっては、道でよくあいさつをしていた子。 『あの子を応援しよう』と、自然にスタジアムに足を運ぶ。 地元の誇りでもあり、身近な存在でもある」(同市文化スポーツ振興室)という。 いずれも高校1年の篠原貫太君(16、埼玉県出身)、岡野大貴君(16、同県出身)、松原隼君(16、出身)。 親 元を離れ、どんな生活をしているのか、昨年12月上旬に訪ねた。 午後10時、練習から帰った3人は部屋で夕食。 朝食、昼食は高校の学食で食べ、夜は学食がパック詰めしてくれた夕食を持ち帰る。 この日のメニューはシチューとハンバーグ。 1台の電子レンジで、交代で温めて食べた。 毎日の生活は忙しい。 大部分を占めるのは授業と練習。 帰ったら洗濯をし、合間に勉強する。 皿洗いと風呂掃除は当番制、ごみ出しはじゃんけんといい、「家事は大変。 親のありがたみを実感した」と口をそろえる。 苦労は協力し合って乗り切る。 誰かが寝坊したら起こして登校。 夜中にトイレが壊れ、みんなで知恵を絞り、応急処置したこともあるという。 練習後も「今日の練習きつかったな」「やりきったね」と、励まし合いながら帰途に就く。 「(サッカー選手として)中途半端なことはしたくない。 地元の誇りとなる選手になりたい」。 その言葉から、3人の覚悟が見えた。 「この料理もおいしいけど、やっぱり母ちゃんの料理が食べたいですね」と篠原君。 みそ汁、シチュー、ミートソース…。 母や祖母が作ってくれた大好きな料理を挙げる時、3人は子どもらしい表情に戻った。 「あるのが当たり前だったけど、思い出すと恋しくなる」と松原君。 家族や友人の応援を支えに、故郷を離れ夢を追う。 相手と1対1になった時、どうすれば味方に有利なパスができるか、などの基本的な判断力もまだ低い。 大切なのは、勝負へのこだわりを持つこと。 意識が変われば、普段の練習や日常生活でも、勝つためにはどうすればいいか考えるようになる。 他のJユースなどに大敗してきたので、負けることへの抵抗感が薄い。 勝つ喜びや、勝ち続ける難しさも知らない。 今年の目標は、Jユースと対戦して、1得点でもする。 そして、まず1勝したい。 新1年生と現1年生の間で競争が生まれる今年が本当の始まりだ。 選手の獲得には苦労した。 僕も何人かの候補者の両親に会って話をしたが、良いグラウンドや寮がある高校の部活に比べると、山雅を選ぶメリットは低いと難色を示す人も多かった。 トップがJFLから一気にJに上がったが、そのスピードに、環境整備を含め、育成は付いていけてない。 そもそも長野県では、クラブユースの仕組みが理解されていない。 ユースからプロを早く育てる必要がある。 10年かかるなら、5年、3年と短くするのが僕の仕事。 礼儀や、仲間を思う気持ちなど、人間として一番大切な部分はきちんと備わった子どもたちなので、そこは苦労していない。 責任と愛情を持ち、持っているものを全て伝えたい。 【きしの・やすゆき】1958(昭和33)年、生まれ。 2007年から当時J2の、10年から12年3月までの監督。 現在は山雅ユースのアドバイザーを務め、2月から監督に就任。 (倉科美春) 来たれ!ユース育ち U-18選手がトップ練習試合に出場(2013年5月9日号より) 今 季、山雅ユースU-18(高校生年代)の選手が、トップチームの練習や練習試合に呼ばれる機会が増えている。 Jリーガーの輩出を早める取り組みの一つ で、このほど運動公園場で行われた戦とFCアビエス戦には、計6人が出場。 選手はプロの空気を感じながら、そのプレーや姿 勢を学んでいる。 2試合は、同競技場のリニューアルに伴いサッカー協会が主催。 共にが指揮した。 ユースから出場したのは、高校2年の古市真也君(松本県ケ丘)、小山優太君(同)、篠原貫太君()、池上雄太君(同)、渋木瞭君(同)、原将太君(南安曇農業)。 6人の出場を知った山雅サポーターは、急きょ全員分の横断幕を作り、声援を送った。 東御戦には古市君と篠原君が先発。 塩沢選手や多々良選手らと共にプレーした。 古市君は3バックの左、篠原君は右を担い、最初はプレーに硬さが見られたが、前線にパスを送ったり、体を張って守る場面もあった。 アビエス戦には他の4人が先発し、宮下選手ら若手と一緒に戦った。 高校の長期休みには、通常のトップの練習にも参加する。 U-18主将の古市君は「速さ、高さ、フィジカルの強さ、練習に取り組む姿勢が全て違う。 自分に何が足りないかが見えてくる」と言う。 トップ選手から学ぶ中で自チームに取り入れたのが、試合前のアップの声掛け。 全員で試合に向かう気持ちをつくる大切さを学び、副主将の篠原君と池上君の3人で積極的に声を出し、良い雰囲気づくりを行う。 岸野U-18監督は「プロに交じることで、高校生同士では得られない刺激を受ける。 彼らが学んだものをユースに還元し、全体のレベルアップにもつながる」と話す。 も「(ユースは)同じエンブレムを付ける仲間。 トップの練習試合に出たり、一緒に練習した経験を励みに、伸びる可能性もある。 チャンスはできるだけ与える」と、歓迎する。 (倉科美春) ジュニアユースの柳澤慶吾君がJ選抜海外キャンプへ(2012年7月26日号より) 山雅ジュニアユース(中学年代)の柳澤慶吾君(13、筑摩野中1年)が、Jリーグが育成年代向けに行う海外キャンプのメンバーに選ばれた。 同国の同年代の選抜チームと対戦する。 Jリーグは今春、1、2部各クラブの育成チームが推薦した約50人を集めてトレーニングキャンプをし、18人を選んだ。 柳澤君は「ドリブル突破が武器」のFW。 3歳上の兄の影響で保育園からサッカーを始め、小学生時は筑摩野に所属。 父親の弦さん(49)と一緒に毎朝6時から練習して体を鍛えた。 「松本出身のJリーガーとして日本代表になるのが夢。 同世代の仲間からいろいろ吸収したい」と意気込む。 football4.

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皆さん、こんにちは!! レディースU-15の藤原です。 とうとうUSA Tourも最終日になってしまいました。 今日で終わりかと思うと、名残惜しさを感じます。 最後のブログは、林あおい選手と北澤摩紀選手です。 ご覧ください。 よろしくお願いします。 林と北澤です。 アメリカ遠征最終日は、朝4時に家を出ました。 フェニックスの空港に向かいました。 朝4時に出発だったのでみんな眠そうな顔をしていました。 ロサンゼルスの空港に着いたら飛行機に乗るまで時間があったので少し自由に空港内でお土産を買いました。 日本に着いてから、ジャンボタクシーで松本に帰りました。 今日1日移動だったので疲れた顔をしていましたが、家族と会った時はなんか安心しました。 今回の遠征を通して、日本では味わえない体験ができ、とてもいい刺激になりました。 そして、一人一人がサッカー以外でも、人として成長できた部分があったと思います。 この経験を活かしてプロになりたいとより強く思ったり、この経験を活かして職業を選ぶなどに自分の将来のためにもいい経験になったと思います。 この経験で得たことなどをこれからのシーズンをみんなで闘えるようにしたいです。 最後に、お世話になったホストファミリーの皆さんが、毎日ご飯を作ってくれたり送迎をしてくれたり、積極的に話しかけてくれてコミュニケーションをとってくれて快適に過ごせることができました。 RSLのコーチ方々が、たくさん声をかけて下さったり、練習中はジェスチャーなどでわかりやすく伝えようとして下さったり、細かいところまで丁寧に教えていただき、ありがとうございました。 RSLの選手の皆さんへサッカーの仲間として受け入れてくれて、積極的にコミュニケーションをとろうとしてくれてとても楽しくサッカーができました。 私達がいいプレーをすると『nice play』と言ってくれて嬉しかったです。 アメリカらしいサッカーができて本当に楽しかったです。 次会う時はW杯だといいですね。 ありがとうございました。 これで、今回のアメリカ遠征の日程を無事行うことができました。 サッカーや生活で思うようにいかない場面が多くある中で、選手自身が考え工夫していく経験を積むことができました。 今回の遠征を通して経験したことは、選手たちを大きく成長させてくれるはずです。 選手たちのこれからの活躍に期待してください!! 以上、USA Tourの報告でした。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 皆さん、こんにちは!! レディースU-15の藤原です。 アメリカ遠征 10日目の活動になります。 10日目は、山口萌花選手、笠井琴葉選手です。 ご覧ください。 こんにちは。 山口と笠井です。 宜しくお願いいたします。 ホストファミリーとの最後の夜を過ごし朝オフィスに集合しました。 今日は、みんなでお土産等を買うショッピングセンターを決めました。 決めることに時間がかかってしまい、あまり時間は取れませんでしたが、とても楽しく充実した時間を送ることができました。 その後、ディスカッションをRSLのコーチの方へ向けて行いました。 アメリカに到着してからグループで、日本の女子サッカー、松本市、松本山雅、のそれぞれについて調べて、模造紙に書いて準備してきました。 本番前は一人ひとり読む文を練習している姿が見られました。 英語での発表ということで難しい部分もありましたが本番ではそれぞれのグループでしっかりまとめて発表できました。 ディスカッションが終わり、アメリカでご活躍されている日本人女性のアキさんという方のお話をお聞きしました。 アメリカに来た経緯、アメリカで感じたこと、日本人とアメリカ人の差など、たくさんの貴重なお話をしていただきました。 アメリカの人たちは、やはりコミュニケーション能力が日本人より長けていますが、日本人はアメリカ人よりも手先が器用なことなど、お話をしていただきました。 とても貴重な、大切な時間になったと思います。 アキさんとお話をさせていただいたあとは、最後のRLSの練習に参加しました。 最後は全員同じところで参加させて頂きました。 初日と比べてコミュニケーションがとれたり、練習内容が理解できたり、ひとりひとり成長できたと思います。 この体験は日本に帰っても絶対に活かしていきたいです。 練習の後、全員で自炊をしました。 まず、スーパーへ買い出しに行き、肉係、野菜係、ジュース果物係に分かれて買い物をしました。 9人分のご飯など、体験したことがなかったので、量があまり分からず多く買ってしまいました。 それでも、みんな思ったよりも料理ができてビックリしました。 最後の夜は忙しかったですが、とても充実していてアメリカでしか体験できないことなど本当にたくさんのことをさせて頂きました。 英語も分からない自分たちにサッカーを教えてくださったRSLのコーチ、練習に参加させてくださったRSLの選手の皆さん、日本から来た私たちのホームステイさせてくれたホストファミリーの皆さん、自分たちのスケジュールを考え、移動時に車の運転をしてくださったコーチ、アメリカへ行かせてくれた保護者、全ての方への感謝を忘れず、この貴重な体験を今後の生活に活かしていきたいです。 ありがとうございました。 こんにちは!! レディースU-15の藤原です。 USA Tourも残すところ数日になってしまいました。 9日目は、柄澤はな乃選手です。 ご覧ください。 こんにちは。 レディースU-15の柄澤です。 よろしくお願いします。 いよいよアメリカを発つ日が迫って来ました。 とても悲しいです。 アメリカの方々はテンションが高く、疲れていても元気になります。 今日はラスベガス最後の朝をホテルで過ごしました。 前の日が夜遅かったため、今朝洗濯と乾燥機をしました。 しかし、乾燥機をしたのにも関わらず、一部の洗濯物がさらに濡れてしまいました、、、外国だからこういうこともありうると思いますが、このようなことに慣れてない私たちは優先順位を忘れてしまい目の前のことばかり考えてしまいました。 その結果、ラスベガスからフェニックスに移動する出発予定時刻から大幅に遅れてしまい練習を行うことが出来ませんでした。 とても反省しています。 ですが、今回の件から次のことを学ぶことができたと思います。 それは、優先順位を考えること。 臨機応変に対応すること。 みんなで知恵を絞って工夫することです。 失敗はしてしまいましたが、次思いがけないことが起こった時は今回の反省を生かして行動して行きたいです。 時間は押していましたがみんなでお昼ごはんを食べました。 待っている間はみんなで絵を描いて遊びました。 とても面白く、楽しかったです。 ついにフェニックスに到着し、チームのダイレクターのお家でご飯を食べました。 ホストファミリーの方々と沢山の交流ができたと思います。 また、家がとても大きく庭が広くて、圧倒される大きさでした。 今日は主に移動が多かったですが、学んだことも反省するべきことも楽しかったこともたくさんありました。 ホストファミリーの方のお家で過ごすことができるのも、あと数時間です。 最後まで悔いがないようにたくさんお話ししてたくさん感謝の気持ちを伝えたいです。 あと数日、アメリカで得られるものを全て得て日本に帰りたいです。

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ふと自分で読みたくなって、まとめてみました。 とはいえリンクを貼っているだけですが(笑)、リンクを貼れないものは許可をいただいて引用させていただきました。 見つけ次第少しずつ追加していければ。 初めてU-18を観戦した時の記事。 今だにこの記事を読み返します。 266回 松本山雅U-18の日本クラブユース選手権 by 木次成夫 ゲキサカ[講談社] 【岸野さんの連載コラム】 引用:松本平タウン情報「がんばれ山雅」 ユース監督コラム「情熱は足りているか」1 (2013年4月11日号より) 2月に山雅ユースのU-18の監督に正式に就任した。 私が、子どもを教える上で最も大事にしているのは、誰よりも情熱を持ちグラウンドに立つということだ。 「情熱は足りているか」と常に問いかけながら、35人の選手を育てている。 私がサッカーを始めたのは中学3年生。 それまで柔道をしていたが、休部していたサッカー部を友達と復活させて以来、本格的にサッカーの道を歩むようになった。 18-31歳、(の前身)や(の前身)でDFとしてプレー。 引退後の93年にJリーグが できた。 プレーヤーとしてうらやましくもあったが、で育成指導する立場になっており、「プロを育てる」というのが、私の目標になった。 以後、94年から2004年までトップのコーチを務めた。 育成組織にいる子どもたちの指導もした。 コーチは選手に最も近い立場だ。 監督はほとんど外国人だったため、選手の意思を監督に伝えるつなぎ役になったり、個別練習の相手になったり。 その中には中 澤佑二(現横浜)や(UAEリーグの)ら日本代表や後に海外で活躍する選手も大勢いた。 一流選手に共通していたのは「勝ちへのこだわり」と「努力する才能」だ。 試合よりも厳しい練習をする。 定められているのが10周なら11周走る。 学校にボールを持っていき、休み時間に練習する。 睡眠時間や食事もこだわる。 「こうなりたい」という目標に向け、自分に何が足りないか、何をすればいいかを考え、実践できた。 最近の子どもに欠けているのが、この努力する才能だ。 「次は何をすればいいですか」とすぐに聞いてくるが、与えられたものをこなすだけでは、努力している選手とどんどん差が開く。 今ユースでは、選手の意識の変革を行っている。 ユース監督コラム「情熱は足りているか」2 (2013年5月2日号より) 山雅ユースのプレーを初めて見た時、「球際が弱くてプレーが緩く、勝負にこだわっているのかな?」と感じた。 皆、「勝ちたい」という気持ちはあったと思うが、勝つために何をすればいいのか分からないようだった。 気になったのは、プレー中の声掛けができないこと。 基礎的な戦術を理解していないので、味方にどんな指示を出せばいいか分からない。 自分がどう動けばいいかも分からず、ボールを持たない時はじっとしている。 それから、ボールへの執着心が薄いこと。 1対1の競り合いでは、けがをする恐怖を乗り越え、ボールに飛び込まなければいけない。 その際、味方が駆け付け、2対1、3対1と数的有利な状況をつくる。 それを90分間繰り返しできるのが、運動量が豊富なチームだ。 ユースでは、最終ラインを高くし、コンパクトな陣形で相手陣に攻め込む攻撃的なサッカーを目指している。 相手ゴール前でボールを奪い得点機をつくるので、競り合いでの勝利は必須だ。 通常、弱いチームが勝つには自陣で守りを固めるカウンターサッカーが効果的だが、それは相手に合わせる受動的な戦術。 プロになる選手は育ちにくい。 半年間繰り返し教えるうち、練習の空気が変わってきた。 開始前に仲間と雑談をするなど、塾感覚で来ている子も多かったが、今は練習前後に自主的に走ったりストレッチをしたり。 戦術も徐々に覚え、仲間への声掛けも内容が濃くなった。 自宅や学校で自主練習をする選手も出てきた。 教えられたことを習慣化するまで練習し、自分でも勉強する。 ボールに食らいつく心を持つ。 全ての行動の根底にある「意識」が変わったのは良い変化だ。 伸びが早い子は、トップチームの練習に参加させている。 (ユース監督) ユース監督コラム「情熱は足りているか」3 (2013年6月20日号より) 5月末のクラブユース選手権で、準決勝でに1-2で敗れた。 正確なキックやヘディングなど、基礎技術で富山が上回った。 富山の主力の高校2年生はジュニアユースに入団した中学1年時からそうした技術を磨いている。 その差が出た。 現在、山雅は週1回、U-10からU-18までの監督・コーチ全員が集まり、ミーティングを開いている。 プロを育てるため、どの年代にどんな指導をすればいいかを話し合う。 これまでは各カテゴリーの指導者が、それぞれのやり方で教えていたが、小学生から高校生までの一貫した共通方針「山雅スタイル」というべきものを話し合ってつくった。 技術からメンタル指導まで具体的に示した、プロ育成組織には必須なもの。 これで基盤が一つ整った。 あとは環境だ。 2015年度には専用練習場ができる予定だが、今は内のグラウンドを回り毎日の練習をしている。 良い練習場が比較的押さえやすいのに加え、選手が睡眠や食事の時間を少しでも多く取れるよう、午後7-9時だった練習時間を午後5-7時に変えた。 専用練習場は、今はないが、時間を有効に使い子どもたちの負担を少しでも減らせるよう何とか工夫している。 最近、練習後のミーティングで、自分の意見を言う選手が増えた。 前は何もしゃべらなかったが、変わろうとする意識が子どもたちに芽生えた。 の敗北を「残念だった」で終わらせず、自分の課題を考えるきっかけにすれば、このような環境下でも他のJユースとの差を縮めることができる。 個の大きさが、チームの力を決めるからだ。 メンバーの中には県外から やって来て、下宿をしながら練習に励む選手もいる。 10月末に始まる、Jリーグ下部チームの日本一を決める「Jユースカップ」に初出場する。 同大会にはJユースの40チームが出場。 4チームずつ10組で予選リーグをし、各組上位2チームに、地区予選を勝ち抜いたJユース以外の4クラブチームを加えた計24チームで決勝トーナメントをする。 高橋耕司監督(49)は「プロを目指す同年代の選手と戦っていかなければ、プロにはなれない。 1年生には非常に良い経験。 相手に食らい付き、勝利したい」と話す。 現在30人が所属。 このうち20人が今季入団した1年生で、すでにチームの主力を担う。 いずれも高に通いながら、アパートで暮らす。 埼玉県出身の篠原貫太君 (15)は、中学生の時に練習に参加したのがきっかけで入団を決めた。 「皆が受け入れてくれてすぐに溶け込めた。 ここで夢をかなえたい」と、張り切る。 土・日曜は社会人チームと練習したり、高校チームとのリーグ戦や大会に臨んだりしている。 求めるのはハードワークできる体力。 時には20キロマラソンを行うなど厳しい練習を重ねる。 だが、全ての選手がプロになれるわけではない。 「山雅の指導者やスタッフになり、長野のサッカーの発展に貢献する人材を育てるのもわれわれの役目」と臼井さんは話す。 また、選手は一昨年からホーム試合の運営を手伝う。 入場ゲートでチラシを配ったり、試合終了後にスポンサーの看板を片付けたり。 たくさんの人に支えられ、試合が成り立っていることを学ぶためだ。 高校1年時から所属する細川大樹君(18、高3年)は「トップがJに上がったことは、僕らにとってもすごくうれしく、刺激にもなった。 1年生と競い合って向上し、強くなりたい」と決意を話す。 (倉科美春) Jユースカップ初戦は京都に完敗 同世代に挑み学ぶ (2012年11月1日号より) Jリーグのユース(高校生年代)40チームが出場し、日本一を決める「Jユースカップ」の予選が10月20日から各地で始まった。 2年生が主体の京都に対し、山雅の先発はFW細川大樹(3年)以外全員1年生。 その力が現時点でどこまで通用するか、試金石となる一戦だ。 最終ラインを押し上げ、中盤でパスを回しながら攻める京都に対し、山雅は陣形をコンパクトにして守備を固め、カウンターで得点機を狙った。 後半も猛攻を受け3失点した。 しかし、山雅は体を張って守り、相手DFの裏に抜けて好機もつくり、点差ほど内容に開きはなかった。 試合後、選手たちも「思った以上にできた」と、手応えを感じた様子。 MF篠原貫太(1年)は「相手は体が強く、競り合っても倒れなかった。 ああいう体をつくらなくては」と、強豪から学んだ課題を口にした。 この日訪れた観客は225人。 時折激しく雨が降る中、声援を送り続けた。 次戦は3日に()と、11日は(=)と対戦する。 (倉科美春) U-18 で準決勝敗退(2013年6月6日号より) サッカーのクラブユース(U-18=18歳以下)選手権は5月25、26日と6月1、2日、6チームが参加し、のサブグラウンドなどで開いた。 山雅U-18は準決勝で、優勝したに1-2で敗れた。 トーナメント。 優勝チームが日本クラブユース選手権(7月25日-8月3日・群馬)の出場権を得た。 山雅は1回戦でに3-0、2回戦はに6-1で勝ち上がり昨年同大会の1回戦で1-5で敗れた富山と、準決勝で当たることに。 しかし、主将のDF古市真也(松本県ケ丘高2)が金沢戦で左足を骨折。 主力を欠く戦いとなった。 技術で勝る富山に対し、山雅は中盤を6人にして厚みを持たせ、相手にプレッシャーをかけ攻め込んだ。 前半28分、ゴール前のこぼれ球をMF池上雄太(2)が右足で蹴り込み先制。 しかし、後半7分に同点に追い付かれ、38分に逆転された。 そんな思いを象徴するかのように試合終了後、選手たちは膝を抱えて消沈。 涙を流す選手もいた。 監督が就任以来、初めての全国につながる大会。 現時点でどれほどの力が付いたかを知る戦いでもあった。 選手はこの大会に向け、あいさつなど生活面も見直すなど、自らを一つ一つ変えながら全国を目指した。 しかし、1対1の競り合いの弱さなど、監督が日々口にする課題が表れた。 岸野監督は「勝とうとする姿勢は良かった」と、闘志を評価しながらも「プロを目指す選手として、持ってなければいけないものが、まだ足りない」と、さらなる努力を要求した。 「この負けで、一人一人が自分の課題を自覚した。 もっと練習しなければいけない」と、副主将でもある池上。 ここからどれだけ成長できるかが本当の勝負だ。 10月には、Jリーグ下部組織の日本一を決める「Jユースカップ」が待つ。 今季はアドバイザーとして関わり、来年2月から指揮をとる。 契約期間は1年。 会見要旨と取材に対する答えは次の通り。 山雅サポーターの存在も大きい。 ユース出身のトップ選手の誕生で、サポーターがさらに増え、を2万人の観客で満員にすることにやりがいを感じた。 トップの練習に参加させたり、有望な選手について情報交換するなど、と連携したい。 まだメンバーに会っていないが、専用グラウンドがなく、厳しい練習環境だと聞く。 一緒に泣いたり笑ったりしながら、彼らがでプレーする日を目指す。 、でプレーし90年に現役引退。 (現)のサテライト監督、トップチームコーチなどを経て、07年から当時J2の、10年から今年3月までの監督を務めた。 (倉科美春) 夢はの大声援 ユースアカデミー (2013年1月3日号より) 松本平育ちのJリーガーの輩出は、地域に夢を与え、地元に根ざすクラブの使命だ。 専用練習場がないなど課題はあ るが、過酷な環境でも若者はひた向きに夢を追う。 選手や監督の思い、育成に定評があるJ1の取り組みを探った。 の中心地から離れたふるさと公園で、選手たちはボールを追っていた。 現在25人。 県外出身者もいる。 高校の授業後、約2時間の練習を週4日行う。 練習場所は市内の中学校や市営のグラウンド。 土・日曜は高校の部活動チームなどと練習試合をし、山雅のホーム戦の日は試合運営を手伝う。 山崎生希君(15、松本美須々ケ丘高1)は「いつか、サポーターの応援を受けてでプレーしたい」と、笑顔で夢を語る。 まず、目指すのは意識の変革だ。 「同年代の選手に負ける。 これが今の実力」。 高との練習試合後、敗れた選手に厳しい言葉を掛けた。 だが、同世代との競争に勝ち、全国に通用する力を付けなければJリーガーにはなれない。 「みんなの意識が、『負けてもいい』から、負けると悔しいに変わった」と、古市真也君(15、松本県ケ丘高1)。 岸野さんの言葉を真剣に聞く選手の表情に、諦めない闘志が表れた。 県内各地で開かれた中学年代の試合に足を運び、いい選手をスカウト。 選考会も2度開き、県内外から45人が応募した。 2012年のJ1年間王者に輝いた「」の理念だ。 昨年のトップチームの広島ユース出身選手は9人。 どんな環境で選手を育て、彼らは地域にどんな影響を与えているのか。 育成の先進地に聞いた。 広島の専用練習施設「」は、内から約40キロ離れた吉田町にある。 サッカーで町おこしを望んだ旧吉田町が同市に合併する前の98年、整地費用も含め約25億で設置。 ユースのグラウンドは人工芝。 約8000平方メートルある。 ユースは全寮制で、全員が同町にある県立吉田高校に通う。 クラブは、選手の人間性の育成を最も重視しており、日常生活でのあいさつを徹底。 ユースの監督は、頼まれれば市内の中学や高校サッカー部にも指導に行くな ど、非常に地域に密着している。 そのためユース自体のファンもおり、Jユースカップや全日本ユース選手権の決勝などには市民約100人がバスで応援に行く という。 「同じ高校で学んだ子どもにとってJリーガーは友達であり、市民にとっては、道でよくあいさつをしていた子。 『あの子を応援しよう』と、自然にスタジアムに足を運ぶ。 地元の誇りでもあり、身近な存在でもある」(同市文化スポーツ振興室)という。 いずれも高校1年の篠原貫太君(16、埼玉県出身)、岡野大貴君(16、同県出身)、松原隼君(16、出身)。 親 元を離れ、どんな生活をしているのか、昨年12月上旬に訪ねた。 午後10時、練習から帰った3人は部屋で夕食。 朝食、昼食は高校の学食で食べ、夜は学食がパック詰めしてくれた夕食を持ち帰る。 この日のメニューはシチューとハンバーグ。 1台の電子レンジで、交代で温めて食べた。 毎日の生活は忙しい。 大部分を占めるのは授業と練習。 帰ったら洗濯をし、合間に勉強する。 皿洗いと風呂掃除は当番制、ごみ出しはじゃんけんといい、「家事は大変。 親のありがたみを実感した」と口をそろえる。 苦労は協力し合って乗り切る。 誰かが寝坊したら起こして登校。 夜中にトイレが壊れ、みんなで知恵を絞り、応急処置したこともあるという。 練習後も「今日の練習きつかったな」「やりきったね」と、励まし合いながら帰途に就く。 「(サッカー選手として)中途半端なことはしたくない。 地元の誇りとなる選手になりたい」。 その言葉から、3人の覚悟が見えた。 「この料理もおいしいけど、やっぱり母ちゃんの料理が食べたいですね」と篠原君。 みそ汁、シチュー、ミートソース…。 母や祖母が作ってくれた大好きな料理を挙げる時、3人は子どもらしい表情に戻った。 「あるのが当たり前だったけど、思い出すと恋しくなる」と松原君。 家族や友人の応援を支えに、故郷を離れ夢を追う。 相手と1対1になった時、どうすれば味方に有利なパスができるか、などの基本的な判断力もまだ低い。 大切なのは、勝負へのこだわりを持つこと。 意識が変われば、普段の練習や日常生活でも、勝つためにはどうすればいいか考えるようになる。 他のJユースなどに大敗してきたので、負けることへの抵抗感が薄い。 勝つ喜びや、勝ち続ける難しさも知らない。 今年の目標は、Jユースと対戦して、1得点でもする。 そして、まず1勝したい。 新1年生と現1年生の間で競争が生まれる今年が本当の始まりだ。 選手の獲得には苦労した。 僕も何人かの候補者の両親に会って話をしたが、良いグラウンドや寮がある高校の部活に比べると、山雅を選ぶメリットは低いと難色を示す人も多かった。 トップがJFLから一気にJに上がったが、そのスピードに、環境整備を含め、育成は付いていけてない。 そもそも長野県では、クラブユースの仕組みが理解されていない。 ユースからプロを早く育てる必要がある。 10年かかるなら、5年、3年と短くするのが僕の仕事。 礼儀や、仲間を思う気持ちなど、人間として一番大切な部分はきちんと備わった子どもたちなので、そこは苦労していない。 責任と愛情を持ち、持っているものを全て伝えたい。 【きしの・やすゆき】1958(昭和33)年、生まれ。 2007年から当時J2の、10年から12年3月までの監督。 現在は山雅ユースのアドバイザーを務め、2月から監督に就任。 (倉科美春) 来たれ!ユース育ち U-18選手がトップ練習試合に出場(2013年5月9日号より) 今 季、山雅ユースU-18(高校生年代)の選手が、トップチームの練習や練習試合に呼ばれる機会が増えている。 Jリーガーの輩出を早める取り組みの一つ で、このほど運動公園場で行われた戦とFCアビエス戦には、計6人が出場。 選手はプロの空気を感じながら、そのプレーや姿 勢を学んでいる。 2試合は、同競技場のリニューアルに伴いサッカー協会が主催。 共にが指揮した。 ユースから出場したのは、高校2年の古市真也君(松本県ケ丘)、小山優太君(同)、篠原貫太君()、池上雄太君(同)、渋木瞭君(同)、原将太君(南安曇農業)。 6人の出場を知った山雅サポーターは、急きょ全員分の横断幕を作り、声援を送った。 東御戦には古市君と篠原君が先発。 塩沢選手や多々良選手らと共にプレーした。 古市君は3バックの左、篠原君は右を担い、最初はプレーに硬さが見られたが、前線にパスを送ったり、体を張って守る場面もあった。 アビエス戦には他の4人が先発し、宮下選手ら若手と一緒に戦った。 高校の長期休みには、通常のトップの練習にも参加する。 U-18主将の古市君は「速さ、高さ、フィジカルの強さ、練習に取り組む姿勢が全て違う。 自分に何が足りないかが見えてくる」と言う。 トップ選手から学ぶ中で自チームに取り入れたのが、試合前のアップの声掛け。 全員で試合に向かう気持ちをつくる大切さを学び、副主将の篠原君と池上君の3人で積極的に声を出し、良い雰囲気づくりを行う。 岸野U-18監督は「プロに交じることで、高校生同士では得られない刺激を受ける。 彼らが学んだものをユースに還元し、全体のレベルアップにもつながる」と話す。 も「(ユースは)同じエンブレムを付ける仲間。 トップの練習試合に出たり、一緒に練習した経験を励みに、伸びる可能性もある。 チャンスはできるだけ与える」と、歓迎する。 (倉科美春) ジュニアユースの柳澤慶吾君がJ選抜海外キャンプへ(2012年7月26日号より) 山雅ジュニアユース(中学年代)の柳澤慶吾君(13、筑摩野中1年)が、Jリーグが育成年代向けに行う海外キャンプのメンバーに選ばれた。 同国の同年代の選抜チームと対戦する。 Jリーグは今春、1、2部各クラブの育成チームが推薦した約50人を集めてトレーニングキャンプをし、18人を選んだ。 柳澤君は「ドリブル突破が武器」のFW。 3歳上の兄の影響で保育園からサッカーを始め、小学生時は筑摩野に所属。 父親の弦さん(49)と一緒に毎朝6時から練習して体を鍛えた。 「松本出身のJリーガーとして日本代表になるのが夢。 同世代の仲間からいろいろ吸収したい」と意気込む。 football4.

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